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2000年代F1の世界とは? - (2025/06/02 (月) 17:20:17) の1つ前との変更点
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*2000年代のF1とは?
**急速なグローバル化と新たな王者達の誕生の時代
&image(https://as01.epimg.net/motor/imagenes/2017/03/31/formula_1/1490975095_668759_1490975779_noticia_normal.jpg)
21世紀を迎えた、2000年代のF1。90年代のように前半と後半で大きく印象がガラリと変わっている。
2000年代前半は復活の狼煙を上げた[[フェラーリ]]とミハエル・シューマッハの時代、そしてホンダや[[トヨタ]]、[[BMW]]といったメーカーワークスが多く参入した年となり、またバーレーンやトルコといった中東地域、中国とかの日本以外のアジア圏にも開催地を広げ、よりグローバルな存在として認知されていくようになった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2020/06/12141457/XPB_2009_HiRes-1280x854.jpg)
2000年代後半はアロンソを皮切りとした新世代ドライバーや多数のチャンピオンが生まれるシーズンに。リーマンショックの影響によるメーカー勢の撤退も相次いだが、現代にも続く勢力図の構図が出来上がっていた。
**皇帝時代と若き王者アロンソ
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/08/24164123/asimg_XPB_1034855_HiRes_126305d6230055d-1280x854.jpg)
1983年以来長くタイトルから遠ざかっていた[[フェラーリ]]は1999年にコンストラクターズタイトルを獲得すると、続く2000年にてミカ・ハッキネンと[[マクラーレン]]・メルセデスとの激戦を見事に制し、2000年にミハエル・シューマッハがドライバーズタイトルを獲得し、[[フェラーリ]]もコンストラクターズチャンピオンに輝くという名門復活を果たす年となった。
その後、並み居る若きチャレンジャーを退け2004年までシューマッハとともに黄金時代を築く。
シューマッハはこれにより最多勝利(91勝)、ポールポジション獲得数(69回)といった歴代個人記録を更新し、2003年にはファンジオの持つワールドチャンピオン5回の大記録を塗りかえ、さらには2004年にはその数を7回まで伸ばし、いつしか彼は"皇帝"と呼ばれるようになった、
そんな"皇帝"が支配をするF1だったが、2005年に大きく流れが変わった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/10/06103005/asimg_d05jpn1376_7b633e2f9d0f748-1280x853.jpg)
レギュレーション改正により勢力図が大きく一変。
[[フェラーリ]]がレギュレーション改正に大きく躓いたことにより、王座から陥落。[[マクラーレン]]と[[ルノー]]の二つのチームが王座に向けてしのぎを削った。
[[マクラーレン]]のエースのキミ・ライコネンと[[ルノー]]のエースにフェルナンド・アロンソよる戦いは安定感の差により最終的にアロンソが勝利。エマーソン・フィッティパルディの記録を33年ぶりに更新する「24歳58日」という若さで史上最年少チャンピオンを獲得した。
アロンソはこの後2006年も見事連覇を果たす。そして同時にこの年アロンソとしのぎを削って戦ったシューマッハがF1ドライバー引退を表明。2010年に復帰するまでアドバイザーという役職として[[フェラーリ]]を支えたのだった。
&image(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/54/Alonso_%2B_Schumacher_2006_USA.jpg)
**チャンピオン乱立。新たなF1スターを求めて
シューマッハが去った後の2007年〜2009年の3年間はなんとチャンピオンが3人生まれ、そして印象に残る出来事が数多く起きる年であった。
2007年、3連覇をかけて[[マクラーレン]]へと移籍したアロンソ。そしてアロンソに立ちふさがったのはライバルとしてフェラーリへ移籍を果たしたライコネンと[[マクラーレン]]の秘蔵っ子としてデビューを果たしたチームメイト、ルイス・ハミルトンであった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/10/19182653/asimg_XPB_216864_1200px_b3634fc2dd859c0.jpg)
チャンピオン獲得へとコマを進めるアロンソだったが、次第に[[マクラーレン]]との間に深い亀裂が生まれていき、ついにはかつてのセナプロ時代を彷彿させる内紛状態へと陥り、さらにはスパイゲート事件によるコンストラクターズポイントがすべて無効という泣きっ面に蜂ともいえる事態になるなど、ゴタゴタが相次いでしまう。
