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クルマの世界の「もしも……」

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匿名ユーザー

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クルマの世界にも「もしも……」という話はあるはず。そこで、そんなもしもを考えてみよう。


もしも、ど素人がF1マシンに乗ったら


結論から述べると、まともに運転は出来ずに事故るか怪我して失神する。
そもそもF1マシンは市販車と違って速さだけを追求しているため、快適性・使い勝手なんて考慮されていない。まず走り出そうにも普通の自動車とは違うからスタートすらまともに出来ないし、走り出せたとしても性能とGが強烈すぎて体が耐えきれないので体中を痛め、さらにブレーキを踏むのも強烈な力が必要なので足を骨折するかもしれない。ハンドルも勿論重ステ、タイヤが太くハンドルそのものもかなり小さいのでマッチョの腕力も要求される。それに座席もガッチリ固定して拘束する状態で走るので内臓とか肺もやられてしまうだろう。

またF1レーサーは首がかなり強く、寝そべった状態で10kg程度のおもりをぶら下げても平気で耐えられるほどの筋力や骨格である。人間の頭は5kgほどでしかも頚椎は関節が多すぎてモロめなので、もしかすると慣れていない一般人でも首が弱い人は第一コーナーを曲がった瞬間に首が折れてしまう悲劇に見舞われるかもしれない。F1マシンはは究極の走りを実現するために、それほどまでの負担をドライバーに強いているのだ。

もしも、サーキットを逆回りで走ったら


これも結論から言うと、出来なくはない。ただ、色々大幅な変更が必要になるので大変。
そもそもサーキットは一方通行で走る事を前提に設計されており、逆回りに走る事は考慮されてはいない。もし、やろうとしたら縁石やランオフエリアの大幅な変更とかが必要になって大変であるし、安全面での不安も抱える。以前は、改修される前の富士スピードウェイでは反時計回りでのレイアウトで行われる事もあったが、やはりスタート直後に事故が相次ぎ、30度バンクでの死亡事故と共にそのレイアウトが使われる事はなくなった。

もしも、富士の30度バンクを復活させたら

上でも上げた通り、富士の30度バンクは死亡事故の発生により封印されたが、もし現在復活させたら?

そんな中、2024年にその夢を叶えてしまったのがアニメ「HIGHSPEED Étoile(ハイスピードエトワール)」で描かれた。
現在の富士レイアウトに30度バンクを繋げたコースで、真上から見るとこう。
現実の第一コーナーとの合流部分はこんな感じとなっている。
じゃあ現実ではこれ出来んのか?課題としては現実の30度バンクは死亡事故の発生から約50年間も放置されている状態に近いという事。
さらに2004年にコースの一部を解体、跡地に研修施設とショートコースを建設したため、これらを再びぶっ壊してもう一度新設する必要がある。
そしてこの30度という急角度でこのような立て看板もあるほど、現代のレーシングマシンでこのような急斜面のバンクを安全に走れるか?という疑問もあるにはあるが、デイトナ24hが開催されるデイトナ・インターナショナル・スピードウェイのバンク角は31度なので、最低限「LMDhとGT3なら走れる」はず。もちろんコース再建設と同時にSAFERバリア設置など複数の安全対策は必要になるはずだが。
ただ、現実的には建物の複数解体とコースの新設が必要という2点のハードルが成層圏に達するレベルで高いため、アニメでもしも……を体験出来ただけでもヨシとするのが現実である。

もしも、日産のMID4がちゃんと市販されていたら


1985年、ドイツ・フランクフルトのモーターショーで公開された日産MID4。ポルシェが911を4輪駆動化し、ラリーの舞台へ挑戦しようとしていた動きに追随するように登場した、ミッドシップ+4WDのコンセプトカーだった。開発を指揮したのはスカイラインの産みの親、櫻井真一郎
DOHC4バルブのVG30DE型は当時のフェラーリと遜色ない230psを発揮。4WS技術の「HICAS」を搭載し、プリンス出身の古参エンジニアが煮詰めた足回りも高評価。素晴らしいパフォーマンスを秘めているだろうことを、当時のクルマ好きの誰もが予感した。その期待は予想以上の反響であり、試作車なのにプラモデルやミニカー、チョロQまで発売され、売れていたのだ。


