トヨタ カローラ ラリーカー '98 | ||
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メーカー | トヨタ | |
---|---|---|
英名 | Toyota Corolla Rally Car '98 | |
年式 | 1998 | |
エンジン | 3S-G | |
タイプ | レーシングカー WRC | |
PP(初期値) | 480 | |
総排気量 | 1,972cc | |
最高出力 | 303PS/5,700rpm | |
最大トルク | 52.0kgfm/4,000rpm | |
パワーウエイトレシオ | 4.04kg/PS | |
駆動形式 | 4WD | |
吸気形式 | TB | |
全長 | 4,100mm | |
全幅 | 1,770mm | |
全高 | 1,365mm | |
車両重量 | 1,230kg | |
重量バランス | 54対46 | |
トランスミッション | 6速 | |
登場 | グランツーリスモ2 グランツーリスモ3:A-Spec グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | 3年前の汚名返上を。 1998年に復帰したトヨタ初のWRカー ワークス撤退後も活躍、 あのローブやラトバラ、カッレの父ハリも乗った |
概要

世界ラリー選手権(WRC)におけるセリカのリストリクター違反により、1995年から1年間の参戦停止処分を受けていたトヨタは、自主的な停止期間と1997年後半のスポット参戦を経て、1998年シーズンにフル参戦の復帰を果たした。
WRCが開催される欧州の市場を意識したことや、現場レベルでのベースマシンの小型化についての要望を受け、E110型カローラの3ドアハッチバック(欧州専売モデル)をベース車両に変更。一方でエンジンや駆動系の多くはセリカのものから引き継がれた。セリカと比べてセグメントが1つ小さいことから、ワールドラリーカー(WRカー)規定内でボディワークの部分を大幅に改造出来るようになったほか、主催の世界自動車連盟(FIA)から同一メーカーのエンジンであれば搭載できる特例を取得し、セリカの戦闘力をよりコンパクトな車体に収める事が可能となった。
一方でボディがコンパクトであるゆえにレイアウトの自由度は低く、どうしても機構の多いフロント寄りの荷重傾向にあったり、以前のような規則の解釈の相違によって違反を犯すリスクを徹底的に避けていた事もあって、開発の自由度が狭いという難点も抱えていた。しかし、トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) のチーム力と、カルロス・サインツ/ディディエ・オリオールというワールドチャンプ経験者を揃えた総合力で、三菱・スバルに伍する戦闘力を発揮してみせた。
特に復帰初年度の98年は最終戦のラリー・グレートブリテンまでチャンピオン争いを展開。破竹の3連勝でランキングトップに躍り出た三菱のトミ・マキネンが初日にリタイアし、3ポイントを獲得すればサインツは逆転で戴冠という状況。最終SSまでトップでやってきたサインツはこれでチャンピオン確定…と思ったフィニッシュ地点300m手前でまさかのエンジンブロー(*1)。惜しくも2ポイント差でマキネンに優勝をかっさらわれるという、トヨタにとっては2016年ル・マンに匹敵する悪夢となった。
ちなみに、この時サインツは悔しさから自分のヘルメットを車体へ叩きつけ、リアガラスをかち割った。あまりにも印象的なシーンのため、ファンの間でも語り草となっている。
ちなみに、この時サインツは悔しさから自分のヘルメットを車体へ叩きつけ、リアガラスをかち割った。あまりにも印象的なシーンのため、ファンの間でも語り草となっている。
1999年には、オリオールが勝利こそチャイナ・ラリーで記録した1勝のみながらがチャンピオン争いに関わる活躍をを見せ、存在感を顕示。しかし、トヨタがF1参戦の準備に入るため、このシーズン限りでワークス活動の終了を発表。ちょうど同じ年のル・マンの方でもトヨタ GT-ONEがル・マンの勝利を掴めずにこの年を持って撤退する事にもなっていたので、これは致し方ない事であっただろう。
ワークス活動終了後はプライベーター向けにマシンが供給され、TTEのセカンドチームであるイタリアのプライベーター、グリフォーネから参戦したブルーノ・ティリーがモンテカルロでワークス勢を相手に5位に入ったほか、ハリ・ロバンペッラ(2022年、2023年のWRCチャンピオンであるカッレ・ロバンペッラのお父さんだ)が、フィンランドでコリン・マクレーと接戦を繰り広げた末、3位に入るなどの活躍を見せており、戦闘力の高さは健在。さらに2000年代後半に入ってもプライベーターに使用され、セバスチャン・ローブやヤリ=マティ・ラトバラといった後のWRCのスターたちの初期キャリアでもカローラWRCでの参戦が見られたり、WRC以外ではERC(ヨーロッパラリー選手権)2000年にヘンリック・ルンドガード、2001年にアーミン・クレマーがチャンピオンを獲得している。
またMotoGP王者のバレンティーノ・ロッシもモンツァ・ラリーにおいてカローラWRCを採用していたりと、初期のWRカー車両でありながら長い活躍を見せ、その後のWRCのドライバー達にも影響を与えた偉大なマシンでもある。
またMotoGP王者のバレンティーノ・ロッシもモンツァ・ラリーにおいてカローラWRCを採用していたりと、初期のWRカー車両でありながら長い活躍を見せ、その後のWRCのドライバー達にも影響を与えた偉大なマシンでもある。
ゲーム内解説(GTPSPより)
1997年、新しいWRカー規定に基づいて開発されたトヨタのニューマシンが、カローラ WRCだ。このクルマは実績のあるセリカの基本コンポーネンツを、コンパクトな欧州仕様カローラのボディに詰め込んだマシンだ。エンジンはセリカから引き継いだ3S-G型2Lターボ。Xトラック社製6速シーケンシャルミッションは先進的な電子制御式である。
トヨタは1997年シリーズの終盤5戦を実戦テストと位置付け、第10戦フィンランドでカローラをデビューさせた。本格参戦を開始した1998年、カローラはカルロス・サインツの手により開幕戦のモンテカルロでいきなり優勝。その後もディディエ・オリオールとサインツが1勝ずつして通算3勝を挙げた。こうしてサインツはドライバーズ選手権2位、トヨタはメイクスタイトル争いの2位につけたのである。
小さなエンジンルームに重い鋳鉄製エンジンを押し込んだため、カローラの重量配分は決して理想的ではなかった。操縦性も必ずしも良くなく、初期には信頼性の点でも問題があったが、トヨタはこれらの課題をひとつひとつ解消していった。
翌99年は第4戦から新しい99年型が投入され、信頼性の問題を解決したカローラは安定した強さを発揮した。このシーズンは第11戦チャイナでの1勝のみに終わったが、着実に選手権ポイントを稼いだトヨタは、見事メイクスタイトルを獲得したのである。
頂点に立ったカローラだったが、進化はここで終わる。トヨタは1999年からF1GPへ進出し、WRCでのワークス活動から撤退したのである。
登場シリーズ
グランツーリスモ2
耐久レースのローマ耐久2hoursのプレゼントカーとして入手可能。確率は1/2 。
なお、この作品でのラリーカーは全て架空仕様なので、このカローラは厳密には本車ではない。
なお、この作品でのラリーカーは全て架空仕様なので、このカローラは厳密には本車ではない。
グランツーリスモ3:A-Spec
ラリーイベント内のラリー・チャレンジ・Ⅱのプレゼントカーとして入手可能。
グランツーリスモ4
日本のトヨタディーラー内、レジェンドカーで購入可能。
価格はCr.75,000,000
価格はCr.75,000,000
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
コメント
- セリカよりコンパクトなハズなのに30キロ重くなってる…レギュの影響? -- (名無しさん) 2024-09-27 08:19:37