アウディスポーツ クワトロ S1 ラリーカー ‘86 | ||
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メーカー | アウディ | |
---|---|---|
英名 | Audi Sport quattro S1 Rally Car '86 | |
年式 | 1986 | |
タイプ | レーシングカー ラリーカー | |
カテゴリー | Gr.B | |
PP(初期値) | 543 | |
総排気量 | 2,142cc | |
最高出力 | 476ps/7,500rpm | |
最大トルク | 48.9kgfm/5,500rpm | |
パワーウエイトレシオ | 2.28kg/PS | |
駆動形式 | 4WD(35:65) | |
吸気形式 | TB | |
全長 | 4,240mm | |
全幅 | 1,860mm | |
全高 | 1,344mm | |
車両重量 | 1,090kg | |
重量バランス | 50対50 | |
トランスミッション | 6速 | |
最高速度 | XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい) | |
登場 | グランツーリスモ6 | |
備考 | ラリー界に四駆革命を起こしたクワトロの最終進化形 |
概要
無敵を誇っていたアウディが、その優位性を保つために、クワトロA1/2の後継として開発したのが「スポーツ クワトロ」である。
本車は85年のラウンド5より投入された「S1」であり、更に同年のラウンド12に投入された後期型が収録モデルにあたる。
シフトノブに当時最新鋭の装備であったクラッチセンサーがあるセミATをF1の世界よりも早く装備し、ボディはウィング・フェンダー・スポイラーを大型化して空力を重視・強化してあり、その姿はもはや市販車の面影も無いサーキットを走るシルエットフォーミュラのマシンである。
エンジンはミスファイアリングシステムを備えた改良型であり、初期でさえ390馬力、中期はこの476馬力、末期には何と600馬力を超えていた。まさにこのクワトロはグループBの怪物的な進化を象徴するモンスターであろう。
本車は85年のラウンド5より投入された「S1」であり、更に同年のラウンド12に投入された後期型が収録モデルにあたる。
シフトノブに当時最新鋭の装備であったクラッチセンサーがあるセミATをF1の世界よりも早く装備し、ボディはウィング・フェンダー・スポイラーを大型化して空力を重視・強化してあり、その姿はもはや市販車の面影も無いサーキットを走るシルエットフォーミュラのマシンである。
エンジンはミスファイアリングシステムを備えた改良型であり、初期でさえ390馬力、中期はこの476馬力、末期には何と600馬力を超えていた。まさにこのクワトロはグループBの怪物的な進化を象徴するモンスターであろう。
解説
アウディ・スポーツクワトロS1は、1980年代に世界ラリー選手権(WRC)とパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで活躍した伝説のラリーマシンだ。
アウディは、1981年にフルタイム4WDテクノロジーをWRCに導入し、ライバルたちを圧倒した。1982年と1984年にはマニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルのダブル優勝を果たし、1983年にはドライバーズタイトルを獲得した。クルマは年々改良を続け、1983年の秋にはグループBのホモロゲーション用に2,133ccの5気筒ターボエンジンを搭載したスポーツクワトロを200台販売し、1984年からレースに参戦した。
スポーツクワトロは、ホイールベースを320mm短縮し、ボディはウィング・フェンダー・スポイラーを大型化して空力を重視・強化した特別なモデルだった。1985年のツール・ド・コルスでは、さらに改良されたスポーツ・クワトロS1がデビューした。エンジンの最終出力を599PSまで向上させたほか、シフターにクラッチセンサーを備えた6速セミオートマチックや、フロントスポイラーとリアウイングを備えた空力ボディなどを採用した。この時までに、究極のラリークワトロに成長していた。
同時期にアウディは、WRC仕様のスポーツクワトロS1をヒルクライム仕様に改造し、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに参戦した。パイクスピークは、アメリカのコロラド州にある標高4,300mの山で、19kmの舗装されていない道を登るレースだ。アウディは、この過酷な環境に対応するために、エンジンの出力を750PSにまで高めたほか、大型のウイングやダクトを装備した。結果は目覚ましく、1985年にはミシェル・ムートンが女性として初めて優勝し、1987年にはヴァルター・ロールが10分47秒85という新記録を樹立した。
アウディ・スポーツクワトロS1は、WRCとパイクスピークで新たな歴史を刻んだ名車だ。しかし、その強さは一時的なものであり、ライバルたちの追い上げには耐えられなかった。1986年には、プジョーとランチアのミッドシップ4WD車に完全に敗れ、グループBも死傷事故の多発により廃止された。アウディは、グループSに向けて新型のスポーツ・クワトロRS002を開発していたが、これも計画中止となった。その後、アウディはしばらくはWRCに参戦し続けたが、次第に消極的になり、1992年を最後にWRCから撤退した。
アウディ・スポーツクワトロS1は、アウディの4WDの歴史において、最も強力で最も特別なモデルだった。しかし、その強さは一時的なものであり、ライバルたちの追い上げには耐えらなかった。アウディ・スポーツクワトロS1は、WRCの黄金時代の象徴として、今もなお多くのファンに愛されている。
登場シリーズ
グランツーリスモ6
Cr.145,000,000で購入。