今から半世紀、まだ日本もF1が馴染みが薄い時代で、ダウンフォースといった先進テクノロジーも無かった時代。そんな時代のF1をこのページで少し解説してみたい。
1960年代のF1とは?
この頃のF1は
葉巻型と呼ばれる形のマシンの時代。1957年にクーパーによってミッドシップレイアウトが広まってから間もない時代である。
有力なチームは
フェラーリやロータス、BRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース)、ブラバムなど。特にロータスなどの英国系のチームが強かった時代である。1964年には
ホンダ、1966年には
マクラーレンがデビューしており今のF1にも繋がるチームも登場していた。
この時代を代表するドライバーと言えばジム・クラーク。後の時代で言えば
アイルトン・セナやマックス・フェルスタッペンといった天才ドライバーといったキャラクターである。農家出身の田舎育ちドライバーであり、F1ドライバーになった後も本業は農家だと語っており、そのためドライバー契約は1年ごとに更新していた。
そしてもう一人がジャック・ブラバム。オーストラリア出身の南半球育ちのドライバーであり、彼は自身の名前を冠したチームのオーナーを務めながらもそのチームのドライバーも務め、さらにマシン制作にも携わるメカニックとしても活躍していた、クラークと違った天性の才能を持つ人物である。
他にも、1996年ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルの父親であるグラハム・ヒル。
マクラーレンチームの創業者であるニュージーランド出身のドライバーブルース・マクラーレン。
二輪も制覇した唯一のF1ワールドチャンピオン、ジョン・サーティス。
60年代後半に実力を見せつけていったジャッキー・スチュワート。
アメリカ出身でこちらもチームAAR(アングロ・アメリカン・レーサーズ)を設立した長身のドライバー、ダン・ガーニー………と、現代やセナプロ時代のドライバーにも負けない個性的なドライバー達がいたのだ。
ドライバー達の関係はというと皆、とても仲が良かった。現代のようなチームオーダーもなく、後のセナプロやハミルトンとフェルスタッペンのようなギスギスした関係も無い時代。今よりも純粋にスポーツとしての性格が強く、チャンピオンを取るとしてもあえて最初からそれ狙いの走り方はアンフェアであり美しくないとされており、今でも彼らの栄光が輝きを失わないのもその精神があってこそである。極端に言えば大半のドライバーは
優勝かリタイアか、それだけしか考えずにレースに挑んでいたのだ。
もちろん、安全性は現代よりも劣っており、死亡事故も何件もあった。ジム・クラークは出場していたF2レースの最中に事故死、1970年ワールドチャンピオンのヨッヘン・リント、フェラーリのエースドライバーのロレンツォ・バンディーニ、ホンダRA302に乗って事故死してしまったジョー・シュレッサーなどが散ったのだ。
だが、F1の年間の開催数も今よりも少なく10戦程度(しかもポイントが付く選手権対象レースだと10を切る)で、いつ死ぬか分からないからこそ全力全霊で走っていたのだ。
「スリルがあるからこそ命懸けで挑める。スリルが無ければ楽しくなく、全力で戦えない」というスタンスで戦っていた、スポーツマンというよりコロッセオに赴く戦士に近い心情を持っていたのだろう。
ヨーロッパ以外の力が強まった時代と今に繋がる要素
この時代は特にヨーロッパ以外出身のドライバーやメーカーが目立っていた時代で、ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレンらなどの南半球組とダン・ガーニーはチームオーナー兼ドライバーを務め、今ではマクラーレンは名門チームとして現代にも残っている。
そして、それまで縁の薄かった日本とF1の繋がりを結んだのがホンダの参戦だ。バイクでしか実績を残してなかった東洋のメーカーがヨーロッパのメーカー勢と戦うという挑戦は、ヨーロッパの人々にも強いインパクトを残したはずだ。
そして現在に繋がる要素も次々と生まれた。まずはスポンサー。ロータスがゴールドリーフたばこをスポンサーに付けて、初めてF1界でスポンサーを纏ったF1マシンとなる。ナショナルカラーに染まっていたF1の世界はガラリとスポンサーが彩る時代へと移り変わっていく。
そしてウィング。ダウンフォースの概念はまだ掴み始めていた時代で、手探りを測っていたのだ。
だから、今よりも高い位置に付けたり、フロントにもウィングを付けたりして写真のような異様な姿になる。これがレース中に外れて事故にもなったため高い位置でのウィングが禁止された。だが、それでもF1はよりダウンフォースを求めて更なる発展を求めていった中、葉巻を捨ててクサビ型へと変わっていくのだ。
最後に60年代のF1を語る上で避けられないトピックスを。1966年に公開された映画「グラン・プリ」は当時のF1全体が全面協力して制作された映画である。そこで登場する日本チーム「ヤムラ」のモデルはホンダF1チームとされているが、そのヤムラのマシンを演じたのは当時新興チームであったマクラーレンのマシン。マクラーレンと日本の繋がりもある意味ここから始まったのかもしれない。ぜひ機会があれば見てほしい。
1960年代のF1マシンの一覧