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日産 スカイライン HT 2000GT-R (KPGC10) '70

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rustymasaki

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日産 スカイライン HT 2000GT-R (KPGC10) '70
Image Credit : 画像を引用した場合、引用元を表記。
メーカー 日産
英名 Nissan SKYLINE Hard Top 2000GT-R (KPGC10) '70
エンジン S20
タイプ ロードカー
カテゴリー N200
PP(初期値) 376.56
総排気量 1,989cc
最高出力 160PS/7,000rpm
最大トルク 18.0kgfm/5,500rpm
パワーウエイトレシオ 6.86kg/PS
駆動形式 FR
吸気形式 NA
全長 4,330mm
全幅 1,665mm
全高 1,370mm
車両重量 1,100kg
重量バランス 59対41
トランスミッション 5速
最高速度 XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい)
登場 グランツーリスモ2
グランツーリスモ4
グランツーリスモ(PSP)
グランツーリスモ5
グランツーリスモ6
グランツーリスモ7
備考 GT−R伝説の始まりの一台。これぞ羊の皮を被った狼なり

概要




3代目スカイラインで初登場したスポーツグレード、ご存知、初代スカイラインGT–Rの後期型にして『ハコスカ』の愛称でもお馴染みの名車。中里毅が言う『不敗神話のR』の元ネタとなったレースでの活躍は今なお世代を超えて語り継がれる伝説となっている。公式発表では、最終的にワークス体制最終時点で53勝、プライベーター含め全車撤退時で57勝とされている。ただ、連勝記録の中には日産車オンリーのイベントや総合5位だがクラス1位と言う物も含められていたりする・・・。

搭載されたエンジンは解説記載のとおり、プリンス最後のレーシングカー・プリンスR380に搭載されたGR8型由来のS20型エンジン。プリンス自動車の熟練工が組み上げたまさにレース用エンジンで市販用デチューンも少々しか行われておらず、最高のパフォーマンスを引き出せた時はレースカーさながらの性能を出せる…。が、実を言うとGR8型からかなり市販向けのデチューン&後の発展のために強化の余地を残して設計されている為、ヘッド周りを中心にかなり機構が異なっている。そして、当時から調整のムズいエンジンで有名かつ、『伸び代が少ない』事でも有名。
市販でレースで活躍するハイパフォーマンスエンジンをそのまま搭載して売ったから当時の走り屋のお兄ちゃんは無理をしてでも買った…まではいいがチューニングは繊細すぎてほぼ出来ないに等しく、下手にいじるとパワーアップしたはずなのに逆に遅くなっているなんて事もあった。

伸び代がない理由の一つとして挙げられるのは、S20型はL型と比較して排気量発展バージョンが無かったことや、車両価格150万の約半分の70万を占める程高価なエンジンだった事から、ノーマルのまま乗る人が多く、日産工機(追浜ワークス)から発売されたパーツ以外チューニングが発展しなかった事が理由としてある。

ストリートでは扱い辛く伸び代がないと言われたS20エンジンだったが、ワークス仕様は初期の200psから最終的には2Lの排気量そのままで最高回転数12000rpm、最高出力264psと当時としては偉業とも言えるリッター100ps越えを達成していた。
またワークス仕様はそのモデルライフの途中でキャブレターからルーカス製インジェクションシステムの導入を進めたり、最終的に実現はしなかったものの、S20改2.2Lで270ps以上の出力を得られたというデータも残っている。同時に、当時レース市場に出てきたフェアレディ240ZGと同じL24型エンジンの搭載も検討されたが、耐久値は兎も角、トルク以外の数値が全て下回ってしまっていた事、S20でもまだまだ改良の余地があった事や、そもそも開発者である櫻井氏の持つスカイラインのコンセプトとして『2Lのままどこまで性能を追求出来るか』であったことがS20改2.2L&L24換装が見送られた理由と言われている。

また、大森ワークス(現在のニスモファクトリー)からは大量のレース関連部品がオプション設定で存在し、プライベーター達はその中から部品を選定してレースに出場する事が可能だった。

