フォード RS200 ラリーカー '85 | ||
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メーカー | フォード | |
---|---|---|
英名 | Ford RS200 Rally Car '85 | |
年式 | 1985 | |
エンジン | エンジン形式(知らない場合は抜かしてよい) | |
タイプ | レーシングカー ミッドシップ | |
カテゴリー | Gr.B | |
PP(初期値) | 530 | |
総排気量 | 2,100cc | |
最高出力 | 426PS/8,000rpm | |
最大トルク | 46.9kgfm/5,000rpm | |
パワーウエイトレシオ | 2.30kg/PS | |
駆動形式 | 4WD | |
吸気形式 | TB | |
全長 | 4,000mm | |
全幅 | 1,764mm | |
全高 | 1,322mm | |
車両重量 | 980kg | |
重量バランス | 50対50 | |
トランスミッション | 5速 | |
ダート走行 | 可能 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | 短命の活躍で終わった悲劇のラリーウェポン |
概要

当時としては珍しい流線型のフォルムをしており、このデザインを手掛けたのはカロッツェリア・ギアだ。グループCマシンのトヨタ TS010をはじめ、数多くのフォーミュラ1マシンやレーシングカーの設計を手がけたことで知られるトニー・サウスゲートも関わった。当時のグループBカーは、その大半が一般販売されている市販車を踏襲したデザインや車名を持っていたが、 RS200 はデザインも車名も市販車とは一切関連性がない、ラリーに勝つために作られた公道を走れるレーシングカーであった。
一応センターデフは50:50の他に30:70、0:100の3モードを持っていたのだが、0:100モード時でもフロントデフをフリーにできなかった為に極度のアンダーはそのままだったという本末転倒車両でもあった。
1985年にテストとして英国ラリー選手権に参加し、結果を残した上で同年のWRCの最終戦RACラリーからの参戦を予定していたが、グループB参戦の必須条項である「連続する12か月以内に200台以上の生産をすること」を達成できなかったため、RACラリーには出走できなかった。
1986年のWRCでも、主にハードのエンジン開発の遅れから20台のエボリューションモデル(RS200E)のホモロゲーションを取得できず、開幕戦ラリー・モンテカルロはキャンセル。第2戦スウェーデン・ラリーではエボリューションモデルでの参戦は保留として、ロードカーベースでの出走に踏み切ったりと思うように計画が進行しなかった中、3位を獲得した。ところが、第3戦ポルトガルラリーでは観客を巻き込んだ死亡事故を起こしてしまい一時参戦を自粛せざるを得ない自体となり、第6戦アクロポリスラリーと第12戦RACラリーにワークス体制で出場したが成績は芳しくなかった。その後ほどなくしてWRCにおけるグループBが廃止に追い込まれたため、RS200がWRCで目立った成績を残すことはなかった。
もう少し早く生産に踏み切ってきっていればこの車の結果も変わっていたかもしれないが、それは実現せず、時代に乗り遅れた悲劇のマシンとなった。だが、フォードはその後、 エスコート ラリーカー を投入したのだが……。
1986年のWRCでも、主にハードのエンジン開発の遅れから20台のエボリューションモデル(RS200E)のホモロゲーションを取得できず、開幕戦ラリー・モンテカルロはキャンセル。第2戦スウェーデン・ラリーではエボリューションモデルでの参戦は保留として、ロードカーベースでの出走に踏み切ったりと思うように計画が進行しなかった中、3位を獲得した。ところが、第3戦ポルトガルラリーでは観客を巻き込んだ死亡事故を起こしてしまい一時参戦を自粛せざるを得ない自体となり、第6戦アクロポリスラリーと第12戦RACラリーにワークス体制で出場したが成績は芳しくなかった。その後ほどなくしてWRCにおけるグループBが廃止に追い込まれたため、RS200がWRCで目立った成績を残すことはなかった。
もう少し早く生産に踏み切ってきっていればこの車の結果も変わっていたかもしれないが、それは実現せず、時代に乗り遅れた悲劇のマシンとなった。だが、フォードはその後、 エスコート ラリーカー を投入したのだが……。
解説
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登場シリーズ
グランツーリスモ4
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
コメント
- カッコいい -- (*1) 2023-12-03 17:56:52