&image(https://s.yimg.com/ny/api/res/1.2/XOMD6yBd77WaiKM6qjgeFA--/YXBwaWQ9aGlnaGxhbmRlcjt3PTY0MDtoPTg5MA--/https://media.zenfs.com/en/pa-sport.com/eae4fff8d9a6b9dc8dec7d0227df5774)
一方の[[フェラーリ]]はそんな[[マクラーレン]]をよそに強いチームワークでチャンピオンへとコマを進め、2007年はライコネンと[[フェラーリ]]が再び王座へと返り咲いた。
ライコネンとアロンソとハミルトンとの差はなんと僅か1ポイントだったという。
そして2008年、汚名返上と[[フェラーリ]]へのリベンジに燃える[[マクラーレン]]はアロンソ移籍により空いたシートに2年目のヘイキ・コバライネンを迎え、同じく2年目のハミルトンをエースとしシーズンに臨んだ。
対する[[フェラーリ]]はライコネンとフェリペ・マッサと変わらぬ布陣で連覇へと挑んだ。
&image(https://formula1-data.com/assets/img/uploads/2020/05/f1-to-stream-2008-british-grand-prix.jpg)
ハミルトンをかわせると思われたディフェンディングチャンピオンのライコネンは不調に陥り早々とチャンピオン争いから離脱。変わってチャンピオン争いへと名乗りを上げたのはなんとマッサであった。
両者は一進一退の攻防を見せてついに舞台はブラジルGPへ。
無条件でチャンピオン決定と言う有利な状況なハミルトンだったが、プレッシャーのせいか精彩を欠きチャンピオンへの道が遠のいていく。
ところが終盤、雨脚が強まったことでドライタイヤで攻めていたティモ・グロックが大きくペースダウン。みるみる差を縮めて最終ラップの最終コーナーでオーバーテイク。参戦2年目で見事チャンピオンへと輝いた。
&image(https://cdn.racingnews365.com/_1125x633_crop_center-center_85_none/Felipe-Massa-Brazil-2008.jpg?v=1646231764)
一方のマッサは優勝こそしたもののチャンピオン争いに1点差で敗北。表彰台で悔し涙を流すこととなった。
**メーカー達の挑戦とリーマンショック
この2000年前半、そして後半では数多くのメーカーがF1へと参戦した。
1992年の撤退以来、[[B.A.R>https://w.atwiki.jp/grasoturismo/sp/pages/1137.html]]と共に再びF1サーカスへと足を踏み入れたホンダ。ブラバムやアロウズで名を馳せ、久しぶりにF1へと参戦したBMW。ベネトンを買収し、97年以来の復帰かつフルワークス参戦を果たしたルノー。[[フォード]]のフルワークス参戦により、その名を響かせた[[ジャガー]]。そしてゼロから夢の舞台であるF1へと挑戦した[[トヨタ]]であった。
特に[[トヨタ]]と[[ホンダ]]の活躍は日本人の心を大きく掴み、日本にとって一つの黄金時代を築いていくこととなる。
&image(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Lap4_Canada2005_Toyota_and_BAR_Honda.jpg)
また、現在のF1でも活躍するチームも、実はこの年に数多く生まれている。
成績不振による撤退により売却されることとなってしまった[[ジャガー]]を買収したことにより生まれた、現在では絶対王者のレッドブルと85年より参戦を続けていた"愛すべき弱小"こと[[ミナルディ>https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/1122.html]]を買収して生まれ変わったトロ・ロッソ(現:アルファタウリ、VCARS)もこの年代に誕生している。
また、資金不足により売却されたジョーダンはミッドランド、スパイカーと名を変え、最終的にはフォース・インディアへと改称。現在の[[アストンマーティン]]まで続く一筋の道として生まれ変わりを果たした。
そして、我々日本人の夢と希望を乗せて走った、純日本チーム「スーパーアグリ」もこの時代に誕生している。
&image(https://f1-gate.com/media/img2020/20200427-superaguri-sa07.jpg)
元F1ドライバーかつARTAの創業者、鈴木亜久里が2006年に立ち上げたこのチーム。当初は多くのゴタゴタが生じたり、マシン開発がうまくいかない事態があったものの、エースドライバー佐藤琢磨の活躍により2度の入賞を果たすなど、新興かつテールエンダーながら地道な活躍を見せていたが、スポンサー料のトラブルや資金問題により2008年に参戦休止を発表。スーパーアグリは復帰することなく参戦を終えることとなったが、2008年はアグリだけではなくF1全体に大きい影を落としていた。
そう。かの有名な「リーマン・ショック」が引き金となった世界同時不況である。
&image(https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSXMZO3506557006092018000001-8.jpg?ixlib=js-2.3.2&w=680&h=423&auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&q=100&fit=crop&bg=FFFFFF&s=bda5dcc7cf2ec57d3466169d4e68ef8b)
