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グループAツーリングカー系の収録車種一覧

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俺の愛車はレースで活躍する人気者。バブル期に起きた、ハイパフォーマンスなハコ車達による“小細工なし”の戦い。

グループAツーリングカーとは?

主に1980年代〜90年代初頭頃にF1、グループCと並んで人気だったバブル期を代表するモータースポーツの一つで、主にハコ車のカテゴリーである。ここでは主にツーリングカー、主に日本のグループAのレースだったJTCでの出来事を扱うので、ラリーカーの方はグループAラリーカー系・90年代のラリーカー系収録車種一覧(未作成)を見て欲しい。
それまでのハコ車のカテゴリーであったシルエットフォーミュラと比べると改造範囲が狭く、レース用にエアロパーツなどの外見のチューンは禁止で、駆動方式やエンジンの形式は市販車のままが基本。さらに年間台数5,000台以上(92年以降2,500台以上に改められた)で4座席以上の市販車が対象であり、2シーターのスポーツカーではなく、主に比較的当時街中で見かける事が多く一般庶民でも手が届きやすいセダンやハッチバックといった車が参加を許された。ちなみにグループBもあったがサーキットではグループCとの混走になるためグループB規定のツーリングカーは広まる事はなかったため、事実上当時のサーキットでのハコ車のカテゴリーといえばこれである。
なお外見を変えたりエンジンを変えたりなどの追加公認(ES)は500台(92年以降250台)の追加生産が必要になった。R32GT-R NISMOが500台限定販売だったのはそのためである。

初期の頃はグループAといえば外国車が強かった時代であり、本場のヨーロッパ・ツーリングカー選手権を制覇したBMW635CSiや、インターTECで国産車を駆逐して見た目に反して速い事から『空飛ぶレンガ』の異名を持つボルボ・240ターボなどが活躍した。
一方、国産車勢も奮闘しており、R30スカイラインやAE86、シビックやスタリオンなどが参戦した。
そんな中、転機となったのが1987年に登場したフォード シエラ コスワース RS500だ。市販車の段階からエアロパーツなどの武装を施し、そして名門レーシングコンストラクターチームであるコスワースによる走りの性能を上げたチューンナップが施されたこのマシンはたちまちグループAを席巻。日本でもこの車を使うチームが増えた。
このシエラの活躍に国産車勢も黙っていなかった。特に日産はグループAに向けたエボリューションモデルというべき車を投入する。R31スカイラインGTS−R、そしてその後に登場するR32スカイラインGT−Rである。
当初FISA(現FIA)は「レースで圧倒できるような高性能のマシンを5000台も生産することは不可能だろう」と高をくくっていた所、バブル景気に沸く日本は「たかが5,000台?ならつくればいい」とばかりにR32スカイラインGT−Rを制作。レギュレーションありきで作られた32Rはまさに無敵というべきマシンで、他を引き離す圧倒的性能はフォード・シエラRS500はおろか、同じ国産車のトヨタスープラ(A70)といったライバルをあっという間に駆逐し、いつしかGT−R同士で総合優勝争いを繰り広げる状態となる。ちなみに海外の方でも活躍しスパ24時間のレースもハンデで重量増加の制限が付けられてしまった中でも優勝している。
その後、グループAツーリングカーレースはFIAの規定改変によって幕を閉じ、JTCも93年をもって終了し、GT−Rは新たな戦いの場を求める事になるが、それは別の話である。
また、R32の活躍で忘れがちだが、下位のクラスであるディビジョン2で活躍したBMW M3(E30)、ディビジョン3ではシビックとレビンのバトルが繰り広げられていた事も忘れてはいけない。
一方で、話をサーキットの場から離せば、市販されたホロモゲモデルの車達も当時人気に。パフォーマンスももちろん高い上に、当時では庶民にも手が届きやすい値段でレースで活躍する車とほぼ同じ姿の車に乗れるという点は同じグループAのラリーカーの時と同じく魅力的でもあった。まさにサーキットで活躍する車とほぼ同じ車両を愛車に出来る感覚を得られるのはオーナーにとっては至高の喜び。これらのモデルは今ではコレクターズモデルとして重宝されている。

その後のグループA

ツーリングカーとしての役目を終えたグループA規定だが、1987年から移行したWRC用車両として文字通り延々と使い続けられた。
WRCもWRカーやスーパー2000、グループRallyと車両規定が変わっていくものの、そのホモロゲ基準としてはグループAの年間2,500台をクリアし、グループAとしての認定を取得した車両をさらにラリー向けに改造という形になっているのである。
ちなみに初代のランサーエボリューションの当初限定数が2,500台だったのも、このグループA規定をクリアするための力技であった、結果的には余裕で上回ったわけだけど。

純粋ではないものの、上のラリーカーのようにグループA認定を要求するツーリングカーとしては、TCRと呼ばれるカテゴリーがTCRワールドツアーとして2023ワールドファイナルが中止になったり日本での2024年シーズン初戦がエントリー数不足で中止になったりと先行きは微妙だが各国でシリーズ戦が行われている。

余談 その時、グループAが流行っていた日欧以外の国では?

