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ランチア デルタ S4 ラリーカー '85

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ランチア デルタ S4 ラリーカー '85
Image Credit : gran-turismo.fandom.com
メーカー ランチア
英名 Lancia Delta S4 Rally Car
年式 1985
エンジン 直列4気筒DOHC
タイプ レーシングカー
WRC
カテゴリー Gr.B
PP(初期値) 544(GT6)
総排気量 1,759cc
最高出力 456PS/8,000rpm
最大トルク 46.0kgfm/5,000rpm
パワーウエイトレシオ 1.95kg/PS
駆動形式 4WD
吸気形式 TC+SC
全長 3,990mm
全幅 1,880mm
全高 1,360mm
車両重量 890kg
重量バランス 43対57
トランスミッション 5速
ダート走行 可能
登場 グランツーリスモ2
グランツーリスモ4
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
備考 グループBの代表的存在にして
終焉へと追い込んだ怪物マシン

概要

ランチア デルタ S4 ラリーカーは、ランチアが必勝を掛けて1985年にグループBへと投入した車両。先代の「037」に続きアバルトとの共同開発である。
(ラリー037)

それまでランチアはグループBに「ラリー037」をいち早く投入し成功を収めていたが、ライバルメーカーの成熟、特にアウディの「クワトロ」が四輪駆動+ターボ過給によって悪路でも難なく走り抜ける圧倒的なパワーを見せつけグループBを席巻。ランチアは「最早2WDじゃ勝てん」と確信する。

そしてWRCの1985年の最終戦RACラリーにて、「公道を走るF1」の異名を持つデルタS4を投入した。
直列4気筒エンジンをリアミッドシップに縦置きし、低・中回転でのトルクを確保するためターボチャージャーに加え、低回転域ではスーパーチャージャーを使うツインチャージャーを採用。デビュー時の最高出力は456PS、末期には何と600PSを超えていた。
それに加え徹底的な軽量化も図られ、車重は僅か890kgという異名通り、当時のF1マシンやグループCカーにも匹敵するパワーウェイトレシオを誇った。
外観に関してもベース車と似せる気すら感じられないものとなっており、完全なプロトタイプレーシングカーとなってしまっている。

凄まじいパフォーマンスを誇る一方で恐ろしく危険な車体構造となっており、ボディはケブラー樹脂とプラスチックで構成され、ホイールはマグネシウム製、燃料タンクは何と座席の真下、しかもアルミニウム製であった。勝つためだけの装備を満載したが、“安全性”も含めた他の要素を全て捨て去ったのである。
このマシンに対抗できたのは怪物揃いのグループB内でもプジョー 205 ターボ 16 エボリューション2くらいで、86年のWRCはプジョーランチアの一騎打ちと化した。


そしてこの年、グループBの危険性が最大にして最悪の形で露呈してしまう。
第5戦のツール・ド・コルスでランチアのエースドライバーであるヘンリ・トイヴォネンの駆るデルタS4が緩い左コーナーにノーブレーキで進入したところ、コースオフして崖から転落した直後に爆発炎上。
上述の素材を用いられた車体はフレームとサスペンションを残して瞬く間に全焼。トイヴォネンはコ・ドライバーのセルジオ・クレストと共に焼死、発見時には白骨化していたとも骨すら残らなかったとも言われている。

ラリー史上は勿論、モータースポーツ史上でも類を見ないこの大惨事は、グループBの危険性を知らしめる決定的なものとなった。
この死亡事故を受けてFISA(現FIA)は緊急に会議を招集し、2日という異例のスピードで声明を発表。グループBによるWRCを86年を以て中止し、87年以降は下位カテゴリーのグループAにて選手権を行うと発表し、こうしてグループBは僅か5年で幕を閉じた。