FIAは世界同時不況といった事態を打開すべく、2010年に向けて予算制限案を導入してプライベーターの参戦増加を図る。しかし、FOTAの猛反発によるシリーズ分裂危機に陥りあえなく断念となった。ところが、[[BMW]]が撤退し、続く[[トヨタ]]も撤退。[[ルノー]]はエンジン供給こそあれどチームの株式を売却するハメにもなった。
**2009年の奇跡、1年限りのチャンピオンチーム
そんな2009年であったが、レギュレーション大改革により勢力図が大きく変わり、レッドブルといったプライベーターが大躍進を果たした。
そんなプライベーターとして欠かせないのが、撤退した[[ホンダ]]を買収して参戦した「ブラウンGP」である。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/12/17121142/asimg_d09hun1719_a9639d336dc0fea-1280x853.jpg)
[[ホンダ]]時代からチームに携わっていたロス・ブラウン率いるこのチームはジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロといった元[[ホンダ]]のドライバーを引っ提げ、RA109という[[ホンダ]]が実戦に投入する予定だったマシンにメルセデスエンジンを搭載。ダブルディフューザーといった革新的装備を引っ提げ、優れた性能を持つBGP001はデビュー戦となる開幕戦から連勝を飾るという誰も予想していなかった事態が起こる。
後半からは多少不調に陥り、レッドブルの猛追を受けたものの、前半戦の貯金と数多くの入賞を重ねたことによりバトンとブラウンGPはブラジルGPで参戦1年目でダブルタイトルという、現代F1では奇跡ともいえる偉業を成し遂げたのである。
そんな伝説的なチーム、ブラウンGPは[[メルセデス・ベンツ]]による株式購入により、後の絶対王者であるメルセデスへと生まれ変わることとなりたった1年間という僅かな活動期間で幕を閉じる事となったが、撤退したチームの残り物を使って、流浪の身に置かれたドライバーやスタッフ達を王座へと導いた、『現代社会のおとぎ話』のようなストーリーは後世でも語り継がれるであろう。
メーカーワークスによる技術の争い、絶対王者と若き挑戦者、そして世界の情勢に揺れた2000年代のF1、それを4文字でまとめるとすれば「波乱万丈」であろう。
*2000年代のF1マシンの一覧
-[[【その他のクルマ】B・A・R 007 '05]]
-[[フェラーリ F2007]]
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*2000年代のF1とは?
**急速なグローバル化と新たな王者達の誕生の時代
&image(https://as01.epimg.net/motor/imagenes/2017/03/31/formula_1/1490975095_668759_1490975779_noticia_normal.jpg)
21世紀を迎えた、2000年代のF1。90年代のように前半と後半で大きく印象がガラリと変わっている。
2000年代前半は復活の狼煙を上げた[[フェラーリ]]とミハエル・シューマッハの時代、そしてホンダや[[トヨタ]]、[[BMW]]といったメーカーワークスが多く参入した年となり、またバーレーンやトルコといった中東地域、中国とかの日本以外のアジア圏にも開催地を広げ、よりグローバルな存在として認知されていくようになった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2020/06/12141457/XPB_2009_HiRes-1280x854.jpg)
2000年代後半はアロンソを皮切りとした新世代ドライバーや多数のチャンピオンが生まれるシーズンに。リーマンショックの影響によるメーカー勢の撤退も相次いだが、現代にも続く勢力図の構図が出来上がっていた。
**皇帝時代と若き王者アロンソ
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/08/24164123/asimg_XPB_1034855_HiRes_126305d6230055d-1280x854.jpg)
1983年以来長くタイトルから遠ざかっていた[[フェラーリ]]は1999年にコンストラクターズタイトルを獲得すると、続く2000年にてミカ・ハッキネンと[[マクラーレン]]・メルセデスとの激戦を見事に制し、2000年にミハエル・シューマッハがドライバーズタイトルを獲得し、[[フェラーリ]]もコンストラクターズチャンピオンに輝くという名門復活を果たす年となった。
その後、並み居る若きチャレンジャーを退け2004年までシューマッハとともに黄金時代を築く。
シューマッハはこれにより最多勝利(91勝)、ポールポジション獲得数(69回)といった歴代個人記録を更新し、2003年にはファンジオの持つワールドチャンピオン5回の大記録を塗りかえ、さらには2004年にはその数を7回まで伸ばし、いつしか彼は"皇帝"と呼ばれるようになった、