続いて1987年、晴海最後の開催となった東京モーターショーで発表されたのがMID4-II。パワートレーンは、ランボルギーニ・ディアブロの4WD化を先取りしたかのような縦置きミド四駆に発展。V6ツインターボは日本車前人未踏の330ps。
ちょっとテスタロッサに似過ぎのシルエットはともかく、わが国初の「スーパーカー」が産声を上げる予感の高まりに、観客達は大熱狂だった。

これほどまでに世の中を騒がせ、間違いなく市販されると誰もが思っていたのに、あえなくキャンセルされてしまったMID4。
その直接的な理由は、「総合自動車メーカーとして、採算面での問題がクリアできなかった」ということだろうと考えられている。つまり、
○世の中いつまでも好景気じゃないよ、Zもスカイラインもレパードもセドグロもシーマもあるのに、さすがに高級車多過ぎね?(のちに日産はこの時期の過剰な設備投資がたたり、急激な経営悪化に陥る)
○コスト高すぎだよ、一台2000万円ぐらいで売らないとペイしないじゃん。日産ってサニーもマーチもバネットも売ってるのに、そんな価格帯の市場でポルフェラと勝負できるの?そこまでブランド力ないんじゃね?
というわけだ。他にも、日産生え抜き組と櫻井氏らプリンス移籍組との派閥対立も原因だったかも

……それでも、もしもなんとか市販に漕ぎ着けていたら?

まあ、敢えてまったく夢のない話をすると、「バブルで何台かは売れたけど、ホンダNSXに負けてたちまちフェードアウトした」という結末も有り得ただろう。

櫻井真一郎氏は1989年、「オーテック・ザガート・ステルビオ」という一台1870万円の超高級車(中身はF31レパード)をプロデュースしている。これがまさに(意味不明なスタイリングのせいで)箸にも棒にもかからずフェードアウトし、200台ほど製造したクルマの半分以上が売れ残る……という結果に終わった。
ことほど左様に、高級車は技術よりもスタイルや、ブランドの力で売れているのである。


2023年1月。もはや製造終了かも、と思われていた日産GTーRの2024年モデルが、東京オートサロンの場で公開された。内燃機関イジメに血道を上げる欧州の騒音規制をクリアしてみせた「MY24」のGTーRはまたしても進歩を遂げ、17年目の長寿モデルであることを微塵も感じさせない。
「もしも」…というより、もしかすると、このR35型GTーRこそMID4の夢の後継者なのかもしれない。かつて、MID4が培った技術は第二世代のR32型スカイラインGT−R誕生に大きく貢献したし、トランスアクスル4WD方式は、見方によっては「縦置きミッドシップ・トランスミッション」レイアウトでもある。1980年代に「越せない壁」だったブランドイメージも、今では身につけている……どころか、GTーRは世界にその名が知れ渡る、カリスマ・スポーツカーの一台だ。(中古価格暴騰や盗難多発は迷惑だけど)

そんなわけで、1985年、1987年の東京モーターショーの熱狂を知る「昭和50年男」たちは、「GTーR」の名を聞くたび、今も心の中で「MID4 MkIII」の幻を見ているのである。

ていうか日産自動車様、横浜でも座間でも武蔵村山でもいいですからさっさと「ニッサン博物館」作って、MID4のIとIIをきちんと常設展示してください。(もし空きがあったら、ステルビオも飾ってあげてください)

もしも、自動運転が普及したら

結論を言うと、人間のモラルがますます問われる事になるかもしれない。
自動運転はコンピュータによるプログラムなので、人間的な行動は出来ないためどうしてもぎこちない物になる。すると仮に人が運転しているクルマに混じったりすれば人間が乗るクルマが自動運転のクルマを煽る事態に繋がりかねない事も……
また自動運転が普及するということは街の信号や道路もそれに最適化した物に変更されたりするだろうし、更に技術が進んで自動運転車同士がネットワーク等を介して通信して安全に走れるようになると、ネットワークに当然接続できない人間の運転がイレギュラーすぎて人間が逆に事故誘発の大きな原因になる可能性が否定できない。本当にもしかしたらであるが、車間距離をギチギチに詰めて渋滞時でも多く車が入れるようなプログラムが組まれると、四方をガチガチに固められた人間が安全な運行を担保できるか保証できない。
さらに万が一ハッキングされたりして制御不能になり事故を起こさせたりしてテロの標的に使われる可能性もあるだろう。今後はそうしたセキュリティー面の対策も必要かもしれない。

