BMW V12 LMR レースカー '99 | ||
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メーカー | BMW | |
---|---|---|
英名 | BMW V12 LMR Racecar '99 | |
年式 | 1999 | |
エンジン | S70 | |
タイプ | レーシングカー ルマンカー | |
カテゴリー | Gr.2 | |
PP(初期値) | XXXX | |
総排気量 | 5,990cc | |
最高出力 | 580PS/6,500rpm 798PS/6,500rpm(ゲーム内スペック) | |
最大トルク | 68.3kgfm/XXXXrpm 93.7kgfm/ 3,500rpm(ゲーム内スペック) | |
パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
駆動形式 | FR | |
吸気形式 | TB | |
全長 | 4,650mm | |
全幅 | 2,000mm | |
全高 | 1,020mm | |
車両重量 | 900kg | |
重量バランス | XX対XX | |
トランスミッション | 6速 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | 群雄割拠の1999年ル・マン、 トヨタ GT-ONEを破ってLMP時代をもたらした車 |
概要
BMW V12 LMRは1999年のル・マン24時間レース参戦用にBMWとウィリアムズが開発したプロトタイプレーシングカーで、BMW単独のマシンとしては初のル・マン総合優勝を飾ったマシンである。
1995年、BMWはマクラーレン F1 GTRでル・マンに参戦し、これを制したが、96年はポルシェ 911 GT1に、97年はそれに加えメルセデス・ベンツCLK-GTRに苦戦を強いられ、結果優勝を逃してしまう。
いくら当時、公道最速のスーパーカーであったマクラーレン F1とはいえ、セミプロトタイプである911 GT1やCLK-GTRの前には力不足であった。
そこでBMWはGTマシンでなく、フォーミュラ1で名を馳せる名門ウィリアムズとの共同による、オープンプロトの新規開発を決意。96年、97年度のル・マンではLMPクラスのポルシェ・WSC95がワークス勢のGT1クラスを抑えて総合優勝していた事や、当時のLMPクラスはワークス勢の参加があまり無かった事もこの開発を決めた要因でもあった。
いくら当時、公道最速のスーパーカーであったマクラーレン F1とはいえ、セミプロトタイプである911 GT1やCLK-GTRの前には力不足であった。
そこでBMWはGTマシンでなく、フォーミュラ1で名を馳せる名門ウィリアムズとの共同による、オープンプロトの新規開発を決意。96年、97年度のル・マンではLMPクラスのポルシェ・WSC95がワークス勢のGT1クラスを抑えて総合優勝していた事や、当時のLMPクラスはワークス勢の参加があまり無かった事もこの開発を決めた要因でもあった。
マクラーレン F1と同じS70/2型エンジンを搭載した「V12 LM」を1998年のル・マンに投入するが、予選を6番手・12番手でクリアする。しかし、決勝では原因不明のバイブレーションが発生、2台揃って早々にリタイアしてしまう。
後の調査の結果、ホイールベアリングの不具合が原因と判明。BMWは3年連続の屈辱を味わう事になった。
そこで翌年のル・マンに向けてV12 LMを改良。新たなに「V12 LMR」としてロールアウトした。
1999年のル・マンはトヨタや日産、メルセデスといった前年のル・マンにも出場していたメーカーや、後のル・マン常連ウィナーとなるアウディなど多数のメーカーワークス勢も参加。過激化していたGT1クラスはこの年はGTPクラスとして、プロトタイプカー扱いとされた事もあり、最高峰のプロトタイプクラスは群雄割拠の状況でもあった。
そんな中、15号車のP.マルティニ/Y.ダルマス/J.ヴィンケルホック組がトヨタ TS020との歴史に残る激戦を制し、見事総合優勝を果たしたが、同時期にウィリアムズがBMWと手を君んでF1に参戦する事が決定されて、F1の方へとリソースを割く事になり、ライバルだったトヨタと共に2000年にル・マンでのスポーツプロトタイプカーでのレース活動を撤退した。
後の調査の結果、ホイールベアリングの不具合が原因と判明。BMWは3年連続の屈辱を味わう事になった。
そこで翌年のル・マンに向けてV12 LMを改良。新たなに「V12 LMR」としてロールアウトした。
