2010年代のF1とは?

2010年代のF1。2010年に新たに導入されたレギュレーションとしては、予算制限が大きなポイントとなっていた。
その始めの2010年は、リーマンショックによる世界的不況はまだ続いており、BMW・トヨタが2009年限りで撤退したが、メルセデス・AMGが昨年のチャンピオンチームであるブラウンGPを買収しワークス参戦。なんとミハエル・シューマッハ氏を復帰させての参戦は大きなニュースとなった。
また、ヴァージン、HRT、ロータス(後にケータハムに改名)が参戦し12チームでの開催という盛り上がりを見せた。
が、予算制限を巡り一時分裂寸前にまで発展したりと不穏な雰囲気が漂わせる事もあった。

"2チームが残した一強"の時代
2010年代前半と言えばレッドブル全盛第一期と言えるだろう。
2009年シーズンからのレギュレーション変更により徐々に頭角を表していたレッドブルは、2010年シーズンからブレイク。
セバスチャン・ベッテル、マーク・ウェバーを擁しコンストラクターズを獲得。
その後セバスチャン・ベッテルと共に4シーズン連続でドライバーズタイトル、コンストラクターズを獲得した。
他にもメルセデス・AMGの参戦やミハエル・シューマッハの復帰など今後のレース史に大きく関わることが起きた時代である。
2009年シーズンからのレギュレーション変更により徐々に頭角を表していたレッドブルは、2010年シーズンからブレイク。
セバスチャン・ベッテル、マーク・ウェバーを擁しコンストラクターズを獲得。
その後セバスチャン・ベッテルと共に4シーズン連続でドライバーズタイトル、コンストラクターズを獲得した。
他にもメルセデス・AMGの参戦やミハエル・シューマッハの復帰など今後のレース史に大きく関わることが起きた時代である。
自然吸気の終わりとターボパワー時代の到来
2014年のレギュレーション変更によりこれまでV12→V10→V8と来ていた自然吸気エンジンは、1988年限りで一旦禁止されていたV6ターボエンジンへと回帰。名称もパワーユニットとなり、排気量も自然吸気時代の3.5から1.6Lまで下げられた。
環境への配慮や騒音問題、現代社会に適応していくモータースポーツの姿の変化を見ていくようだった。
環境への配慮や騒音問題、現代社会に適応していくモータースポーツの姿の変化を見ていくようだった。
2010年代の後半はパワーユニットにいち早く適応したまさにメルセデス一強である。
ハイブリッドシステムに今までのブレーキ回生(MGU-K)に加えMGU-Hという「ターボユニットのシャフトに発電機を接続し、そこから給電する」というシステムが導入。
MGU-Kは発電量に制限があるがMGU-Hには制限がなく、MGU-Hを使えたら使えただけ得をするというシステムだった。
ここに革新的なレイアウトを発見したメルセデス陣営は他より+160馬力を他のチームより長く扱えるというアドバンテージを得て、2014年から2019年にかけて6シーズン連続でタイトルを獲得した。(2016年のニコ・ロズベルグ以外は全てルイス・ハミルトン)
逆にこの部分で遅れを取ったホンダが痛い目を見た(すぐ下)。
ハイブリッドシステムに今までのブレーキ回生(MGU-K)に加えMGU-Hという「ターボユニットのシャフトに発電機を接続し、そこから給電する」というシステムが導入。
MGU-Kは発電量に制限があるがMGU-Hには制限がなく、MGU-Hを使えたら使えただけ得をするというシステムだった。
ここに革新的なレイアウトを発見したメルセデス陣営は他より+160馬力を他のチームより長く扱えるというアドバンテージを得て、2014年から2019年にかけて6シーズン連続でタイトルを獲得した。(2016年のニコ・ロズベルグ以外は全てルイス・ハミルトン)
逆にこの部分で遅れを取ったホンダが痛い目を見た(すぐ下)。
不遇な日本勢。それでも奮闘を見せた
さて、2010年代のF1に於いてにの日本勢は全体的に見ると不遇気味だった。2012年には小林可夢偉が鈴鹿で日本人2人目の母国での表彰台を獲得したりしたが、可夢偉もシート争いに破れ去りF1界から去る事になって一時期再び日本人ドライバー不在という状況となった。
また、2015年にはホンダがかつての第二期で黄金コンビを組んでいたマクラーレンチームとのジョイントで参戦したが、休止期間の長いブランクもあり大不調。
マクラーレン側もホンダからの要請を無視してリアエンドをとにかく小さくする「サイズゼロ」コンセプトがいろいろな面で大外れとなった。
上にも書いたようにこの時代のF1は「エクストラパワーを生み出すMGU-Hをいかに使いこなすか」が勝負の鍵であり、冷却やMGU-Hのためにリアエンドはある程度余裕を持たせるというのが最適解であった。
ここを絞り込んだためにMGU-Hを大型化できなかったホンダ陣営はシーズンを通してパワー不足と信頼性不足に悩まされることに。
アロンソもエンジンパワーの不足を嘆く無線をレース中に発したりするほどであり、僅か3年でコンビ解消。
その後はトロロッソに供給を行う一方で、トロロッソの親チームのレッドブルとのコンビ結成の交渉を進め、2019年にはレッドブルにも供給を行った。
エンジンに対する要求と空力的な妥協点を分かっていたニューエイ先生によりエンジンパフォーマンスも向上、優勝3回、表彰台にもメルセデスに次いで上がるようになり早くも次の時代への布石を生み出していた。
全体的に総括すれば、日本人ドライバーの不在や日本メーカーの大不調がありつつも、それでも日本のファンは期待を寄せて熱く応援し続けたのも事実である。
また、2015年にはホンダがかつての第二期で黄金コンビを組んでいたマクラーレンチームとのジョイントで参戦したが、休止期間の長いブランクもあり大不調。
マクラーレン側もホンダからの要請を無視してリアエンドをとにかく小さくする「サイズゼロ」コンセプトがいろいろな面で大外れとなった。
上にも書いたようにこの時代のF1は「エクストラパワーを生み出すMGU-Hをいかに使いこなすか」が勝負の鍵であり、冷却やMGU-Hのためにリアエンドはある程度余裕を持たせるというのが最適解であった。
ここを絞り込んだためにMGU-Hを大型化できなかったホンダ陣営はシーズンを通してパワー不足と信頼性不足に悩まされることに。
アロンソもエンジンパワーの不足を嘆く無線をレース中に発したりするほどであり、僅か3年でコンビ解消。
その後はトロロッソに供給を行う一方で、トロロッソの親チームのレッドブルとのコンビ結成の交渉を進め、2019年にはレッドブルにも供給を行った。
エンジンに対する要求と空力的な妥協点を分かっていたニューエイ先生によりエンジンパフォーマンスも向上、優勝3回、表彰台にもメルセデスに次いで上がるようになり早くも次の時代への布石を生み出していた。
全体的に総括すれば、日本人ドライバーの不在や日本メーカーの大不調がありつつも、それでも日本のファンは期待を寄せて熱く応援し続けたのも事実である。
新興チーム勢も不遇。僅か数年限りで消えた3チーム

