● ダライラマ〔Wikipedia〕
ダライ・ラマ (Dalai Lama, ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。

● ダライラマ14世〔Wikipedia〕
ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。法名はテンジン・ギャツォ(チベット文字:བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་; ワイリー方式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。
1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムシャーラーに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。





■ フリーチベットVSストップライング 「Also sprach Pinkglalem(2014.3.23)」より
(※ あちこち略、詳細はブログ記事で)/
チベット仏教には、最大主流派に守られてきた護法尊シュクデン(Shugden)と言うのがあって、このシュクデン信仰は、ダライラマ14世の都合で禁止されてしまったンですね。
Youtubeとかで検索してみると、その信仰者がダライラマに抗議している動画が出て来ます。「ダライラマ、ストップライング(嘘をやめろ!)信仰の自由なんてチベットには無い」と言う抗議デモ。
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もともと、人民解放軍の侵攻以前のチベットと言うのは、極一部の貴族階層が、宗教的指導者をたてて、その威光で国民の大多数の農奴を支配して搾取していた社会だったンです。
貴族階層は自分たちの懐柔できる指導者を子供のときに拾って来て、都合の良いように、教育し、自分たちに有利な政治を行なう摂関政治を行なっていたンです。
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外国にいるチベット人というのは、みんな貴族階層の出身者。

ペマ・ギャルポが日本の家庭にホームステイしていた時、正月に食卓に出されたおせち料理に激昂したそーです。冷めた料理というのはチベットでは、農奴が食べる残飯なんだそーです。
ホスト家族も食べていたのに、侮辱されたと思って腹を立てたらしい。
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実は、それ程の厳格な階級社会がかつてのチベットで、今は共産党のせいで民主化し、かつて虐げられていた農奴は教育を受け、生活水準も向上。逆に貴族階層は、行くあてが無いわけです。

それで、「フリーチベット」というインチキ民主化運動展開しているのです。
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チベットは、戦前から、欧米諸国や日本との関係があります。明石元次郎や紅卍字会とかもこのチベットに関っているらしいです。

ダライラマとナチスの関係を指摘する人は多いです。「セブンイヤーズインチベット」のハインリッヒ・ハラーは、ヒトラーのSSでした。ナチス、バチカン、明石元次郎紅卍字会、ボルシェビキは、繋がっていますから...

明石元次郎や紅卍字会については、台湾、北朝鮮の建国にも関っています。



ダライ・ラマは、 これまで事あるごとに二枚舌を使ってきた。その使い方が日本的なので、どうしてなのか長く考えていた。ようやく見えてきた。今回は、化けの皮が剥がれた。

日本のニュースでは、ダライ・ラマの東京での記者会見と米国での 聖火ランナーの肩透かしが同時に前後して放送された。私は、ダライ・ラマが暴動行為をしないように訴えて、聖火ランナーの走りが比較的平穏に終わったと思った。

ところが、時間に注目すると、ダライ・ラマが記者会見したのは、聖火ランナーが終わってから10時間後だ。おそらく、仲間のデモ隊が空振りに終わったため、辻褄(つじつま)を合わせるために急遽日本がダライ・ラマを東京に呼んで記者会見させたのだろう。

報道された時間帯は調整されていると思われるが、それでも10時間の差がある。 こんな子供じみた演出をするのは、最近の日本の特徴だ。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)







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最終更新:2025年03月28日 14:56