ハッピーセカンドライフと静岡マスターズ陸上
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- 予選②10"62(+1.9)
準決⑤10"59(+2.8)
で、テレビ放映には届きませんでした。
準備不足の人間がいくら取り繕っても、無理だ、と云っていました。
とにかくもう一度今シーズン中に作り直して一本走りたい、らしいです。
つまり、故障箇所はもう大丈夫、ということなのでしょう。
サブトラックを眺めていると(IDが無いので入れない、遠目で見るしかありません)、
予選、準決のレースを見ると、木村選手優勝!だろうな・・・でした。今回は。
座りっぱなしでバリバリでしたか。でも親指-小指スイッチでその辺はクリア出来そう。
そうだ、競技場のスタンドで松村先生に。ご長男も。
なんだか嬉しくなりました。 -- (二日酔い主義者) 2010-10-02 22:24:46 - えーと、余計なことなのでしょうが、バカ息子の、月刊陸上に寄稿した、その「原文」を貼り付けます。
ご意見を頂戴出来れば・・・。
マイプライバシー原稿
あぶくまAC:佐久間 康太
↓以下本文
「文は人なり」。
文章はそれを書いた人のヒトとナリを表すという意味の、先人達が残した言葉である。この名文句、はなはだ厄介者で、極東の島国のとあるスプリンターは、つくばから逃避し、それほど遠くないみちのく、片倉氏のオヒザモト白石に垂れ込め、頭をウンウン痛め、言葉をぎゅうぎゅうと搾り出すことと相成った。読者諸兄においては、その慧眼をもって小生の苦悩の日々を思い浮かべ、「ウム」と一つ頷いていただければ、望外の喜びである。
さて。
この陸上競技に関わること十数年、である。本格的に取り組みだしたのは中学時代であった。それから高校を出るまでの6年間は特に、「自分は走っているとき、跳んでいるときどう動いているんだろう?」と、あれャこれャ、モグモグ頭を悩ませながら、どうにかこうにか整頓し、身体の像をまとめるのに必死であった。白石高校1年時、顧問の小関浩信先生の勧めで出合った三段跳もインターハイの8位入賞(14m67)が目イッパイ。
混沌にして明快。明快にして混沌。
このときの経験が、現在のパフォーマンスにつながっていることは言うまでも無い。我儘を認めていただいた小関先生、中高の仲間達には、ひたすら感謝。そして反省。
・・・愚かなサクマでした。
中高生の読者諸氏、自分がどう動いてるかは、わかっといたほうがいいゼ。
辛くも拾われた筑波大学。陸の孤島つくばという土地柄も相俟って、ひたすら競技に取り組むばかり。大学1年で何がよかったか三段跳で1メートル(15m75)、100mで0.3秒(11秒02→10秒69)記録が伸びる快進撃。
しかし世の中は厳しいのダ。その反動、翌年以降は記録が、ハタ、と伸びなくなる。以後大学3年の冬まで焦燥、苦悩、暗澹、混沌、悶々、ヤケクソで日々をうっちゃることになったのである。ブルース、ロック、ジャズ、大滝詠一師匠、ナイアガラ、はっぴいえんど、開高健、吉村昭、そしてALCOHOLE。…嗚呼(なあ、ヒデカズ、そして藤川)。
学生の読者諸氏、趣味を開拓するのはこういうときなのだよ。
大学3年時。冬。
谷川聡コーチの熱烈にして毒づく誘い、村木征人御大のエールを言外に潜めた後押しを受け、同期の成迫健児、長谷川充と一緒に走りこんだら面白かろうと確信し、飛び込んだは400m。
あわれな青年はスプリントに目覚めるのだね。短長パート一冬の狂熱、切磋琢磨、ツッパリの応酬によってジャンパーは強制的にロングスプリンターへと化す。
それでも満足いかぬ。
大学院1年時から100mへ。
(谷川コーチのホームページと本誌6月号の記事も参照されたし)
