ゴーン | ||
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本名 | カルロス・ゴーン | |
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英名 | Carlos Ghosn | |
生年月日 | 1954年3月9日 | |
国籍 | ブラジル・フランス・レバノン | |
別名 | コストキラー(カッター)、ミスター調整 | |
実績 | 日産自動車会長 三菱自動車工業会長 ルノー取締役会長兼CEO (PDG) | |
罪名・現状 | 金融商品取引法違反・特別背任罪で国際手配中 |
概要
日産を救った救世主から一転、世間を騒がせた犯罪逃亡者となってしまった男。1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュランに入社し、1996年にルノーの当時の副社長となる。
1999年3月27日にルノーが日産の株式の36.8%を取得し、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれ、同年6月、ゴーンはルノーにおける役割を維持したままで、最高執行責任者(COO)として日産に入社した。翌年2000年6月に日産自動車の取締役に就任。さらに2001年6月に日産の最高経営責任者(CEO)に選出された。
ゴーンが入社した当時の日産は約2兆円(200億ドル)の有利子負債を抱え、国内販売でもラインナップされた46モデル中、3モデルだけが利益をあげている状況だった。ルノーからの巨額な資金投入が行われた上で、ゴーンの指揮下、両社の間でプラットフォームやエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う。
「日産リバイバルプラン」の下、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場などの生産拠点の閉鎖や子会社の統廃合、航空宇宙機など余剰資産の売却や21,000人(総従業員の14%)を目標とした早期退職制度による人員の削減など大幅なリストラを行った。同時に新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行。また、鋼板調達先を選別強化・集約しコスト削減を図ったことは「ゴーンショック」と呼ばれ、日本の鉄鋼業界再編の契機となった。
ゴーンは自らテレビコマーシャル出演し、インタビューに応えるなど、積極的にメディアに登場。また経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。この事はゴーンが立場を越えてルノーや日産自動車の車種に限定されず、自動車の運転に好意的な事を示した過去の報道からも明らかである。この事は、ゴーン体制下の日産自動車が、2002年の排ガス規制で生産終了が決定していたスカイラインGT-Rの後継車種でR35型のGT−Rや、フェアレディZを復活させた大きな要因である(両車ともゴーン自らゴーサインを出し、自ら発表している)。元々スポーツカーが好きであり、北米ミシュランに勤務していた際の愛車がフェアレディZ32であった事も要因と言われている。フェアレディZ33発表時には、かねてよりZファンだったことを公言しており、フェアレディZの復活を誰よりも喜んでいたという。『日経スペシャル カンブリア宮殿』に出演した際に、「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。車以外にこんな製品がありますか?」と発言している。
一方、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場であり、ルノーF1チームが2005年と2006年の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える(ただし、SUPER GTに関しては例外中の例外であり、近年ではGT-RによるFIA GT選手権への参戦も果たしている)。
あまりのコストカットと人たらし過ぎる点が噂されていた中、会社の経営資金を私用で使ったなどとして2018年11月、金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、日産、三菱の会長職を解任される。2019年1月、特別背任罪で追起訴された。
しかし、2019年12月、関西国際空港から音響機材搬送用の箱に隠れて自分のビジネスジェットで密出国、レバノンへ逃亡した。
しかし、2024年にレバノンでのヒズボラ関係者のポケベル爆発に端を発したイスラエルとの対立が激化し、イスラエルがレバノン南部を広範囲に空爆したりとレバノンの情勢が悪化。一方でゴーン氏に関する新たな動向のニュースが無い中、この情勢悪化だけに安否は気になるが……どうなる、ゴーン。
1999年3月27日にルノーが日産の株式の36.8%を取得し、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれ、同年6月、ゴーンはルノーにおける役割を維持したままで、最高執行責任者(COO)として日産に入社した。翌年2000年6月に日産自動車の取締役に就任。さらに2001年6月に日産の最高経営責任者(CEO)に選出された。
ゴーンが入社した当時の日産は約2兆円(200億ドル)の有利子負債を抱え、国内販売でもラインナップされた46モデル中、3モデルだけが利益をあげている状況だった。ルノーからの巨額な資金投入が行われた上で、ゴーンの指揮下、両社の間でプラットフォームやエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う。

「日産リバイバルプラン」の下、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場などの生産拠点の閉鎖や子会社の統廃合、航空宇宙機など余剰資産の売却や21,000人(総従業員の14%)を目標とした早期退職制度による人員の削減など大幅なリストラを行った。同時に新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行。また、鋼板調達先を選別強化・集約しコスト削減を図ったことは「ゴーンショック」と呼ばれ、日本の鉄鋼業界再編の契機となった。