エースドライバーを失ったランチアは失速し、僅か4勝しか挙げられず、6勝を挙げたプジョーにマニュファクチャラーズを奪われた。
ドライバーズは最後まで縺れ込んだが、それも一悶着あった末にプジョーが獲得し、デルタS4はランチアの中で唯一無冠のラリーカーとなった。
グループB内でも最強格といえるパフォーマンスを持ちながら、何1つ結果を残せなかったこのマシンは、ファンからは「無冠の帝王」と呼ばれている。

落命したトイヴォネンは、デルタS4についてインタビューを受けた際に、「コースに留めておくだけで精一杯、神経がおかしくなりそうだ」と答えた。
命を落とす事になったツール・ド・コルスをグループBカーで走行する事について、先の事故を予見するかのように「この危険なコースにこの車はあまりにも速すぎる」とも答えていた。
ランチア元監督のチェザーレ・フィオリオは、「S4の性能を100%発揮できたのはヘンリだけだった。同チームのミキ・ビアシオンやマルク・アレンでさえ性能の60%~80%しか出せなかった」とコメントしている。
しかしそのトイヴォネンも上述の通り事故死してしまい、結局S4を乗りこなせたドライバーは結果的に誰一人としていなかった事になる。

またデルタS4で自身のWRC初勝利を決めたミキ・ビアシオンの評として「エンジニアリング的に間違ったコンセプトだったと思う。競技での性能のみを追求し、安全面についてはまったく配慮していなかった。」という安全面に関する否定的な見解を示した一方で、
「強烈に魅惑的だったよ。僕に最も感動を与えてくれたラリーカーは、間違いなくS4だった。狂った馬を押さえつけるような感覚なんだ。ドライバーにとって支配する喜びは何物にも代えがたい。」という感想も述べている。

解説(GT6)

伝説のグループBマシンの中でも圧倒的な強さを誇った1台

デルタS4は、1985年秋に登場した最強のグループBマシンである。一見ランチア デルタのように見えるが、その中身は量産車とはまったく別モノの「公道を走るF1」なのだ。

シャシーはスチールパイプを使ったスペースフレームに、カーボンやケプラーといった軽量素材を貼り付けてボディパネルとしたもの。車重はロードバージョンで960kgと、4WDマシンとしては異例なまでに軽い。

ドライバーズシートの背後にミッドシップレイアウトされるエンジンは、アバルトの手によって高度なチューニングが施された直列4気筒DOHC16バルブ。排気量はわずか1,759ccだが、これには機械式スーパーチャージャーとターボチャージャーが組み合わされていた。このため低速域から高速域までよどみなくパワーを得ることが可能となり、過給圧を最大の2.5Barに設定したこのエンジンのスペックは、最高出力456 PS、最大トルク46 kgfmを上回ったという。この途方もないパワーは5速MTを介して、フルタイムの4WDシステムへと伝わった。

デルタ S4は、デビュー間もない1985年のRACラリーで1位、2位を独占したのを皮切りに、1986年のモンテカルロでも優勝する圧倒的な強さを見せた。ところがハイパワー化によるスピードアップはWRCを極度にリスキーなものとしてしまい、観客を巻き込んだ事故やマシン自体の故障、クラッシュによる死亡事故が相次いだ。

その結果、FIAは87年からのWRCをグループAで開催することを決断する。デルタ S4は活躍の場を失い、市販車仕様が200台、競技用エボルツィオーネが20台造られただけで、生産を終える運命となった。

登場シリーズ


グランツーリスモ2

Cr.50,000,000で購入。

グランツーリスモ4

スペシャルコンディションレース:ラリー・ド・ウンブリア(ハード)をクリアする事で獲得。

グランツーリスモ(PSP)

Cr.100,000,000で購入。

グランツーリスモ5

中古車ディーラーで購入可能。
また A-Spec:ガヤルド・トロフィーをクリアする事でプレゼントカーとして獲得できる。別メーカーであるランボルギーニのイベントでランチアのこの車が貰えるのは少し違和感があるのだが。

グランツーリスモ6

Cr.145,000,000で購入。

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