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ヒュンダイ アクセント ラリーカー '01

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ヒュンダイ アクセント ラリーカー '01
Image Credit : sportiveshyundai.fr
メーカー ヒュンダイ
英名 Hyundai Accent Rally car '01
年式 2001
エンジン 2L直列4気筒 ターボ
タイプ ラリーカー
カテゴリー N300
PP(初期値) 479
総排気量 1,998cc
最高出力 304PS/6,000rpm
最大トルク 53.1kgfm/3,000rpm
パワーウエイトレシオ 4.04kg/PS
駆動形式 4WD
吸気形式 TB
全長 4,200mm
全幅 1,770mm
全高 1,332mm
車両重量 1,230kg
重量バランス 53対46
トランスミッション 6速
ダート走行 可能
登場 グランツーリスモ4
グランツーリスモ6
備考 コンセプト時代はヴェルナ(韓国仕様の名前)だった。
チームのいざこざにより歴史から葬られた悲運のラリーカー

概要

1999年発売の2代目アクセント(韓国ではヴェルナ)をベースに、イギリスのモータースポーツ・デベロップメント(以下MSD)が開発し、2000年からWRCに参戦していたマシン。

韓国ではこのモデルからヴェルナの名称で販売されている。
イギリスBBCの番組「トップ・ギア」で取り上げられた際に、静止状態から100 km/hに加速するまで19秒もかかったことなどから、司会のジェレミー・クラークソンとジェームズ・メイに「ヒュンダイ・アクシデント」と皮肉られてしまった。

グランツーリスモシリーズでは4で初収録されたが、次に登場したのは6であった。PSPや5に収録されなかったのは、やはり下記のいざこざが原因だろうか。

解説

セリカでやらかしてカローラでズタボロにされたトヨタの撤退と入れ替わるようにWRCに参戦し、ドライバーは前年にAPRCの二輪駆動部門でクーペ・キットカーをドライブし同点王者となったケネス・エリクソンとアリスター・マクレーのコンビとなる。この年はスポット参戦のみでメーカータイトルはシュコダと同点だったが、順位差で最下位を免れた。
2001年より3台体制に望み、ユハ・カンクネンを招くも結果は振るわず、2002年は順位だけ見ると三菱を上回る4位だったが、各大会では悲惨とも言える結果だった。

結局2003年に撤退。なお、2.0LWRカーの時代に表彰台に上がれなかったのはヒュンダイスズキの2メーカーだけである。

推定1億円の負債

ベテランドライバーでマシンを熟成させ、速さだけはある若手ドライバーを使って勝負に出る、という定番の組み合わせでWRCに臨むものの、本社(ヒュンダイ側)が「勝てない車に金出すのもなぁ…。」と早期の結果を求め始める。その結果、慢性的な資金難に陥り成績は振るわず、さらに出資金を絞るという悪循環に陥る。

結果的にMSDは深刻な資金難に脅かされ、「出ないと罰金。しかし出ても負債が増える。」という究極の2択を迫られる。

この頃のWRCは人気も人気で様々なカスタマーが参戦していた。ということで「まぁこんな事するヤツら居ないだろww」と設定した「フル参戦のチームの(WRC側からの追放宣言を除く)シーズン途中離脱は、1戦につき25万USDの罰金を課す」という規定があり、MSDとヒュンダイはこの書面にサインをしていた。

で結局、活動資金がショートしたため終盤4戦を欠場し2004年以降の活動を終了すると発表。
…つまり、25万x4=推定100万ドルの負債をMSDは負う羽目になったのだ。

そして、この負債を誰が払うかで裁判が起こり、結果的に出資元のヒュンダイが支払うことで裁判は可決するも、ヒュンダイ側は不服とし支払いを行わなかった。

…それから暫くした2014年。事実上の追放となったヒュンダイがなんとWRCに戻ってきた。しかも今度は自社チームで。
WRCのデベロッパーが皆無になりつつあったFIA、なんと前述の借金話を有耶無耶にする代わりに復帰を打診する。興行が不振だからって弱腰になってるような…
2014年よりヒュンダイは復帰。着実に経験を重ね、遂に2019年にはタイトルを取る等、第一線級の活動をしている。

登場シリーズ

グランツーリスモ4

Cr.75,000,000で購入。

グランツーリスモ6

Cr.75,000,000で購入。

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