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素晴らしき技術者達の皆様

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だれでも歓迎! 編集
モータースポーツにせよ、クルマを扱った作品にせよ、どうしてもクルマよりもそれを扱うドライバーの方にスポットが行きがちだろう。だが、そんな彼らもそれを生かす事が出来る武器、クルマが無くてはただの人間となってしまうだろう。このページでは、そんなクルマ達を世に生み出し、それらをいじる愛すべき名バイプレイヤーである、素晴らしい腕を持った技術屋達に賛美を送ろうと思う。

櫻井 眞一郎 (オーテックジャパン初代社長)


恐らく日本の自動車界で最も有名な技術者だと言っても過言ではない程の人物。言わずと知れた名車であるプリンス(日産)・スカイラインの名付け親で、2代目途中から6代目までの設計に永らく携わった事から『ミスター・スカイライン』『スカイラインの父』とも呼ばれている。
幼少期に結核を患った際に、自然と多く触れ合う機会が多かったことから、「血の通ったクルマ造り」を信条として設計している。スカイラインを開発する際には自らがコンセプトストーリーを書き、それを設計者全員に共有させて取り組んだことで知られる。このストーリーは自動車だけではなく、運転する人間の思想、性格、年齢、職業等も事細かに設定され、6代目であるR30型(ニューマン)の開発の際には「戦場ヶ原の稲妻」を作成した。2代目途中から7代目の開発終盤で病に倒れるまで一貫してスカイラインの開発主管を20年以上務めたが、1車種でここまで同じ人物が開発主管を担当した例は世界で見ても稀である。

1985年に病から復帰した後、しばらくして、特装車などを手掛ける日産の子会社であるオーテックジャパンの初代社長に就任。自身の門下生も数多く移籍し、シルビアやスカイラインなどの特別仕様車の開発、又はオーテック・ザガート・ステルビオなども手掛ける事になる。

エイドリアン・ニューウェイ (F1カーデザイナー)


グランツーリスモ Red Bull X2010を始め、数多くのF1のチャンピオンマシンを生んだ天才デザイナー。現在のレッドブルホンダのマシンも彼の作品の一つである。
父親はロータス・エランのキットカーを製作するほど車好きだった事もあり、幼い頃から「オートスポーツ 」誌を愛読するほどのカーガイで、12歳の頃にはレーシングカーの設計者になりたいと思っていた。14歳の頃に中古のカートを入手し、自らエンジンをリビルドし、フレームを溶接していた事もあったほど。
↑レイトンハウスのカラーでおなじみのこのマシンもニューウェイの作品の一つ。空力面で先鋭的であるが故にトリッキーさもあったものの、新たなるF1界の概念を築き上げた。
セミオートマチック・ギアボックス、アクティブサスペンション、トラクションコントロールを取り入れたウィリアムズFW14Bのように、新しい技術も恐れず取り入れる一方で、グラウンド・エフェクトといった過去の技術に関しての知識もあり、とにかく速いマシンを生み出すために様々なアイデアの引き出しを持ち、父親譲りと本人が言う、ディティールを突き詰めようとする気質を持つ人物である。

また、彼自身も特にレーサーとして参加する事もあり、2007年にはル・マン24時間レースでフェラーリ・F430GTをドライブし、総合22位(クラス4位)の成績を収めた。2010年にはジネッタ・G50カップでクラッシュし、ケガはなかったものの病院に搬送されたりと、元気いっぱい。今でもデモランやクラシックカーレースのイベントとかでもドライバーとして参加する事もあり、中には実現する事は無かったが、2019年には日本のスーパー耐久へのスポット参戦の計画もあったほどである。

後述の離脱発表後に行われた「モナコ・ヒストリック・グランプリ2024」では自らの手でリビルドも行ったというロータス49Cに乗り参戦。古いマシンも大好きで自ら乗る姿はまさに我々と同じく根っからの自動車大好きな人間である証だ。