一方、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場であり、ルノーF1チームが2005年と2006年の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える(ただし、SUPER GTに関しては例外中の例外であり、近年ではGT-RによるFIA GT選手権への参戦も果たしている)。
あまりのコストカットと人たらし過ぎる点が噂されていた中、会社の経営資金を私用で使ったなどとして2018年11月、金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、日産、三菱の会長職を解任される。2019年1月、特別背任罪で追起訴された。
しかし、2019年12月、関西国際空港から音響機材搬送用の箱に隠れて自分のビジネスジェットで密出国、レバノンへ逃亡した。
しかし、2024年にレバノンでのヒズボラ関係者のポケベル爆発に端を発したイスラエルとの対立が激化し、イスラエルがレバノン南部を広範囲に空爆したりとレバノンの情勢が悪化。一方でゴーン氏に関する新たな動向のニュースが無い中、この情勢悪化だけに安否は気になるが……どうなる、ゴーン。
ゴーンは果たして救世主なのか?それとも?
やはり、ゴーンがやった犯罪の事実は受け入れ難い物だろう。一方でゴーンがもし来なかったら今の日産は無かった可能性が高かったのもまた事実で、今ある復活したGT−RやZ33から続くフェアレディZも苦しい経営状況の中英断を下してくれたゴーンの遺産なのである。しかし、ネジ一本までこだわったほどでコストカッターと言われた彼のやり方は短期的に利益を上げるのは出来たが、中長的な経営の黒字化には適していなかったのもまた一つの事実であり、海外へと生産拠点を移していった一方で、元からあった日産の関連企業や下請け工場とかが潰れたりして、長く日産に関わって来た人材やその技術を重く見ていなかったのも事実である。
特に技術に関しては一度失われると 「ロストテクノロジー」 となってしまって再び復活させることが難しくなってしまう。歴史上では新たな技術の登場により既存の技術が淘汰されたり、それを生み出す技術者や組織が居なくなったりしてロストテクノロジーとなった物は数多い。その中の一例を挙げると、例えば太平洋戦争の際に史上最大の戦艦として誇っていた戦艦大和が搭載していた46cmと超デカイ主砲といった口径12インチ(30.5cm)~20インチ(50.8cm)クラスの戦艦用の大砲がある。
特に技術に関しては一度失われると 「ロストテクノロジー」 となってしまって再び復活させることが難しくなってしまう。歴史上では新たな技術の登場により既存の技術が淘汰されたり、それを生み出す技術者や組織が居なくなったりしてロストテクノロジーとなった物は数多い。その中の一例を挙げると、例えば太平洋戦争の際に史上最大の戦艦として誇っていた戦艦大和が搭載していた46cmと超デカイ主砲といった口径12インチ(30.5cm)~20インチ(50.8cm)クラスの戦艦用の大砲がある。

こうした技術のロストテクノロジー化を招いた海外メーカーとの部品の共通化は短期的なコストダウンには良いだろうが、その後のメーカーのアイデンティティを失うリスクも孕んでいる。事実、ゴーン体制になる前はどこか日産のアイデンティティ溢れる様々な魅力的なキャラクターのクルマが多かったし、その中にはシルビアやローレル、グロリアやセドリックといった、ゴーン体制時代になってから消えてしまったクルマもある。それに、人材や技術を失う事による技術力低下で会社としての競争力を失う可能性もある。いわば日産のテクノロジーをルノーが食い尽くそうとしており、日産を完全な“家畜”としての会社にしようとしていたという事である。そうした事を危惧した日産が内部告発という形のクーデターによって、ゴーン氏を追放させたと見れるだろう。しかし、ゴーンが離れた今でもルノーとの関係は続いており、そのルノーとの関係も未だに微妙な感じとなっているのも否めない。特に村山工場の閉鎖と航空宇宙部門の売却というのは、旧プリンス時代の数少ない遺産を売却したと同義に当たる為、スカイラインを始めとした旧プリンス車のオーナー達やファンからは未だに忌々しい存在として酷評されている。
ゴーン氏が日産のトップだった頃の日本は急速なグローバル化の波に晒されていた時代であり、更なる海外との競争や共通化も起きた上に思い描いていた海外と日本の価値観やビジネスの違いに、大きなギャップ差を見せつけられた瞬間であった。「ゴーン・ショック」で起きた一連の改革は、国際的なビジネスの世界は難しく、その中でモノづくりに限らずあらゆる物やコトに対しての日本人の価値観をどう守るのかも考えさせられる事案であろう。