15年8月 - (2015/08/23 (日) 17:02:14) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
***今日の練習(8月23日)
気が付いたら11時過ぎでした。
しっかり寝ることが出来たので、これで時差ボケは解消できたと思います。
冷やしておいた桃を1個食べてグランドへ行きました。
既に午前の練習は終わっていて、誰も居ませんでした。
昨日はハードルが跳べなかったので、今日は初めからハードルはやるき無し。
その代り、ハードリングのスピードイメージを作るために、25cmのミニハードルを並べて走ってみました。
また、スプリント練習で康太さんに教えてもらった、SDとオノマトペの復習です。
ミニハードルでスピードを上げるためには、接地した足の上に重心が乗らなければなりません。
ある程度のディップが重要であることを感じました。
SDはなかなかうまくできなかったのですが、最後にはなんとかできるようになりました。
これから暫く、歩くときもやってみようと思います。
オノマトペは、イメージを言葉にして走るのですが、スタートのグイグイから次のサッサへの切り替えが難しかったのですが、中間から後半の古新聞は意識して走れました。
メニュー:アップ、骨ストレッチ、ウォークドリル、100mウォームアップ走x2、100m流しx2、SD30mx6、ミニハードル5x6、100mテンポx3x2、400m流しx1、ダウン、骨ストレッチ。
400mは1分19秒でした。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150821)
***ハードルが跳べまっせーん(8月22日)
朝、子供会の廃品回収で起こされて、新聞を縛って出しました。
その後二度寝をしたら、すっかり寝込んでしまい検診に遅れそうでした。
検診といっても、高血圧の薬をのんでいるので、会社の健康診断の結果を主治医に持っていくと、毎年やるものです。
今回も、問題は有りませんでした。
それからグランドへ行ったのですが、既に12時を回っていて誰も居ませんでした。
明け方降っていた雨はすっかり止んで、青空が見えてきました。
アップをし流しまでは快調と思っていたのですが、ハードルを並べてみると、跳べません。
こういう時はやめておいた方が良いと思い、きっぱりハードルは諦めました。
300mトライアルも気が進みません。
結局400m流しをやりました。
18秒ペース位で走ったのですが、そこそこ疲れました。
あさひ整骨院に行ったのですが、院長先生が研修とのことで帰ってきました。
今日はそんな感じの日なんですね。
***急遽の帰国(8月17日)
妹から”母が緊急入院し手術をした”とのメールが来ました。
全日空に電話をし、事情を話しました。
まだ満席状態で本来なら変更ができるような状況ではなかったのですが、ご好意で18日に予約していたものを16日に変更をしていただきました。
リヨンからパリへTGVで向い、駅からシャトルバスで空港へ行きました。
成田行きの便に搭乗し、CAさんに変更のお礼とマスターズの話をしました。
成田到着前の食事の後にサプライズが有りました。
&ref(ana.jpg)
品川で成田エクスプレスから新幹線に乗り継いで、名古屋から高山の便を調べると、高速バスが9分で乗り継ぎ。
12時半に成田を出て、高山駅に6時40分の到着しました。
すぐに病院へ行き母に話をすると、「お前は、私に何か隠しているな。」「何か悪い仕事をしているんだろう。」といきなりの言葉。
妹は「母が痴呆症になってしまった。」と泣き悲しみ、大変びっくりしました。
89才になる母は、iPADや携帯で絵文字入りのメールも使いこなすほどしっかりしていましたが、ついにこうなってしまったかと半ば観念しました。
看護士さんから、夜は母を拘束しけらばならないと言われました。
実は、これは”術後せん妄”という現象で、高齢者が手術をすると現状が分からなくなるものなのです。
妄想に取り付かれた患者は、点滴を外してしまったり、手術の傷口を広げてしまう恐れがあるので、患者をベッドに拘束しなければなりません。