やはりその根幹にあるのは多大なるクルマへの熱意と情熱、そして自ら生み出したマシンへの自信というものが伺え、2024年、前年度チャンピオンチームとして挑むレッドブルのマシン、RB20には大胆なコンセプトを取り入れた「攻め」の姿勢を見せた。
バーレーンの開幕テストの際には私服姿で自ら生み出したRB20のフロアをメカニック達と共に点検したりしている。その姿はまるで我が子を看病する親のようでもある。

しかし、2024年5月1日、レッドブルからの離脱が正式に発表された。今後はF1のデザイン業務から一歩退くことになるが、2024年シーズン終了までは特定のレースでチームに帯同しトラックサイドからサポートするという。そして、レッドブル初のハイパーカー『RB17』の最終開発に専念するということになるという。


その際に彼はこうコメントをした。
「幼い頃から私は速いクルマのデザイナーになりたかった。私の夢はF1のエンジニアになることで、幸運にもその夢を実現することができた。約20年間に渡ってチームをサポートしてシリーズタイトルを獲得した事は私にとっても大きな名誉だ。しかし、今はそのバトンをほかの人へ渡し、新たな挑戦を探す好機だと感じている。その間にRB17の開発の最終段階がやってくる。そのためチームでの残りの期間は、それに集中することになる。個人的なことではあるが、株主、故ディートリッヒ・マテシッツ氏、チャルーム・ユーウィッタヤー氏には、レッドブル在籍中の揺るぎないサポートについて感謝したい。そしてビジネス・パートナーであるだけでなく、私たちそれぞれの家族の友人でもあるクリスチャン(・ホーナー)にも同様だ。またオリバー・ミンツラフのスチュワードシップと、親友でありマネージャーでもあるエディ・ジョーダンにも感謝している。」

そして、2024年7月12日から開催された「グッドウッド・フェステイバル・オブ・スピード」にてレッドブルでの最後のデザイン作となるRB17が発表された。12000回転も回るV10エンジン搭載、1200馬力という途方もないパワーを生み出す究極のハイパーカーとなっており、F1マシンにも匹敵するほどのパフォーマンスを見せるという。彼の理想を詰め込んだ、究極のマシンであろう。

その後、9月にアストンマーティンF1チームにマネージングテクニカルパートナーとして加入する事が正式発表された。2025年3月1日からその職務を開始する予定であり、2026年から共に活動するホンダにとっても喜ばしいニュースだろう。
アストンマーティンF1チーム加入についてこうコメントした。
「アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チームに加入できることを嬉しく思っている。私はローレンス(・ストロール/チームオーナー)が彼の関わるすべてのことに注いでいる情熱とコミットメントに大いに触発され、感銘を受けた。ローレンスは、世界を打ち負かすチームを作ろうと決意している。彼はこのスポーツに積極的に取り組んでいる唯一のチームオーナーだ。彼のコミットメントは、シルバーストンに新設されたAMRテクノロジー・キャンパスと風洞の開発にも表れている。この施設は最新鋭であるだけでなく、作業するのに最適な環境を作り出すレイアウトになっている」
「ホンダやアラムコのような素晴らしいパートナーとともに、彼らはアストンマーティンを世界選手権で勝てるチームにするために必要なインフラの重要な部分をすべて備えている。私はその目標を達成する手助けをすることを非常に楽しみにしている」

速いクルマを自ら生み出したいという幼い頃の夢を自ら叶え、歴史に残る数々の名マシンを生み出しF1の伝説にも名を残した彼。まだまだその見果てぬ「速さ」の追求を求めて、どんなマシンを生み出してくれるか楽しみである。

山本雅史(元ホンダ技術者)


そして、忘れてはいけないのがこの人。「山本さん」の愛称で知られており、ホンダのF1担当マネージングディレクター、そしてホンダのモータースポーツ統括責任者になったホンダのモータースポーツを支えた人。現在はホンダを退社しているが、それでもホンダとの関わりもあり、コンサルティング会社「MASAコンサルティング・コミュニケーションズ」を設立し、主に、ホンダのパワートレイン技術を利用しているレッドブル・レーシングの子会社「レッドブル・パワートレインズ」のコンサルティング業務を請け負ったり、また、スーパーフォーミュラの「Team Goh」とレッドブル提携の流れを受けて、同チームの監督に就任している。現在でもフジテレビNEXTでのF1解説とかにも出たりする。