大学院在学中の修士論文の作成。大学院修了後、筑波大学の科目等履修生として地理、歴史、思想、政治、ウンヌンの学び。ほぼ同時並行の朝練における後輩へのアウトプット。モラトリアムを利用しての趣味の探求。これらは思考の整理を大いに助け、そして先述の焦燥、苦悩…、の日々の原因を解明セリ。
これら全ての経験と、絶えず変わり行く現在を通じ、わかったことがある。
競技者が強くなる過程にはトレーニング負荷の増大そして効率化と、さらに競技者の知覚その全てからなる、訥弁にして雄弁な暗黙知の記述がものをいう、と。
また。
人間、視点が変わればものの見方も変わるというように、ヤケクソ当時の技術偏重の視点では、「人間が走る、跳ぶ」という現象を素直に捉えることは出来なかったんだナ。奇妙奇天烈クリスマスなんだ、この世界は(宮代クンもそう思うだろ?)。
嗚呼、あわれナリ、愚かナリ、サクマ。
ところで…。
今現在は、土浦市に本社を構える、㈱ジョイフルアスレチッククラブにて勤務、同時に筑波スポーツ科学研究所に所属し、一応社会人であり研究者としての生活を送っている。
紆余曲折は経ましたが、ようやく村木御大と谷川コーチの言わんとすることの取ッ掛かりに手が届きました。そう思いたい。長い目で見守ってくださっている両恩師と、宮下憲先生に、心から感謝いたします。そして全てのパトロン、仲間達にも心から御礼申し上げます。もちろん、あぶくまACにも。
…愚かなサクマでした(再掲)。謝謝!
競技生活の終わるそのときに、
「旅は成就した。
円は閉じた。」 (開高健『オーパ、オーパ!!王様と私』より)
と言えるように、日々精進を重ねたい。
最後に故開高健生誕80年を偲び、合掌。そして脱稿。んでマズ。
-- (二日酔い主義者) 2010-10-02 23:22:20 - 案の定、全文は入りませんでしたね。次けます。
これら全ての経験と、絶えず変わり行く現在を通じ、わかったことがある。
競技者が強くなる過程にはトレーニング負荷の増大そして効率化と、さらに競技者の知覚その全てからなる、訥弁にして雄弁な暗黙知の記述がものをいう、と。
また。
人間、視点が変わればものの見方も変わるというように、ヤケクソ当時の技術偏重の視点では、「人間が走る、跳ぶ」という現象を素直に捉えることは出来なかったんだナ。奇妙奇天烈クリスマスなんだ、この世界は(宮代クンもそう思うだろ?)。
嗚呼、あわれナリ、愚かナリ、サクマ。
ところで…。
今現在は、土浦市に本社を構える、㈱ジョイフルアスレチッククラブにて勤務、同時に筑波スポーツ科学研究所に所属し、一応社会人であり研究者としての生活を送っている。
紆余曲折は経ましたが、ようやく村木御大と谷川コーチの言わんとすることの取ッ掛かりに手が届きました。そう思いたい。長い目で見守ってくださっている両恩師と、宮下憲先生に、心から感謝いたします。そして全てのパトロン、仲間達にも心から御礼申し上げます。もちろん、あぶくまACにも。
…愚かなサクマでした(再掲)。謝謝!
競技生活の終わるそのときに、
「旅は成就した。
円は閉じた。」 (開高健『オーパ、オーパ!!王様と私』より)
と言えるように、日々精進を重ねたい。
最後に故開高健生誕80年を偲び、合掌。そして脱稿。んでマズ。
-- (二日酔い主義者) 2010-10-02 23:30:20 - 次けますは無いよね。続けます、でした。
何だそれ。 -- (二日酔い主義者) 2010-10-02 23:34:52 - 二日酔い主義者さん、
ちょうど家に帰ってきたら国体の放送が始まる頃でしたので、観戦しておりました。
決勝には出られなかったとのこと、残念でした。
松村先生のブログにもコメントがありましたが、多くのトップ選手の中で、ご子息だけが考えた走りをされていたと看破されていました。
是非、あぶくまACの所属で、また日本一になって欲しいと祈っております。
月刊陸上の文章については、また後ほど。 -- (中嶋) 2010-10-03 18:02:27