いすゞ 4200R コンセプト '89 | ||
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メーカー | いすゞ | |
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英名 | Isuzu 4200R Concept '89 | |
年式 | 1989 | |
エンジン | エンジン形式(知らない場合は抜かしてよい) | |
タイプ | ロードカー コンセプトカー ミッドシップ | |
カテゴリー | N300 | |
PP(初期値) | XXX | |
総排気量 | 4,200cc | |
最高出力 | 304PS/6,000rpm | |
最大トルク | 43.7kgfm/4,000rpm | |
パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
駆動形式 | MR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 4,630mm | |
全幅 | 1,910mm | |
全高 | 1,349mm | |
車両重量 | 1,500kg | |
重量バランス | 50対50 | |
トランスミッション | X速 | |
最高速度 | XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい) | |
登場 | グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | バブル期のいすゞを象徴するコンセプトカー、時を超えグランツーリスモの世界で復活 |
概要
残念ながらいすゞがSUVの方へと力を入れる事になってしまったために市販化されず現存してはいないが、ゲームの世界で蘇った4200Rの姿は、当時を知らない世代の人間にも魅力的に思うクルマである事は間違いない。
公式解説
1989年の東京モーターショー。当時ピアッツァやジェミニといったヒット作を産み出していたいすゞ自動車のブースで、一際目を引くコンセプトモデルがヴェールを脱いだ。有機的な曲面が生み出す優雅なフォルム、獣が身構えたように前進したキャビン。高性能ミッドシップスポーツというたたずまいの中に、4つのシートと4ドア構造を織り込んだこのクルマは、その完成度と美しさで、東京モーターショーを席巻した。それが、いすゞ4200R(ヨンニーゼロゼロアール)だ。
そこで腕を揮ったデザイナーたちも興味深い。サイモン・コックス(現:GMアドバンスドスタジオ部長)、ジュリアン・トムソン(現:ジャガー・チーフデザイナー)、ピーター・スティーブンス(現:ピーター・スティーブンス・デザイン代表)、ピーター・ホーバリー(現:フォード・デザイン担当エグゼクティブディレクター)。後に、世界の自動車デザインを担うこととなる面々が、21年前、コベントリーにあるいすゞのオフィスに集結していたのである。
いくつもの輝ける才能が結実し、モーターショーでも絶賛された4200Rは、中村さんのキャリアに刻まれるマイルストーンとなった。ところが、当時のいすゞ自動車はSUVメーカーに舵を切りつつあり、1993年には乗用車の自社生産から撤退を発表。この波乱を受けて4200Rは役割を失い、あの宝石のようなボディは解体が決定する。
それから20年。4200Rの上で交錯したデザイナーたちの息吹と、いまだに色褪せないそのデザインを思い続けてきた中村さんは、アメリカ・カリフォルニアで行われたヒストリックカーイベント、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスの審査員席で「グランツーリスモ」シリーズ・プロデューサー山内一典と出会う。
自身が幕張で、本物の4200Rを目撃していた山内は、中村さんから当時のエピソードを聞くや否や、「グランツーリスモ」を通じて、4200Rをもう一度蘇らせることを提案する。希代の名車が20年の時を経て、新しい命を吹き込まれることが決まったのである。
1年以上に及ぶ制作期間。中村さんは時折ポリフォニー・デジタルを訪れて経過を見守った。エクステリアが形を成すとその再現性に感嘆の声を上げつつも、写真などでは伝えきれないディテールやイメージについて的確な指示を与えた。その時の中村さんの目、声、指は、1989年、コベントリーでサイモンやジュリアンたちに指示を与えるチーフデザイナーの姿そのものだった。
2010年、21年ぶりに蘇った4200Rの姿を『グランツーリスモ5』で確かめよう。このコンセプトカーのテストドライバーは、あなたかもしれない。
登場シリーズ
グランツーリスモ5
Cr.30,000,000で購入。
グランツーリスモ6
Cr.30,000,000で購入。
ギャラリー




コメント
- こういう風に、今は無くなってしまった車をゲームで再現してくれると良いな。もしかしてGT7のエスクードもこれで作られたのかな? -- (名無しさん) 2023-01-17 21:28:25
- 何とかGT7にも是非! -- (名無しさん) 2024-01-03 17:07:41