■ ロシアを先制核攻撃に追い込むノーベル平和賞オバマ 「tamekiyo.com(2011.12.5)」より

 ・攻撃的なアメリカに協力すると、ロシアの防衛的な先制核攻撃の標的になる可能性が高まっているという話である。主に欧州BMDのことであるが、日本の海上自衛隊も協力しているということで、他人事ではない。(訳者メモ)

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■ BMD防衛でスペイン沖にアメリカ艦船を配置!! 「代表のぼやき(2011.11.16)」より

 ・これは古い情報であるが、あまり出てこない情報であるので記しておく。RUSNAVY2011年10月7日からである。
  アメリカ海軍のイージス艦がスペイン沖の地中海で欧州防衛のBMD任務につくと発表された。この決定はアメリカ政府とスペイン政府で合意された。
  その計画では、イージス艦が常時地中海で任務についていることとなる。

 ・SM-3ミサイルを装備したBMD(Ballistics Missile Defence)艦は、現在のところ、アメリカと日本のみである。





 ・ほら、「虐殺~」と叫ぶでしょ。虐殺と聞いたら、シリア軍・治安部隊は良い仕事をして国民から感謝されているという意味だ。これから、外国スパイで、騒ぎばかり起こし、アンチ・ビジネスな連中を排除する。

  騒いでいる連中が外国に雇われたスパイであり、その目的は民主主義でも自由でもなく、破壊活動であることは、石油パイプラインを破壊したり、燃料不足のときにガスボンベ700個を盗んだり(リンク先を「700」で検索)、新学期前に教科書を盗んだり(リンク先を「كتب مدرسية」で検索)、砂糖(リンク先を「sugar」で検索)や小麦を積んだトラックを襲撃したりする事件を見れば明らか。


★ シリアで政府による「大虐殺」の恐れ、反体制派が警告 「CNN.co.jp(2011.12.10)」より / 魚拓

 ・SNCは「これは政府が弾圧を行う前触れだ」とし、「大勢の犠牲者が出る可能性がある」と指摘。さらに「ホムスにいる活動家から入手したさまざまな証拠から、アサド政権がホムスでの革命を鎮圧し、また革命に加わった他の都市の動きをけん制するために大量虐殺を行う準備を進めていることが分かる」と述べた。



 ・米としてはイランの手に落ちたRQ170を奪い返したいところだが、米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、米軍はRQ170を奪還または破壊する秘密工作活動を一時計画したが、リスクが大きいため断念したという。


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★ 完全に無傷のままだった!イラン、捕獲した米軍最新鋭ドローン「RQ-170」の初映像を公開 「livedoor news〔GIZMODO〕2011/12/9」より / 魚拓
(※ このポストに動画はない。⇒ Video not found 。 上の動画を参照)

 ・航空ショーのRQ-170はダークグレーだったけど、こちらは白い砂漠の色にカモフラージュしてますね。こんなにアッサリ上空から持ってゆかれて、それを自爆・奪回する術もないのでは、いくらカモフラージュしてもしょうがないのだけれど。
  アメリカの面目は丸つぶれです。

 ・中国・ロシアは既に「偵察機の調査は我々も喜んで手伝う!」とイランに協力を申し入れています。


☆ RQ-170 「Wikipedia」より



 ・ここで注目すべきは中国が示した希望日程。
  朝日によれば、12月28、29日の訪中を打診。
  時事によれば、12月28日前後を提案。

  つまり、訪印日程である12月27~29日に見事ぶつけてきたということ。
  そこで日本政府は訪印日程と重なるため25日であれば可能と回答中。

  「中国を取るのか、インドを取るのか」の踏み絵を迫られた日本政府。
  踏み絵どころか中国による「訪印阻止作戦」にも見えてくる。



★ 中印、4回目の防衛・安保協議を開催 「China Radio International(2011.12.10)」より

■ アウンサンスーチー:桜井元さんへのお答え 「私の闇の奥(2011.12.7)」より

 ・米国が彼女を自己の情宣活動の一つの駒として利用して来たのは明白な事実であり、その点ははっきりと断定することが出来ます。その動かぬ証拠の一つは、米国がこの10年間に取って来たハイチのアリスティド元大統領に対する処置です。

 ・この10年といえば、ミャンマーの軍事政権によるアウンサンスーチーの政治活動の抑圧と自宅軟禁を米国が声高に非難していた時期と重なりますが、同じ米国は、一方で、アリスティドと彼の民衆的政治基盤に対して、ミャンマー政府とは比べ物にならない暴力を行使していたのです。

 ・この日頃、私の心を痛めているのは、北アフリカの人口5百万の小国エリトリア(Eritrea)の命運です。もう程なくこの黒人小国は米欧によって粉砕抹殺されてしまうでしょう。今度も表向きはUNとNATOと現地代理戦傭兵隊によってエリトリア人が凶暴な独裁者から救われ、“民主”政権が樹立されることになりましょう。