もしも、アイルトン・セナが生きていたら


1994年5月1日、レース中の不慮の事故によりイモラの地にて34年という短い生涯を閉じる事となったアイルトン・セナ。だが、もし彼をイモラの悲劇で命を失わせる事もなくその後も生き延びるさせる事が出来たらば?
なかなか、色々タブーにも触れそうな感じだが、多くのファンの中にも「セナが生きていたら……」と願う声も多いのも事実だ。
そこで、ここでは彼を生存させられるかもしれない「もしも」のシナリオを3つ考えてみた。少し筆者の妄想と感情が入っているので話は長くはなってしまうが、今は亡き彼への想いとして受け取って付き合ってもらいたい。


まず1つ目がインディカーへの移籍シナリオだ。
実は、史実でも1992年に、セナはマクラーレンと同じマルボロをスポンサーとするペンスキーチームのインディカーに試乗した事があった。
同じく92年の終わりにF1界から一時期去ったマンセルも一度インディへと行ったのだし、先輩のブラジル人ドライバーであるエマーソン・フィッティパルディ氏も先でそこで活躍し、実際ペンスキーのマシンにセナが試乗したのも彼が誘った事で実現した。
チームはもちろんマルボロカラーのペンスキーに入ってもらい、そこでインディのフランクな空気と、F1界で先に活躍したブラジル人レーサーの先輩であるエマーソン氏がチームメイトであるというF1よりも過ごしやすい環境の元で過ごしてもらう事になる。
このシナリオとしてはマンセルと同じく93年にインディへと転向、マンセルと第2のバトルを繰り広げつつもインディの空気に馴染み、インディでの走り方も先に活躍している先輩ブラジルドライバーであるエマーソンの教えを受け、さらに母国ブラジルからの応援も受けて活躍。
1994年からホンダがインディに参戦してくるためペンスキーのマシンにホンダエンジンを載せてもらうか、ホンダエンジン搭載のチームへの移籍も考えうる。いずれにせよ、インディに移籍する事により、結果的にイモラで命を散らせる事もない。
問題としては93年以降のF1に参戦しない事で、史実でのプロストとの最後の戦いがなく、雨のドニントンの快走とかの93年以降に見せたセナの活躍が無かった事になる事と、1998年にツインリンクもてぎ(現在のモビリティリゾートもてぎ)でのレースが開催されるまで日本にて彼を見る事が出来なくなるという点だろう。
特にセナにとっても最大のライバルのプロストとの最後のケジメをつける事が無い事になれば、その後のプロストとの関係性も途絶えたままになるかもしれない。
また、当時のインディの方も安全面に課題を抱えており、実際、92年には同じくインディに参戦した元F1ドライバーのネルソン・ピケも重傷を負う事故が起きたし、90年代だけに絞ってもジョビー・マルセロ、スコット・ブライトン(ブレイトン)、ジェフ・クロスノフ、ゴンザロ・ロドリゲス、グレッグ・ムーアと、5人の事故による死者を生んでしまっており、史実でセナが乗っていたF1マシンよりも安全性が低いとも言い切れる。
だから、彼がF1に出る事がなくイモラの悲劇を避けれたとしてもインディの方で命に関わるような重大な事故に合ってしまう可能性は大いにある。
さらにチャンプカー(CART)とインディ(IRL)の分裂騒動の影響をどう受けるのか、またセナが不在になる事で史実よりも早くF1人気が下がっていき、さらにインディとF1の人気が逆転する事になればフジテレビのF1中継は無くなりインディカー中継の方をやっている可能性もあり得るなど、大いに今と状況が異なっている可能性も大きい。
それにセナ自身が、インディの世界がF1よりも魅力的な世界だと感じられるかどうか?事実、インディ移籍の話も白紙へとなってしまった訳だし、万が一移籍したとしても2年間くらいでF1の方へ戻ってしまうかもしれない。でも、少しは安全性が増した95年以降に戻る事で存命出来るメリットもあるが。
↑1998年に日本で初開催されたツインリンクもてぎ(現在のモビリティリゾートもてぎ)でのインディ。果たしてセナがインディの方へと移籍していたら彼もこのレースに参戦していただろうか?