そんな"皇帝"が支配をするF1だったが、2005年に大きく流れが変わった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/10/06103005/asimg_d05jpn1376_7b633e2f9d0f748-1280x853.jpg)
レギュレーション改正により勢力図が大きく一変。
[[フェラーリ]]がレギュレーション改正に大きく躓いたことにより、王座から陥落。[[マクラーレン]]と[[ルノー]]の二つのチームが王座に向けてしのぎを削った。
[[マクラーレン]]のエースのキミ・ライコネンと[[ルノー]]のエースにフェルナンド・アロンソよる戦いは安定感の差により最終的にアロンソが勝利。エマーソン・フィッティパルディの記録を33年ぶりに更新する「24歳58日」という若さで史上最年少チャンピオンを獲得した。
アロンソはこの後2006年も見事連覇を果たす。そして同時にこの年アロンソとしのぎを削って戦ったシューマッハがF1ドライバー引退を表明。2010年に復帰するまでアドバイザーという役職として[[フェラーリ]]を支えたのだった。
&image(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/54/Alonso_%2B_Schumacher_2006_USA.jpg)
**チャンピオン乱立。新たなF1スターを求めて
シューマッハが去った後の2007年〜2009年の3年間はなんとチャンピオンが3人生まれ、そして印象に残る出来事が数多く起きる年であった。
2007年、3連覇をかけて[[マクラーレン]]へと移籍したアロンソ。そしてアロンソに立ちふさがったのはライバルとしてフェラーリへ移籍を果たしたライコネンと[[マクラーレン]]の秘蔵っ子としてデビューを果たしたチームメイト、ルイス・ハミルトンであった。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/10/19182653/asimg_XPB_216864_1200px_b3634fc2dd859c0.jpg)
チャンピオン獲得へとコマを進めるアロンソだったが、次第に[[マクラーレン]]との間に深い亀裂が生まれていき、ついにはかつてのセナプロ時代を彷彿させる内紛状態へと陥り、さらにはスパイゲート事件によるコンストラクターズポイントがすべて無効という泣きっ面に蜂ともいえる事態になるなど、ゴタゴタが相次いでしまう。
&image(https://s.yimg.com/ny/api/res/1.2/XOMD6yBd77WaiKM6qjgeFA--/YXBwaWQ9aGlnaGxhbmRlcjt3PTY0MDtoPTg5MA--/https://media.zenfs.com/en/pa-sport.com/eae4fff8d9a6b9dc8dec7d0227df5774)
一方の[[フェラーリ]]はそんな[[マクラーレン]]をよそに強いチームワークでチャンピオンへとコマを進め、2007年はライコネンと[[フェラーリ]]が再び王座へと返り咲いた。
ライコネンとアロンソとハミルトンとの差はなんと僅か1ポイントだったという。
そして2008年、汚名返上と[[フェラーリ]]へのリベンジに燃える[[マクラーレン]]はアロンソ移籍により空いたシートに2年目のヘイキ・コバライネンを迎え、同じく2年目のハミルトンをエースとしシーズンに臨んだ。
対する[[フェラーリ]]はライコネンとフェリペ・マッサと変わらぬ布陣で連覇へと挑んだ。
&image(https://formula1-data.com/assets/img/uploads/2020/05/f1-to-stream-2008-british-grand-prix.jpg)
ハミルトンをかわせると思われたディフェンディングチャンピオンのライコネンは不調に陥り早々とチャンピオン争いから離脱。変わってチャンピオン争いへと名乗りを上げたのはなんとマッサであった。
両者は一進一退の攻防を見せてついに舞台はブラジルGPへ。
無条件でチャンピオン決定と言う有利な状況なハミルトンだったが、プレッシャーのせいか精彩を欠きチャンピオンへの道が遠のいていく。
ところが終盤、雨脚が強まったことでドライタイヤで攻めていたティモ・グロックが大きくペースダウン。みるみる差を縮めて最終ラップの最終コーナーでオーバーテイク。参戦2年目で見事チャンピオンへと輝いた。
&image(https://cdn.racingnews365.com/_1125x633_crop_center-center_85_none/Felipe-Massa-Brazil-2008.jpg?v=1646231764)
一方のマッサは優勝こそしたもののチャンピオン争いに1点差で敗北。表彰台で悔し涙を流すこととなった。
**メーカー達の挑戦とリーマンショック
この2000年前半、そして後半では数多くのメーカーがF1へと参戦した。
1992年の撤退以来、[[B.A.R>https://w.atwiki.jp/grasoturismo/sp/pages/1137.html]]と共に再びF1サーカスへと足を踏み入れたホンダ。ブラバムやアロウズで名を馳せ、久しぶりにF1へと参戦したBMW。ベネトンを買収し、97年以来の復帰かつフルワークス参戦を果たしたルノー。[[フォード]]のフルワークス参戦により、その名を響かせた[[ジャガー]]。そしてゼロから夢の舞台であるF1へと挑戦した[[トヨタ]]であった。
