日産 スカイライン 2000GT-B (S54B) '67 | ||
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メーカー | 日産 | |
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英名 | Nissan Skyline 2000GT-B (S54B) '67 | |
年式 | 1967 | |
エンジン | G7型 | |
タイプ | ロードカー 4ドアスポーツセダン | |
カテゴリー | N100 | |
PP(初期値) | 346 | |
総排気量 | 1,988cc | |
最高出力 | 125PS/5,600rpm | |
最大トルク | 17kgfm/3,600rpm | |
パワーウエイトレシオ | 8.76kg/PS | |
駆動形式 | FR | |
吸気形式 | NA | |
全長 | 4,235mm | |
全幅 | 1,510mm | |
全高 | 1,405mm | |
車両重量 | 1,095kg | |
重量バランス | 59対41 | |
トランスミッション | 5速 | |
ダート走行 | 可能 | |
登場 | グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 | |
備考 | 全ては日本GPで優勝する為、 ボディを延長して直6を押し込んだ。 その後のスカイラインの在り方に多大な影響を及ぼしたモデル。 |
概要
1967年にマイナーチェンジされた際にプリンスと日産合併後に後期型へと進化したスカイラインGT-B(S54B-Ⅲ)は、1964年の第2回日本グランプリ大会を制覇するために製作したスカイラインGT(S54A-Ⅰ)の市販向けモデルとなる。
S50型 のノーズをホイールベースごと延長し、グロリア スーパー6の直6エンジンを搭載した。
解説
1963年、鈴鹿で開催された第1回日本GPに、ほとんど量産仕様のままのスカイライン スポーツで参戦したプリンス軍団は、なす術もなく敗退した。その背景にはレース参加車に自動車メーカーが手を加えないとの紳士協定が交わされ、プリンスは市販状態のまま出走したのだが、他の国産車メーカーは公然の秘密とばかり参加車をチューニングしていたためという、プリンスを狙い撃ちした卑怯な作戦のせいであった。
「このままでは、プリンスの名がすたる」。この結果に激怒した上層部から第2回グランプリには必勝体制で挑むことが課せられる。そして翌年のGPに向け、秘密の計画が始動した。その結果、軽快な小型セダン、スカイライン 1500に新たなエンジンを載せるためにホイールベースとノーズを20cm延長し、グロリアのG7型6気筒2Lエンジンをぶち込んだ、掟破りの新型マシンが誕生したのだ。その名もスカイラインGT(S54A-Ⅰ)である。
スカイライン GTは、この車体とエンジンの組み合わせだけでもバケモノだったが、オプションもすごかった。
その真骨頂が、3基のダブルチョークウェーバー・キャブレターだ。バレルの数なら合計6本。つまり気筒ごとに専用キャブを持つという徹底ぶりだ。その結果生まれたパワーは125 PS。最高速度は180km/hに達した。さらにフロアシフトの4速ギアボックスにはオーバードライブの5速を追加設定、リミテッドスリップデフやオイルクーラーなど、バトルマシンに必要な装備が惜しげもなく投入された。

鈴鹿に姿を現したスカGは、生沢 徹、砂子 義一、古平 勝、須田 祐弘、杉田 幸朗、殿行 宣行、横山 達という、プリンスの「7人のサムライ」と呼ばれた名ドライバーたちの手で操縦されることになり、スカイラインGTが勝つことを誰しも疑わなかった。ところがレース直前に式場 壮吉の手によってポルシェ904カレラGTSという、レース用に開発された車両が持ち込まれてしまう。いかに6気筒エンジンをブチ込んだスカGとはいえ、レース用に作られたモデルとは比較にならない。ポルシェがリードするレース展開に失望していた観衆だが、あろうことかピュアレーシングカーである904相手に、1度だけ生沢の搭乗するスカGがポルシェ904を抜いてトップに立つという奇跡を演じてみせた。観衆からはヤンヤの歓声が上がり、レース後にスカGを売って欲しいと大勢の客が駆け込むことになった。
この快走を記念するかのように、1965年2月、オプションだったウェーバーキャブレターをはじめとする高性能装備をすべて標準としたスカイライン 2000GTが発売された。これがGT-B(S54B-Ⅱ)である。いっぽう、一般向けの日立製シングルキャブを採用したノーマル仕様はGT-A(S54A-Ⅱ)と呼ばれた。後のGT-Rに至る、野望の系譜の第一歩であった。
GTに収録されたのは、日産と合併した翌年の1967年に登場したS54B-Ⅲ型。車名もニッサン.プリンス・スカイラインとなり、テールには日産のエンブレムも追加された。また、フロントグリルは縦長から横長に変更され、見た目のイメージが大幅に変わった。
↑S54B-Ⅲ型。このモデルから、溶接痕が生々しく残り『とりあえずG7エンジンを押し込みました』感のあったエンジンルームの延長跡が消え、フレームにも補強が入り、地味だがリヤフェンダーもブリスター化して少しだけワイドになっている。

この頃には日本グランプリでも、トヨタ・1600GTやいすゞ・ベレット等のライバル達も増え始め、その速さも絶対的なものでは無くなっていたことから、スカイラインGT-Bも刻一刻と進化していた。1966年からは、ワークス向けにクロスフロー化したヘミヘッドのG7B'型を搭載し、最高出力200PS以上を叩き出していたが、翌''67年のレギュレーション改定にて搭載できなくなってしまい、戦闘力低下に憂いていたプリンス陣営は、次期型のS74型スカイラインは、初めから6気筒を前提としたボディ設計を行い、搭載するエンジンも最初からレースに使用することを考慮して設計を行う事にした。
こうして登場したのがPGC10型スカイラインGT-R、そして名機S20型エンジンなのである。
登場シリーズ
グランツーリスモ4
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
コメント
- 個人的には一番好きなスカイライン。記事立つのに意外と時間かかったね -- (名無しさん) 2024-08-13 21:01:10
- 星野さんも54のスカイラインは憧れだったねってYoutubeで語ってた -- (名無しさん) 2025-03-18 13:34:14