父の最期を看取った妹はそれだけはやめて欲しいと言うので、私が母の部屋に泊まり母を見ることにしました。
父も入院した時にベッドに拘束され、それで生き続ける気力が無くなっていったそうです。
その夜はほとんど一睡もできませんでした。
しかし18日の夕方になると、母は徐々に正気を取り戻してきました。
母は、夢と現実が分からなくなってしまったと言い、見ていた夢の話を延々と語ってくれました。
その夢には、現実に妹や看護士さんが話しかけた言葉があり、それがきっかけとなって夢が展開していったようです。
例えば、私がフランスから妹のメールを見て電話をした時に、今は飛行機が満席状態なのですぐに帰るのが難しいと言ったことが出てきました。
夢は、母と私がフランスから日本に戻ろうとしたところ、テロ事件が起きて戻れなくなってしまい、それに私が巻き込まれて死んでしまったという内容でした。
しかも、血だらけになった私は死に切れず、何とか楽にしてやりたいので火を付けても生きていたという恐ろしい内容でした。
夢を語り終わった母は、元のしっかりした母に戻っていました。
母の脅威の回復力と夢を覚えていた事に感心し、感謝しました。
後は手術から回復を待つばかりです。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150819)
***100mH(8月15日)
8月14日の予選はいきなりのピンチが訪れました。
コールルームへ行き、ゼッケンとユニフォームの確認がありました。
300mH予選で縁起の良かった黒のTシャツを着て行ったところ、これは日本のユニフォームではないので出場できないと。
全日本にもTICの受付でも日の丸が付いていれば良いという確認をしていたので、その旨を説明しても認めてもらえず、責任者に話をさせて欲しいと言ってようやく話を聞いてくれました。
責任者は、日本のユニフォームは白地に赤のラインが入っていて、Japanと書いてなければならないと言うので、サブでアップをしていたウインクにお願いをし、万一に備えて買ってきた、昨年の全日本推薦のユニフォームを取ってきてもらい着替えました。
それは赤ではなく青のラインだったのですが、とにかく全日本が推薦していたものです。
責任者は写真を撮り、誰かに送って確認したところ、これも日本のユニフォームではないとの一点張りでした。
とにかく走らせてくれと依頼し、結果が失格になっても良いなら走ることだけは許すといわれ、胸中穏やかではありませんでした。
心配なままスタートをし、それでも2着で走っていたので、最後の3台はスピードを押さえて確実に跳ぶ事を考えました。
&ref(prm.jpg)
レースが終わり心配していると、ユウコさん(ロバートの奥さん)が、「事を荒立ててはだめ。結果発表を待って、通過していればこっちのもの。」とアドバイスをしてくれたので、心配ながらも結果発表を待ちました。
張り出された予選の結果には予選通過のqの文字がありました。
翌日は無駄なエネルギーを使いたくなかったので、本部の近くのスポーツ用品のテントに白地に赤ラインのランニングシャツを見つけ、スーパーでマジックを買って、ラッキーガールのウインクにもらったJAPANの文字のサンプルを書き込み、日の丸のワッペンを貼りました。
&ref(unf.jpg)
その日の夕方に、チームリーダーの永井さんが大会運営責任者にユニフォームの取り扱いに対し抗議をしてくれたにもかかわらず、翌日も同じ混乱が続いていました。
幸い、私は何も言われず競技には集中できたのですが、準決勝は足が重く、追い風にもかかわらずタイムが落ちてしまいました。
ハードリングで体が浮いた感じでした。
予選はぎりぎりの8位で通貨、9位との差は0.04秒でした。
&ref(sfn.jpg)
準決勝と決勝の間は、ゆっくり寝てヒエローで足を冷やしました。
アップをすると足も軽くなりよい感じになってきました。
コールを待っている間、鴻池会長と「決勝では思い切って突っ込んでいくこと」を誓い合いました。
ハードルはリズムの種目であり、意気込みすぎは失敗でした。
1台目を引っ掛けて失速。それでも3歩をキープして何とか走り切りました。
タイムは悪かったのですが、ファイナルを走り切り、気分は爽やかでした。