特に[[トヨタ]]と[[ホンダ]]の活躍は日本人の心を大きく掴み、日本にとって一つの黄金時代を築いていくこととなる。
&image(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Lap4_Canada2005_Toyota_and_BAR_Honda.jpg)
また、現在のF1でも活躍するチームも、実はこの年に数多く生まれている。
成績不振による撤退により売却されることとなってしまった[[ジャガー]]を買収したことにより生まれた、現在では絶対王者のレッドブルと85年より参戦を続けていた"愛すべき弱小"こと[[ミナルディ>https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/1122.html]]を買収して生まれ変わったトロ・ロッソ(現:アルファタウリ、VCARS)もこの年代に誕生している。
また、資金不足により売却されたジョーダンはミッドランド、スパイカーと名を変え、最終的にはフォース・インディアへと改称。現在の[[アストンマーティン]]まで続く一筋の道として生まれ変わりを果たした。
そして、我々日本人の夢と希望を乗せて走った、純日本チーム「スーパーアグリ」もこの時代に誕生している。
&image(https://f1-gate.com/media/img2020/20200427-superaguri-sa07.jpg)
元F1ドライバーかつARTAの創業者、鈴木亜久里が2006年に立ち上げたこのチーム。当初は多くのゴタゴタが生じたり、マシン開発がうまくいかない事態があったものの、エースドライバー佐藤琢磨の活躍により2度の入賞を果たすなど、新興かつテールエンダーながら地道な活躍を見せていたが、スポンサー料のトラブルや資金問題により2008年に参戦休止を発表。スーパーアグリは復帰することなく参戦を終えることとなったが、2008年はアグリだけではなくF1全体に大きい影を落としていた。
そう。かの有名な「リーマン・ショック」が引き金となった世界同時不況である。
&image(https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSXMZO3506557006092018000001-8.jpg?ixlib=js-2.3.2&w=680&h=423&auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&q=100&fit=crop&bg=FFFFFF&s=bda5dcc7cf2ec57d3466169d4e68ef8b)
FIAは世界同時不況といった事態を打開すべく、2010年に向けて予算制限案を導入してプライベーターの参戦増加を図る。しかし、FOTAの猛反発によるシリーズ分裂危機に陥りあえなく断念となった。ところが、[[BMW]]が撤退し、続く[[トヨタ]]も撤退。[[ルノー]]はエンジン供給こそあれどチームの株式を売却するハメにもなった。
**2009年の奇跡、1年限りのチャンピオンチーム
そんな2009年であったが、レギュレーション大改革により勢力図が大きく変わり、レッドブルといったプライベーターが大躍進を果たした。
そんなプライベーターとして欠かせないのが、撤退した[[ホンダ]]を買収して参戦した「ブラウンGP」である。
&image(https://cdn-image.as-web.jp/2022/12/17121142/asimg_d09hun1719_a9639d336dc0fea-1280x853.jpg)
[[ホンダ]]時代からチームに携わっていたロス・ブラウン率いるこのチームはジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロといった元[[ホンダ]]のドライバーを引っ提げ、RA109という[[ホンダ]]が実戦に投入する予定だったマシンにメルセデスエンジンを搭載。ダブルディフューザーといった革新的装備を引っ提げ、優れた性能を持つBGP001はデビュー戦となる開幕戦から連勝を飾るという誰も予想していなかった事態が起こる。
後半からは多少不調に陥り、レッドブルの猛追を受けたものの、前半戦の貯金と数多くの入賞を重ねたことによりバトンとブラウンGPはブラジルGPで参戦1年目でダブルタイトルという、現代F1では奇跡ともいえる偉業を成し遂げたのである。
そんな伝説的なチーム、ブラウンGPは[[メルセデス・ベンツ]]による株式購入により、後の絶対王者であるメルセデスへと生まれ変わることとなりたった1年間という僅かな活動期間で幕を閉じる事となったが、撤退したチームの残り物を使って、流浪の身に置かれたドライバーやスタッフ達を王座へと導いた、『現代社会のおとぎ話』のようなストーリーは後世でも語り継がれるであろう。
メーカーワークスによる技術の争い、絶対王者と若き挑戦者、そして世界の情勢に揺れた2000年代のF1、それを4文字でまとめるとすれば「波乱万丈」であろう。
*2000年代のF1マシンの一覧
-[[【その他のクルマ】B・A・R 007 '05]]
-[[フェラーリ F2007]]
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