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雑学ミステリー通信
2025/01/01
最近は中国の旅客機が撮影した謎のドローンが大発生する衝撃映像や新たなウイルス流出事件、2025年7月に起きる大災害の真実の予言で世界が騒然となっていますが、日本人の起源がついに判明したとしてNASAやアメリカ政府が驚愕しています。そしてこの特異な起源が2032年に起きる人類滅亡の危機、地球終焉の真相に大きく関わる真実として予言者たちは最終警告しています。今回はそんなついに暴露された100年以上隠されていた日本人の驚愕の起源について触れていきます。
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【目次】
00:00 冒頭
00:18 日本人の起源について
03:22 遠い親戚
05:56 失われたはずの遺伝子
15:41 エイリアンのDNA
■ 日本人が世界を一つにまとめる為の基礎知識【総・総集編】 9時間12分
何度もつぶやいておりますように、DNA解析によって「朝鮮半島から稲作が伝わった」とする教科書の記述は間違いです。世界4大文明も同様ですが、どうして訂正しないのでしょうね。皆さま、もうお分かりですよね。渡来した弥生人が縄文人を駆逐したとする説も誤りであることが分かっています。 pic.twitter.com/W4trPppZKQ
— take5 (@akasayiigaremus) July 13, 2020
■ 在日・反日勢力が支配する出版社は、日本の古代が独自の文明を持っていたことを書こうとしない傾向がみられる 「縦椅子のブログ(2018年11月11日)」より
(※mono....文中より箇条抜き、詳細はサイト記事で)
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以下「ねずブログ」より抜粋編集
しかし日本には大化の改新よりもはるかに昔から、国体があった。
(何もないところで「大化の改新」は起こりえない)
そのことを知ったトインビー博士は、 後年、日本文明は、独立した一個の文明であると自説を訂正している。
以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集
つまり在日・反日勢力が支配する出版社では、日本の歴史が支那より古いという事実が生徒に知られては都合が悪いらしい。
近世の戦争についての評価も、在日・反日勢力が支配する出版社は、侮日ばかりに焦点をあててきた。
古代をめぐる記述でも、在日・反日勢力が支配する出版社は、日本の古代が独自の文明を持っていたことを書こうとしない傾向がみられる。
■ 韓国人記者自分のルーツを解析したら?:なんと日本と支那とモンゴルのハイブリッドだったことが判明!? 「Kazumoto Iguchi's blog 2(2018年 03月 23日)」より
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さて、一昨日、
ところで、関東では「おととい」と発音するが、徳島弁=阿波弁では、「おとつい」と発音するが、
こんなものをメモしていた。
この中で、ちょっと脇道に逸れた部分の「うんちく」にこんな部分があっただろう。
それに対して、我が国は、戦後直後からいま現在までの
いわゆる自虐史観計画の下で生まれた、我が国の古代史では、
縄文人(=単に土器の模様に縄をつかっただけでそう呼ばれることになった人たち)
が、狩猟採集の移動民族であり、
弥生人(=朝鮮半島経由で稲作を伝えた優秀なエラ張り釣り眼民族)
が、稲作の定住民族である、
ということにされてしまった。
が、現在の考古学的発見と、最先端の遺伝子DNA解析の結果では、
180度真逆だったことがわかっている。
事実は、縄文人は、世界全体に広く広がった、原コーカソイド系(=後にその一部から白人種が生まれていく人種)の一派であり、かなりアイヌに近い民族であり、アジアにも日本列島にも全体的住んでいた民族の一部か、あるいは、むしろ我が国から広く世界に「広がった」人種であることがわかってきたのである。
だから、縄文人は日本列島に固有ではないか、その可能性があるのである。
また、弥生人は、そういう日本人の一部がアジアで独自に変化した後に再度、我が国に来た民族の一派にすぎない。
稲作は、稲の古代米が発掘されるのが日本の方であり、中国や韓国にはかなり新しい品種しか無いのである。
また稲のDNA解析からもこれが証明された。
というわけで、縄文人が狩猟採集民で、弥生人が渡来の農作定住の先進的民族だったというのがまったく根拠のないデタラメだったことがわかってきたのである。
が、我が国の教科書はいまだにこれを100%流布しているという実にお馬鹿な状況になっている。
(※mono....以下略)
つまり、この脇道の中には、
(1)日本人のルーツ
(2)稲のルーツ
(3)朝鮮人=南北朝鮮人のルーツ
の三種類のルーツ探しの話が混じっている。お気づきだろう。
全部最先端科学や考古学の結果を手短にジョーダンめかしてメモしただけで、100%事実である。
日本人は現存の世界人類の中でもっとも古い遺伝子を持つ人種
=最古の人類
=現アフリカ人より古い
稲は支那から来たのではなく、東南アジアから日本に来て支那から朝鮮に渡ったのである。
つまり、
東南アジア→日本→支那→朝鮮→台湾・沖縄
これが歴史的事実である。
日本人=稲作民族
とすれれば、これは日本人の一派のルーツを表す。
つまり、かつて日本人に由来は
東南アジア→日本→支那→朝鮮→台湾・沖縄
だったということなのである。これが南方ルート、あるいは、南方ルーツである。
(※mono....以下略)
nekodansyaku55
大陸に近かった九州は文明の恩恵に浴するのが早かったってことですね。日本は国を成さなくても良いほど豊かだった…成程。それは良いんだけど鉄矢さん…日本海と東海を併用しちゃダメでしょwそこだけは気を使う必要ない。日本列島が無かったら太平洋なのだから日本海でいいの。
