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1980年代F1の世界とは?

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1980年代のF1とは?

“四天王”ら個性的スタードライバー達が彩った素晴らしき80s

80年代のF1は、ターボエンジンの時代で、多くのスター選手が誕生したF1の黄金期でもあった。音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナ、プロフェッサー(教授)の異名を持つアラン・プロスト、荒々しい走りで魅了したナイジェル・マンセル、そしてホンダを初のF1王者へと導いたネルソン・ピケがいた。
しかし、少し以前だと、ジル・ヴィルヌーブ、ケケ・ロズベルグ、アラン・ジョーンズが有名。ところが、ジルは1982年に事故死、ケケも86年に引退、アラン・ジョーンズも何度か復帰して同じく86年に引退してしまう。
アラン・ジョーンズ。

ターボパワーが席巻した80年代のF1テクノロジー

この時代と言えば、ターボエンジンに尽きる。70年代までのフォードコスワースDFVの時代をガラリと変えてしまったターボの技術は1977年にルノーによってもたらされた。その後は過激に進化していき1500馬力も平然と出せる時代になってしまった。この状況は89年にNAのみになるまで続く。
上の写真は1986年のF1グランプリに参戦していたベネトンB186。
この車が搭載していたエンジンは1,499 ccの直列4気筒という同時代の初代トヨタMR2などと同じくらいのエンジンを載せているにも関わらず、予選時に5.5バールの記録的なターボの高過給圧をかけてなんと1350馬力を発生させてしまっていた。
無論、これだけの負荷が掛かればエンジンかターボチャージャーが壊れてもおかしくないと思うが、今と異なりエンジンが何基でも用意出来たため問題なかった。
しかしテンゴ(1.5)の直4エンジンで1350馬力という、もはやドーピングと呼ぶべきほどの無茶苦茶な大パワーを生み出していた、まさに狂気の時代でもある。
一方で、70年代後半からF1を席巻していたグランド・エフェクトカーは1982年限りで禁止となった。
理由としては過激化したグランド・エフェクト技術の追求の結果、激しい上下の振動(ポーパシング現象)やそれを抑えるためにサスペンションを固くした結果、路面の凹凸に過敏に反応しての振動(バウンシング現象)がドライバーへの安全面への悪影響を危惧したため。
さらにそこにはジル・ヴィルヌーヴの事故死や、ディディエ・ピローニの大事故による引退などが重なり、1983年より「フロントタイヤの後端からリアタイヤの前端までの車体底面は平面でなければならない」とするフラットボトム規定が施行される事となる。

聖地『鈴鹿』の開催と日本のF1ブーム

さて、忘れてはいけないのが1987年。10年ぶりに鈴鹿サーキットにて日本グランプリが開催。さらに日本人ドライバーの中嶋悟がフルタイム参戦、そしてフジテレビがF1中継を開始。一気に日本でF1ブームが白熱。F1が一気に国民的人気のスポーツとなった。
当時は日本もバブル期に入った事もあり、多くの日本のスポンサー企業がF1チームに彩るようになるのは90年代初頭頃である。

1980年代のF1マシンの一覧

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