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初代グランツーリスモが発売された1997年を振り返る

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匿名ユーザー

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初代グランツーリスモが発売された1997年。一体どういう時代だったのか?
その時代にも生まれていない若い人のためにも、1997年をクルマにまつわる話、それ以外のテーマでも深く掘り下げる。
※もちろん当時を知っている人は懐かしんでもOK!

1997年生まれの名車(国産車編)

やはり1997年で忘れてはいけないのは初代プリウスの誕生だろう。後に様々な市販のハイブリッドカーが生まれていった中で、世界初の市販ハイブリッドカーとして生まれたプリウスは後のクルマの歴史にも残る名車だろう。

1997年といえば他にも、初代ホンダシビックタイプR(EK型)も誕生。今ではプレミアムカーとして値段が爆上がりしているが当時では若者でも安価に手に入るスポーツハッチバックであり、並み居るライバルカー達をその実力とカリスマ性で一掃してしまった。

他にも……
  • トヨタ・センチュリー(2代目) 国産車では最初で最後の5リッターV型12気筒エンジンを搭載。
  • トヨタ・ハリアー(初代) レクサスブランドでも「RX」として販売されたSUV。
  • トヨタ・アリスト(2代目) 2JZ-GTEを載せた最速セダン。同じエンジンのスープラが消滅しても2004年まで踏ん張った。
  • 日産・エルグランド(初代) 後のZ33やスカイラインと同じパワフルなエンジンを縦置き、FRレイアウトとした上質な高級ミニバンとして登場。
  • スバル・フォレスター(初代) 初代インプレッサをベースにしつつ、低めの車高で都会派を気取ったSUV。
  • いすゞ・ビークロス ちょいと攻めすぎ?な先進的なデザインのSUV
などが生まれた。

国産車全体としてはバブル崩壊後でミニバン&RV車、軽自動車が売れ始めていた時代だが、まだまだスポーツカー系のクルマも今より多かった時代でセダンのラインナップも多かった時代である。

1997年生まれの名車(外国車編)

外国車だと、コルベットがC5型へ、ポルシェ911も996型へと変わった時代である中、GMが新ブランドのサターンを日本に導入。「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」というキャッチコピーで低価格を武器に売り込もうとしたが、質感の低さがアダとなって販売は低迷。2001年に撤退した。

1997年の自動車レース

1997年のF1はフェラーリのシューマッハーvsウィリアムズのビルヌーブの対決となったが、最終戦でシューマッハがビルヌーブに対して幅寄せを行ったとして失格。この年のポイント剥奪という結果になり、ビルヌーブが勝利を得た。
1997年のルマンでは日産 R390 GT1が登場し、ポルシェとの対決となったが、制したのはプロトタイプクラスのヨースト・レーシングのポルシェ・WSC95だった。
この他にも、WRCではWRカー規定が始まり、スバル・インプレッサが活躍するなか旧グループA規定のクルマで挑んだ三菱ランエボや、翌年本格参戦となるカローラWRCがテスト参戦するなど日本メーカーが元気だった時代であり、JTCCは末期と言うべき時で大盛り上がり。日産・ホンダ・トヨタの三大メーカーのガチンコバトルが盛り上がっていたりなど、熱い時代であったのだ。

1997年のレースゲーム


プレステ以外でもめちゃくちゃレースゲームが出ていた時代で、ざっと馴染みのあるのだけをあげると……。
などなど……。

1997年のレースゲーム以外のゲーム


レースゲーム以外だと、主人公クラウドが登場したファイナルファンタジーVIIが登場。
あのセフィロスも登場している作品で、彼のテーマソングも有名。最近ではこんな公式パロディーCMや、AEWのプロレスラー、ケニー・オメガもセフィロスのテーマ曲を入場曲に使ってたりする。

またオマケのサイドバイサイド体験版ばっかりプレイしていた人も多い電車でGOもこの年に発売された。

ちなみに、あの物議を醸し出す問題作グランド・セフト・オートの第1作もこの年に発売されていた。良くも悪くも、ゲーム業界は盛り上がっていたのである……。

1997年の自動車関連のカルチャー


  • 東京湾アクアライン開通
12月18日(グランツーリスモ発売の5日前)、東京湾を横断して神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアラインが開通。海ほたるPAをはじめ、現在でも人気のドライブコースとなっていることは周知の通り。しかし当初の通行料金は片道4000円というボッタクリもいいところであった。
かのスモーキー永田がバーンアウトをかましたのはあまりにも有名。