アジア最大の格安航空会社「エアアジア」を所有するマレーシア人実業家トニー・フェルナンデスらがオーナーとして参戦したロータス・レーシングはシーズン途中に本家ロータスから訴訟問題に発展し「ケータハム」として活動するも、成績も振るわず、チームは売却されたりなどのすったもんだがあった中で2014年限りで撤退。末期には小林可夢偉も在籍した事があった。

開発費用削減のために風洞を使わず数値流体力学(CFD)によるシミュレーションのみでつくられたマシンで参戦するなど話題になったが、成績は振るわず、チームのオーナー権もロシアの自動車メーカー「マルシャ」が一時持ったり、マノー自身になったりと転々。結局新たなチームの売却先が見つからないまま、2017年1月に破産し、2016年シーズンを最後に消滅した。
2014年日本グランプリ中の不幸な事故により亡くなってしまったジュール・ビアンキが在籍していたチームでもある。

これらのチームが撤退してしまった一因として各チームに回る分配金が最下位近くの順位にいる下位チームにまで十分回らず資金難に及んでしまった事にあった。
これ以降、F1はこうした新規参戦チームに対して厳しい姿勢を取る事になり、2020年代の話だが、アメリカで活躍するレーシングチームであるアンドレッティ・オートスポーツとキャデラックが手を組んで2025年からの新規参戦を果たそうとしたものの、却下されてしまった事もある。

こちらはチーム全体としては下位に低迷する事もあったりするが2024年現在でも参戦を続けている。
2010年代のF1マシンの一覧
レッドブル・ルノー RB5