この頃より日産のチューンドエンジンは、設計がトラック等の商用で頑丈に作られていたL型に注目が集まっており、その期待を裏切らないハイチューンドも可能なエンジンはZを中心とした日産L型勢のストリートシーンを大きく塗り替え、やがてL型搭載のハコスカ(GTとかGT-Xといったグレード)がGT-Rに勝っちゃうということもあった。裏付けるような記録として、後年のストリートレース等ではほとんどのS20搭載ハコスカがL型ハコスカやL型S30・S31フェアレディZにボロ負けするという事が多く見られた。
このため、族車・街道レーサーと呼ばれたクルマ達のベースで使われるハコスカの中には本物のGT-Rも数多くいた…ともされているが、30数年前でも、現代程ではないもののGT-RはベースとなったGTと比較すると50~100万程は中古車価格が高かった為、余程目立ちたがりのボンボン以外はベースで使おうにも使えなかったorそんな予算を出すのであれば他車種を選んだと思われる。ただ、現代みたいなべらぼうな値段では無かった為ゼロではないのも事実だ。

とはいえ、現在ではチューニング方法も確立されており、ノンターボであればL型に見劣りするような性能にはならない。

ちなみに西部警察でも頻繁に登場しては壊されている。石原良純演じるジュンが初登場した時に乗っていた愛車「SUNDAY号」もハコスカの4ドアがベースで、設定上はDOHC24バルブエンジン搭載というGT-Rそのもの。もっとも、最後はお約束の爆発炎上であったが。

なお、2025年2月劇場公開予定の「オールドカー〜てんとう虫のプロポーズ〜」にも登場している。ハコスカだけでなくスバル 360といった旧車が登場するので旧車好きにはたまらない映画だ。ぜひ見てほしい。

実際のオークションでは近年では約3388万円も付けられる事もあったが、殆どが出品されても入札者がおらず流札になってしまう事も多い。https://www.autocar.jp/post/467787

解説



1964年5月、日本グランプリGT-Ⅱクラスにて、純レーシングカーであるポルシェ・904相手に僅か1周とはいえ先頭を走り『スカイライン』の名を国内外に広めたスカイラインGT(S54A-1)。その後はGT-Bと名乗りGT-Ⅱクラスで活躍していたものの、トヨタ・1600GTを始めとした新たなライバル達の台頭、そして、元が急拵えで作った車両だっただけに車両限界も近付いていた。特に、’66年以降はレギュレーション改正により、ワークス専用に'65年から使っていたGR7'B型ヘミヘッドエンジンが使用禁止になってしまい、戦闘力低下は避けられなかった。その為、新型のS74型スカイラインは、レースでの圧倒的な強さと、日産との合併も近付いていた為、部品の共有化も進めるという難しい課題を同時に進めることとなった。
↑座間コレクションホールにて保管され続けるS54A-1、64年5月の日本グランプリにて2位を獲得した砂子義一選手の39号車を模したレプリカとなる。レギュレーションにより100台製造され、レース用の8台を除く92台は即完売したとされるが、S54A-1の現存する個体は(日本国内では)この個体のみである。

合併後の1968年8月に登場した3代目スカイラインは、日産との合併後初めて登場したモデルとなった。型式名称は日産流に改められてC10型となったものの、ほぼ当初の予定通り開発が進められ、同年10月の東京モーターショウにて『日産・スカイライン2000GTレーシング仕様』として登場。会場での説明であったR380エンジン搭載車の文字は後に登場するS20型の存在を示唆していた。そして、1969年2月、C10系スカイラインに投入された2000GT-Rこそ、のちに連綿と続くスカイラインの栄光の軌跡の第一歩である。
↑1968年東京モーターショウにて展示された『スカイライン2000GT(レーシング仕様)』のレプリカ。エンブレムは通常GTの青地から赤字になっただけのもので、その他にも市販モデルと異なる箇所がチラホラ存在し、GTに採用されていたフェンダーモールが付いていたり、ミラーが何故か廉価版の薄板のものになっていたり各部に相違が見られる。

搭載された6気筒ツインカム4バルブユニットは、速度世界記録や日本GPで名を馳せた、あのR380直系のS20型。日産と合併しても輝きを失わなかった、プリンス自動車の面目躍如というべきエンジンだ。当時はフェラーリポルシェと言った名だたる海外メーカー達ですら市販車にツインカムエンジン搭載例は稀であった。R380に搭載されたGR8型をベースとして、市販前提とするためにヘッド周りに大幅改良が加えられたものの、将来の発展型の為に余力も残した状態であった事から、最終的にワークス仕様のS20型は元のGR8型を上回る性能を発揮した。
↑S20エンジン。純正で160PS、当時定番のソレタコデュアル(ソレックスキャブ(44φ)、エキゾーストマニホールド、デュアルマフラー)で200PSを簡単に叩き出す、当時としてはかなり高性能なエンジンだった。元となったGR8型、そしてS20型の開発者である中川良一氏は、かつて、中島飛行機で戦闘機のエンジン設計を手掛けた技術者で、夢半ばで終わってしまった空に対する情熱を注いで設計したのが随所にオーバークオリティーという形で伺える。上にもある通り、ワークス仕様の最終期には260PS以上を叩き出し、常用9000rpmでも壊れないという優れた性能を発揮した。