しかし、ひざからは血がタラーリ。
1台目はどんなぶつけ方をしたのでしょうか。
救急隊にバンドエイドを貰いに行くと、大げさにも包帯を巻かれました。
&ref(fnl2.jpg)
&ref(tdu.jpg)
残念なことですが、64歳にしてM60全米チャンピオンのThaddeus氏が10台目で転倒してしまいました。
結果は7位でした。
&ref(fnl.jpg)
【記録】
予選 17秒32(-1.9m)
準決勝 17秒45(+1.1m)
決勝 18秒10(-0.1m)
今回、ファイナルまで行くことができたのは、これまで支えていただいた多くの方々のおかげです。
骨ストレッチを指導していただいた松村先生のおかげで怪我無く競技を続けています。
青森の芳賀さんのアドバイスで、タイムは飛躍的に向上しました。
佐久間親子のお二人に、スプリントの指導をしていただき、速く走ることが体験できました。
あさひ整骨院の永谷先生には、カチカチなっていた筋肉を使える柔らかい筋肉にしていただきました。
(チームアンディメンバー+新居田さん)には、具体的な技術面と精神面で支えていただきました。
ありがとうございました。
ハードルの課題は明確になっています。
全日本に向けて向上できるよう頑張ります。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150814)
リヨン観光(8月12日)
***300mHが終わりました。(8月11日)
&ref(hda.jpg)
8月8日、羽田発10:40の便は15分遅れの出発で、TGVの乗り継ぎを心配しましたが、定刻の到着。
シャルルドゴール空港からリヨン行きのガレ・ド・リヨン駅までバスで移動しました。
&ref(gdl.jpg)
1時間くらいの移動を予想していたのですが、20分くらいで到着。
結局、予約していたTGVの時間より1時間半前に着いてしまいました。
早い電車に変更できないかと思いチケット売り場へ行ったところ変更可能。
ファーストクラスなら変更料金は100ユーロで、二等車なら7ユーロの返金。もちろん二等車を選択しました。
売店で飲み物を買い、電車に乗り込みました。
リヨンのパールデュー駅には8時少し前に到着し、タクシーに乗ってホテルへ向かいました。
&ref(pds.jpg)
ホテルの近くのスーパーで食材を買って、軽めの夕食を食べました。
9日は、いよいよ競技の日です。
&ref(idc.jpg)
朝一番にメインスタジアムへ行って、IDをもらい、日本からのメンバーが来ていないかと観覧席へいくと、日の丸が掲げてありました。
その近くの方にご挨拶をしていると、大江さんと森田さんもやってきました。
&ref(ooe.jpg)
300mHは別の競技場で11時15分からなので、バスと地下鉄で行くのですが、バス停には切符売り場が見当りません。
近くで売っていないかときょろきょろしていると、フランス人のお兄さんが「どうかしたの?」と声をかけてくれました。
切符売り場を探していると言うと、自分は使わないからと1枚分けてくれました。
お金を払おうとするとあまっているからと受け取ってくれませんでした。
バスから地下鉄へ乗り継いでローヌ・スタジアムに到着。
競技場へ入ろうとしたとき、福岡の太田さんに声をかけられました。
やり投げに出場されますが、競技は二日後とのこと。
前田さんと梶原さんに会ってアップをしていると日本人の方を見かけたので早速ご挨拶を。
&ref(mwk.jpg)
千葉の山崎さんは、ひとつ上のMM65で300mHに出られましたが、準決勝の10台目でまさかの転倒。
決勝確実の位置につけておられたのですが、残念でした。
さて自分の競技ですが、予選は1組1レーンでした。
詳細が発表されないので、係員に聞いたところ6組あります。
準決勝は3組だと思い込んでいたので、3位に入っていれば準決勝に残れると思っていました。
1レーンは、他の競技者を見ながら走れ、5台目を跳んだ時に3位だったので、これは楽勝と思い6台目から流しました。
ところが、これはいけませんでした。
掲示板へ行くと既に終わっているハードルの準決勝は2組しかありません。