スモーキー永田 (チューニングメーカー トップシークレット代表)


本名は永田和彦(ながた かずひこ)。大の改造マニアで、若い頃には自動車ディーラーへ就職するも車両を改造し過ぎて解雇された、と公言している。様々なマシンに大胆なエンジンスワップを敢行しており、スープラにスカイラインGT−RのRB26エンジンを搭載したりR35GT−RのエンジンをR32に載せたりなどしているカリスマチューナー。

また、世界最速の速度違反者としても知られており、過去に数回、スピード違反等で現地の警察により逮捕され、『Video Option』にも2回の逮捕が収録されている。特に1997年にはイギリスにおいて制限速度70マイル/h(約112km/h)の高速道路を時速317kmのスピードを出し、205キロオーバーで逮捕される事件を起こしイギリス国内の高級紙などで報道されるも、証拠映像として押収されたビデオテープがNTSC規格のビデオのもので、イギリスで主流であったPAL規格の機器では再生出来なかった為、10年間のイギリスへの入国禁止処分の他、28日間の免停及び155ポンド(35ポンドの裁判手数料を含む)の罰金が科せられたのみで、実刑は科されずに済んだ。その後イギリスのMAX POWERで大々的にこの事が取り上げられた為、ストリートレーサーに半ば英雄扱いされる。本人はこの件に関して誇りに思うと述べており、雑誌『Option』などの誌面には世界最高速度違反者の表記も見受けられる。そのためか、イギリス連邦に所属するニュージーランドの展示会に参加した際は、スモーキーにサインを貰うために走り屋の行列が出来てしまったほどである。

他にもトヨタ・スープラ(JZA80)をベースに、センチュリー用のV型12気筒エンジンである1GZ-FEを934 hpほどへチューンして換装した『TS8012V・nardo(通称:V12スープラ)』を製作しており、2008年1月にはイタリアのナルド・サーキットの高速周回路で最高速に挑み、目標の360 km/hに届かずも、358 km/hを記録した。

やはり最高速仕様、つまり大パワー車両の製作実績に富み、手掛けた大馬力仕様のRB26は400基を超える。その反面、三菱・ギャランGTOに、NA化した4G63を搭載した車両も製作するなど、NAエンジンを好む一面もある。NAエンジンではVQ37VHRが一番好きであるらしく、海外ユーザーの依頼によるフェアレディZ34を、パワーハウスアミューズと共同でフルメカチューンした事もある。その際、パワーチェックは自らが試乗して行った。

ゲーム『オプションチューニングカーバトル』シリーズではチューニングメーカーとしても登場。チューンしたデモカーの数々も登場している。

2023年のオートサロンでは、なんとモリゾウと初遭遇したゾ!

加藤 渉 (リバティーウォーク代表)


シャコタンコヤジの愛称でも知られる、日本を代表するチューニングメーカー「リバティーウォーク」の代表。
友人でもあったひとりの客が「ランボルギーニに乗りたい」と言い、ランボルギーニ・ディアブロを調達することになった。その客がその後、ランボルギーニ・ムルシエラゴに乗り替えた際、「もっと格好良くしたい」と要望をし、2008年、ムルシエラゴ用のオリジナルボディキットを開発することになったのがきっかけで創業した。これがオリジナルブランド「LB☆Performance」の始まりである。
2009年、「LB☆Performance」のボディキットを装着したムルシエラゴをSEMA SHOWに出展。「LB☆PERFORMANCE」は世界デビューを果たした。しかし、会場の評価が高いもののビジネスには繋がらなかった。そのため、「LB☆WORKS」ムルシエラゴを新たに開発し、2012年のSEMA SHOWに再出展することとなった。これが「LB☆WORKS」のデビューである。


ランボルギーニや日産GT−Rにビス留めオーバーフェンダーなどの族車風のカスタムを施し、世界中にも大人気を誇っており、『CSR2』や『ドリフトスピリッツ』にも自社のエアロキットの車両を登場させたり、アメリカのミニカーブランド『ホットウィール』などにも自社のチューニングカーが商品化されたりしている。また、「フォーミュラドリフトジャパン」にもチームで参戦、スーパーシルエット風仕様のエアロを纏って4ローターへと換装したシルビアや日産GT−Rでも参戦している。