 ・「北朝鮮よりも“人権”のない国?」
<藤永註>この記事によると、絶望的な独裁制の下でエリトリア国民は塗炭の苦しみにあると思われます
  http://std-lab.typepad.jp/yamada/2008/09/stop-aids-0d48.html

 ・山田耕平の「愛」がエイズを止める!!(第6弾)
〜エリトリア自転車&STOP AIDツアー
<藤永註>ところがこちらの記事は次のように始まります。:
「ただいまエリトリアから帰国しました!
多くの人たちにですが、どうだった?って聞かれましたが、まずお伝えしたいのは、アフリカでこんなに治安も良く、安全な国があったとは思わなかったということです。

(※ 抜書き編集。ブログ必読!)
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■ グローバリゼーション: ミャンマーとアウンサンスーチー 「武田邦彦〔中部大学〕2010.4.6」より

 ・アウンサンスーチーという名前の女性を多くの日本人が知っているだろう。そして日本のマスメディアは「アウンサンスーチーさんは正しくて、軍事政権は間違っている」ということを前提に報道している。
特に、彼女が1991年にノーベル平和賞を受賞したことで日本のマスメディアの報道姿勢は完全にアウンサンスーチーが正しいということになった
でも、まずは彼女の経歴を見て、考えてみよう。

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■ アウンサン・スーチー釈放の意味 「BLOGOS〔田中 宇〕(2010.11.18)」より / 同論考を1ページに入れてコピペした

 ・▼ 現実にそって転換するスーチー

 スーチーは、国際的にミャンマーが置かれた状況が大きく転換していることに気づいたらしく、釈放直後の演説で、戦略の劇的な転換を示した。スーチーは、ミャンマー軍事政権を崩壊させようとする欧米主導の経済制裁を支持する姿勢を大きく弱め「国民が望むなら、欧米諸国に要請して経済制裁をやめてもらうよう努力したい」と述べた。
 ミャンマーの民主化運動は従来、欧米日などの外国の人々に対し、ミャンマーに観光旅行にくると軍事政権を儲けさせて民主化を遅らせることに手を貸すことになるので来ないでほしいと言っていた。だがスーチーは今回、この姿勢も大きく改め、ミャンマーの国民経済を助けることになるので外国人の観光客にどんどん来てほしいと表明した。


☆ 〔質問〕アウンサンスーチーさんへの批判 「OKwave〔ニュース・時事問題〕2008.7.21」より / 魚拓

☆ アウンサン 「Wikipedia」より

☆ スーチー女史は善人か:高山正之 「新潮社>書籍>立ち読み」より / 魚拓

 ・朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如く無謬というわけだ。
  『ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタプライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
  朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘・東大教授が書いていた。
  南京大虐殺も従軍慰安婦も沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。
  結局、そういう嘘が堆積していって紙面では朝鮮人も中国人もスーチー女史もみんな良い人になってしまい、身動きが取れない状態に陥っている

☆ アウンサンスーチーさん年表 「ビルマ民主化支援会」より



■ 暗殺鬼国アメリカ 「私の闇の奥(2011.11.9)」より

 ・1986年4月15日早朝にレーガン大統領の指示で、アメリカ空軍・海軍が合同で行なったガダフィ暗殺作戦については大量の資料がありますが、前回に紹介した
塩尻和子著『リビアを知るための60章』(明石書店、2006年)
の第24章「カッザーフィー爆殺未遂事件」にも詳しく出ています。
  日本の首相官邸や御所に数十機の爆撃戦闘機が突然襲いかかり、ミサイルが降り注ぐところを想像して下さい。暴虐なテロ国家の行動を拘束する力として、国際法というものが如何に無意味な空文であるかがよく分かります。いや、こんな生ぬるい苦情を述べること自体が、書いている私自身にも、ひどく空々しいものに思えます。国連の決議についても同じです。いまさら驚くこともありますまい。しかし、上掲の本の中の挿入記事「コラム6、トリポリ空爆・日本人ジャーナリストの証言」からは、やはり、鮮烈な衝撃を受けました。2頁の記事の四分の三を引用させてもらいます。

 ・以下に吉田さんの「カダフィ大佐との対話」から引用する。
   ・私が非常に不審に思ったのは、爆撃があった15日の午前2時に、欧米のジャーナリストたちが電話をニューヨーク、ワシントン、ロンドンとのホットラインに変えていたことである。それから電送ファクシミリを送れるように写真の暗室を作っていた。そして、私の部屋の向かいにはAPの写真室があったのであるが、2時5分過ぎには、爆撃のバーンという音が切れると同時くらいに私が廊下に出ると、電話が鳴り、ニューヨークのAPから「カダフィの首っ玉の写真をすぐ送れ」、つまり、殺されて死んでいるカダフィ大佐の写真を送れと言ってきたのである。ということは、想像できるように、もうすでにアメリカの記者たちは、午前2時に爆撃されるであろう、そしてそのターゲットはカダフィ大佐であることを知っていた事を意味するのである。






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最終更新:2011年12月11日 23:04