3位ということは18番くらいで、これでは準決勝に残れません。
なかなか結果が掲示されなくて、もう半ば諦めていたのですが、16人中15番でかろうじて予選通過。
結果オーライでしたが、危ういところでした。
&ref(lnc.jpg)
安心してビールを一杯。
二日目の準決勝は12時スタートだったので、10時にローヌ・スタジアムへ行ってアップを始めようと思ったら、遠くで手を振る大男。
ロバートとユウコさんがハードルの練習に来ていました。
コーチ・ロバートにハードリングを修正してもらい、コール・ルームに向かいました。
昨日は進行が30分位遅れていたのですが、今日はプログラム通りです。
1組8レーンで、もうこれはがむしゃらに走るしかない配置です。
1台目から躊躇せず突っ込んでいきましたが、4台目で47秒台の3人に抜かれ最後の第7ハードルを跳んだ時は、もう力が残っていませんでした。
&ref(rsl.jpg)
結果は16人中12位で決勝の8人には入れませんでした。
タイムは50秒98。
&ref(grc.jpg)
11位のギリシアの選手と
リヨン一のアイスクリーム。
&ref(icr.jpg)
3日めの今日は何もなくなったので、観光と応援に行きます。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150811)
***ワールドマスターズのLyon2015のwebにハンドブックが公開されました(8月2日)
[[ワールドマスターズ・リヨン2015]]に重要なことを書きだしてみました。
私は8日の夜到着で、9日が初戦です。
開始が11時なので、朝一版番にTICへ行き登録をし、別の会場で予選を走らなければなりません。
なんとか間に合いそうですが。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150801)
***練習しました(8月1日)
グランドへ着いたのが12時でした。
午前の練習の中高生は既に帰ってしまっていて、一人でした。
暑い中でも練習は続けてきましたが、今年一番の暑さです。
少し動いては水分補給をし、なんとか最後まで練習が出来ました。
最後のエンディングは風も強く厳しかったです。
ホームストレートは1.5mくらいの向かい風でした。
タイムは49秒088。
メニュー:アップ、骨ストレッチ、ウォークドリル、100m芝x2、100m流しx1、スプリントサーキット3セット、古新聞ドリルx3、SD30mx2、ハードル3台x2、6台x2、300m、ダウン、骨ストレッチ。
ハードルは向い風の中で走ってみましたが、先週の感覚が再現できました。
とっても良い感じです。
帰りにスーパーでキリンのソルティーライム見つけました。
甘過ぎず生き返った心地でした。
&ref(stl.jpg)
&counter(yesterday)
&counter(today)
&counter()
***今日の練習(8月23日)
気が付いたら11時過ぎでした。
しっかり寝ることが出来たので、これで時差ボケは解消できたと思います。
冷やしておいた桃を1個食べてグランドへ行きました。
既に午前の練習は終わっていて、誰も居ませんでした。
昨日はハードルが跳べなかったので、今日は初めからハードルはやるき無し。
その代り、ハードリングのスピードイメージを作るために、25cmのミニハードルを並べて走ってみました。
また、スプリント練習で康太さんに教えてもらった、SDとオノマトペの復習です。
ミニハードルでスピードを上げるためには、接地した足の上に重心が乗らなければなりません。
ある程度のディップが重要であることを感じました。
SDはなかなかうまくできなかったのですが、最後にはなんとかできるようになりました。
これから暫く、歩くときもやってみようと思います。
オノマトペは、イメージを言葉にして走るのですが、スタートのグイグイから次のサッサへの切り替えが難しかったのですが、中間から後半の古新聞は意識して走れました。
メニュー:アップ、骨ストレッチ、ウォークドリル、100mウォームアップ走x2、100m流しx2、SD30mx6、ミニハードル5x6、100mテンポx3x2、400m流しx1、ダウン、骨ストレッチ。
