ホンダ RA271 '64 | ||
メーカー | ホンダ | |
---|---|---|
英名 | Honda RA271 '64 | |
年式 | 1964 | |
エンジン | ホンダRA271E V型12気筒 | |
タイプ | レーシングカー フォーミュラカー | |
カテゴリー | Gr.X | |
PP(初期値) | XXX | |
総排気量 | 1,495cc | |
最高出力 | 220ps/XXXXrpm | |
最大トルク | XXXkgfm/XXXrpm | |
パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
駆動形式 | MR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 3,710mm | |
全幅 | 1,625mm | |
全高 | 800mm | |
車両重量 | 525kg | |
重量バランス | XX対XX | |
トランスミッション | 6速 | |
最高速度 | XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい) | |
登場 | 未実装 | |
備考 | 日本とF1の繋がりはここから始まった。 ホンダF1挑戦、初めの一歩。 |
概要
ホンダが1964年のF1世界選手権に参戦するために開発されたRA271は、日本初のフォーミュラ1マシン。日本とF1との繋がったが、歴史はこの一台から始まったと過言ではないだろう。第一回の東京オリンピックが行われた1964年(昭和39年)第6戦ドイツGPでデビューし、同シーズンの3戦のみに使用されたが、最高位は13位に留まり、優勝を果たす事はなかった。
しかし、当時のホンダは四輪メーカーとしては最近市場参入を果たしたばかりで、世界から見ると『ホンダと言えばバイクの活躍や実績は知っている。だが、四輪の方はあまり知らない』という状況であった。そんな中でもホンダの創業者の本田宗一郎は『四輪でも頂点を目指す』としてF1に乗り込み、既に実績のあるフェラーリやロータスと同じグリッドに並んだのだからスゴい。当然、今のレッドブルF1の活躍はもちろん、このマシンから約24年後に登場するホンダのF1マシンも全てこのRA271あってのものと言える。
そんなホンダが手掛けたこのマシンは、オートバイのように横置きされたV12エンジンを搭載し、世界の度肝を抜く。高回転・高出力でライバル達を圧倒したが、車重の重さや整備性の悪さ、そして経験不足が課題点であったのだった。しかし、その後翌年にF1初勝利を遂げるのだから、ホンダの技術屋魂ここにあり、と言えるだろう。
実はそもそも当初は当時F1で有力なチャンピオンチームだったロータスにエンジンを供給する形での参戦だったが、一方的に契約破棄された。だがそれでもF1に出たい思いは変わらず、自力で参戦してしまったのである。これもある意味、すごい。
ちなみに、これよりも前にプロトタイプモデルとしてRA270が存在している。だが、その時のカラーリングは宗一郎のリクエストで金色に塗られていた。ところが、実戦に出すのに南アフリカのナショナルカラーと被るとして却下されてしまった。そこでアイボリーを提案するがこれは銀色をナショナルカラーとしているドイツと見分けづらいということで日の丸を追加し「アイボリーに赤丸」という日の丸の国旗をそのまま模したカラーとなった。
なお、当時チームオーナー兼ドライバーとして活躍していたジャック・ブラバム氏もホンダに注目して早くも関係を深めていき、お忍びで日本に来日し、このマシンのテストを行ったそうである。
そんなホンダが手掛けたこのマシンは、オートバイのように横置きされたV12エンジンを搭載し、世界の度肝を抜く。高回転・高出力でライバル達を圧倒したが、車重の重さや整備性の悪さ、そして経験不足が課題点であったのだった。しかし、その後翌年にF1初勝利を遂げるのだから、ホンダの技術屋魂ここにあり、と言えるだろう。
実はそもそも当初は当時F1で有力なチャンピオンチームだったロータスにエンジンを供給する形での参戦だったが、一方的に契約破棄された。だがそれでもF1に出たい思いは変わらず、自力で参戦してしまったのである。これもある意味、すごい。
なお、当時チームオーナー兼ドライバーとして活躍していたジャック・ブラバム氏もホンダに注目して早くも関係を深めていき、お忍びで日本に来日し、このマシンのテストを行ったそうである。
解説
本モデルは、今のところグランツーリスモシリーズには未実装となっている。
登場シリーズ
未実装
コメント
- 次のアプデで使いしてほしい -- (名無しさん) 2024-01-31 09:49:50