★ 胡氏と決別「薄煕来の亡霊が現れた」 「msn.産経ニュース(2012.11.16)」より全文コピペ


 中国内外のメディア関係者約500人が、北京市中心部の人民大会堂1階の記者会見場を埋め尽くしていた。予定時間を約1時間過ぎた正午ごろ、閉会したばかりの共産党中央委員会総会で選出された7人の政治局常務委員が、党内の序列順に連なって登場した。

 先頭を歩くのは、13億人超の国民を率いる最高指導者のポストに上りつめた習近平総書記だ。濃紺のスーツに赤のネクタイ姿。笑みをたたえながら会場の中央に立ち、指導部メンバーを1人ずつ紹介し始めた。

 共産党の政治局常務委員の任期は5年だが、全員がそろって国内外メディアと会見に臨むのは選出直後のこの1回しかない。会見といっても、総書記が一方的に話をするだけで、質問は受け付けない。

 前総書記の胡錦濤国家主席と同様、習氏もそれほど演説はうまくない。ただ、約5分間の決意表明は、胡主席ら過去の指導者の就任スピーチとは明らかに違っていた。

 「私たちの民族は偉大な民族だ」。こう切り出した習氏は、貧しく弱い中国が共産党政権の正しい指導によって富強かつ繁栄国家になったと強調。近年、“死語”になりつつある毛沢東時代の流行語「為人民服務(人民に奉仕する)」を2度繰り返した。

 そして、次に習氏の口から発せられたのは「共同富裕の道を歩み続ける」という言葉だった。「先に豊かになれる地域と人々から豊かになろう」という●(=登におおざと)小平氏が唱える「先富論」に否定的なニュアンスをもつ「共同富裕」は実は、今春、失脚した薄煕来・前重慶市党委書記が最も好んで使っていた政治スローガンだった。

 習氏は薄氏と同じく太子党(高級幹部子弟)グループに属している。ただ、2人は少年時代からのライバルで、個人的な関係は決して良くないと複数の関係者が証言しているが、支持基盤と人脈の多くは重なっている。経歴も似ているため政治的スタンスも近い。

 その一方で、習氏は結局、胡政権の政策理念である「科学的発展観」や「和諧(調和)社会」には触れなかった。政権を引き継いだ直後の指導者が、いきなり前任者を無視するような演説をすることは珍しい。

 この日のスピーチは、「胡錦濤政権への決別宣言」にも聞こえる。北京の改革派知識人はこう感想を漏らした。

 「習近平氏の保守派としての本性が、ついに見えてきた。薄煕来の亡霊が現れた-」。

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 4歳違いの習近平氏と薄煕来氏は、これまでほとんど同じような人生を歩んできた。共産革命を戦った軍指導者を父親に持ち、新中国の政府高官の家庭で育った。

 “共同富裕”とは、2人の父親が共産革命に参加したときに実現しようとした理想である。「父親が命を懸けて作った共産党政権を守らなければならない」。2人に共通する思いだ。

 2人の裕福な生活は長く続かなかった。少年時代にいずれの父親も権力闘争に敗れて失脚し、習氏は15歳から約7年間、農村部に下放され、薄氏は投獄された経験を持つ。その後、父親の名誉が回復されたため、2人は社会に出てから官僚として出世を果たすことができた。文化大革命という共産党独裁政権の被害を受けたものの、今では最大の既得権益者となっている。


 失脚した薄氏には2千万元(約2億4千万円)の汚職疑惑が明らかになりつつあるが、習氏の親族による巨額な不正蓄財も欧米メディアに報じられている。薄氏は子息を米ハーバード大学に留学させており、その授業料は薄氏の収入を超えたものだと指摘された。習氏の一人娘も現在同じ大学に留学している。

 薄氏が更迭される直前、温家宝首相は「文革の歴史的悲劇を繰り返してはならない」と薄氏の保守的政治路線に警鐘を鳴らした。結局、薄氏は党籍を剥奪され政治的に抹殺された。

 にもかかわらず、温首相の懸念をも無視するように保守色を前面に打ち出す就任演説を行ったのが、他ならぬ文革の悲劇を味わった習氏だったのは皮肉というほかない。

 新体制のもと政治改革の進展を期待する国内外の民主活動家らは発足早々、“薄煕来の亡霊”に遭遇し失望を禁じ得なかっただろう。

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 15日に中国の最高指導者である共産党総書記に就任した習近平氏については謎が多い。彼の性格や家族、政治的スタンス、内政・外交政策などを報告する。(北京 矢板明夫)








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最終更新:2012年11月16日 16:05