400mは1分19秒でした。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150821)
***ハードルが跳べまっせーん(8月22日)
朝、子供会の廃品回収で起こされて、新聞を縛って出しました。
その後二度寝をしたら、すっかり寝込んでしまい検診に遅れそうでした。
検診といっても、高血圧の薬をのんでいるので、会社の健康診断の結果を主治医に持っていくと、毎年やるものです。
今回も、問題は有りませんでした。
それからグランドへ行ったのですが、既に12時を回っていて誰も居ませんでした。
明け方降っていた雨はすっかり止んで、青空が見えてきました。
アップをし流しまでは快調と思っていたのですが、ハードルを並べてみると、跳べません。
こういう時はやめておいた方が良いと思い、きっぱりハードルは諦めました。
300mトライアルも気が進みません。
結局400m流しをやりました。
18秒ペース位で走ったのですが、そこそこ疲れました。
あさひ整骨院に行ったのですが、院長先生が研修とのことで帰ってきました。
今日はそんな感じの日なんですね。
***急遽の帰国(8月17日)
妹から”母が緊急入院し手術をした”との[[メール]]が来ました。
全日空に電話をし、事情を話しました。
まだ満席状態で本来なら変更ができるような状況ではなかったのですが、ご好意で18日に予約していたものを16日に変更をしていただきました。
リヨンからパリへTGVで向い、駅からシャトルバスで空港へ行きました。
成田行きの便に搭乗し、CAさんに変更のお礼とマスターズの話をしました。
成田到着前の食事の後にサプライズが有りました。
&ref(ana.jpg)
品川で成田エクスプレスから新幹線に乗り継いで、名古屋から高山の便を調べると、高速バスが9分で乗り継ぎ。
12時半に成田を出て、高山駅に6時40分の到着しました。
すぐに病院へ行き母に話をすると、「お前は、私に何か隠しているな。」「何か悪い仕事をしているんだろう。」といきなりの言葉。
妹は「母が痴呆症になってしまった。」と泣き悲しみ、大変びっくりしました。
89才になる母は、iPADや携帯で絵文字入りのメールも使いこなすほどしっかりしていましたが、ついにこうなってしまったかと半ば観念しました。
看護士さんから、夜は母を拘束しけらばならないと言われました。
実は、これは”術後せん妄”という現象で、高齢者が手術をすると現状が分からなくなるものなのです。
妄想に取り付かれた患者は、点滴を外してしまったり、手術の傷口を広げてしまう恐れがあるので、患者をベッドに拘束しなければなりません。
父の最期を看取った妹はそれだけはやめて欲しいと言うので、私が母の部屋に泊まり母を見ることにしました。
父も入院した時にベッドに拘束され、それで生き続ける気力が無くなっていったそうです。
その夜はほとんど一睡もできませんでした。
しかし18日の夕方になると、母は徐々に正気を取り戻してきました。
母は、夢と現実が分からなくなってしまったと言い、見ていた夢の話を延々と語ってくれました。
その夢には、現実に妹や看護士さんが話しかけた言葉があり、それがきっかけとなって夢が展開していったようです。
例えば、私がフランスから妹のメールを見て電話をした時に、今は飛行機が満席状態なのですぐに帰るのが難しいと言ったことが出てきました。
夢は、母と私がフランスから日本に戻ろうとしたところ、テロ事件が起きて戻れなくなってしまい、それに私が巻き込まれて死んでしまったという内容でした。
しかも、血だらけになった私は死に切れず、何とか楽にしてやりたいので火を付けても生きていたという恐ろしい内容でした。
夢を語り終わった母は、元のしっかりした母に戻っていました。
母の脅威の回復力と夢を覚えていた事に感心し、感謝しました。
後は手術から回復を待つばかりです。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150819)
***100mH(8月15日)
8月14日の予選はいきなりのピンチが訪れました。