2つ目はイモラの悲劇に“奇跡的にも”セナが巻き込まれなかったシナリオ。
セナの代わりに誰かが犠牲になってもらうという心が痛むような事をしなくてはならないが、1994年のイモラの悲劇に彼が巻き込まれる事なくF1に参戦し続けるというシナリオだ。
恐らくはシューマッハの勢いとウィリアムズFW16の乗りにくさで1994年シーズンのチャンピオンを取る事は難しいだろう。だがその後のシーズンで一回チャンピオン取れるか取れないかして、史実ではセナの元チームメイトであるゲルハルト・ベルガーが引退した97年前後に引退する形を取るに違いない。
もちろん、このシナリオだって問題はある。史実ではイモラの後もモナコGPの予選中でカール・ベンドリンガーが負傷する事故が起きている上に、イモラを避けてもその後のどこかの別のサーキットで負傷、最悪命を落とす可能性もあるという事だ。それどころか、最悪F1の安全規定にメスが入るのが遅れることで最終的にグループBの二の舞などという結末すら有り得る。何せ「セナが死んだ」こと自体が多方面に大きな影響を持っていたのだから。
また、そもそもセナ自身、イモラの悲劇を回避出来たのかどうかも怪しい。セナが最後に乗ったFW16も欠陥を抱えていたと言われる事もあると言われているが、このマシンを生み出したエイドリアン・ニューウェイはマシン自体に問題は無かったと否定している。
もちろん認めてしまえば製造者責任を取らされる事になり彼が生んだ他の素晴らしい功績や名声も失いかねないから、決してチームが悪かったと言いたくも無いが……。
それでもセナを94年以降のF1に出場させつつ、イモラの悲劇を回避出来る可能性を少しでも上げるならば94年もマクラーレンに留まってもらうというシナリオが考えられる。
ただ、既にホンダエンジンを失っていて戦闘力も落ち始めていた当時のマクラーレンにセナが残る可能性は低いというしか無い。
実際、史実で選んだプジョーエンジンはたびたび火を吹いてリタイヤする自体が起こっていたし、前年の93年にもランボルギーニV12を搭載したテスト車両も制作、テストではセナ・ハッキネン共に絶賛したのだが、万が一プジョーではなくランボルギーニの方を選んだとしてもレースでの結果、シューマッハとのチャンピオン争いを争えるかどうかも怪しいところであろう。

マクラーレンがダメならウィリアムズ以外のチームへ移籍するというプランもあるが、まずライバルであるシューマッハがいるベネトンには行かないだろうし、まだチャンピオン争い出来る競争力があるとは言えないフェラーリなども可能性は低い。
やはりセナはチャンピオン争い出来る競争力のあるマシンを持つチームに入りたいと思うから、ウィリアムズ以外のチームに入る事自体考えていないという事になるだろう。
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。↑セナがイモラの悲劇で散る事がなくその後もF1界に留まっていたらば、ライバルであるシューマッハはどう思ったのだろうか?シューマッハの後の評価や人生すら変わっている可能性も大きいだろう。