  • ツインリンクもてぎ開業
7月31日にツインリンクもてぎ、現在のモビリティリゾートもてぎが開業した。日本初のオーバルコースとヨーロッパ的なクローズドサーキットが兼ね備えたサーキットでもあった。

  • 第32回東京モーターショー
「つ・な・ぐ─あなたとくるま。」をテーマに掲げた第32回ショー。今回は、北ホールが本格的に新設され、メーカー別展示という乗・商の一体展示となったことが特徴となった。
後に市販化されるキューブや、ファンカーゴにMR−S、そして後のヴィッツになるファンタイムなどが展示された。
その中でも一台取り上げたいのが日産トレイルランナー。スポーツクーペと四輪オフロードカーのクロスオーバーという当時から見ても先進的なクルマで、SR20VE型搭載で190馬力、CVTであの当時じゃ既存技術で割と高性能に作っていたクルマである。
しかし、ラリーカーのようなどでかいウィングを付けた見た目やあり得ない位置にスペアタイヤがあるという癖の強そうで実用性は皆無そうな設計だったため、市販化はされず。まあ…そりゃそうなるよな……。

  • 1997年頃のトミカのラインナップ
当時の日本の自動車のご時世を映し出しているトミカのラインナップで時代も感じ取って欲しいが、この年頃はRV車も目立ち始めているが、スポーツカー系も多い。結構今と比べても傾向は変わって無い⁉︎

  • 1997年のミニ四駆
ミニ四駆ブームは前年の1996年も高かったが、この年も人気は収まらない。ジャパンカップ開幕に先がけて全国の劇場で映画『レッツ&ゴー!! WGP 暴走ミニ四駆大追跡!』が公開されたりと熱狂真っ只中であった。

  • マッチボックス、マテル社に買収される
実は、おもちゃの車界にちょっとしたビッグニュースがあったのもこの年。英国生まれのミニカーブランドであるマッチボックスの商品権利を持っていたTYCO社(HOスケールのスロットカーや、映画「ホームアローン3」に登場するラジコンカーとかの製造元でよく知られている)をマテル社が7億5500万ドルで買収したのだ。
ホットウィールのページでも解説しているがマテル社はかつてマッチボックスに対抗したミニカー「ホットウィール」でシェアを奪い元々のマッチボックスの製造元の会社だったレズニー社を倒産に追い込んだ宿敵。

古くからのマッチボックスのファンは「ホットウィールと統一されてしまうのか?」と不安視されていたが、マテル社は互いのミニカーの持つキャラクター性を大事にし、現在もなお共に共存しあっている。

  • 黒いアイツが登場
黒いアイツ、そうチョロQファンにはお馴染みのマッドスペシャルことマッドレーサースペシャルが販売されたのもこの年。
先にゲームソフト「チョロQ 2」にて顔出し、後にミニ四駆のようにカスタム出来るカスタマブルチョロQの一台として販売された。
「チョロQ 2」への登場はその後の玩具の販促、タイアップも兼ねての登場だったが、ゲームと玩具の方も人気が高かったためか、チョロQの看板車両としてその後の作品やおもちゃでも登場した。

  • 1997年 クルマ玩具系CM集

  • 1997年に生まれたあの2人
2023年現在、共にF1で活躍しているマックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールもこの年生まれである。

1997年のご時世

1997年という時代の雰囲気を知るためにも、この年のニュースやご時世、様々なモノで映像で知ってみよう。

  • 1997年の流行語

この年の年間大賞は『失楽園』。日本経済新聞に連載された『失楽園』は連載中から評判となっていたが、映画化されたことにより、日本中の話題をさらった。
一方、トップテンにはこの年に社会現象になっていた『たまごっち』や、時のアセス(assessment)、ガーデニング、マイブーム、小泉純一郎厚生大臣(当時)による郵政3事業などがランクインした。
特にたまごっちの人気はすさまじく、安室奈美恵といった芸能人が持っていた事もありオシャレなマストアイテムとしても注目。品薄の中長蛇の列が出来る事もあり、その中でも転売などの問題も起きていた。

が…実は生産管理といった需要と供給のバランスを、販売していたバンダイがあまり把握していなかったために、ブームが去った後に60億円という大赤字を招いてしまったのである。
たまごっちは特に、カセットやソフトを入れ替えられるゲーム機のゲームソフトと違って本体が無ければプレイ出来ない代物だったために、なかなか増産が出来なかったのも品薄を招いた要因でもあった。