コールルームへ行き、ゼッケンとユニフォームの確認がありました。
300mH予選で縁起の良かった黒のTシャツを着て行ったところ、これは日本のユニフォームではないので出場できないと。
全日本にもTICの受付でも日の丸が付いていれば良いという確認をしていたので、その旨を説明しても認めてもらえず、責任者に話をさせて欲しいと言ってようやく話を聞いてくれました。
責任者は、日本のユニフォームは白地に赤のラインが入っていて、Japanと書いてなければならないと言うので、サブでアップをしていたウインクにお願いをし、万一に備えて買ってきた、昨年の全日本推薦のユニフォームを取ってきてもらい着替えました。
それは赤ではなく青のラインだったのですが、とにかく全日本が推薦していたものです。
責任者は写真を撮り、誰かに送って確認したところ、これも日本のユニフォームではないとの一点張りでした。
とにかく走らせてくれと依頼し、結果が失格になっても良いなら走ることだけは許すといわれ、胸中穏やかではありませんでした。
心配なままスタートをし、それでも2着で走っていたので、最後の3台はスピードを押さえて確実に跳ぶ事を考えました。
&ref(prm.jpg)
レースが終わり心配していると、ユウコさん(ロバートの奥さん)が、「事を荒立ててはだめ。結果発表を待って、通過していればこっちのもの。」とアドバイスをしてくれたので、心配ながらも結果発表を待ちました。
張り出された予選の結果には予選通過のqの文字がありました。
翌日は無駄なエネルギーを使いたくなかったので、本部の近くのスポーツ用品のテントに白地に赤ラインのランニングシャツを見つけ、スーパーでマジックを買って、ラッキーガールのウインクにもらったJAPANの文字のサンプルを書き込み、日の丸のワッペンを貼りました。
&ref(unf.jpg)
その日の夕方に、チームリーダーの永井さんが大会運営責任者にユニフォームの取り扱いに対し抗議をしてくれたにもかかわらず、翌日も同じ混乱が続いていました。
幸い、私は何も言われず競技には集中できたのですが、準決勝は足が重く、追い風にもかかわらずタイムが落ちてしまいました。
ハードリングで体が浮いた感じでした。
予選はぎりぎりの8位で通貨、9位との差は0.04秒でした。
&ref(sfn.jpg)
準決勝と決勝の間は、ゆっくり寝てヒエローで足を冷やしました。
アップをすると足も軽くなりよい感じになってきました。
コールを待っている間、鴻池会長と「決勝では思い切って突っ込んでいくこと」を誓い合いました。
ハードルはリズムの種目であり、意気込みすぎは失敗でした。
1台目を引っ掛けて失速。それでも3歩をキープして何とか走り切りました。
タイムは悪かったのですが、ファイナルを走り切り、気分は爽やかでした。
しかし、ひざからは血がタラーリ。
1台目はどんなぶつけ方をしたのでしょうか。
救急隊にバンドエイドを貰いに行くと、大げさにも包帯を巻かれました。
&ref(fnl2.jpg)
&ref(tdu.jpg)
残念なことですが、64歳にしてM60全米チャンピオンのThaddeus氏が10台目で転倒してしまいました。
結果は7位でした。
&ref(fnl.jpg)
【記録】
予選 17秒32(-1.9m)
準決勝 17秒45(+1.1m)
決勝 18秒10(-0.1m)
今回、ファイナルまで行くことができたのは、これまで支えていただいた多くの方々のおかげです。
骨ストレッチを指導していただいた松村先生のおかげで怪我無く競技を続けています。
青森の芳賀さんのアドバイスで、タイムは飛躍的に向上しました。
佐久間親子のお二人に、スプリントの指導をしていただき、速く走ることが体験できました。
あさひ整骨院の永谷先生には、カチカチなっていた筋肉を使える柔らかい筋肉にしていただきました。
(チームアンディメンバー+新居田さん)には、具体的な技術面と精神面で支えていただきました。
ありがとうございました。
ハードルの課題は明確になっています。
全日本に向けて向上できるよう頑張ります。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150814)
リヨン観光(8月12日)
