| 日産 R390 Road Car '97 | ||
| メーカー | 日産 | |
|---|---|---|
| 英名 | Nissan R390 Road Car '97 | |
| 年式 | 1997 | |
| エンジン | VRH35L | |
| タイプ | ノーマルカー ホモロゲーションモデル | |
| カテゴリー | Gr.2 | |
| PP(初期値) | XXX | |
| 総排気量 | 3,495cc | |
| 最高出力 | 650PS/6,800rpm | |
| 最大トルク | 72.0kgfm/4,400rpm | |
| パワーウエイトレシオ | XX.XXkg/PS | |
| 駆動形式 | MR | |
| 吸気形式 | TB | |
| 全長 | 4,720mm | |
| 全幅 | 2,000mm | |
| 全高 | 1,090mm | |
| 車両重量 | 1,000kg | |
| 重量バランス | 49対51 | |
| トランスミッション | 6速 | |
| 登場 | グランツーリスモ2 | |
| 備考 | あれば記入 | |
概要

プロトタイプカーのような佇まいをしているが、参戦規定を満たす為に製作されたロードカーで、GT1マシンを作ったメーカーがこぞってやった法規制のゆるいイギリス公認を取る手法で実際にナンバーを取得し公道走行で走ったこともある。ナンバープレートの「P835 GUD」がその証拠だ。
赤色の車体に短くコンパクトに纏められたスタイルが特徴で、リアバンパーはスポイラーと共に効率よく空気を受け流せる凝った形状になっているのが特徴だが、このコンパクトなリアがレーシングカーとなった際に悲劇をもたらすことになる。

余談だが、本車はレース終了後も各地を転々としていたものの、1998年のル・マン参戦にあたってレーシングカーとして生まれ変わりル・マンを走った。
クラリオンロゴが特徴的な30号車に生まれ変わった本車は、ジョン・ニールセン、ミハエル・クルム、フランク・ラゴルスのドライビングにより予選はR390最上位となる10位、決勝では総合5位を獲得している。

詳細は1998年モデルを参照。
解説
1995年からはじまったNISMOのル・マン24時間レースへの挑戦。当初の「NISMO GT-R LM」に始まり、1997年からはカーボンモノコックボディの「R390 GT1」での参戦に切り替えた。
1997年のル・マン24時間レースに参戦するためは、「NISMO GT-R LM」と同様にナンバーを取得したロードカーが1台存在すれば参加は可能だった。実際、97年のル・マン会場にはイギリスでナンバーを取得した「R390 GT1」のロードモデルが展示されていた。また、イギリスで撮影された写真で構成したカタログも作られた。
1997年のル・マン24時間レースに参戦するためは、「NISMO GT-R LM」と同様にナンバーを取得したロードカーが1台存在すれば参加は可能だった。実際、97年のル・マン会場にはイギリスでナンバーを取得した「R390 GT1」のロードモデルが展示されていた。また、イギリスで撮影された写真で構成したカタログも作られた。
こうして1997年のル・マン24時間レースでデビューした「R390 GT1」は、直前の技術規則変更に起因するギヤボックストラブルで思うような成績が残せなかった。チームは翌1998年に向けて、空力的に有利なロングテール、ギヤボックスの冷却性能の改善など、マシンのアップデートを行なった。
前年同様、ロングテール化された「R390 GT1」のロードバージョンもナンバーを取得した。ところが、1998年のル・マンに参戦するためには、GTカーとして実際に20台以上のロードカーを販売しなければならないという規則変更の情報が入ってきた。
前年同様、ロングテール化された「R390 GT1」のロードバージョンもナンバーを取得した。ところが、1998年のル・マンに参戦するためには、GTカーとして実際に20台以上のロードカーを販売しなければならないという規則変更の情報が入ってきた。
そこで、急遽1998年の規則変更に対応するため、「R390 GT1」の本格的な販売モデルとしての改修計画が持ち上がった。
「R390 GT1」のロードカーは、試作車とはいえロードカーとしてエンジンをデチューンし、サスペンションもソフトに変更されていた。350ps以上というVRH35Lは、1トン強の車重に対して、当時としては十分なパフォーマンスを持っていた。乗り心地も悪くなく、ハンドリングもしっかりとしたものだった。
「R390 GT1」のロードカーは、試作車とはいえロードカーとしてエンジンをデチューンし、サスペンションもソフトに変更されていた。350ps以上というVRH35Lは、1トン強の車重に対して、当時としては十分なパフォーマンスを持っていた。乗り心地も悪くなく、ハンドリングもしっかりとしたものだった。
問題は、高回転までエンジンを回すと強烈なバイブレーションがドライバーの体を襲ったことだ。エンジンがカーボンモノコックにダイレクトマウントされているためで、その振動でルームミラーが落ちるほどだった。さらにXトラック製の6速シーケンシャルミッションは、本来のレース仕様ではシフトレバーは右側のサイドシル上にあったが、ロードモデルでは左側に移動されていたためか、シフトフィールが非常に悪くギヤが入っているのかが分かりにくかった。停止時にニュートラルポジションへ入れづらい点も大きな課題となった。
さらに、ドライバーシートには前後スライド機構が必要(レースカーは固定式)、左右ドアウインドには開閉機構が必要(レースカーは窓が開かない)という点や、快適装備のエアコン、オーディオの装備も必要とされた。とくに渋滞情報を取得するためにも最低限ラジオは必要とされるなどロードカーならではの細かい点が指摘され、これらの改修課題リストをベースに実現の可否と見積もり検討が開始されたのである。
さらに、ドライバーシートには前後スライド機構が必要(レースカーは固定式)、左右ドアウインドには開閉機構が必要(レースカーは窓が開かない)という点や、快適装備のエアコン、オーディオの装備も必要とされた。とくに渋滞情報を取得するためにも最低限ラジオは必要とされるなどロードカーならではの細かい点が指摘され、これらの改修課題リストをベースに実現の可否と見積もり検討が開始されたのである。
そんな矢先、1998年のル・マンも例年通り1台のロードカーがあれば参戦できることになったという情報が突然入ってきた。結局、R390ロードカープロジェクトは幻の計画となった。
登場シリーズ
グランツーリスモ2
グランツーリスモ・オールスターズ:ラグナセカレースウェイを優勝する事で獲得。