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スバル 360 '58 - (2025/02/13 (木) 04:28:31) のソース

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|>|>|BGCOLOR(#cfe2f3):&bold(){スバル 360 '58}|
|>|>|&image(width=450,https://images-wixmp-ed30a86b8c4ca887773594c2.wixmp.com/f/327080b1-0d97-4ff2-820a-aca6be2f4382/danke81-ca321956-3d6a-4256-8509-cc9fc967780f.jpg?token=eyJ0eXAiOiJKV1QiLCJhbGciOiJIUzI1NiJ9.eyJpc3MiOiJ1cm46YXBwOjdlMGQxODg5ODIyNjQzNzNhNWYwZDQxNWVhMGQyNmUwIiwic3ViIjoidXJuOmFwcDo3ZTBkMTg4OTgyMjY0MzczYTVmMGQ0MTVlYTBkMjZlMCIsImF1ZCI6WyJ1cm46c2VydmljZTpmaWxlLmRvd25sb2FkIl0sIm9iaiI6W1t7InBhdGgiOiIvZi8zMjcwODBiMS0wZDk3LTRmZjItODIwYS1hY2E2YmUyZjQzODIvZGFua2U4MS1jYTMyMTk1Ni0zZDZhLTQyNTYtODUwOS1jYzlmYzk2Nzc4MGYuanBnIn1dXX0.psDHEu0Lz_A0YlUOgbr8QPMllQbDl2ejqW8lV13qKyk)Image Credit : [[bikanerlive.com>https://bikanerlive.com/?I=item/2s93RXqpWk]]|
|~|~メーカー|[[スバル]]|
|~|~英名|Subaru 360 '58|
|~|~年式|1958|
|~|~エンジン|EK31|
|~|~タイプ|2ドアセダン&br()ロードカー|
|~|~カテゴリー|Gr.X|
|~|~PP(初期値)|XXX|
|~|~総排気量|356cc|
|~|~最高出力|16ps/4,500rpm|
|~|~最大トルク|3.0kgfm/3,000rpm|
|~|~パワーウエイトレシオ|24.06kg/PS|
|~|~駆動形式|RR|
|~|~吸気形式|NA|
|~|~全長|2,990mm|
|~|~全幅|1,300mm|
|~|~全高|1,380mm|
|~|~車両重量|385kg|
|~|~重量バランス|XX対XX|
|~|~トランスミッション|3速|
|~|~登場|[[グランツーリスモ4]]&br()[[グランツーリスモ(PSP)]]&br()[[グランツーリスモ5]]&br()[[グランツーリスモ6]]|
|~|~備考|昭和の日本のモータリゼーションを支えた&br()ちっちゃな「てんとう虫」|
}

*概要
&image(width=700,https://car-days.fun/blog/wp-content/uploads/2016/08/002_2s.jpg)スバル360は、1958年から1970年までの12年間の長きに渡って製造及び販売されていたスバル初の軽自動車である。
当時政府が唱えた「国民車構想」の案件を満たすべく開発され、高嶺の花だった「自家用車」を多くの庶民が手にできるようになった1台で、日本の大衆車の歴史を語る上で、欠かす事のできない日本の名車である。
&image(width=700,https://car-l.co.jp/wp-content/uploads/2019/03/img_view73-11-300x232.jpg)大衆車故に多くの著名人も愛車として乗り、当時の大相撲の横綱・吉葉山もこの車に乗った。吉葉山の体重は150㎏、身長が180cmと巨漢だが、よくぞ小さなテントウ虫に乗ったり、降りたり出来たものであろう。

フィクション作品では映画「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」で、スバル360の大軍が園児達が操るバスを相手にカーチェイスを繰り広げたシーンは印象的ではないだろうか。
&image(width=450,https://stat.ameba.jp/user_images/20220728/10/harukaaki99/ff/dd/j/o1200067515152720220.jpg)&image(width=450,https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/065/264/384/ea42f7109e.jpg?ct=b565479250b7)
&youtube(https://youtu.be/7lDIwV8K_tg?si=2qRjE1wm9pt7oLkD)また、2025年2月劇場公開予定の「オールドカー〜てんとう虫のプロポーズ〜」にも登場。こちらではストーリーに於いて重要な存在となるクルマなのでぜひ一度見てもらいたい。
&image(https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/057/880/828/3513fe4647.jpg?ct=3d29ece2fb1c)そんなスバル360だが、モータースポーツの世界でも大活躍。
第1回日本グランプリの軽自動車クラスに参戦したが、馬力に勝るスズキ・スズライトに敗北。
しかし、翌年の第2回日本グランプリに向けて改良し、見事スズライトやマツダのキャロルを破り1−2フィッシュも果たした。&image(https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/057/881/057/a98053a1bb.jpg?ct=a988640f7577)

グランツーリスモシリーズでは2にてスポーツモデルの[[ヤングSS>>スバル スバル 360 ヤングSS '69]]が収録されたのが初で、通常モデルは4からの収録となった。

*解説
1958年から12年間に渡って製造されたスバルの軽自動車で、戦後間もない当時の日本庶民にとって自動車はとても高価なモノだと考えられていたが、このスバル360がその常識を覆したといっても過言ではないだろう。
通商産業省(現経済産業省)が策定した「国民車構想」の内容をはるかに上回る内容、さらに低価格(約425,000円)であったことは、国内に大きな衝撃を与えたのである。

当時の技術では高品質なFF車を低コストで生産することができなかったためRRレイアウトを採用し、安価で十分な実用性を備えた車内は大人が4人乗っても快適な居住性を確保した。
限られたパワーを生かすため無駄を排した軽量な車体は当時としては例がなかったモノコック構造が採用されている。
また、高コストであるが敢えて4輪独立懸架構造を採用したサスペンションは優れた乗り心地を実現した。
さらに、当時のタイヤが軽自動車にマッチするものがなかったため専用の10インチタイヤを新規に開発させたことも画期的な判断であった。
当時の軽自動車はコストダウンありき(よって、ありあわせの部品を組み合わせて設計する)である車種がほとんどであるのに対し、「当初から軽自動車」であることを前提に設計された本モデルの先進性は計り知れないものがある。

低価格とはいえ登場当初はまだ高値の花といえるものだったが、時が経つにつれ高度経済成長による好景気も相まって国民の給料も上がっていき、1970年に生産が終了するころには、累計で約39万2000台を売り上げる大ヒットとなり、コンパクトで独特なボディデザインから「てんとう虫」というあだ名がつけられ、多くの国民から愛されることになった。
スバル360は、多くの国民に「自家用車」を持つ事を当たり前にさせ、「カラーテレビ」「クーラー」と並ぶ新たな3種の神器に挙げられる程に貢献した1台でもあったのだ。

*登場シリーズ
**グランツーリスモ4
Cr.3,600,000で購入。またメーカーイベント:スバル360レース優勝のプレゼントカーとしても獲得可能で、ここだけしか手に入らない、インプレッサなどでお馴染みのWRブルーマイカ バージョンとなっている。
&image(width=600,https://img.atwiki.jp/grasoturismo/attach/2813/226/Gran%20Turismo%204%20Spec-II_SCUS-97436_20250213042557.png)
**グランツーリスモ(PSP)
Cr.3,600,000で購入。
**グランツーリスモ5
中古車ディーラーで購入。
**グランツーリスモ6
Cr.3,600,000で購入。
よく見るとドライバーの足元、車体底面に長方形の穴が空いていて靴底が見える。
*コメント
#comment_num2(log=スバル 360 '58/コメントログ)
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