プジョー 905 レースカー '92 | ||
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メーカー | プジョー | |
---|---|---|
英名 | Peugeot 905 Racecar '92 | |
年式 | 1992 | |
エンジン | SA35-A2 | |
タイプ | レーシングカー ミッドシップ ル・マン | |
PP(初期値) | 685 | |
総排気量 | 3,490cc | |
最高出力 | 520PS/11,000rpm | |
最大トルク | 35.0kgfm/-rpm | |
パワーウエイトレシオ | 1.44kg/PS | |
駆動形式 | MR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 4,660mm | |
全幅 | 1,990mm | |
全高 | 1,080mm | |
車両重量 | 750kg | |
重量バランス | 49対51 | |
トランスミッション | 6速 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | グループC末期に現れたカウルを纏ったF1 グループC時代の幕引きを行った一台となった |
概要
1991年のSWCスポーツカー世界選手権及び1992年のルマン24時間耐久レース用に開発されたプジョー 905は、プジョー初のグループCマシンで、1991年より本格的に導入されたカテゴリー1規定で製作していた。
バスタブをめちゃくちゃ深く作った為にドアが無いように見えるが、実際のドアはサイドウィンドウ辺りにある。またカウルの中にはノーズコーンもあり、本当にカウルをまとったF1と化していた。
あとサイドミラーは車内にしかなかったらしい。
グランツーリスモに収録されたのは1991年の後半から投入された『905エボリューション1』と呼ばれるもの。前年の初期型からガラッと変わったフォルムは同じ905というよりは別物にすら思えてくるほど。主な変更点は新設計のフロント・サスペンション、フロントウィングの追加、リアウィングの大型化、リアタイヤのスパッツの撤去、ラジエーターへの吸気方法の変更、ヘッドライトのコックピット前への移設、エンジンの改良などで、1992年シーズンに向けて各部軽量化やエンジンの排気方法の変更などが行われた。
1992年のSWC(スポーツカー世界選手権)において、開幕戦のモンツァこそトヨタTS010に敗北したが、ル・マンを含む残り全戦で勝利。なお最終戦にはトラクションコントロールシステムを導入し、予選には新設計のモノコックを導入した『905エボリューション2』が登場。
より先鋭的なデザインへと変化し、その形状から『スーパーコプター』という呼び名が付けられた一方、その異様なフロント周辺のデザインから「史上最も醜悪なCカー」と揶揄されることもあった。しかし予選で実走したところ、エボリューション1よりもタイムが1秒以上も遅く、スピードが明らかに劣っていた。そのため、決勝レースでは実績があるエボリューション1が選択され、エボリューション2は決勝レースを走ることはなかった。とはいえ、この先鋭的なマシンデザインは今WECで活躍しているプジョーのマシン、プジョー9X8にも引き継がれているのかもしれない。
ちなみにこの「タイヤ内側がボンネットから見える」という構造、後々どこかのトヨタ車とかベントレー車で見ると思うが、実はこの3台、デザイナーが一緒だったりする。
このスーパーコプターはまさに先見の明があった先鋭的な一台だったと言えよう。
一方、1992年のル・マンでは1-3フィニッシュという見事な勝利を遂げており、優勝車であるカーNo.1のクルーはD.ウォーウィック/Y.ダルマス/M.ブランドル組であった。
SWCは1992年で終焉したが、SWC規定車、グループCカーにとって最後の出場機会となった1993年のル・マンでも事実上のトヨタとの一騎打ちで1-2-3フィニッシュという完全勝利を収めており、隆盛を保ったグループCカーの時代の幕引きを飾った。
なお、プジョーはグループCの終焉を理由として、1993年をもってル・マンから一旦撤退し、並びにプジョー・タルボ・スポールの活動は終了。この時のプジョー・タルボ・スポールの監督を務めていたのが、後にシューマッハ時代のフェラーリF1チームの監督であり、現在はFIAの名誉会長を務めているジャン・トッド氏である。
一方、プジョーはグループCに代わる国際レースでの活動の場所として翌年にF1のエンジンサプライヤーとして参戦。マクラーレンに供給したが、エンジンがオーバーヒートしやすく度々煙を噴くほどの信頼性の悪さで酷評されてしまうという事態となった。
なお、プジョーは2007年にプジョー 908でル・マン復帰を果たす。
1992年のSWC(スポーツカー世界選手権)において、開幕戦のモンツァこそトヨタTS010に敗北したが、ル・マンを含む残り全戦で勝利。なお最終戦にはトラクションコントロールシステムを導入し、予選には新設計のモノコックを導入した『905エボリューション2』が登場。

ちなみにこの「タイヤ内側がボンネットから見える」という構造、後々どこかのトヨタ車とかベントレー車で見ると思うが、実はこの3台、デザイナーが一緒だったりする。
このスーパーコプターはまさに先見の明があった先鋭的な一台だったと言えよう。
一方、1992年のル・マンでは1-3フィニッシュという見事な勝利を遂げており、優勝車であるカーNo.1のクルーはD.ウォーウィック/Y.ダルマス/M.ブランドル組であった。
SWCは1992年で終焉したが、SWC規定車、グループCカーにとって最後の出場機会となった1993年のル・マンでも事実上のトヨタとの一騎打ちで1-2-3フィニッシュという完全勝利を収めており、隆盛を保ったグループCカーの時代の幕引きを飾った。
なお、プジョーはグループCの終焉を理由として、1993年をもってル・マンから一旦撤退し、並びにプジョー・タルボ・スポールの活動は終了。この時のプジョー・タルボ・スポールの監督を務めていたのが、後にシューマッハ時代のフェラーリF1チームの監督であり、現在はFIAの名誉会長を務めているジャン・トッド氏である。

なお、プジョーは2007年にプジョー 908でル・マン復帰を果たす。
解説
当時のF1と同じ、NA3.5リッターのエンジンの搭載というカテゴリー1のルールに合わせて、NA3.5リッターの80度V型10気筒エンジンを搭載している。
このカテゴリー1のNA3.5リッターというルールは、当時のF1と同じ規定のエンジンにすることでグループCカーで活動するメーカーのF1参入を促し、逆にF1側のメーカーにもグループCへの参入を促すという目論見が見て取れる。
実際、プジョーは94年にF1参戦を果たすのもこのグループCカーでの経験があってこそ進められたものだと言える。
このカテゴリー1のNA3.5リッターというルールは、当時のF1と同じ規定のエンジンにすることでグループCカーで活動するメーカーのF1参入を促し、逆にF1側のメーカーにもグループCへの参入を促すという目論見が見て取れる。
実際、プジョーは94年にF1参戦を果たすのもこのグループCカーでの経験があってこそ進められたものだと言える。
登場シリーズ
グランツーリスモ4
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
コメント
- ぶっちゃけ近年のハイパーカーやVison GTに見慣れると、905エボリューション2もそこまで変な形には見えなくなってくるな… -- (名無しさん) 2024-02-26 14:55:12
- リッジレーサー4のアッソルート最高分岐で出てくるプロトタイプカー、905エボ2が元ネタなのね -- (名無しさん) 2024-08-18 16:56:06
- レースカーははやばいね -- (名無しさん) 2024-08-22 08:22:53
- グランツーリスモシリーズでもでてきたからアセットコルサにも来てるはず -- (名無しさん) 2024-08-22 08:23:23
- たった520psなのが意外 -- (名無しさん) 2024-08-30 11:38:21
- GT4で海外版のみの登場するが何故かシフトアップの速度が異常に遅い -- (名無しさん) 2025-01-15 17:02:16