3つ目は2つのシナリオと比べるとちょっと荒唐無稽ながらもいっその事、フォーミュラ以外のカテゴリーや日本のモータースポーツ界に行ってもらい、さらにホンダの専属ドライバーとしてさらに密接な関係を築くシナリオだ。
93年シーズン終了後にホンダがNSXの開発に協力した彼に、NSXのでのル・マン24時間レース挑戦にも協力を打診。セナはプロストと同じくF1を引退し、今後はレース用のNSXの開発にも携わっていくというシナリオだ。F1ドライバーとしては引退してしまう事にはなるが、こちらもイモラの悲劇を避ける事も出来る。
また、1つ目のインディ参戦シナリオと並行でインディに参戦しながらも、第2.5期と呼ばれるホンダが将来に向けて独自にF1参戦計画を練ってRC-F1 1.5Xなどといったホンダが独自に制作していた試作車両でテストしていた頃に、セナが実績あるテストドライバーとしても開発に協力する、という展開もあり得る。
F1チャンピオンとしてホンダのマシンにも乗った経験もある彼が、将来のホンダのF1開発計画に経験豊富なドライバーとして関わるとなればその後のホンダのF1の歴史も変える可能性も秘めているであろう。
そこで更なる選択肢としてホンダの専属レーシングドライバーとして日本のモータースポーツ界への参戦という展開も十分あり得るだろうか。
94、95年はNSXのドライバーとしてル・マン24時間レースに参戦、96年からは全日本GT選手権に参戦するNSXに彼を乗せて参戦させると同時にフォーミュラニッポンにも参加。さらに可能であるならばJTCCの方にもアコードに乗って参戦させる展開だって考えうる。

そして、上の第2.5期のテストドライバーとしての活動も並行して行いながらも最後は2000年に復帰するホンダF1チームのアドバイザーとしてF1界に再び携わる、というシナリオである。
F1を引退したとしても日本のモータースポーツの世界でしばらく彼の姿が見られるという日本人である私達には魅力的なシナリオであり、
特に全日本GT選手権のNSXの歴史に市販のNSXの開発に関わったセナを関わらせる事で、史実よりも早くチャンピオンを取る可能性を秘める事と、フォーミュラニッポンにて将来のF1ドライバーや日本のレーサー達とのバトルを繰り広げる姿が見れるという可能性など、90年代中盤〜後半頃以降の日本のモータースポーツの世界に、バブル期に日本のF1ブームを扇動したセナがいるという事によって、想像もつかないような展開や史実よりもさらに日本のモータースポーツ界が活性化しているという状況へと進む事があり得るという夢がある。
ともかく、このシナリオではセナがホンダの専属レーシングドライバーというポジションを務める事で、ホンダが生んだ様々なレーシングマシンをF1でホンダのマシンに乗って王座を得た彼が駆るという展開は十分良いものでは無いだろうか。
これを叶えるにはこの頃のホンダが史実よりもF1以外のモータースポーツの活動をより積極的に行う必要はあるし、こちらもインディ移籍シナリオと同様、F1に変わる魅力的な世界だと思えるかどうかも怪しいが。
それでもどうしても難しいのであれば、95年にル・マンに参戦するマクラーレンF1にセナを乗せるというプランもある。
ただ、まだマクラーレンF1が本格的にGT1のレースに参戦していない94年シーズンをどう過ごさせるの?という問題がある。
そこは1つ目のプランであるインディ参戦と組み合わせてインディ参戦と並行でル・マンの方に関谷さんがいた国際開発UKレーシングのドライバーとして参戦させるという考えになる。これならモナコGP、ル・マン24時間、インディ500の世界三大レースを唯一優勝しているグラハム・ヒルに続く2人目のトリプル・クラウンを獲得できる可能性もあるのだが、セナ自身は2人目の三冠王者になりたいかと言うと答えは「NO」の方が大きいかもしれないが。
↑フォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権など、セナが死んでしまう前後に変化と共に盛り上がりを見せていた日本のモータースポーツ界。そこに日本のF1ブームを扇動していた彼がいたらば?史実よりももっと盛り上がり、予想外の展開やドラマも起きていた可能性もあっただろう。


ともかく、死後もなお、セナの人気は耐える事無く、ブラジルの国民的英雄であると考えると、セナはいずれかのシナリオを辿らせてレーサーとしても引退した後は、母国ブラジルのために尽くしていたかもしれない。ブラジルのレース界や自動車業界に携わるようになるだろうが、あわよくばその国民的人気を持ってブラジルの大統領になるのも悪くないだろう。親日家であるセナなら今よりも一層日本との交流も深かったろうし、2023年に起きたブラジル大統領府を襲撃した暴動も起きなかったかも……?