地理学の国際的な常識でしょう。
畦地基江太
新羅も元々友好国で、代々の国王には倭人がいたと聞く。そのときに外交的に衝突して
断絶状態になったと何かの本で読んだ。(多分、小室直樹氏の著作物と思う)
他の記事では、【倭】は大和朝廷をさすのではなく、九州地域の豪族を指すと言う。
倭人は半島が無人状態の時に、現在の韓国領域に住んでいたが、北からの騎馬民族が
攻めてきたので、男は逃げ、女は残ったと聞く。DNA検査で、【ミトコンドリアDNA】
検査で確かに縄文時代の女性の子孫である事は判っている。
現在の釜山に【任那】と名の飛び地が存在していたが教科書にも記述があったが、
あるときから存在していない事にされた。
九州が大和朝廷の支配下に収まり始めたのは、源為朝が悪行で追放され九州を治めた
聞いた事がある。(九州には【隼人族】、【熊襲】が存在した)
後に、新羅が唐王朝と手を結び、高麗を滅ぼした結果。半島は大陸で統一王朝の
属領にされた。【元王朝】以降は都が北京になったので、半島で反抗行動しても
速やかに動員され、鎮圧されたために逆らう事が一切できなくなった。
(どこかでアップされた話によると、李氏朝鮮では殆どの文明を捨てたらしい。
暦、農耕機具、樽や車輪を作る技術・・・・・
■ &blankink(縄文人と弥生人は同じ人){http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2250.html} 「大和心を語るねずさんのひとりごと(2014年05月06日)」より
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のっけから物騒な頭蓋骨の写真を掲示して申し訳ないのですが、上にある写真は「縄文人と弥生人」の頭骨の比較として、あちこちに引用されている写真です。
この話は、先日行われた日本史検定講座における長浜浩明先生の講義で、私も初めて知ってびっくりしたのですが、なんとこの写真、偽造(変造)写真だというのです。
写真を見ますと、なるほど縄文人よりも弥生人の方が、頭骨が面長に見えます。
だからこの写真は、縄文人よりも弥生人は面長な顔立ちで、民族的特徴がまるで違うということを証明する写真として、NHKが「日本人はるかな旅」という番組で放送し、その後、同じタイトルの本でも紹介され、さらにマンガでも出版されて、広く世の中に出回っています。
ところがこの写真、真っ赤な偽写真です。
本物の写真は、下の写真です。
こちらの写真の方が全体に白いですが、冒頭の写真は、この写真を何度もコピーを繰り返すことで(当時はコピー機の性能が低かったため)全体に写真がくろずんだものです。
しかも、写真をよくみると、顔を線対称にして、張り合わせていることがわかります。
(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
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では、実際の姿はどうだったのでしょうか。
まず、
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かつて日本列島には、鹿の毛皮をまとっただけの、ほとんど原始人のようなオクレタ生活をしていた縄文人たちが住んでいた。
そこに2500年ほど前に、朝鮮半島からススンダ稲作文明を持つ渡来人(弥生人)たちがやってきた。
そして縄文人たちを殺戮し、日本民族は入れ替わった。
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このくだりですが、これはまったくデタラメです。
9500年前の上野原遺跡や、5500年前の三内丸山遺跡などの縄文時代の遺跡など、いまや多数の縄文時代の遺跡から、当時、すでにきわめて高い文明文化が日本に存在していたことが、明確に確認されています。
鹿の毛皮にしても、なるほど冬の寒いときには毛皮を外套として羽織ったかもしれませんが、衣類は鳥浜貝塚から、間違いなく布製の衣類を着ていたことが、確認されています。
もっというなら、縄文式土器は、壁面には縄目の模様があるという特徴があるわけですけれど、縄というのは、編んで作るものです。
編むという技術があるなら、その技術を用いて布をつくるのは、当然にあり得ることで、実際、縄文式土器というのは、必ずといって良いほど、底の部分に布の模様が遺っています。
これが何を意味しているかというと、縄文時代には、土器を作るに際して、土器の下に布を敷いていた、ということです。
縄を編み、土器を作るに際しても下に布を敷いていたのなら、その布を身につけなかったと考える方が、そもそもどうかしています。
縄文時代の人々は、いまの学会の通説よれば、鹿の毛皮しか着ていなかったそうですが、そもそも森や草むらに男たちが狩りにでかけるに際しては、男性はフリフリ状態では、大事なところを怪我してしまいます。
ですから、かならずフンドシやパンツを穿いていだであろうことは、あたりまえすぎるくらいあたりまえにわかることですが、そのフンドシやパンツが、この高温多湿の日本で、しかも夏の暑い盛りに汗まみれになって狩りをするのに毛皮のパンツだったら、大事なところがインキンタムシになってしまいます。
日本では、3万年前の磨製石器が発見されています。これは世界最古のものです。
そして1万6500年前には、やはり世界最古の土器が作られていたことが確認されています。そしてこれが縄文時代のはじまりで、その後、土器や土偶などはどんどん工夫されて行き、縄文時代の後期になりますと、あの大阪万博の太陽の塔のモチーフになったハート形土偶などの美しい造形物も制作されるようになっていました。
オクレタ生活どころか、当時の世界にあっては、まさに最先端ともいえる文化的生活が営まれていたことが、考古学的に実証されているのです。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)