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インドとパキスタンが砲撃戦、7人死亡 係争地カシミール地方 「Yahoo!news[時事ドットコム](2019.3.3)」より
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【AFP=時事】インドとパキスタンが領有権をめぐって激しく争うカシミール(Kashmir)地方で2日、両国軍が砲撃を交わし、少なくとも7人が死亡した。両国間の対立が急激に高まっている。
24時間のうちに、パキスタン側では兵士2人、民間人2人が死亡。インド側では、迫撃砲弾が民家を直撃し、女性1人とその子ども2人が死亡したという。
AFP記者によると、カシミール地方では、村人たちが簡易的な掩蔽壕(えんぺいごう)で身を寄せ合っているほか、警察は不要不急の外出を控えるよう命じている。2日までの1週間に両国の境界付近で死亡した民間人は少なくとも12人になった。
パキスタンは先月27日に撃墜したインド軍戦闘機のパイロット、アビナンダン・バルタマン(Abhinandan Varthaman)中佐を「友好の意思表示」として解放し、1日夜にインド側に引き渡した。
緊張緩和への期待が高まったが、解放前のバルタマン中佐がパキスタン軍を称賛し、インドのメディアを批判する内容の動画が公開され、インドでは激しい非難の声が上がっていた。【翻訳編集】 AFPBB News
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インド洋】
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軍事化するインドと中国のパワーゲーム―日本にとっての意味- 「国際情報ネットワーク分析 IINA(2018/07/10)」より
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今年2月、インド洋で大きな動きがあった。モルディブ情勢の不安定化でインド軍がモルディブに介入する可能性が指摘されたのとほぼ同じくして、中国海軍の艦艇11隻がインド洋に入ったのである※1。ソマリア沖の海賊対処に参加している中国艦艇3隻と合わせると14隻もの中国艦艇がインド洋に展開したことになる。これに対し、インドはベンガル湾とアラビア海などで大規模な軍事演習を実施した。また、中国艦隊のインド洋侵入に合わせて、インドは艦隊を派遣、中国側はインド艦隊と遭遇した後、引き上げたようだ。
昨今、インド洋では印中海軍の動きが活発になっている。一体インド洋で何が起きているのか。それは日本にとってどのような意味を持つのか。本稿は、インド洋をめぐる印中の軍事的な動きに注目する。
インド洋に進出する中国
インド海軍の活動の活発化の背景には、インド洋における中国海軍の動きがある。中国は、2000年代よりインドの周辺国でいわゆる「真珠の首飾り戦略」に基づく港湾開発を行い※2、それと同時に、ミャンマーのココ諸島に軍の通信施設を設置した。ココ諸島はマラッカ海峡のすぐ近くで、情報収集と、中国艦艇をインド洋に入れるための施設と認識される。そして、2008年に中国がソマリア沖の海賊対策に艦艇を参加させて以降、次第にインド洋での存在感を高めていった。インド海軍参謀長が2017年12月に語ったところによると、中国の艦艇はインド洋に常時8隻展開させている状態になっており、その中には原潜・通常型潜水艦も含まれる※3。また、中国は、インドの周辺国のパキスタンに8隻、バングラデシュに2隻の潜水艦を輸出し始め、ジブチに海軍基地も設置した。そのため、中国が近い将来、空母機動部隊をインド洋に派遣することも想定し得る状態になったのである。
インドの懸念
(※mono....詳細は略)
インドの対抗策
(※mono....詳細は略)
日本にとっての意味
(※mono....詳細は略)
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中国とパキスタンの関係を妨害する動きは失敗する=王毅外相 「Newsweek(2018年09月26日(水)13時30分)」より
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[北京 26日 ロイター] - 中国の王毅国務委員兼外相は25日、ニューヨークで開催中の国連総会の合間にパキスタンのクレシ外相と会談した。王毅外相は、両国の関係を妨害するような動きは成功しないとクレシ外相に伝えた。
王毅外相は、カーン新政権発足後、同国との関係が良好にスタートしたことを中国は歓迎するとクレシ外相伝えた。
その上で、両国の関係を妨害するような計画はうまくいかないと指摘した。中国外務省が26日に声明を発表した。
(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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王毅外相は、中パ経済回廊の推進や貿易拡大、パキスタンの貧困削減に向け、両国は全力で努力すると表明。クレシ外相は、環境が変化したとしても両国の関係は変化しないと王毅外相に伝えた。
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パキスタンが拒めない中国のカネ 「WEDGE(2017年8月29日)」より
