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FIA GT1系の収録車種一覧

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それは“GT”か?はたまた“プロト”か?混沌の世紀末に現れた“あわいなる”存在のル・マンモンスター達。

FIA GT1とは?


ここでは主に1990年代に活躍したGT1規定のマシンの事を扱う。グループCカーに変わってル・マンのトップカテゴリーとなったマシンであり、後の2005年頃からの同名のカテゴリーは元々この90年代のGT1のカテゴリーの下のGT2が元となっているカテゴリーの車両であるので両者は全く別物である。

新たなル・マンの主役、GT1の誕生の経緯 (GT1初頭の時代から隆盛へ)

グループCカーの世界的なカテゴリーの選手権だったSWCがメーカーワークス勢の撤退により終焉を迎え、国際的なスポーツカーレースによる選手権の存在が空白となり、各国がポルシェ911やフェラーリF40、マクラーレンF1などの量産型のGTスポーツカーやスーパーカーによるレースを行っていた。これを受けてステファン・ラテルらが1994年にそうしたマシンによる新たな国際スポーツカーレースの選手権を立ち上げた。これがBPR GT選手権である。参加車両は改造範囲によってGT1、GT2にクラス分けされ、GT1は最低生産台数25台の車両公認条件があった。これが現在まで引き継がれるGTレースの原型ともなった。
ちなみに、 『インド人を右に!』 という有名な誤植の元ネタとなっているSEGAのアーケードゲーム「スカッドレース」はこのBPR GT選手権を扱ったゲームである。

このレースの存在を聞いたFIAや、ル・マンを主催する団体ACOが関心を寄せて交流を促進するようにしていく。だが、ACOはそれらのマシンを受け入れる際にローカルルールとしてレース仕様の車両以外に市販用ストリート車が1台生産されていれば車両公認を与え、LMGT1として出走を認めた。BPR GTに参戦せず、ルマン24時間レースにスポット参戦できる抜け道が生じた。実際、1994年のル・マンにはかつてのグループCのマシンであったポルシェ962を元にした量産車であるダウアー・ポルシェ962がGT1の車両として参戦し優勝したため物議を醸す事となる。
↑1994年のル・マンを優勝したダウアーポルシェ962。Cカーを公道仕様にした車両をGTカーとして参戦させた点は当時でも物議を醸し、後のGT1クラスが抱える問題点を予感させる物となった。
だがそれでも盛り上がりを見せるため、BPR GT選手権はFIAの手によりFIA GT選手権としてよりグローバルかつ規模の大きな選手権として展開していく一方、ル・マンの総括するACOは将来的にLMGT1をかつてのグループCカーに変わるル・マンでの主流、総合優勝を争う本命のマシンによるカテゴリーにすべく規制面で大きな恩恵を与え、様々なメーカーがこぞって参戦、同時に日本の自動車メーカーもグループCの時代から引き継ぐ形で参戦をしていく。
↑1996年のル・マンにR33GT−Rで参戦をした日産チーム。だが、こうした元々自主規制280馬力であった国産スポーツカーをベースとした車両は、マクラーレンやポルシェといった海外メーカーの投入するマシンには太刀打ち出来る物では無かった。
↑一方、トヨタ系のチューナー謙レーシングチームのサードが生み出したサードMC8はSW20トヨタMR2をベースに独自にカウルを開発して制作したオリジナルの車両だが、成績は残念ながら振るわず。ちなみにこの車はカスタムマブルチョロQで商品化されている。

↑もう一台通好みな一台を紹介。これはGT1が正式に始動する前の1993年の車両だが、これはミグM100。ミグとはソ連で戦闘機を作っていたメーカーの名前だが、正式にはMCAが製造した車両でジョージアだったりモンテカルロとかだったり。レースでは1993年のル・マンの予選に出たが残念ながら予選落ち。これも実は上の画像ではミニカーブランドとして知られているブラーゴのスポンサーが付いているが、ブラーゴのミニカーとしても販売されており、筆者も持っていたが、当時は幼かったため何のクルマか分からなかった。その後も情報が無くて忘れかけていた頃に最近このクルマの名前を知って思い出した。
↑上は市販車仕様のと、ブラーゴのミニカーでのミグM100。

隆盛から過激化へ、行き過ぎたGT1 (GT1後期の時代から終焉へ)

