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日産 シルビア K's Type S (S14) '94

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日産 シルビア K's Type S (S14) '94
Image Credit : PS Blog
メーカー 日産
英名 Nissan Silvia K's Type S (S14) '94
年式 1994
エンジン SR20DET
タイプ ロードカー
カテゴリー N200
PP(初期値) 476.86
総排気量 1,998cc
最高出力 220ps/6,000rpm
最大トルク 27.9kgfm/4,400rpm
パワーウエイトレシオ 5.55kg/PS
駆動形式 FR
吸気形式 TB
全長 4,500mm
全幅 1,730mm
全高 1,295mm
車両重量 1,220kg
重量バランス 56対44
トランスミッション 5速
ダート走行 可能
登場 グランツーリスモ7
備考 日産の解釈違いが産んだ悲運の名車
地味に完全新規収録

概要

ファン待望のS14型がついに登場。山内さんからの予告ツイートでシルエットが公開された当初は「気合い! 気合い!! 気合い!!! それでalright!!」の人が乗っている後期型かと思われていた。しかし、多くの人の予想外となる前期仕様が収録された。しかもオプションだったサンルーフ付きで。タイプSというのは最上級グレードのこと。最下位のJ'sには設定されなかったが、Q'sとK'sには存在していた。ちなみにこの更に上位グレードに「電動ハイキャスパッケージ」もあった。こちらはハイキャスがつくため型式がE-S14ではなくE-CS14となる。

他の作品によく登場するQ'sエアロやK'sエアロというのは95年の一時改良より登場した専用のエアロパーツ付きのグレードであるため、94年式の本車にはまだ設定されていなかった。こちらにもタイプS タイプS電動ハイキャスパッケージのどちらも存在する。

解説

1993年10月、大ヒットを記録したS13型シルビアの後継車として誕生したS14型は、3ナンバーボディにサイズを拡大することで、その人気の継続を図ろうとした。

S14の全幅はS13の3,160mmに対して1,730mmとなり、これにあわせてトレッドも拡大。全長はプラス30mmの4,500mm、全高はプラス5mmの1,295mmと大きなサイズアップはないが、全体のボディラインがソフトになったためか、幅広感が強調されている。ちなみにK'sのタイヤは16インチが標準となった。

エンジンはS13に搭載していたSR20系をブラッシュアップして搭載。トップグレードのK'sには15PSパワーアップした220PS/28.0kgfmのインタークーラーターボ、Q'sとJ'sには160PS/19.2kgfmのNAが搭載されている。サスペンション構成も基本的にはS13を踏襲し、フロントがストラット、リアがマルチリンク。電動スーパーHICASモデルも用意された。

ラグジュアリーさが強調されて、FRクーペとしての魅力をさらに増したS14だったが、1991年に日本のバブル経済が崩壊するとクーペ市場が急速にしぼんでしまい、販売的には苦戦を強いられた。状況を挽回すべく1996年には大胆なマイナーチェンジを実施、エクステリアがソフトなイメージから一転し、つり目型のヘッドランプと大型なリアスポイラーを備えたいかついものへと変更されている。手頃なFR車が希少になりつつあった90年代、その魅力を次世代へつなげたという点で、重要な1台といえよう。

なお、S14シルビアは北米では240SX、ヨーロッパでは200SXの名前で販売された。1999年に7代目へとバトンタッチした。

登場シリーズ

グランツーリスモ7

中古車ディーラーで購入。何気に完全新録。
中古車ディーラーでCr.6,000,000で販売されているが、カプチーノのときと違ってアプデしたその日から購入可能だった。ワイドボディもカッコイイ。

ワイドボディにすると選べるエアロのデザインが変わるのも特徴だが、ノーマルボディのフロントエアロBとリアエアロAはディーラーオプション品のナバーン製純正エアロ('95年以降、エアロバンパーとリアスポイラーはエアログレードに標準)。雨で豆腐屋のハチロクに挑んだ 赤城レッドサンズの若手のあの人 にするならこのエアロで。
当初はエンジンスワップ不可だったが、次のアプデでスワップ可能に。ドナー先はC7コルベットのLT5エンジン。86やBRZもこれを載せられるようになったが、やはりトルクフルなアメリカ車のエンジンのパワーは強烈。ぜひフルチューンしてシルビア・シスターズに再挑戦してみよう。

何故3ナンバーとなったのか

よく巷で言われる話がある。「スポーツカーだから大きくしなくても良かった」と……。これはほぼ同時期のR33 GT–Rにもそう言われるのだが、シルビアにはまた違う事情があった。

S13が大ヒットした理由はバブル期かつ低価格というものあったが、当時あの車はトヨタのハイソカーに対抗するために作ったスペシャリティカー。ホンダ・プレリュードと共に「この車でナンパをすると成功する」という風の噂まで出るほど世の男たちは「デートカー」としてこぞって購入した。
スポーツ走行方面に広がるのは実は割と後年になってからで、使い潰された中古を「とにかく安いFR」としてスポーツ走行に興ずる若者達が購入し始めたことに由来する。新車も数は少ないながらも居たものの、大体の若者はその溢れんばかりの中古に流れたS13シルビアを購入していった。