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中国が打ち出した中国パキスタン経済回廊構想は、パキスタンが拒否できない資金を提供し、インドは心中穏やかではないが、中国の資金力には太刀打ちできず、南アジアで中国が優位に立った、と7月22日付の英エコノミスト誌が報じています。論旨は以下の通りです。
(※mono....中ほど大幅に略、詳細はサイト記事で)
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時に、中国がこれほどまでに明確にパキスタンの囲い込みに入ったのを見て、インドと中国の関係はさらに緊張せざるを得ません。さらに、ブータンと中国の紛争地であるドクラム高原における中国側の道路建設を契機に、中印の軍事的緊張が高まっています。領土や主権問題では、強い姿勢をとるというのが習近平外交です。昨年夏以来、戦術は変えてきていますが、この基本方針はまだ修正されていません。ここも目が離せないと言うことです。
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中国とパキスタンは国と国との関係の模範 「人民網(2015年02月10日14:09)」より
(※mono....前後略)
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中国政府は一貫して中国とパキスタンは良き隣人、良き友人、良きパートナー、良き兄弟であり、外的環境の変化に左右されない戦略的パートナーだとしている。中国人の心の中でパキスタンは親友のイメージであり、中国のネットユーザーはパキスタンに、これにちなんだ親しい呼び名をつけている。このことから両国の友情の厚さがよく分る。この友情は時代の移り変わりによる試練に何度も耐え、国際環境の激変によっても影響を受けずにきており、国と国との関係の模範といえる。
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パキスタン軍、「インド空軍機2機を撃墜」と カシミール緊迫 「BBC(2019年02月27日)」より
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パキスタン軍は27日、カシミール地方の自国領空内でインド空軍機2機を撃墜し、墜落した操縦士2人を拘束したと発表した。インドが26日にパキスタン領内で過激派戦闘員に対する空爆を行ったことに対し、パキスタン政府は「時期と場所を見て」対抗措置を取ると表明していた。
パキスタン情報省は、拘束したインド軍機の操縦士の1人が映っているとする動画を公表した。目隠しをされ、顔に血のあとがあるように見える男性は、アブヒ・ナンダン空軍中佐だと名乗った。
パキスタン軍報道官のアシフ・ガフール少将は、撃墜したインド空軍機のうち1機はパキスタン領内に墜落し、もう1機はインド領内に墜落したと説明した。一方で、「戦争の道を進みたくない」ため、インドの軍事標的を狙わなかったとも述べた。
インドのスシュマ・スワラジ外相は、自分たちは「自制心をもって責任ある行動をとる」と述べ、「インドは状況の悪化を望んでいない」と強調した。
パキスタン外務省は27日、インド機撃墜に先立ち、カシミール地方でのインドとの停戦ラインを超えて、パキスタン空軍が空爆を行ったと発表していた。これについてパキスタンは「非軍事的標的を爆撃し、人的被害や巻き添え被害を回避した」と説明したが、インド側はパキスタン機を迎撃したと反論していた。
アメリカ、欧州連合(EU)、中国はいずれも、印パ両国に自制を求めた。
インドはさらに、領空での飛行制限を発表したとされる。ヴィスラタ航空によると、カシミール地方周辺のフライトは中止された。
カシミール地方では14日にインド側で同国警察隊を狙ったテロがあり、少なくとも40人が死亡して以来、両国間の緊張が高まっていた。
停戦ラインを超えた空爆は、1971年の第3次印パ戦争以来。インドとパキスタンは両国とも、核保有国。
停戦ラインを超えた砲撃も続いており、26日の攻撃ではパキスタン市民4人が死亡したほか10人が負傷した。インド当局によると、インド側では兵士5人が負傷したという。停戦ラインに近いラジューリ地区とプーンチ地区では、学校が閉鎖された。周辺の住民には避難指示が出された。
イスラム教徒が住民の多数を占めるカシミール地方は、インドとパキスタンの双方が全域への領有権を主張しているが、停戦ラインを挟んで両国に分断されている。
カシミール地方は、1947年のインド・パキスタンの分離独立時に帰属が決まらず、独立から2カ月後の暴動発生を機に第1次印パ戦争が勃発した。1949年の国連調停による停戦合意で停戦ラインが引かれたが、その後も1965年と1971年に印パ戦争の戦場となった。
インドとパキスタンの緊張関係
1947年10月:イギリスから独立して2カ月後に、カシミール地方の領有権をめぐって戦争が始まった
1965年8月:再びカシミール地方をめぐって短い戦争が起きた
1971年12月:東パキスタンが独立運動を起こし、インドが介入。パキスタン領内を空爆した。結果として東パキスタンはバングラデシュとして独立した
1999年5月:カシミール地方カールギルのインドの駐屯地を、パキスタン軍と武装勢力が制圧。インドは空と地上から攻撃を行い、パキスタン側を排除した
2001年10月:インド側のカシミールの国会が攻撃され、38人が死亡。2カ月後にインドの首都デリーの国会議事堂が攻撃され、14人が亡くなった
2008年11月:インド西部ムンバイの主要駅や高級ホテル、ユダヤ人の集会所などが同時に攻撃され、166人が犠牲となった。インドはパキスタンに拠点を置く過激派集団「ラシュカレトイバ(LeT)」の犯行だと非難している