坂東正明(坂東親分) 『首都高バトルシリーズ』


初期の首都高バトルで土屋圭市と共に出演していた元レーシングチーム監督にして坂東商会のチューナー。
その不良映画や任侠映画モノに出てきそうなワイルドな雰囲気と独特のハスキーボイスから「坂東親分」と呼ばれて(または坂東組長)などと呼ばれ、チームも「爆走坂東組」と呼ばれている。
見た目からしてコワモテの顔していて少しちょっとビビるが、実際にレース中に他のマシンが原因でリタイアになった場合、そのチームのガレージに怒鳴り込む事も多々あり、その名に恥じない活躍(?)もしている。あるレースでリタイアの原因になったホイール(接触されて凹んでいる)を相手チームのガレージに持って行き、怒号と一緒に放り投げ、カランカラン…カランカランカラン……と静みかえったガレージに響き渡らせた……やっぱ怖え。ということもあって、かつてモータースポーツ界では星野一義と同じく怒らせたら怖いモータースポーツ関係者の一人として恐れられていたという……。


PS版の首都高バトルでは定期的にアイキャッチとして坂東親分のチューニング講座という物が映像で流れるが、内容は講座というより“格言”という物で「回転の落ちないギアをぉ自分で選ぶんだよぉ・・・」(トランスミッションの講座)とざっくりしたものが流れたり、『R』では隠しマシンとして登場する悪魔のZの事をよく分からないとして知らなかったり本当はすっとぼけてる?とちょっとツッコミどころはあるのだが……。

親分のチューニング“格言”集→https://www.nicovideo.jp/watch/sm32905939
Rでの親分のクルマについてのコメントとアドバイス集→https://www.nicovideo.jp/watch/sm25735534


なお、現在は現株式会社GTアソシエイション(GTA)代表取締役社長としてSuper GTの運営に勤しんでおり、あの時と比べると幾分マイルドな(?)姿と言動になった。またどこかの企画で現在の姿で親分のチューニング講座を再現して欲しいな…。

NHK 魔改造の夜に挑んだ三社の技術者一同


T社H田技研N産の三社。日本が誇る自動車メーカーの看板を背負い参戦し、不可能に挑んだ愛すべき技術者達。特にN産は残念だった……。スゲェんだけどね……。
技術はすごいのに思わぬミスで敗北してしまうパターンとN産繋がりで中里毅N産のアレとデジャヴになる場面であった。だが、スピンオフ番組の企画で ここから学べる『失敗学』という物があるのでぜひ見ておこう。
ちなみに三社とも結構クルマにも関連(?)するような魔改造マシンを作っておりこちらはH田技研の作った魔破★掃一郎。ロケットノズルでジャンプするというお掃除ロボット掃除機である。しかも、H田のスーパーカーホットハッチにも付けられた“TYPE−R”のロゴ付き。マジです。

その後も魔改造の夜に参戦するメーカーも相次ぎ、なんと 我らが“Sニー” が参戦した。
↑こちらは「ネコちゃん落下25m走」に出場したアルクニャン。かのSニーの携帯音楽ポータブル機器を彷彿とさせるスタイル。しかも操作するコントローラーはグランツーリスモユーザーにもおなじみのアレ。ライバルチームであるスーパーGTのヴィーマックの製造にも関わった T京R&D クルマのターボチャージャーとかの過給機も作る総合重工業メーカーAHI が失敗してしまう中、Sニーは唯一完走。ぶっちぎりの優勝を遂げた。

そして電気ケトル綱引きに出したお茶の魔ケトル。もう、電気ケトルはパーツの一部と化しておりさしずめ ガンダムに出たアレの如く。 当然、これも圧勝した。
さらには、2024年5月30日放送回にはSズキも参戦決定。
もはや技術屋達の「スマブラ」と化している「魔改造の夜」。いつしか自動車メーカー&自動車関連企業のみのオールスター戦も行われるかもしれない。

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