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三菱 スタリオン 4WD ラリーカー '84 - (2024/11/25 (月) 15:18:24) のソース

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|>|>|BGCOLOR(#cfe2f3):&bold() {三菱 スタリオン 4WD ラリーカー '84}|
|>|>|&image(width=450, https://i.imgur.com/HYFlZIm.png.jpg)Image Credit : 画像を引用した場合、引用元を表記。|
|~|~メーカー|[[三菱]]|
|~|~英名|Mitsubishi Starion 4WD Rallycar '84|
|~|~年式|1984|
|~|~エンジン|エンジン形式(知らない場合は抜かしてよい)|
|~|~タイプ|ラリーカー&br()クーペ|
|~|~カテゴリー|Gr.B|
|~|~PP(初期値)|XXXX|
|~|~総排気量|2,400cc|
|~|~最高出力|360~377PS/7,000rpm|
|~|~最大トルク|35~41kgfm/5,000rpm|
|~|~パワーウエイトレシオ|XX.XXkg/PS|
|~|~駆動形式|4WD|
|~|~吸気形式|TB|
|~|~全長|4,400mm|
|~|~全幅|1,695mm|
|~|~全高|1,320mm|
|~|~車両重量|1,250kg|
|~|~重量バランス|60対40|
|~|~トランスミッション|5速|
|~|~最高速度|XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい)|
|~|~登場|[[グランツーリスモ4]]&br()[[グランツーリスモ(PSP)]]&br()[[グランツーリスモ5]]&br()[[グランツーリスモ6]]|
|~|~備考|グループB規格のマシンとして参戦するはずだったが、&br()幻となってしまったスタリオン。|
}

*概要
三菱がグループB規格のラリーカーとしてスタリオンをベースに制作したのがスタリオン 4WD ラリーカー。1983年11月の東京モーターショーにてプロトタイプが発表された。[[アウディ]]が開発した[[スポーツクワトロ>アウディスポーツ クワトロ S1 ラリーカー '86]]の影響もあり、三菱としては初めての4WDのラリーカーとなった。

1984年8月のエクスペリメンタルクラス(実験・試作車のクラス)が設けられていたミルピスト・ラリー(フランス)にて実戦テストも兼ねて参戦。サスペンショントラブルが出てしまったものの、なんとか走りきりクラス優勝という成績を残した。次にRACラリーに、総合順位に含まれないプロトタイプクラスに参戦。これらのテストを重ねて、マシンの熟成を進めた。

翌年の85年にもマレーシアラリーのSクラスで参戦。まだ国際自動車スポーツ連盟(FISA。現在の国際自動車連盟)のホモロゲーションを得ていなかったため、このクラスで参戦したが、結果はエンジンのオーバーヒートによりリタイアに終わった。

様々な実戦テストを重ねて開発が進められていたのだが、86年にグループBにて相次ぐ死亡事故や重傷事故が巻き起こり、FISAはこの年限りでグループBの廃止を決定。新しい車両の受付も出来なくなったため、三菱はこのスタリオン4WDによるWRC参戦計画を中止せざるを得なくなってしまった。

そんなスタリオン4WDは、グループB廃止の決定がされた4ヶ月後に行われた香港〜北京ラリーに参戦した。このラリーではFISAのホモロゲーションが無い車両でも総合優勝が狙えるラリーであったのだ。このラリーに2台のスタリオン4WDを参戦させ、世界的には無名だった中国人ドライバーのルー・ニンジュンの想像外の奮闘ぶりの走りでアウディ・クワトロに次ぐ総合2位を獲得した。

結果的にこのラリーの参戦を持ってスタリオン4WDは役目を終えるが、後の三菱のラリーカーの開発の礎となった一台となったのである。

*解説
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*登場シリーズ
**グランツーリスモ4

**グランツーリスモ(PSP)

**グランツーリスモ5

**グランツーリスモ6

*コメント
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