日産 R391 '99 | ||
![]() | ||
メーカー | 日産 | |
---|---|---|
英名 | Nissan R391 '99 | |
年式 | 1999 | |
エンジン | VRH50A | |
タイプ | レーシングカー ル・マンカー ミッドシップ | |
カテゴリー | Gr.1(推定) | |
PP(初期値) | --- | |
総排気量 | 4,997cc | |
最高出力 | 650ps/7,200rpm | |
最大トルク | XXXkgfm/6,000rpm | |
パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
駆動形式 | MR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 4,650mm | |
全幅 | 2,000mm | |
全高 | 695mm | |
車両重量 | 900kg | |
重量バランス | XX対XX | |
トランスミッション | X速 | |
登場 | 未実装 | |
備考 | Gフォースとの共同開発に。 LMPへと移り変わった時代に合わせたマシンだったが……。 |
概要
Gフォースと日産が1999年のルマン24時間耐久レース参戦するために共同で開発されたR391は、オープンタイプのレーシングカー。
1999年にGT1規定の消滅に伴い、クローズドであった R390 とは違いオープンのLMPマシンへと変更した。
ちょうどこの頃は1999年のル・マンに参戦を表明していたワークスメーカーは、トヨタやメルセデスなどがLMGTPという新設されたプロトタイプマシンとしてGT1時代のマシンの改良版を投入するのだが、BMWなどはLMPマシンへと変更した所も現れていただけに、FIA GT1系列のマシンの終焉とLMPマシン時代の到来という転換点の時期であった。
搭載されたエンジンはVRH50Aで、インフィニティQ45に搭載されていたエンジンをベースにル・マン参戦に向け改良を行っていた。シャシーはフォーミュラ・ニッポン(現在の スーパーフォーミュラ )やIRLなどにマシンを供給していたレーシングカーコンストラクター、Gフォース(現:パノス)と日産の共同開発である。
1999年にGT1規定の消滅に伴い、クローズドであった R390 とは違いオープンのLMPマシンへと変更した。
ちょうどこの頃は1999年のル・マンに参戦を表明していたワークスメーカーは、トヨタやメルセデスなどがLMGTPという新設されたプロトタイプマシンとしてGT1時代のマシンの改良版を投入するのだが、BMWなどはLMPマシンへと変更した所も現れていただけに、FIA GT1系列のマシンの終焉とLMPマシン時代の到来という転換点の時期であった。
搭載されたエンジンはVRH50Aで、インフィニティQ45に搭載されていたエンジンをベースにル・マン参戦に向け改良を行っていた。シャシーはフォーミュラ・ニッポン(現在の スーパーフォーミュラ )やIRLなどにマシンを供給していたレーシングカーコンストラクター、Gフォース(現:パノス)と日産の共同開発である。

しかし、ル・マンの後に富士スピードウェイ35周年企画として、ル・マン24時間レース規定を取り入れたレースとして11月に行われた1999年 ル・マン富士1000kmでは、同年のル・マン24時間レースにて2位になった トヨタのGT−ONE を見事破って優勝を果たしている。翌年のル・マンの出場権が与えられることとなったが、当時の日産の経営不振は深刻なものへとなっており、ゴーン体制に移行し経営の立て直しを優先していたため翌年のルマン参戦計画は参戦の余裕が無いとして白紙とし辞退。R391は不本意ながら僅か1年でその役目を終えてしまう事になってしまった。
一回のみの実戦参戦に終わった日産 NP35と同じく時代の流れに翻弄されてしまった悲運のマシンと言えよう。
1999年のル・マン撤退以降、LMP2クラスといった下位カテゴリーのプロトタイプカーに対してエンジン供給を行ったのだが、日産ワークスによるル・マンの活動は遠ざかっていた。しかし、そんな中、2015年にトップカテゴリーへの電撃復帰を発表した。そして開発された
GT-R LM ニスモ
がWECに参戦することになったのだが、2015年のLMP1クラスではトヨタや
ポルシェ
などのライバル勢に阻まれてしまった。また、日産はこのシーズン限りで再びWEC及びルマンから撤退し、わずか1年で幕を下ろすことになった。
解説
ゲーム内の解説や公式解説などを記入してください!
登場シリーズ
未実装