だが、もし彼が今でも生きていたとすれば現在のようなあの『永遠に人々の記憶の中で生き続ける英雄』というイメージは湧くことはないだろう。
もちろん、セナのライバルで今も存命しているプロストやマンセル、シューマッハだって偉大なドライバーだし、セナよりも前に活躍したラウダやジム・クラーク、ジャック・ブラバムといった既に今の世にいないチャンピオンドライバー達も十分偉大だ。
しかし、セナには彼らを上回るような魅力、スター性、知名度、ドラマなど様々な点がある、唯一無二の存在として扱われている。死後から30年経った現在でもなお、セナの乗ったF1マシンが様々なメディアで取り上げられるし、今なおセナの関連グッズや模型が出ている事を思えば理解出来る。もちろん先に挙げたドライバー達にも同じようなものもあるが、圧倒的に絶対的な知名度としては今なおセナが上回る事は間違いない事実だ。

それにそもそもセナ自身の存在が21世紀、令和の現代社会に適合するかどうかも怪しい。
無論、現代の私達と同じく、スマートフォンを持ってSNSに写真を投稿し、コメントしたりする事は彼にも出来なくはなさそうだが、セナが唯一無二の存在として今でも色褪せる事なく讃えられており、セナがセナ自身らしくいられたのは様々なコンプライアンスとかで縛られている21世紀の現代ではなく、今と比べれば寛容である20世紀末のバブル期の頃の80年代後半〜90年代初頭の時代に活躍し、『世界で一番速い男』として生きた人間だったからでもあろう。
そんな『世界で一番速い男』の活躍を、同じく夢の中に包まれていたバブルという時代の中で共に生きた人々は「一つの夢物語」として受け取った。今では彼と同じ、いや超えるような偉業を成し遂げてもどこか暗い世の中の雰囲気の中で、何か否定的、アンチな意見も言われてしまいかねないだろう。
それでも実際、セナも生きていた頃も「どうすれば自分らしく、生きていけるか?」と迷い込んでいただけに、彼にとっても21世紀の現代社会は窮屈に感じ、ますます思い悩むであろう。
もし仮に生き延びてレーサーとして引退し、21世紀の世界を生きたとすれば、財団の運営は息子達などに全て任せて、世間の目に晒される事を嫌って表舞台に出る事もなくポルトガルのアルガルベのキンタ・ド・ラルゴにある邸宅に篭って裕福に過ごしているに違いない。
しかしそれでも時代が進歩し次々と後の世に現れたドライバー達が彼の記録を追い抜いて『過去の人』として人々、特にセナの現役時代を知らない若者たちとかがそう記憶するようにもなっていき、さらに年を重ねるたびに老いていく自分の姿を見て耐えられるかどうかも怪しい。実際、我々でも年老いてヨボヨボに衰えた体となり、杖をついて歩くセナの姿を想像する事すら恐れ多いと思うし、誰もそんな姿を見たいとは思えないだろう。
↑セナさんが生きていたら?と言うことでAIによる写真加工で年を取らせた想像図。

