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グランツーリスモ2が発売された1999年を振り返る

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グランツーリスモ2が発売された1999年。一体どういう時代だったのか?
その時代にも生まれていない若い人のためにも、1999年をクルマにまつわる話、それ以外のテーマでも深く掘り下げる。
※もちろん当時を知っている人は懐かしんでもOK!

1999年生まれの名車(国産車編)

  • 1999年は誰もが知る日本の名車が数多く発表、発売された。我々クルマ好きにまさに豊作ともいえる年ともいえよう。

GT2のパッケージや販促品等に描かれたホンダ・S2000は1999年に誕生したその一つといえる。

S800以来のホンダ製FRスポーツカーとして発売され、高回転まで回るエンジンにカミソリのような切れ味の鋭いコーナリングという多くのスポーツカーファンの心を鷲掴みにしたクルマでもある。
かのヤマウッツィ氏も本車を所有していたり、グランツーリスモのロゴを付けた本車ベースのレーシングカーが筑波ナイター9時間耐久にカーグラフィックチームから出走したり、ヤマウッツィ氏と親交のあるチューニングショップが手掛けた車両が収録されるなど、グランツーリスモとの縁も深い車両でもある。

生産年数は10年間と息の長いモデルであったが、国内向け販売台数は10年間で約2万台と非常に少なく、商業的で見ればあまり成功したとは言い難かった。
それでも我々スポーツカーファンからすればホンダのFRスポーツとして歴史に残る名車の一つともいえよう。

そのホンダは1999年にもう一台の意欲的なモデルを発売した。それがインサイトである。

当時最先端のハイブリッドカーであるプリウスに真っ向勝負を仕掛けたホンダは、ハイブリッドカーの特徴である環境性能に着目。プリウスは環境性能と実用性を両立した実用車であるのに対しインサイトは世界最高水準の低燃費を実現するべく、とにかく燃費を良くしていく方向で開発を進めるというド変態を極めた究極のエコカーとしての開発を進めていった。

ホンダが注目したのは空気抵抗。空気の抵抗によって燃費が悪化することを最小限に食い止めるべく流線型のボディにグループCカー等で採用されていたリアホイールスパッツを採用するなどトコトン空気抵抗低減にリソースを注いだことでCd値は驚異の0.25を叩き出してしまうほど。
ボディについてもフレームにはNSXで採用されていたアルミニウムを採用し軽量でありながら高い曲げ剛性を確保。さらにはボディには樹脂パーツを多用したことで重量も最低で825kgという超軽量ボディに仕上がった。
それらの狂気レベルの変態じみた企業努力の成果によって、燃費は10・15モードで35km/Lという世界最高レベルの低燃費を実現してしまった。
2006年まで発売されたものの、実用性を犠牲にしてまで低燃費を追求したことで全く売れず、発売台数はプリウスをエラく下回り国内だけで約1600台という有様であった。そりゃそうだ。


現在では「ヤリス」として知られる"21世紀 My Car"ことトヨタ・ヴィッツもこの年にデビューを飾った。
バブル崩壊後により経済性が重視されたことにより、コンパクトカーの経済性に注目が集まった事で自動車市場はコンパクトカーに注目が集まっていた。
ところがこの時代のコンパクトカーは作り込みより低コストを重視した安さに重きが置かれていた時代でもあり、さらにはそれまでのセダン人気に加えミニバンやクロスオーバーSUVといったジャンルにも注目が集まっていった。
そんな市場にトヨタは革新的なデザイン、室内空間の広さ、衝突安全性能、環境性能の高さといった4つの要素を兼ね備えたコンパクトカーとして登場するや否や、自動車市場全ての顧客を魅了し国内外で大ヒット商品となり、世界のコンパクトカー市場を変えてしまった一台として語り継がれ、現在では上記のヤリスに名称を変えつつもトヨタの大黒柱として現在も発売し続けている。



その初代ヴィッツをベースとして発売されたファンカーゴ、プラッツもこの年にデビューしている。
両車ともにヴィッツのパッケージングを活かした広い車内も特徴で、ファンカーゴは自転車や大型のクロスバイクといった乗り物を標準装備のフックを使用してそのまま収納可能という、当時最大レベルのキャビン容積や収納スペースを兼ね備えたクルマであった。


そのヴィッツの基本コンポーネントを流用し、ミッドシップスポーツとして発売したのがMR-S。これも1999年デビューである。

ターボエンジン搭載によるパワーを得た半面ピーキーな特性となってしまったMR2での反省を生かし、1.8L NAの1ZZ-FEのみをラインナップ。
ローパワーである分シャシー面での抜かりない軽量化により運動性の良さを追求。誰もが運転を楽しめるスポーツカーとして発売された。
市販車初のシーケンシャルミッションを搭載したのは本車であり、マニュアルミッションのようなスポーティな操作性を持ちつつオートマチックミッションのような快適性の両立を狙った、当時としては画期的なものでもあった。

こちらも2007年まで発売された息の長いモデルでもあったが、このMR-Sを最後にトヨタは2012年の86発売まで長い間スポーツカーは発売されなかった。


日産ではスカイラインGT-R最終モデルであるBNR34型GT-Rもこの年デビューしている。
BCNR33で不評となってしまったボディサイズの削減をベース車の変更により行ったほか、車軸位置の調整で重量配分を55:45へと調整。車体剛性も動剛性解析システムの導入により剛性面も大幅に向上。その向上っぷりはBCNR33と比較して動的ねじれ剛性で56%、動的曲げ剛性では100%という数値である。
さらにはVスペックに至っては前後にディフューザー(前方下部には樹脂製、後方下部にはなんと量産車初のオートクレーブを用いて焼成されたカーボンディフューザーというもの)や可変2段リアスポイラーを備えたアドバンスドエアロシステムを採用し、量産車で初めて本格的なマイナスリフト(ダウンフォース)を生み出すなど、レーシングカーさながらの開発が行われている。
その後のマイナーチェンジによって登場したVスペックIIでは量産車初となるNACAダクト付きカーボンボンネットを装備するなど、さらなる速さを求めるため一切の妥協をしなかった。


