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@tsundora1120
なんだか今のSNSみたい
誰かが叩いたら便乗してみんなが叩く
誰かが優しくしたら便乗して優しくする
自分が責められるんじゃないかと思うと関係ないと言わんばかりに逃げる

@user-io1sg7sx6y
残虐な行動がエスカレートしていくと正常な人間は近づこうとしない。しかしそんな中で優しく手を差し伸べられる人は、本当に優しい人。

@user-tb4iv9xx7u
悪意は伝播するけど善意も伝播する

@user-pw4ir5ys4r
涙を浮かべてる写真が、人間という生き物に絶望した様を現しているようで、胸が痛くなった

@nari-tech5052
これが無抵抗な者に対する人間の心理なんだろうね、抗うことの大切さに気付かされました

@BeautifulOcean
動かない・何をしてもいいという刷り込みから、対象が『自分と同じ人間』であると言う事を忘却してしまったんでしょうね。だから動き出した時、自分と同じ人間へ戻った時に恐怖して逃げたんでしょう。
恐らくですが人間である事を忘却した事により、興味・好奇心・欲望・征服欲みたいな心理が湧き上がったのだと思います。それと同様に共感力の高い人が、彼女の立場と自身を共感させて庇護したのだとも思います。
どちらも人間であれば誰しもが持ち得る可能性のある心理だし、何なら両方内包している人間も沢山いると思います。


● リズム0 - Wikipedia
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『リズム0』は1974年、イタリアナポリにあるStudio Morraで披露された.
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『リズム0』のパフォーマンスの後、アブラモヴィッチの頭髪の一部が恐怖により白髪化したと言われている
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予定のパフォーマンス時間が経過したことによりアブラモヴィッチが観客に向かって動き始めると、観客たちは怯えて逃走を始めた。
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『リズム0』は2013年にCOMPLEXが発表した『パフォーマンスアートベスト25』に9位でランクインした[6]。現代美術のライター、松下沙織は「アブラモヴィッチと観客の関係性の限界を確かめるために考案された、究極で最も挑戦的なパフォーマンス」と評している。日本女子大学の木村覚は、オノ・ヨーコの『カット・ピース(英語版)』を過激にしたような作品で、観客が得た快楽とパフォーマーが得た恐怖が比例することを示したと評している。


■ ハンス・フォン・ゼークトの組織論について 「王立図書館 / ジョーク集」より
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人間は4種類に大別できる。

「勤勉で頭の良い者」「怠け者で頭の良い者」「勤勉で頭の悪い者」「怠け者で頭の悪い者」。

軍隊で一番必要なのは「勤勉で頭の良い者」。
参謀に適任だ。勝つ為の戦術を立案できる。

次に「怠け者で頭の良い者」。
前線指揮官にすべきだ。生き残る為に必死で的確な指揮をするだろう。

次に「怠け者で頭の悪い者」。
命令された事しかできないがそれで十分だ。全ての障害を打ち倒す。

最後に「勤勉で頭の悪い者」。
そういう奴はさっさと軍隊から追い出すか銃殺にすべきだ。
なぜなら間違った命令でも延々と続けてしまい、気が付いたときには取り返しがつかなくなってしまうからだ。


■ 「息を呑むほど残酷」 「井沢満ブログ(2016.8.30)」より
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「人間って、時として息を呑むほど残酷よ」

これは昔「母たることは地獄のごとく」というドラマに書いたセリフで、
見てくださった江原啓之さんが、ご自身のブログでこの
せりふを引き、絶賛してくださいました。

それを思い出したのは、高畑淳子さんの謝罪会見を
批判する人たちの声の中に、度を逸して残酷なのがあるからです。

まず、高畑さんが被害者の女性に対して、「被害者とされている女性」と
繰り返したことが、あげつらわれているようですが、これは
明らかに弁護士の指示です。

有罪判決が出るまでは、法的には被害者という断定は出来ないのです。

ただ、これは私の偏見に傾いた持論ですが「弁護士ほど人情の機微に疎い
人たちはいない」。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)



※ その演奏部分が入っている



最終更新:2025年06月02日 10:47