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ハラリ史上“最も手厳しい”新著に、米誌記者が感じる「ハラリ的思考の限界」



ユヴァル・ノア・ハラリの新著『ネクサス 石器時代からAI時代までの情報ネットワークの歴史』が9月に刊行された。人類史において、情報がいかに社会や政治を動かしてきたかを語る本書では、ハラリが当初からそのリスクを提唱してきた生成AIについてもしっかりとページが割かれている。

日本では2025年に刊行予定の本書を一足早く読んだ米誌「アトランティック」の記者は、その内容を紹介しつつ、「なぜハラリがテクノロジーを批判しながらも、シリコンバレーで主流となっている世界観にするりと当てはまってしまうのか」という問いに、明瞭な答えを与えている。

シリコンバレーのグル

「いまからおよそ一四〇億年前、いわゆる『ビッグバン』によって、物質、エネルギー、時間、空間が誕生した」

イスラエル人歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(2011年)はこのように始まる。そしてこの一文によって、21世紀のアカデミアにおいて最も目覚ましいキャリアのひとつが始まった。

『サピエンス全史』はさまざまな言語に訳され、全世界で2500万部を売り上げている。その後もハラリは数冊の著書を出版し、さらに数百万部を売り上げた。現在ハラリは15人ほどの職員を雇い、仕事のマネジメントや自身のアイデアを発展させるのを手伝ってもらっている。

アシスタントの雇用はハラリにとって不可欠だった。滅多にオンライン上に登場しない著名人として、ハラリはダライ・ラマの次に有名だろう。

彼はスマホを使わない(「時間と集中力をとっておきたいんです」とのこと)。毎日2時間瞑想をする。1年につき1ヵ月以上を静養期間とし、莫大であろう講演料を棒に振って、静寂のうちに過ごすのを選ぶ。ついでに言えば、ハラリは坊主頭で、メガネをかけており、基本的にヴィーガンだ。ときに「グル」と呼ばれたりもする。

その僧侶然としたオーラも手伝い、ハラリはシリコンバレーでも強い人気を集め、畏敬の念さえ持たれている。『サピエンス全史』にはビル・ゲイツが帯を書いた。マーク・ザッカーバーグも同書を宣伝した。

2020年、ジェフ・ベゾスがリモートで連邦議会に出席し、証言をした際、ほとんど空っぽの本棚一式が画面に映り込んだ。地球上で最大の書店であるAmazon創始者の本棚としては、いささか気まずい。目ざとい視聴者たちは、左下の段でポツンとお茶を濁していた6冊の本のなかに、ハラリの著書が2冊あったのに気づいた。

巨大テック企業のCEOたちにとってのハラリは、かつてのウィリアムズバーグのヒップスターたちにとっての、デイヴィッド・フォスター・ウォレスのようなものらしい(デイヴィッド・フォスター・ウォレスはポストモダンの旗手とされた作家で、90年代から2000年代にかけて、ブルックリンのおしゃれエリアだったウィリアムズバーグの若者に人気だった)。

巨視的なテーマを器用に語る

ハラリのキャリアが、いかにも無名の学者のそれから始まったことを思えば、これは驚くべき出世だ。

ハラリの最初の単著はオックスフォード大学に提出した博論をもとにしており、近世における兵士回顧録のジャンル的特徴を分析したものだった。2冊目の著書は中世ヨーロッパにおける小規模軍事行動を考察しており、それも海事を除いたものに限っている。アカデミアが自分を「より狭い問い」へと押し込んでいる、とハラリは感じていたらしい。

ハラリの方向性が変わったきっかけは、ヴィパッサナー瞑想をはじめたこと、そして大学で世界史入門の講義(たいてい若手教員に課される面倒な仕事)を受け持ったことだった。

