アウディ R8 レースカー '01 | ||
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メーカー | アウディ | |
---|---|---|
英名 | Audi R8 Race Car '01 | |
年式 | 2001 | |
エンジン | エンジン形式(知らない場合は抜かしてよい) | |
タイプ | レーシングカー ミッドシップ ル・マン | |
PP(初期値) | 679 | |
総排気量 | 3,596cc | |
最高出力 | 608PS/7,200rpm | |
最大トルク | 71.4kgfm/6,500rpm | |
パワーウエイトレシオ | 1.48kg/PS | |
駆動形式 | MR | |
吸気形式 | TB | |
全長 | 4,650mm | |
全幅 | 2,000mm | |
全高 | 1,080mm | |
車両重量 | 900kg | |
重量バランス | 49対51 | |
トランスミッション | 6速 | |
ダート走行 | 不可能 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | 2000年代前半最強を誇ったル・マンの覇者 |
概要
1998年にアウディはル・マンへの参戦計画を発表し、マシン開発を開始。1999年に、オープンプロトのR8R(LMPクラス)と、クローズドプロトのR8C(LMGTPクラス)がアメリカン・ルマン・シリーズとル・マンに投入させ、この内、ル・マンではR8Rが総合3位と4位に入る成績を残し、初挑戦にして手ごたえを掴んだ。(なお、R8Cの2台は2台ともリタイヤ)
そして、2000年からはオープンプロトのR8Rを熟成させた形でこのR8が制作される事となった。
R8の特筆される点は、リアに搭載されるパワートレインおよびサスペンションがモジュール構造となっており、リアセクションのパーツをすべて一体化したモジュール構造で設計することにより、万が一深刻な、そして複数のトラブルに同時に見舞われたとしても、準備しておいた予備のモジュールと交換すれば、リタイアの危険をはらむ致命的な部品の半分近くが新品に置き換えれるというシステムであり、アウディがかつてラリー参戦で磨いた経験を生かした設計となっており、無論、修理にかかる時間も大幅に短縮できる利点もあった。
流石にこれは詐欺だと他チームからの苦情が入り、ミッションケースの交換は不可というレギュレーションが追加されたが、それでも「サスペンションアーム一式」など、壊れやすい部分は一括で交換ができるシステムというのは現代ルマンにおいても常識となっている。
特にR18で見せた「クラッシュで左前のサスペンションアームが破損してしまうが、ピットにたどり着いたらわずか10分で修理完了し、コースに戻した」というアウディ・ゾンビ化事件は、このR8から生まれた知見の結果といえる。
そして、2000年からはオープンプロトのR8Rを熟成させた形でこのR8が制作される事となった。
R8の特筆される点は、リアに搭載されるパワートレインおよびサスペンションがモジュール構造となっており、リアセクションのパーツをすべて一体化したモジュール構造で設計することにより、万が一深刻な、そして複数のトラブルに同時に見舞われたとしても、準備しておいた予備のモジュールと交換すれば、リタイアの危険をはらむ致命的な部品の半分近くが新品に置き換えれるというシステムであり、アウディがかつてラリー参戦で磨いた経験を生かした設計となっており、無論、修理にかかる時間も大幅に短縮できる利点もあった。
流石にこれは詐欺だと他チームからの苦情が入り、ミッションケースの交換は不可というレギュレーションが追加されたが、それでも「サスペンションアーム一式」など、壊れやすい部分は一括で交換ができるシステムというのは現代ルマンにおいても常識となっている。
特にR18で見せた「クラッシュで左前のサスペンションアームが破損してしまうが、ピットにたどり着いたらわずか10分で修理完了し、コースに戻した」というアウディ・ゾンビ化事件は、このR8から生まれた知見の結果といえる。
入念に行われた事前のテスト参戦をしていたこともあって大きなトラブルを起こすことはほとんどなく、クラッシュが原因でピットに戻ったとしても、モジュール構造を活かして迅速にレースに復帰できる「リタイアしにくい特性」を存分に発揮。初参戦の2000年のル・マンでな1-2-3フィニッシュ、翌2001年に1-2フィニッシュ、2002年に1-2-3フィニッシュ、アウディが手を引きプライベーターの手に委ねられた2003年はトラブルの影響もあり、3-4フィニッシュに留まったものの、2004年には再び1-2-3フィニッシュを達成している。なお、2004年のル・マン総合優勝は日本チームであるチーム郷が達成している。
また、2001年ル・マンで3位、2003年ル・マンで1−2フィニッシュを達成したベントレー Speed 8は本車との設計・部品の共通化を図っている兄弟車であり、事実上、2000年代前半はこのアウディR8がル・マンの頂点を極めた最強のマシンだったと言えよう。

また、2001年ル・マンで3位、2003年ル・マンで1−2フィニッシュを達成したベントレー Speed 8は本車との設計・部品の共通化を図っている兄弟車であり、事実上、2000年代前半はこのアウディR8がル・マンの頂点を極めた最強のマシンだったと言えよう。
解説
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