スカイラインGT-Rは2002年に排ガス規制によって生産終了してしまうものの、生産終了1年後の2003年に公開された『ワイルド・スピードX2』にてブライアン・オコナー演じるポール・ウォーカーが搭乗し活躍したことで一躍人気を集め、ここ現在ではポルシェフェラーリといったスーパーカーにも匹敵する価値を叩き出すほどにもなった。

この他にも1999年は多数の車両が発売を開始している。以下はその一例である。
  • トヨタ・クラウン(S17型)
  • トヨタ・セリカ(ZZT231型)
  • 日産・シルビア(S15型)
  • 日産・セレナ(C24型)
  • マツダ・MPV(LW系)
  • 三菱・パジェロ(V63~78W型)
  • 三菱・ランサーエボリューションVI(CP9A型)

1999年生まれの名車(外国車編)

有名なもので、F355の後継車種、F360がこの年誕生した。

先進的なF1マチックや、パワーウィンドウ、エアバックなどの安全装備もある。
パワーも3.6リッターV8エンジンで400psのパワーを出す。
また、初のオールアルミのスペースフレームであり、1290kgに収まっている。
更に、車の至るところにアルミを使っており、F355と比べ、約10%大型化したが、
剛性は大きく上昇し、1440kg→1290kgまで軽量化された。
デザイナーは、元ピニンファリーナのダビデ・アルカンジェリ。
ディレクターは、エンツォ・フェラーリやカリフォルニア、マセラティ・クアトロポルテのデザインを手掛けた、日本人のケン・オクヤマ。
正統進化を果たした、V8フェラーリである。

1999年の自動車レース


1999年のF1はフェラーリのシューマッハーvsマクラーレンのハッキネンの対決となったが、ハッキネンが2年連続のワールドチャンピオンを獲得した。


1999年のルマンでは 日産 R391 が登場し、BMWとの対決となったが、制したのはBMW V12 LMRだった。

1999年のレースゲーム


1999年のレースゲーム以外のゲーム


1999年の自動車関連のカルチャー

  • 第33回東京モーターショー
ダイハツのコペンのコンセプトカー、日産のV35スカイラインのコンセプトカーであるXVLなどが展示された。

  • 上信越自動車道全線開通
10月30日。これにより関越道〜長野道〜北陸道を結節する高速道路網が完成した。

  • 1999年に生まれた自動車関連の人物
ジュリアーノ・アレジ、阪口晴南、宮田莉朋など。

1999年の自動車以外関連のカルチャー


  • 1999年の日本の出来事
●東海村JCO臨海事故
東海村JCO臨海事故が発生。日本初の原子力事故であり、初めて事故被爆による死者を出してしまった。これにより日本の原子力に対する不安が広がってしまう。2011年に東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故の布石だったと思うと、ある意味でこの時点で議論を深めておくべきではなかっただろうか。

●ノストラダムスの予言の年と2000年問題
「ノストラダムスの大予言」にて、恐怖の大王が降臨すると言われたのがこの年の7月末。
……しかし何も起こらなかった。それでもちょっとした「大予言」ブームが再来しており、それ関連の書籍とかも発行されたのだが……。
また、年末には2000年問題という事態があり、「2000年の年を迎えた瞬間に世界中のコンピュータが誤作動を起こす」として恐れられていたが、こちらも世界中のプログラマーやコンピュータに詳しい人々のおかげでその危機は回避され、何も起こらなかった。だが、当時は上のノストラダムスの予言とセットで語られるケースもあったほどである。
余談だが、当時「コミックボンボン」で連載されていた漫画「サイボーグクロちゃん」でもこの2000年問題の時事ネタのエピソードがあり、そのせいでクロちゃんは一時故障してしまう事態になる。

  • 1999年のスポーツ関係

  • 1999年の音楽関係
嵐のメジャーデビューなど。
  • 1999年に生まれた芸能人

  • 1999年の鉄道関連

  • 1999年のバイク関係

スズキの隼などがあった。

  • 1999年に放送されたアニメ

  • 1999年に放送されたドラマ

  • 1999年の映画

2023年で57年という歴史を持つスタートレックシリーズで、24世紀を舞台にした「新スタートレック」の映画版第3作目の作品である「叛乱」が放映された。24世紀を舞台にしている為に、架空の難しい用語が出てきたりもするが、迫力満載のSFXであるのでぜひ一度鑑賞するのをお薦めする。
全宇宙を敵にした!とかえらくスケールのでかいことが書かれてるけど実際には悪い奴と結託したダメ上司に反抗して惑星の住民(と規則)を守る話である

  • 1999年CM

  • 1999年に活躍した特撮ヒーロー

  • 1999年のネット関係

1995年にはWindows95が日本でも発売され、大きな普及を見せていたインターネット。この年には後に超有名掲示板となる「2ちゃんねる」をひろゆき氏が開設。開設初期はまだ一般にネットを閲覧できる環境にある人が少なかったのもあり、知る人ぞ知るといったサイトであった。その後徐々に有名になり、無職や引きこもりと呼ばれる人から林修、麻生太郎などの政治家や有名人まで1000万人以上が利用し、実際の書き込みを基に恋愛を描いた映画「電車男」や現在では一般に若者を中心に広まった「草」などの流行語や文化を創り出した。

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