その叙事詩的スケールが、彼には合っていたようだ。のちに『サピエンス全史』の基礎を成すこととなる、ヘブライ大学での彼の講義は、ホモ・サピエンスがライバルとなる種に打ち勝ち、地球上に溢れていく過程を魅力的に語っていた。

ハラリは大きな疑問を器用にまとめることができる。肉体的な強さは社会的地位に関係するのか? なぜ我々は芝生を気持ちよく感じるのか? たいていの学者は専門が狭すぎて、こうした問いを発することさえできない。

ハラリはこれらの大きな疑問にまっすぐ飛び込んでいく。広い範囲の事柄を理論化しようという彼の情熱は、ジャレド・ダイヤモンド、スティーブン・ピンカー、スラヴォイ・ジジェクにも通じるが、議論を刺激的に単純化するハラリの傾向は、この三者をもしのぐ。

たとえば、彼はこんな風に説明する。中世ヨーロッパにおいては「知識=聖書×論理」だったが、科学革命後は「知識=観察に基づくデータ×数学」となった、といった具合だ。

痺れる言い回しだ。もちろん、巨視的に観察することが微視的に観察することよりも本質的に啓発的であるというわけではない。我々は「一冊でわかる歴史」シリーズからも、5冊にわたるリンドン・B・ジョンソンの伝記からも同じように学ぶことができる。

歴史におけるテクノロジーの意義を問い直す

だが、近頃のシリコンバレーの発明が、ハラリが得意とする銀河系スケールの認識を求めている。大きな混乱が差し迫っていると感じられるときほど、それに対応するものが見つかるまで遠い過去を探ってみたくなるものだ。スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の有名なジャンプカットで、宇宙開発と類人猿による道具の発明が重ね合わされているのと同じである。

こうしたテクノロジーの飛躍的発展とは、良いものだったのだろうか?

ハラリはここに疑いの目を向ける。『サピエンス全史』で彼は、人類が「誇れるようなものをほとんど生み出してこなかった」と嘆く。続く著書『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(2015)、『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(2018)では、懸念とともに未来を検討している。

ハラリはちょうど最近も、そもそもの始まりから歴史を見直す新著『ネクサス 石器時代からAI時代までの情報ネットワークの歴史』(未邦訳)を出版したばかりだ。ハラリ史上、最も厳しい内容の著作である。

同書でハラリは、より多くの情報は自動的に真実や英知を導いてくれるという考えを拒絶する。情報の行き着いたところは人工知能であり、その到来を黙示録的な言葉で記述しているのだ。

「もし我々が使い方を誤れば、AIは地球における人類の覇権のみならず、意識という光さえも滅ぼしてしまうかもしれず、宇宙を完全なる暗黒領域へと変えてしまうかもしれない」

テクノロジーの危険性を訴えるハラリの視点に「欠けているもの」


印刷機の歴史的意義

AIにつながる先例として、可動式印刷機を挙げる人は多い。彼らいわく、この発明はヨーロッパに書物を氾濫させ、それが科学革命へとつながった。

ハラリはこの物語を怪しいと見ている。印刷が科学のために用いられることを保証するものは何もなかった、と彼は述べる。1543年にコペルニクスが発表した『天体の回転について』は、初版わずか500部を売り切ることもできなかった。それは「オールタイム・ワーストセラー」だったと、作家アーサー・ケストラーが冗談にしたくらいだ。

逆に売れた本といえば、ハインリヒ・クラーマーの『魔女に与える鉄槌』(1486)が挙げられる。これは魔物と番い、人間の男のペニスに呪いをかけるという性に貪欲な女たちが、悪魔的な陰謀を企てていると喧伝した書物である。

歴史家テイマー・ハージグは、この本を「前近代において印刷されたもののうち、おそらく最も女性嫌悪的なテクスト」と表現する。だが、ハージグによれば、それは「近世の基準ではベストセラー」でもあった。読者を掴む同書の魅力をハラリはQアノンになぞらえるが、それをもって『魔女に与える鉄槌』は何万人が犠牲となった魔女狩りを加速させたのだった。