  • 映画「タイタニック」公開
この年のヒット映画といえば「タイタニック」。レオナルド・ディカプリオ主演で世界的に大ヒット。日本でも流行った。

  • もののけ姫公開
日本の映画では、もののけ姫が大ヒットした。自然との共生をテーマにした作品で、環境問題も問題となっていた時代に響く作品でもあり、流行語大賞にもトップテン入りした。

  • 山一証券廃業
『私らが悪いのであって、社員の皆さんは悪くありませんからぁ!』という会見で知られる100年も続いた銀行、山一證券が債務負債が膨らみ自主的に廃業する事になった。バブル崩壊しても債務負債を隠し続けていたツケが自主廃業という結末を生み出してしまった。

  • ダイアナ元妃事故死
フランス・パリ市内にて、イギリス王室のダイアナ元妃が乗ったメルセデスが多数のパパラッチの追跡をかわそうとして事故を起こし、乗っていたダイアナ元妃が死亡、行き過ぎたパパラッチの過熱報道に非難の声が起き、世界中の人々が多く悲しんだ。この『パパラッチ』も流行語大賞に入っている。

香港の主権がイギリスから中国へと返還されたのもこの年。この時は歓迎ムードもあったのだが、今の香港の現状を見ると……。

  • マザー・テレサ死去
1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサがこの年の9月5日に亡くなった。

  • 神戸連続児童殺傷事件
他にも、「酒鬼薔薇」事件としても有名なこの事件が起きたのもこの年。


  • 1997年のスポーツ関係
この年のプロ野球だとバリバリ古田敦也が現役、今は亡きノムさんもヤクルトの監督をしており、IT野球戦法で席巻していた時代。セリーグ優勝、そしてこの年の日本シリーズも西武を破って優勝した。
大相撲では、若乃花、貴乃花の兄弟による若貴兄弟と曙が時代を引っ張っていた。この年の12月には後にタレントとしてお馴染みになる小錦が引退している。
1997年のJリーグでは、リーグの優勝クラブは1stステージが鹿島アントラーズ、2ndステージがジュビロ磐田で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝はジュビロ磐田の手に渡った。

  • 1997年の音楽関係
↑小室哲哉

↑安室奈美恵

まだまだ安室奈美恵などの小室哲哉サウンドが強かった時代である。

(インディーズ時代)

(The Last Live ~最後の夜~)

「ヴィジュアル系」という言葉の発祥とも言われ、その音楽性や奇抜なファッション性で大人気を博し、また東京ドーム3daysや日本武道館のLive数々を大成功させた X JAPANが解散した年でもある。(その後2007年に再結成) これには筆者も大号泣


  • 1997年の鉄道関係
500系新幹線の登場や秋田新幹線開業フレッシュひたち号のデビュー、北越急行が開業するなどの出来事があるが、特に500系新幹線は史上初の営業速度300キロを達成し、当時世界最速の鉄道とも言われたほど。現在もそのシャープなフォルムは多くのファンの人気を集めており、「ガオガイガー」のメカのモチーフにもなったほど。


  • 1997年に放送されたアニメ
特に最近、物語が終わった引退した事で知られるサトシが主人公のポケモンアニメもこの年からである。懐い人もいるだろう。
だが、ポケモンの黒歴史として扱われているポケモンショックがこの年に起きている。一時アニメ放送が休止されるなど大騒ぎになった。
これをきっかけに以降、テレビアニメの放送前に「テレビを見る時は部屋を明るくしてテレビから離れて見よう」という注意書きが出る事になる事になった。

  • 1997年に放送されたドラマ
失楽園などが公開されたが、その中で話題になったのを2つ。ひとつは反町隆史と竹野内豊が出演した「ビーチボーイズ」。2人のイケメン俳優の主演は話題になったが、ドラマの中では、オンボロのルノー4(キャトル)が登場。2人がこの車を押しているのが印象深いのでは?
そして、織田裕二が出演した「踊る大捜査線」。テーマ曲も有名になり、後に映画化もされた大人気ドラマシリーズとなった。

  • 1997年CM

  • 1997年に活躍した特撮ヒーロー
この年は「電磁戦隊メガレンジャー」が放送されていた時代。デジタル家電をテーマにした戦隊ヒーローで、Windows95が登場し家庭用インターネットが広まったご時世を感じる。
また、後におバカタレントとしても活躍し今はパパタレントとして活躍するつるの剛士が出演する「ウルトラマンダイナ」もこの年の9月からスタートした。

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