いすゞ 117クーペ '68 | ||
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メーカー | いすゞ | |
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英名 | Isuzu 117 Coupe '68 | |
年式 | 1968 | |
エンジン | G161W 直列4気筒DOHC | |
タイプ | ノーマルカー スポーツカー 2ドアクーペ | |
カテゴリー | Gr.X | |
PP(初期値) | 342 | |
総排気量 | 1,584cc | |
最高出力 | 120PS/6,400rpm | |
最大トルク | 14.5kgfm/5,000rpm | |
パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
駆動形式 | FR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 4,280mm | |
全幅 | 1,600mm | |
全高 | 1,320mm | |
車両重量 | 1,050kg | |
重量バランス | XX対XX | |
トランスミッション | 4速 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | いすゞを代表する名車。『ハンドメイド・117』との呼び声が高い初期型。 |
概要
いすゞ 117クーペは、1968年に登場したいすゞの2ドア小型クーペで、流麗なデザインを備えた4座クーペである。有名なイタリアのデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロがデザインした流麗なデザインは評価が高く、特にそれを繊細に表現してコストのかけられた初期型は今でも評価が高い一台となる。
解説
いすゞを象徴するフラッグシップモデルとして開発された117クーペの源流は、1966年3月のジュネーヴ・モーターショーでお披露目された117スポルト。117スポルトは同ショーで『コンクール・デレガンス賞』を獲得した。これはデザインが一番優雅と評価された車に贈られる賞で、日本車では初受賞だった。その後イタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレにも出品され、名誉大賞を受賞している。

当時、いすゞだけでなく、あの流麗なボディをプレス機で製造できるメーカーは国内にはなく、ジウジアーロ自身もショーモデルとしてデザインしたが、あまりの反響にいすゞが本気になり、プレス機で何とか作り出せないか?とジウジアーロ側に打診、その結果、ジウジアーロが整形しやすいように多少モデファイした仕様が提示されたものの、最終的にプレス機での製造はいすゞの予算的にもかなり厳しいという結論に至ってしまった。しかし、ベレットに代わるフラッグシップモデルをどうしても欲したいすゞは驚愕の手段を取った。それは『プレス機で大まかなラインだけ作って、残りは板金職人に叩かせて作ってしまう』というもの。それを実現する為に、腕の優れた板金職人を集めた上で、イタリアのイタルデザインから職人が送り込まれ技術指導を行ってから生産が開始された。この為月販50台しか製造出来ず、値段もハコスカやケンメリのGT-Rよりも高い172万円となった。(*1)
1968年12月から1973年3月まで生産されたハンドメイドモデルと呼ばれる初期型は、上記の理由があり3年間で2458台しか製造されず、10年と長いモデルライフと約8万5000台が製造された117クーペの中でもレアとなる。また、ハンドメイドモデル故、個体によってスポットの位置が違ったり、パネルの立て付け等異なっている個体も多いんだとか…