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だが、1994年のダウアーの件でも見せたように、既に実は綻びを見せていた。元々量産車ベースのレースだったGTシリーズがストリート仕様1台で車両公認が取得できるという規則は、一見すると大手のメーカーと比べて生産する規模も予算も小規模なスポーツカーメーカーでも参戦が出来るよう、容易にしたように見えるが、実際はその思惑とは逆となってしまい、大手メーカーがワークス体制によって生み出されたGTカーとは名ばかりの実質“プロトタイプのレーシングカー”のような車が次々と出現。その状態をうかがえる例として分かる物では、98年仕様のポルシェ911GT1に、日産のR390GT1、トヨタのGT−ONE(TS020)はその見た目はもはや公道を走るようなスーパーカーではなく、プロトタイプカーそのものでありかつてのグループCにも似た姿でもあって、もはやレーシングカーありきの公道仕様という物となっていた。これには事情もあり、特にトヨタと日産の日本メーカーの場合では、GT1に参戦するにあたって当時では欧米のようなスーパーカーのような高性能なスポーツカーの車両が無く、280馬力の自主規制いっぱいのスポーツカーであるR33GT−Rやスープラ、NSXといった車両で参戦するが、ちょうどマクラーレンF1が参戦していた時期も重なりそうしたマシンで挑んでも太刀打ち出来るような状況では無かった。それでもル・マンでの勝利を得たいと、こうしたマシンを生み出したのである。もちろん欧米のメーカーもレギュレーションの限界ギリギリを攻めた高性能マシンを投入していき、ますます過激化してしまう状況となる。だが、そうなると大手のメーカーに比べて開発などの予算が少ないプライベートチームや小規模なメーカーにとっては出る幕が無くなってしまい、レースでの技術競争もストリート仕様車の製造でもビジネスを成立できなくなっていってしまう。
1999年、とうとう開発競争の激化についていけないメーカー勢が次々と撤退をしてしまい、FIA GT選手権ではGT1クラスに参加するチームはメルセデス以外無くなってしまった。これによってFIAはGT1クラスの開催を中止し、FIA GT選手権におけるGT1クラスを廃止した。
また、同年のルマンではLMGT1からLMGTPとしてそうしたマシンはプロトタイプカーとなったが、ル・マンの主流は徐々にLMP規定のマシンへとシフトしていっており、この1999年のル・マンから参戦を始め、後にル・マンで何度も勝利を掴む事になるアウディはもちろん、前年に続いてLMP規定のマシンで参戦していたBMWが優勝候補と言われたトヨタを下して1999年のル・マンでの総合優勝の座を輝く一方で、LMGTPカテゴリーで参戦したメルセデスのCLRがル・マンの開催期間中に何度も宙を舞うという事態を見せてしまう事態が起きた。まさにこの出来事は世界中に大きなショックを与え、同時に一線を超えてしまい行き過ぎたGT1という存在が己の身を滅ぼすが如く象徴の出来事として語られる事となり、この年を最後にル・マンの舞台はもちろん、世界中のサーキットの舞台から静かにGT1のマシンは消えていき、GT1の時代は終焉を迎え、同時に日本の自動車メーカーはしばらくル・マンの舞台から消す事にもなる。
↑1998年のロードアトランタのレースに参戦していたポルシェ911GT1がバックフリップを起こしクラッシュした。後のメルセデスのル・マンで宙を舞う事態を予感させる事故であり、既にGT1は一線を超えすぎてしまっていたと言える。
↑どうして浮き上がってしまったかの解説動画。(※英語)詳しく知りたい人は本Wikiのグランドエフェクトとは?のページも見てほしい。
一方、後にル・マンの覇者となるアウディはこの波乱の展開となった1999年に初参戦した。その際にクローズドボディでRTN製のR8Cとオープンでダラーラ製のR8Rの2種類を同時に投入した。
GT1の流れを継ぐクローズドのLMGTPとプライベーターを想定したオープンLMPは車両規定に違いがあったため、どちらが有利なのか見極めるためにも2種用意した事になる。結果はLMP時代中心の時代となりアウディもオープン型の開発を積極的に行う事を優先。1999年のル・マンを制したBMWもF1参戦に力を注ぐため舞台から降りた事もあり、後にル・マンの覇権を握るメーカーとして君臨していく事になる。

その後のGT1マシン達

その多くが世界中のサーキットの舞台から姿を消したGT1マシンだが、中にはロングテール化されたマクラーレンF12000年代前半の全日本GT選手権に参戦、2005年のスーパーGTにも富士の2戦のみのスポットにて参戦していた。ロングテール化される以前も含めれば、マクラーレンF1は約10年間もレースで走っていた事になる。ある意味、マクラーレンF1は最もGTカーらしいGT1マシンだったのだろう。

同じく1995年のル・マンから参戦したリスター・ストームも2006年頃までとマクラーレンよりも1年長く活躍。イギリス・GT選手権では1999年及び2001年にGT1クラスのタイトルを獲得している。こちらもGT1マシンの中でも恵まれた存在と言えるだろう。なお、こうした車、特にGT2マシンとかはGT1消滅後の鈴鹿1000kmにて、全日本GT選手権のマシン達と共演を果たしている。(※出走するクラスは「インターナショナルGTクラス」という扱いでGT500とは別々のクラスだが総合順位争いでレースを繰り広げる場面もあった。)