2016年1月:インド北部パサンコットの空軍基地が4日間にわたって攻撃され、インド兵7人と戦闘員6人が死亡した
2016年9月18日:カシミール地方ウリのインド軍駐屯地が攻撃され、インド兵19人が死亡した
2016年9月30日:インドはパキスタン側のカシミールにいる武装集団に「局地的な空爆」を行ったと発表。パキスタンはこうした空爆はなかったと主張している
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パキスタンとインド、互いに軍機撃墜か 報復激化の恐れ 「朝日新聞(2019年2月27日21時53分)」より
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パキスタン軍は27日、隣国インドと領有権を争うカシミール地方の停戦ライン(実効支配線)付近の上空でインド軍機2機をパキスタン軍機が撃ち落としたと発表した。一方、インド外務省は同日、パキスタン軍の戦闘機1機を撃墜したと発表した。26日にインド軍機がパキスタン領内を爆撃したことを契機に核保有国同士の軍事的報復が激化する懸念が高まっている。
パキスタンの軍や外務省によると、パキスタン軍機は27日朝、停戦ラインのパキスタン側上空からインド側の「軍事施設ではない対象」に「人的被害を避けつつ」攻撃した。同省は否定しているが、26日のインド軍機の爆撃に対する報復とみられている。
さらに、これに対応するために飛来したインド軍機6機のうち停戦ラインを越えてパキスタン上空に入ってきた2機を撃墜したという。2機のうち1機はインド側に墜落して炎上。残り1機はパキスタン側に墜落し、脱出した操縦士2人を拘束したという。
一方、インド外務省は声明で、… (※mono....以下有料記事)
最大の理由は宗教間の対立だが、中東などと同様に、宗主国イギリスが民族対立や宗教対立が起きやすくして強国にならないようにしたのも大きな理由の一つだ。では具体的にどう対立が起こり、現在まで続いているのか、その経緯を見ていきたい。
イギリスがインドを植民地化
イギリスによって資産が搾取され、大飢饉が発生
15世紀末にポルトガル、オランダがインド亜大陸(インド、パキスタン、バングラデシュなどがある地域)に進出、17世紀後半にはイギリス・フランスが植民地を巡って争い、1757年プラッシーの戦いでイギリスが勝ち、東インド会社を通じて植民地化に成功する。東インド会社は「会社」といっても今の会社とは異なり、兵器や兵隊を備えた軍隊のようなものである。
そして武力によって植民地化されたインドは、イギリス向けの綿花や茶、中国向けのアヘンなどの生産を強制され、インドの綿織物産業は破壊、自分たちが食べる穀物も買わなければならない状況に追い込まれる。さらに、地主に土地の所有権を認める代わりに、「地税」を徴収、インドから資産を吸い上げた。
こうした状況下で、たびたび大飢饉が発生し、1877年には大飢饉で約500万人が餓死したと言われている。
一方、こうした植民地支配に不満を持った住民が何度も反乱を起こし、1857年にはインド人兵士が大反乱を起こした。この反乱はイギリスによって制圧されるが、これをきっかけに、インドの支配が東インド会社からイギリスの直接統治に変わった。イギリスの内閣には「インド担当国務大臣」が設けられ、インドにはイギリス国王の代理人であるインド総督が派遣された。これによって、植民地支配は完成された。
イギリス、宗教間の対立を利用して支配
ヒンズー教徒を中心とする「インド国民会議」、イスラム教徒を中心とする「全インド・ムスリム連盟」を結成
(※mono....以下ほぼ副題のみ、詳細はサイト記事で)
インドとパキスタンに分かれて独立
ガンディー率いる「インド国民会議」は統一国家を目指したが、対立する「全インド・ムスリム連盟」はイスラム教徒の国を作ることで決議
第一次インド・パキスタン戦争が勃発
イギリスが国境を定めず、藩王と住民で宗教が異なるカシミール地方で対立が続く
アメリカや中国が介入
中国・インド国境戦争が勃発、インドの核開発のきっかけに
東パキスタンがバングラデシュとして独立
経済格差が激しく、民族も異なっていた東西パキスタンが第三次印パ戦争をきっかけに分離
インドとパキスタンが核を保有、緊張が高まる
インドは中国に対抗するために核を保有し、パキスタンはインドに対抗するため核を保有
衝突は未だに相次いでいるが、関係改善に向けた動きも
2015年12月には12年ぶりにインドのモディ首相がパキスタンを電撃訪問
その後は停戦ラインを行き来できる場所もでき、関係が改善したかに見えた。しかし、2008年に約170名が殺害されたムンバイ・テロ事件が起き、パキスタン政府はテロリスト集団への支援を否定したが、インドとパキスタンの緊張関係を再び悪化させることとなった。また、2006年にアメリカがインドに原子力技術を供与する協定を結ぶ一方で、パキスタンはウラン型原爆だけではなくプルトニウム型原爆の開発を進めていると言われている。
だが、関係改善に向けた機運も高まっている。2015年12月、12年ぶりにインドのモディ首相がパキスタンを訪問し、シャリフ首相と会談した。また両国の国家安全保障担当者がタイのバンコクで会談するなど、武力衝突はありながらも対話は続けている。モディ首相はヒンズー至上主義者で就任当初は関係悪化が懸念されたが、今後は改善していくかもしれない。
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