  • アメリカ
80年代〜90年代初頭のハコ車でのレースで日本と欧州でグループAツーリングカーが主流となっていた時代だが、その流れに全く乗らなかった、馴染まなかったのがアメリカだ。
そもそもアメリカには「ツーリングカー」自体の概念が無く、ハコ車のレースカーといえばNASCARのような大排気量エンジンを載せたストックカーと呼ばれるものがアメリカの人々にとっての常識で、日欧のように排気量の小さな車もあまりなかった。いわば国の自動車文化の違いで浸透しなかった。
その代わりとして、グループAとほぼ同じ頃に行われていたのが「IMSAシリーズ」の中の「GTOクラス」であり、大幅な改造が許されないグループAと違って車体も大幅な改造が施された「シルエットフォーミュラ」に近いマシン達が活躍していた。
そのレースに北米市場での知名度を上げる事も考えてか日欧の自動車メーカーが参戦。日本からはトヨタ・セリカ、マツダRX−7、日産・300ZXフェアレディZ(Z32)が参戦。欧州勢からはアウディもワークス体制で参戦した程だった。
その後ターボチャージャー車が勝ちすぎた事とアメリカ製マシンの活躍を増やすためにそうしたマシンはIMSA−GTSに区切られる事になる。
なお、グループA終了後の90年代には当時のBTCC(英国ツーリングカー選手権)と同じクラス2のツーリングカーマシンによるレースがインディーカーの前座レースとして開催されていたが、僅か2年限りで終了。現在もアメリカに於いては市販車ベースに近いマシンでのツーリングカーレースはアマチュアクラスのカテゴリーのイメージが根強い。
  • オーストラリア
逆に日欧以外で受け入れたのがオーストラリア。オーストラリアには元々オーストラリアツーリングカー選手権(ATCC)があり、ホールデンや豪州フォード系列によるアメリカンV8エンジンのマシンとかが活躍していた。
しかし1985年からグループAが始まるとその規定へと切り替え、ホールデンもコモドアVKとかでグループA規定のレースカーを制作したりし、時には日本のインターTECでも活躍したが、やはり主役は日欧のマシン。シエラやBMW、そしてR32スカイラインGT−Rが大暴れする事になる。
グループAが消滅後はATCCは新しいグループ3A規制を施行。ホールデンはコモドール、フォードはファルコンをベースに戦わせ、後にV8スーパーカー、現在のレプコスーパーカーシリーズに続く事になる。


一覧表 ※並びはメーカーの五十音順

※全部は入れきれないので、主にグループAツーリングカーのホロモゲモデルやJTCで活躍した車種を入れる。


グラソツーリスモ未収録だが、当Wikiで紹介している関連車両



グループAをもっと知りたいなら

JTC グループAマシンのすべて 1985-93

imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。定価1100円 (本体価格1000円) 三栄書房発行

グループAマシンの事を知る事が出来るムック本。メジャーどこからマニアックな仕様のものまで、リバリー作りの参考にもオススメの一冊。

グループAレース クロニクル JTC 9年間の軌跡 ~1985‐1993

定価2970円 モーターマガジン社発行
こちらはモーターマガジン社のグループAムック本。1986年のモーターマガジンの記事を再編集したページもあり、当時の熱狂と雰囲気を味わえる事も出来る一冊。ぜひともファンなら上と合わせて手に入れてほしい。

グループA映像集

残念ながらJTCをまとめたDVDとかの映像ソフトは今のところ無いが、YouTubeで検索すれば当時の映像がヒットする。これらの他にもあるから、ぜひ調べてみて欲しい。

1985年インターTEC


ボルボが国産車勢を大きく圧倒してしまった伝説のレース。いかにも速そうに見えないボルボが国産車勢を圧倒する姿は今見ても強烈なインパクトである。

1987年インターテック世界ツーリングカーレースin富士


シエラ旋風が吹き上げられた1987年。大きくグループAのターニングポイントとなる伝説のレースである。

1990年 開幕戦 オールジャパンツーリングカー300Kmレース


R32型スカイラインGT−Rのデビュー戦。伝説はここから始まった。

1993年 インターTEC


最後の日本のグループAツーリングカーレース。R32は最後まで強かった。

グループA映像エトセトラ

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