そんなヒット作の後継とあらば、次の世代もキープコンセプトで作られるのが一般論。……だが、この当時の日産は市場の把握を誤っていたのである。
当時、デートカーやスペシャリティカーの市場はパジェロやCR–Vに代表されるRV車、レガシィやステージアに代表されるスポーツワゴンといった車種が占めるようになり、従来のセダンやクーペはもはや時代遅れとなりつつあった。しかし、S13は内に秘めたスポーティ性が幸いして人気を失うことなく、その晩年をスポーツカーとして新車から中古車まで駆け抜けることになる。

ところが、日産は「S13はスペシャリティカーだったから次の世代はもっと高級路線にしよう」という方向に持って行ってしまう。
それと同時に、メインマーケットであるアメリカの大幅に引き上げられた衝突安全基準に合わせてボディサイズが拡大された。当時は横衝突の基準を満たすためには全幅を拡幅する事が手っ取り早かったのだ。これは当時、同様にアメリカでも販売するライバル車であったセリカやプレリュードも同様に3ナンバー幅に拡幅されている。安全性のために拡幅された証として、S13とS14の室内の横寸法は変わっていないどころか、S14の方が5ミリ減少しているのだ。

そしていざ発売してみると市場からは不評。RVが主流のデートカー市場に、時代遅れのクーペが入り込む余地は残されているはずもなかった。
そしてS13末期の頼みの綱だったスポーティ路線も、水太りしただらしないボディではその筋のユーザーには受け入れられず、挙句の果てに吊るしでの加速勝負では先代のK'sに負けるという残念な動力性能となっている。
結果としてS14は「スポーツカーになりきろうとしたスペシャリティカーの成れの果て」という、お世辞にも好感触とは言い難い評価を受けるに至ってしまった。

S14のスポーティ路線が開拓されるのはそれから暫くしての話。きっかけとなったのは、「CARBOYドリフトコンテスト」で織戸学がS14の大柄なボディを活かして迫力のあるドリフトを演じて他者を圧倒したことであった。
その後織戸の真似をしてS14を買った人々により「S13と違ってリアタイヤが喰うので速いドリフトができる」「しかもアングルを多少付けすぎても幅広ボディのおかげか持ちこたえてくれる」「GT2540との相性が良くてちょうどいいパワーとトルクになる」など、ドリフトとの相性が良すぎる事が発覚。
今までAE86改スーパーチャージャー仕様でブイブイ言わせていた広島の谷口君すら「S13だったらSCの86でカモれたけど、周りがS14に乗り換えたら逆にカモられてS14への乗り換えを決意した」ほどである。なおこの谷口君、後々日本を代表するレースドライバー*1になったというのは割と有名なお話。

それ以降S15が発売されるまで、ドリフトの勢力図は「S14vsその他」という形となり、シルビア系ならではのチューニングベースとしての素性の良さと売れ残っていた事もあってS15登場後も中古でも買いやすい車種となって愛されるようになった。良かったね。
他方では3ナンバー化による直進安定性の向上に着目し、意外な分野としてドラッグレースや最高速にも起用されることが多かった。というのも、受けが悪かったのは「峠を攻める」ような走り屋であり、湾岸で飛ばすような走り屋やチューナーには一目置かれていたのである。
option総帥であるDaiちゃんこと稲田大二郎が「自身もドリフトデビューしたい」と新車で購入。S14で谷田部を走り、タイムは出なかったが、3ナンバー化の恩恵をを評価し「先代より剛性も高速域の安定性も強いかもしれん」と評価。この評価を聞いたチューナー達はこぞってS14を購入し、埠頭のドラッグレースを中心に人気を博す事となったのである。今ではドリフトの名門であるBee☆R(ビーレーシング)も、ドリフトに関わるきっかけとなったのはドラッグ用に開発したS14だったりする。映画「ワイルドスピード」なんかでもドラッグレースで活躍を見せていた。

……と、このような具合に一部でしか盛り上がっていなかった「シルビアのスポーティ化」を推し進め、名実ともに「スポーツカーとしてのシルビア」を定着させた記念碑的存在でもあるのだ。
また不人気モデルとして印象強い本車だが、販売台数で言えば高評価を受けている後継S15はもっと売れていなかったりする。

また、1996年からニスモがプライベーター向けに販売できる車両の開発と将来のトップドライバーを育成するという目的から、GT300クラス向けの車両としてS14シルビアを投入。後にエースドライバーとして名を馳せる本山哲と井出有治、織戸学などが乗り、1997年にはシリーズチャンピオンを獲得している。

コメント

  • GT7始めて3日目、これが中古で出てて思わず買ってしまい -- (1000) 2024-08-01 21:58:32
  • 前期型のぼんやりした楕円ヘッドライト結構すき -- (名無しさん) 2024-11-12 05:57:29
  • アメリカンV8詰めるけど、サスのアプデ入ってから最高速でのセッティング使い物にならなくなってしまった -- (名無しさん) 2024-11-12 08:34:56
  • 柊つかさ、もしくはシュポガキの左 -- (名無しさん) 2024-11-13 14:13:22
  • ↑唐突ならき☆すたやめてもろて -- (名無しさん) 2024-11-13 14:47:06
  • 湾岸にもこねーかな~ -- (名無しさん) 2025-01-29 23:33:59
  • シュポガキ実装おめでとうございます(場違い) -- (名無しさん) 2025-04-22 21:24:53
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注釈

*1 2024年現在SUPERGTのGT300クラスで3度のチャンピオン、S耐では8度のチャンピオンを獲得し、一時期「GT500と同等のテクを持ったドライバー」に特例で認定されていた『谷口信輝』選手の若かりし頃である。