4ドアセダンとハードトップのGT-Rは、いずれもスカGの伝統に忠実なロングノーズ。リアフェンダーに走るサーフィンラインというアクセントも新鮮だったが、GT-Rはあえてそれを無視。大経タイヤを収めるため、前期型に当たる4ドアはRカット、後期型で2ドアに切り替わった際にはビス止めオーバーフェンダーが、その華麗なラインを断ち切るように与えられていた。
↑1970年式GT-R(PGC10)。GTよりワイドになったリヤタイヤを入れるためにRカットされたリヤフェンダーが観れる。ワークス仕様は更にワイドなオーバーフェンダーをここに装着し、11Jという深いサイズのリムを飲み込んでいた。

ちなみにだがこの2ドアHTのオーバーフェンダー、当時の車検的には構造変更が必要だったのと、族車の象徴だった故に違法改造を疑われ警察に良く止められたとか。そのためオーナーはトランクにGT-Rのカタログを常備、ソレを警察に見せながら「日産がやってるんだ、俺は悪くねぇ」という問答を繰り返していた。また、オプションで装着できたリヤスポイラー(板ッパネ)も類似の粗悪品が走行中に飛んでいく事態が多発したので、規制対象となったが、正規品は足の付け根が模造品に比べ太い事、再初期型以外はスポイラーの下側にSKYLINEと刻印が彫られており、これを見せると日産純正品という事でお咎めなしだったという。

1970年8月にはホイールベースを70mm短縮し、旋回性能向上と軽量化を図った2ドアHTモデル(KPGC10)にスイッチ。今日『ハコスカGT-R』と聞くと真っ先に思い当たるモデルとなる程人気となった。
↑KPGC10型。4ドアと比べてもオーバーフェンダーのせいで若干『羊の皮を被った狼』は薄れたが、ゲームによく収録される程人気モデルとなる。同時に馬力が5PS低下して155PSとなるレギュラーガソリン仕様も追加された。


そんなGT-Rの声価をいやがうえにも高めたのが、レースでの大活躍だろう。初戦こそ判定勝ちというギリギリの勝利だったが、その後は北野元、高橋國光といった名ドライバーが駆る追浜ワークス勢が、富士を、鈴鹿を暴れまわり、トヨタ・1600GT、マツダ・カペラやサバンナ(RX-3)等と凌ぎを削り、今や伝説となった49連勝、ワークス通算52勝という勝利をもぎとってみせた。そのいっぽうで、4バルブ・3キャブ・ツインカムという高度なメカニズムを誇るGT-RのS20エンジンは追浜ワークスのプロメカニック達ですら完全な調子を出すのが難しく、その卓越した性能を一般ユーザーが味わい尽くすチャンスは稀だったといわれる。

それでもひとたび金属的な咆哮を挙げたが最後、すべてのライバルをバックミラーの彼方に消し去るなど朝飯前。フロントストラット、リア・セミトレーリングアームという鍛え抜かれた足回りも、エンジンパワーとバランスした素晴らしいものだった。

モデルライフ中の変化

ハコスカは、ワークス仕様はもとより、市販仕様に関しても予告なく改良が入っていた事もあったとされている。デビュー当初の4ドアGT-Rでも、前期と後期が存在し、フロントグリルが三分割、メッキの砲弾ミラー、デールランプ内のバックランプが端に寄っているのが前期型(通称:44)。フロントグリルが一体型(ワンピース)になり、黒未塗装の砲弾ミラー、バックランプが若干ランプ中央寄りになるのが後期(通称:45)となる。2ドアHTは正式に一部改良が入ったアナウンスがない為、前期後期等はないと思いきやちゃっかり存在しており、GTに収録されたのは、2ドアHTになってすぐのモデル。マニアの中では『71モデル』と呼ばれる個体で、内張の模様が米粒模様、メーターの針がオレンジである事が特徴とされる。71年11月以降のモデルは、内張模様がひょうたん柄、メーターの針は白となる。こちらは72モデルと言われる。

72モデル最終期(1972年5月から最後まで)には当時の日産の政策で、左テールランプ下に5SPEEDのエンブレムが追加された。72年8月に製造が終了したが、最後に製造された5台は製造ラインから外されエンジン車体等全て熟練工の手組みで仕上げられたという逸話まで残っている。