実際、セナがドライバーとして生きた10年間はF1、いやモータースポーツ界全体や、それを取り巻く世界情勢も目まぐるしく変化していた。
それでも彼は貪欲に常に自らの速さを示す事が出来る最高のコンディションにしがみつこうと、「音速」以上の速さで変わりゆく時代の変化についていこうとし、その時々に変わる最強のチームでのシートや、ホンダエンジンといった最高の技術などを手にしてきた。
しかし時の流れは残酷で、彼が最後に欲しがった最強のマシン、ウィリアムズルノーのマシンのシートに座った時は既にマンセルやプロストといったライバル達を王者へと導いたハイテク技術が規則によって禁止され、羽をむしられた状態だった。
それでも速い事は速いが、どうにも彼でも扱う事が難しかった。さらにそこに勢いを増す新たなる世代のライバルであるシューマッハを止める事が出来ず、叶わないかもしれない。マンセル、プロスト、ホンダなどF1バブルを共に支えた象徴はもう既に94年のF1界には無く、もうセナも世代交代の波に飲まれて消えるだけか。しかし、それでも衰えた姿を見せたくはない……。
だから、不謹慎かもしれないが彼が衰える姿を見せる事がなく最期まで“英雄”としてあり続けるには、『自らが望んだ最強のマシンに乗ったまま“あの世”へと行ってしまった』方が相応しかったと言うしかない。それも、後に新たな時代を築く事になるシューマッハの目の前、「後は任せたよ」と言うように……。
セナはそう思っていたかどうかはさておき、現代に近い時代に生きた人間にしては、死に関しての様々な解釈や、こうした「IF、もしも話」などの話が湧いて出るのはなかなか無いだろう。本能寺の変で死んだ織田信長や、志半ばで暗殺された坂本龍馬のように、現代に近い時代の人物でありながらも数百年前の歴史人物のように語れる存在、それがセナであろう。
そうでもしなければ、史実のように『永遠に輝き続ける英雄』として多くの人々が記憶し、そしてここまで後世まで世代を超えて語られる事も無かったのだから。
↑後の時代のワールドチャンピオンであるルイス・ハミルトンもセナを『永遠のスーパーヒーロー』として崇拝しているのも、セナが今を生きる事がなく散っていったからでもある。時代の枠に囚われずに、永遠に輝き続ける唯一無二のF1ドライバーとして現在も語られているのもそれがあってこそなのかもしれない。

もしも、日本の高速道路が無料になったら


結論を言うと、それは到底、無理な話である。
そもそもなぜ日本の高速道路は有料なのかと言えば、建設費などの借金を料金収入によって返すため。しかし、近年は高速道路も老朽化が進み、その補修のための費用も膨らんで来ている。無料にしたらその補修も出来なくなる。
当初は高速道路の有料期限と借金の返済期間を2065年までと決めていたが、なんとこのたびその期間を最大2115年まで延長する事になった。なんとドラえもんが生まれる年+3年も有料なのであり、我々が生きているうちは到底、無料にはならないという事だ。
というか、2115年になっている時、いや迎える前にもしかすると恐らく自動車に代わる交通手段が出てきているか、最悪日本が戦争か天変地異で滅んで高速道路自体が無用の存在と化している可能性もあり得るのだが……。そんな先伸ばしにして良いものか⁉︎

もしも、日本の公道でレースを行ったら


ご存知の通り、これはもしもじゃなくて本当に叶ってしまうかもしれない……というかもう実現している話である。
2024年に電気自動車のフォーミュラマシンのレースであるフォーミュラEが東京で開催された。だが、コースの大半はビッグサイト東ホール近辺の駐車場付近が中心であり、公道走行区間もそんなに多くはない。
ちなみにそもそも実はそれよりも先に2020年に島根で公道レースは開催されているし、レースとしては別の競技だろうが既にWRCの日本ラウンドで公道を舞台にしている。

これを機に、日本のトップカテゴリーのレースとかでも公道でのレースラウンドが実現して欲しいが……。

もしも、ネバダの砂漠からニューヨークの会場までF1マシンで走ったら


レッドブルF1の2023年シーズンの新車、RB19の発表のプロモで、RB19が会場のニューヨークを目指してネバダの砂漠から走って向かうという演出がされたが、約36時間の経由時間が掛かったという。
これって本当にやったら出来んのか?ちょいと「空想科学読本」的に考えてみた。
まず、ネバダ州からニューヨーク間を「I-80 E」経由で実際走ると、約40時間かかる。これは普通の自動車で走った場合なので、約4時間の差だ。F1マシンと普通自動車でこんな僅かな差しかならないのか?と思う。色々寄り道とか、渋滞にもあっているのだが、もっと掛かっても良いと思う。
よくよく考えるとライトも装備してない、無灯火の状態であるF1マシンで、平然と夜間走行していたりとか、色々突っ込みどこがある上に、マシンに給油を行う場面が無かったが、一体どうやって給油したのだろうか?(もしかすると各地の最寄りのエクソンモービル系列のスタンドにピットクルーが待機して給油を急ピッチで行っていった可能性もあるだろうか。)

ちなみに、レッドブルのF1でアメリカ大陸を横断するというこのシチュエーション、「The Crew 2」を思い出した人もいるではなかろうか?

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