1999年のル・マンはトヨタや日産、メルセデスといった前年のル・マンにも出場していたメーカーや、後のル・マン常連ウィナーとなるアウディなど多数のメーカーワークス勢も参加。過激化していたGT1クラスはこの年はGTPクラスとして、プロトタイプカー扱いとされた事もあり、最高峰のプロトタイプクラスは群雄割拠の状況でもあった。
そんな中、15号車のP.マルティニ/Y.ダルマス/J.ヴィンケルホック組がトヨタ TS020との歴史に残る激戦を制し、見事総合優勝を果たしたが、同時期にウィリアムズがBMWと手を君んでF1に参戦する事が決定されて、F1の方へとリソースを割く事になり、ライバルだったトヨタと共に2000年にル・マンでのスポーツプロトタイプカーでのレース活動を撤退した。
しかし、1999年のル・マンで起きたメルセデスが宙を舞う事態を何度も起こした件も重なって、FIA GT1をルーツとするマシンの時代を終わらせ、LMPマシンがその後のル・マンでの主役になる時代をもたらした事は、ル・マンの歴史やスポーツカーレース全体の歴史から見ても大きいと言えるだろう。
グランツーリスモでは「4」から収録され「6」まで続投していた。残念ながら最新作の「7」では未収録だが、ジェレミーのマクラーレン F1 GTR レースカー '97の解説内で本車について言及されており、収録される希望はあるだろう。



公式解説(GTPSPより)
1998年、BMWはF1のウィリアムズと組んで、2シーターオープンのレーシングカー、BMW V12 LMを開発。同年のル・マン24時間にLMP (ル・マン・プロトタイプ) クラスとして出場した。しかし、スタートから4時間でサスペンションに欠陥があることが判明し、2台とも自主的にレースから撤退してしまう。
この結果を受けて翌年登場したニューマシンが、BMW V12 LMRである。前年の問題点を洗い出し、空力面でも改良を加えた99年型マシンは、まず3月にアメリカで開催されたALMS (アメリカン・ル・マン・シリーズ) 第1戦のセブリング12時間に参戦。トム・クリステンセン/JJ・レート/ヨルグ・ミューラー組が見事優勝した。
そして同年6月のル・マンには2台が出場。カーナンバー15のヨアヒム・ピンケルホック/ピエルルイジ・マルティニ/ヤニック・ダルマス組がル・マン新記録の365周で走り切り、堂々トップでチェッカーを受けたのである。レースの2/3以上をリードしていたのはBMW V12 LMR、クリステンセンルート/ミューラー組だったが、日曜正午前にリタイアを喫してしまったのだ。
このル・マンには、99年型に改造された前年型のV12 LMもLM-98として出走した。2台がプライベートチームに託され、1台は総合5位で完走を果たしたが、日本のチーム郷はリタイアとなった。
BMW V12 LMRは翌2000年のALMSにも参戦、第2戦シャーロットと 第3戦シルバーストンでレート/ミューラー組が優勝した。年間ドライバーズランキングでミューラーが5位、レートが6位に入り、シャシーとエンジンのマニュファクチャラーズ部門でもそれぞれ2位という成績を残している。
登場シリーズ
グランツーリスモ4
BMWディーラーのレジェンドカーにてCr.450,000,000と割と高めの価格で売られている。
グランツーリスモ(PSP)
Cr.350,000,000で購入。
グランツーリスモ5
Cr.380,000,000で購入。
グランツーリスモ6
Cr.190,000,000で購入。
また敵車として「ドリームカー・チャンピオンシップ」に参戦しているのだが、このイベントは市販車をベースにGTがデザインした架空のレースカー同士が対決するというコンセプトのイベントであり、実在する本車が参戦しているのは違和感がある。
オマケに他の出場車種より格上のクラスに該当する車のため、本来の出場車両たちを置き去りにして独走する状況を引き起こしてしまった。同様の事がXJR-9にも言える。
オマケに他の出場車種より格上のクラスに該当する車のため、本来の出場車両たちを置き去りにして独走する状況を引き起こしてしまった。同様の事がXJR-9にも言える。
コメント
- 登場シリーズに載せておきましま -- (ユーラス) 2023-02-07 14:37:51
- GT6のドリームカーチャンピオンシップ一位独走してる印象しかない -- (名無しさん) 2024-02-28 22:49:28
- 童夢が空力をモディファイしたマシンもあるけど、アレ何だったんだろう? -- (名無しさん) 2024-02-29 10:24:34
- 逆馬力詐欺ヤロー -- (名無しさん) 2024-05-28 21:21:49