セミワークス正谷栄邦号


現役当時、日産本体から出場していたワークスマシン達は、レース出場を終了した後、技術流出を恐れて一部パーツを除き全て解体、破棄されてしまい現存しない。座間のヘリテージに置かれているハコスカのワークスマシンもレプリカとなる。だが、プライベーターとして出場していたセミワークス仕様が一台だけ現存している。

この白に黄色のストライプの入ったハコスカは、全57勝中2勝を挙げたセミワークス正谷栄邦選手が駆ったマシンそのもので、現役を終えた後、倉庫で埃まみれになって放置されていた所を現オーナーがレストアした個体。当時の部品、当時の仕様はほぼそのままに、サーキットを全開で走れる現役のレーシングマシンとして復活した。

復活から20年近く経った現在でも、インジェクションの現代化などを図りつつサーキットに繰り出している現役のセミワークスGT-R。サーキットのイベント等にも出場する事が多いので、見掛けた人は是非その勇姿を見てほしい。


マキールによる評価

”ハコスカ”スカイラインは 世界中にファンがおり……

中でも 2ドアハードトップのこのGT-Rは
その形式から”KPGC10”として知られています

今や世界中のコレクターが狙っているモデルですね

ハコスカGT-Rの魅力のひとつは
そのエンジンにあります

日本初のプロトタイプレーシングカーとして知られる
”プリンス R380”直系の高性能エンジンです
総合生産台数は1,200台弱
4ドアセダン版のGT-Rを含めても 2,000台あまり

日本のツーリングカーレースで
49連勝の記録を持つ名車でもあります

このGT-Rを手に入れることは
その歴史の一部を所有することと同じですね

登場シリーズ


グランツーリスモ2

EAST CITYのNISSANディーラー内、USED CARで購入可能。
入荷頻度が非常に低いため、欲しいならラインナップにあるかどうかを常に見る必要がある。

グランツーリスモ4

日本車レース → ジャパニーズ70'クラシックのプレゼントカーで入手可能

グランツーリスモ(PSP)


グランツーリスモ5

価格はCr.8,000,000×(100-(走行Km÷2000)÷100)(Cr.100未満は四捨五入、走行距離は100,000Km以降はカウントしない。例:280,000kmの場合は80,000kmとして扱う)

グランツーリスモ6

Cr.8,000,000で購入。

グランツーリスモ7

レジェンドカーディーラーに登場。2022/3/27の初登場時価格はCr.12,100,000。他のGT-Rよりも手頃な価格に「実車の価値が違う」と言われてるが、これはレジェンドカーディーラーの査定を担当している実在のアメリカのクラシックカー査定会社、ハガティの見立てである。
→ ( 71年型2ドア2000GT-Rの査定結果 )

まぁ実際アメリカじゃ第2世代よりも安く流通しており、R仕様のハコスカなら日本円で800万程度でフルレストア車が買えるため多分海外の人にとって「スカイラインGT-R」は第2世代の事を意味指すものだと思われる。板金王の複雑そうな顔が容易に想像つく。でも、まあ手軽に入手出来るのでいじり倒してもいいかも。
そして、2023年3月のアプデで、スカイライン スーパーシルエットのLZ20Bエンジンをスワップ可能に。元のエンジンはGr.3由来のためタービン交換で800psが保証されている。一応ハコスカにも4気筒モデルは存在するが、栄光のS20型6気筒エンジンで貫き通すか、モアパワーを求めるかはお好みで。

コメント

  • サニトラはL型じゃなくてA型じゃね? -- (ヨシ) 2022-04-19 22:08:23
  • Life's coming in slowのMVに出てる3.0CSLみたいなワイドボディは出ないのかな -- (名無しさん) 2023-08-20 09:57:56
  • あれはNFS shiftからモデルを引っこ抜いて使ってたものらしいので…… -- (名無しさん) 2023-08-20 11:18:30
  • ↑マジすか…情報ありがとうございます -- (名無しさん) 2023-08-21 04:43:58
  • 2000gtよりも、嫌、ハコスカ安! -- (名無しさん) 2023-10-16 18:51:01
  • 1971年製とは言え、NFS2015以降のハコスカは現代のハイパーカーを追いかけ回す事出来るのエグいな -- (名無しさん) 2024-01-28 17:51:56
  • ワタナベホイール -- (名無しさん) 2025-02-26 10:25:31
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