マウンテンバイクの歴史
アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
マリン郡で、
クランカーと呼ばれる改造
自転車で、山の未舗装路を駆け下りる遊びが始まる。
週末には
タイムを計測するレースが開催されるようになり、多くの人が集まるようになってきた。
改造車では故障だらけだったので、専用
バイクが作られるようになり、「マウンテンバイク」と名づけられた。
現在のマウンテンバイクの原型が出来上がり、多くのメーカーがマウンテンバイクを作るようになる。
コンポーネントも、マウンテンバイク専用のものが登場する。
山を下るだけでなく、オフロードを自在に走って楽しむ道具として世界に拡大。
多くの有名企業がマウンテンバイクに参入。
スキーリゾートはオフシーズンの集客のためにコースを作りレースを開催した。
トレイル保護の活動は、NORBAから1988年設立のIMBAに移り、活発になっていった。
世界各地にもマウンテンバイクは広がっていき、協会の設立・レースの開催がされるようになっていった。
マウンテンバイクが
UCIに認められ、
世界選手権大会・
ワールドカップが行われるようになる。
世界的に競技スポーツとして認められ、マウンテンバイクのレジャー人口、競技人口とも飛躍的に拡大していった。
競技のレベルアップとともに、機材のレベルアップも進む。ダウンヒルでは
フルサスが標準になり、選手のレベルの向上もあわせ、コースの難易度も向上。
ブレーキが大幅に進歩。サスペンションも進化し、競技ごとに特化しだす。
年々過激さが増す
ダウンヒルレースにおいて、サスペンションとブレーキが進化。
非競技志向に山を下る「
フリーライド」という言葉が出てくる。
ダウンヒルバイクほどではないが、長いサスペンションを備えたフルサス。
カナダの
ノースショア連峰で、木で作った一本橋や、ラダーと呼ばれる梯子状の道の上を走ったり、飛び降りたりする、
トライアルとフリーライドが合わさったスタイルがビデオで紹介されるようになり、「ノースショアスタイル」と呼ばれる。
フォークロスのコースはジャンプが多くなり、BMXライダーも参戦してくるようになる。マウンテンバイクライダーのジャンプの技術の向上により、
ダートジャンプも出てきて、ビデオ作品などに出演するダートジャンプのプロが出てくる。
あわせて、
ストリートライダーも出てくるようになる。
マウンテンバイクのビデオが多く作られるようになり、速く走るのではなく、飛び降りなど過激な乗り方で、ビデオに出演するプロのフリーライダーがカナダを中心に出てくる。これによって「フリーライド」は非競技志向の山下りから、過激な山下りに意味が変わっていく。
また、マウンテンバイクでのダートジャンプ、ストリートなどのフリースタイルも多く紹介されるようになり、プロも出てくる。
サスペンションの技術がさらに進化。ペダリングでは動かず、衝撃では動くという、
ボビング制御システムを各社が争うようになる。
これにより、ロングストロークでペダリングロスが少ないバイクが作れるようになった。
関連項目
最終更新:2008年05月29日 10:56