一方、異色のFRレイアウトで古典的なアメリカンGTスタイルのマシンとして現れたパノス・エスペラントGTR−1も後継のLMPマシンが登場(設計自体は同じものだが)後も2000年代に入っても活躍。2004年にはフランスのラルブル・コンペティションの手によって改修されて名前も「パノス・GTP」に変え、ル・マンなどに参戦した。
↑また、怪物と呼ばれたトヨタGT−ONEは思わぬところで新たな役目を果たす。それはトヨタのF1参戦のための技術テスト用の車両としての役目で、その後のトヨタのF1マシンの開発に貢献した。

ちなみに、GT1カテゴリー終焉の少し後に現れたベントレー Speed 8はGT−ONEを開発の参考にしていたとされており、少なくとも後のプロトタイプのカテゴリーのマシンにも影響を与えたと言えるだろう。

また、グループCと同じく最近ではクラシックカーレースのカテゴリーとして90年代のGT1のマシンを集めたクラスのレースや、イベントでのデモランを行われたりなど、今なお人気も高い。今後もこうしたマシンは30年近く経っており既に「クラシック」の扱いになっていくだけに、今後のイベントでも大きくクローズアップされる事はあるだろう。


一覧表 ※並びは年代順


1995年以前

  • 主なGT1関連の出来事 (1993年、ジャガーXJ220がルマンに参戦しGTクラス優勝を遂げるが後にレギュレーション違反で失格になる/1994年、BPR GT選手権始動。ル・マンでもGT1規定がスタートするが、その規定で参戦したダウアーポルシェ962が優勝し物議を醸す/ 1995年、マクラーレンF1 GTRが参戦、関谷正徳氏がマクラーレンで日本人初の総合優勝を果たす。また日本メーカーもR33GT−Rやスープラなどといった国産のスポーツカーで参戦する。)


1996年

  • 主なGT1関連の出来事 (ポルシェが911 GT1をル・マンに投入するも総合優勝の座はヨーストレーシングのWSCクラスのプロトタイプマシンのTWR ポルシェWSC−95がもぎ取る/SEGAがBPR GT選手権を題材としたアーケードゲーム「スカッドレース」の稼働を開始/マクラーレンF1 GTRが全日本GT選手権にも参戦しその年のシリーズチャンピオンの座を勝ち取る)


1997年

  • 主なGT1関連の出来事 (BPR GT選手権がFIA GT選手権としてリニューアルされる/1997年のル・マンもWSCクラスのプロトタイプマシン、TWR ポルシェWSC−95が総合優勝する)


1998年

  • 主なGT1関連の出来事 (ル・マン24時間では日産・トヨタ・ポルシェ・メルセデスなどのGT1マシン群雄割拠の状況に。これを制し総合優勝を得たのはポルシェ911 GT1であった。日産は惜しくも3位表彰台となる)


1999年

  • 主なGT1関連の出来事 (FIA GT選手権はメーカー勢の撤退で参戦するメーカーがメルセデスのみの状況になり急遽FIAはGT1クラスの開催を中止する/ル・マンもLM GT1を廃止してLMGTP規定をスタート。トヨタのGT−ONEもそこでの参戦となるが、惜しくも2位となりLMPクラスのBMWが総合優勝を果たす事となる。一方、メルセデスは練習走行、予選、決勝で3度もマシンが宙を舞う事故を起こしレースを棄権する事態になる/富士ル・マン1000KmでもGT−ONEが参戦するが同じく本家のル・マンにも参加していた日産のLMPマシンのR391が優勝する。以降、GT1マシンはサーキットの舞台から静かに消えル・マンでの主流はLMPマシンへと移行していく事になる)


この時代をもっと知りたい人のための資料集

グランツーリスモでこれらのマシンを触れたらば、そのマシンの活躍していた当時の映像や資料を見てみよう。

LE MANS GT1の時代 1994-1999 ル・マン24時間耐久レース [DVD]


全6枚入りのDVDでル・マンでのGT1カテゴリーの時代を網羅する。日本メーカーとドイツ勢のメーカー同士の威信をかけたル・マンでの迫力の対決は、30年近く経つ現在でも色あせる事はない。各年に分けた単品版もあるので、お気に入りのマシンが活躍した年だけ見たい人にもオススメ。

FIA GT選手権 1997 / GTビッグバトルの閃光 [DVD]


1997年のFIA GT選手権の様子をダイジェストでお届けするDVD。ル・マンとは違ったポルシェ、メルセデス、マクラーレンによる三つ巴のタイトル争いは必見。

GT1マシンのすべて-1994-1999 黎明期のスーパースポーツカーからまるでCカーの お化けマシン(SAN-EI MOOK)


GT1マシンを網羅しているだけでなく、同時代に活躍したWSC・LMP規定のプロトタイプマシンにGT2車両も網羅しているので当時の雰囲気とどんなマシンが活躍していたのかこの一冊で知る事が出来るのでオススメ。電子書籍版もアリ。ちなみにミグM100の名前を知ったのはこの本から。
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