ハラリの見解では、この殺人的狂乱は印刷機によって「悪化した」のである。

情報の破壊的ポテンシャル

流入する情報の増加は、監視社会や圧政も加速させたとハラリは主張する。とりわけソ連は、「歴史上で最も恐ろしい情報ネットワークのひとつ」だったと記している。

アレクサンドル・ソルジェニーツィンは自身の手紙で指導者ヨシフ・スターリンを貶すとき、用心して「あの口髭の男」と婉曲表現を使うようにしていた。だが、それでも手紙は検閲に引っかかり、ソルジェニーツィンは8年間の強制労働を言い渡された。

モスクワ政府が集めた自国の状況についての資料の多くは、真偽が疑わしかったり、あるいは真っ当に理解されなかったとハラリは述べている。しかし、流され続ける情報が全体統制という夢を長らえさせ、結果として、それが何百万人というソ連市民を殺した。

情報は常に、こうした破壊的ポテンシャルを伴ってきたとハラリは考えている。だがいままでのところ、こうした悲惨なエピソードも、あくまで散発的なものに過ぎなかった。

クレイマーが煽動したような騒ぎも、一気に燃え上がってから鎮火するのが普通だった。人々を熱狂的な状態にとどめおくのは難しい。感情的なトリガーは変化するうえ、一度は人々を隣人への襲撃に駆り立てた書物も、1ヵ月から1年もすればお笑い種になるのが常である。

恐怖によるトップダウン式の統治をおこなう国にも、やはりその持続性に難が出てくるとハラリは説明する。仮に政府がどうにかしてすべての手紙を検閲し、すべての家庭にスパイを潜ませたとしても、彼らは結局、上がってくるあらゆる報告書を知的に解析しなければならない。

これに近いことが実現できた政治体制はいまだ存在せず、20世紀で全体統制に最も近づいた諸国家においてでさえ、情報処理に関する継続的な問題が基本的な統治さえも困難にしてしまったのだ。

情報垂れ流し社会

少なくとも、紙の時代はそうだった。情報が電子化されたいま、データを集めるのはもっとずっと簡単だ。未来のソルジェニーツィンは、もはや政府運営の郵便制度を通じてぎこちない暗号で下手くそな手紙を出すまでもなく、その思想を明らかにされてしまうだろう。

デジタル独裁制は、彼の経歴をちょっと検索してみるだけでよいのだ。政府が国民の脳にチップを埋め込むんじゃないかと心配する人たちもいるが、「そういう陰謀論を読むのに使っているスマホこそ心配したほうがいい」とハラリは述べている。

もはや電話機が使用者の視線の動きを追い、スピーチを録音し、私的なコミュニケーションの内容を名前も知らない他人にお届けしているのだ。スマホは耳のある装置だが、驚くべきことに人々はこれをセックスの最中でさえベッドサイドに置きたがる。

ハラリ最大の懸念は、ここにAIが入ってきたときに何が起こるのか、ということだ。いまのところ、膨大に集積されるデータはこれまでの歴史と同様、その解析の難しさによって相殺されている。

たとえば、警察が顔認証システムの助言に基づき、無実の黒人たちを逮捕してしまったといったニュースはよく聞く話だ(顔認証システムの多くは白人の写真が大半を占めるデータベースを元に組まれたアルゴリズムで、非白人の個人を判別するのが困難なのだ)。

こうした例はアルゴリズムに依存することのリスクを示しているが、だからといってAIには問題が多すぎてまともに機能しないと安心するのは間違いだろう。そうした状況は長くは続くまい。

手に負えない「エイリアン的知性」

あらゆる顔を識別し、あらゆる感情を判断でき、その情報を武器にすることのできる存在があったとしたら、そこから身を守るどんな手段があるだろうか?
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最終更新:2026年01月05日 08:54