***300mHが終わりました。(8月11日)
&ref(hda.jpg)
8月8日、羽田発10:40の便は15分遅れの出発で、TGVの乗り継ぎを心配しましたが、定刻の到着。
シャルルドゴール空港からリヨン行きのガレ・ド・リヨン駅までバスで移動しました。
&ref(gdl.jpg)
1時間くらいの移動を予想していたのですが、20分くらいで到着。
結局、予約していたTGVの時間より1時間半前に着いてしまいました。
早い電車に変更できないかと思いチケット売り場へ行ったところ変更可能。
ファーストクラスなら変更料金は100ユーロで、二等車なら7ユーロの返金。もちろん二等車を選択しました。
売店で飲み物を買い、電車に乗り込みました。
リヨンのパールデュー駅には8時少し前に到着し、タクシーに乗ってホテルへ向かいました。
&ref(pds.jpg)
ホテルの近くのスーパーで食材を買って、軽めの夕食を食べました。
9日は、いよいよ競技の日です。
&ref(idc.jpg)
朝一番にメインスタジアムへ行って、IDをもらい、日本からのメンバーが来ていないかと観覧席へいくと、日の丸が掲げてありました。
その近くの方にご挨拶をしていると、大江さんと森田さんもやってきました。
&ref(ooe.jpg)
300mHは別の競技場で11時15分からなので、バスと地下鉄で行くのですが、バス停には切符売り場が見当りません。
近くで売っていないかときょろきょろしていると、フランス人のお兄さんが「どうかしたの?」と声をかけてくれました。
切符売り場を探していると言うと、自分は使わないからと1枚分けてくれました。
お金を払おうとするとあまっているからと受け取ってくれませんでした。
バスから地下鉄へ乗り継いでローヌ・スタジアムに到着。
競技場へ入ろうとしたとき、福岡の太田さんに声をかけられました。
やり投げに出場されますが、競技は二日後とのこと。
前田さんと梶原さんに会ってアップをしていると日本人の方を見かけたので早速ご挨拶を。
&ref(mwk.jpg)
千葉の山崎さんは、ひとつ上のMM65で300mHに出られましたが、準決勝の10台目でまさかの転倒。
決勝確実の位置につけておられたのですが、残念でした。
さて自分の競技ですが、予選は1組1レーンでした。
詳細が発表されないので、係員に聞いたところ6組あります。
準決勝は3組だと思い込んでいたので、3位に入っていれば準決勝に残れると思っていました。
1レーンは、他の競技者を見ながら走れ、5台目を跳んだ時に3位だったので、これは楽勝と思い6台目から流しました。
ところが、これはいけませんでした。
掲示板へ行くと既に終わっているハードルの準決勝は2組しかありません。
3位ということは18番くらいで、これでは準決勝に残れません。
なかなか結果が掲示されなくて、もう半ば諦めていたのですが、16人中15番でかろうじて予選通過。
結果オーライでしたが、危ういところでした。
&ref(lnc.jpg)
安心してビールを一杯。
二日目の準決勝は12時スタートだったので、10時にローヌ・スタジアムへ行ってアップを始めようと思ったら、遠くで手を振る大男。
ロバートとユウコさんがハードルの練習に来ていました。
コーチ・ロバートにハードリングを修正してもらい、コール・ルームに向かいました。
昨日は進行が30分位遅れていたのですが、今日はプログラム通りです。
1組8レーンで、もうこれはがむしゃらに走るしかない配置です。
1台目から躊躇せず突っ込んでいきましたが、4台目で47秒台の3人に抜かれ最後の第7ハードルを跳んだ時は、もう力が残っていませんでした。
&ref(rsl.jpg)
結果は16人中12位で決勝の8人には入れませんでした。
タイムは50秒98。
&ref(grc.jpg)
11位のギリシアの選手と
リヨン一のアイスクリーム。
&ref(icr.jpg)
3日めの今日は何もなくなったので、観光と応援に行きます。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150811)
***ワールドマスターズのLyon2015のwebにハンドブックが公開されました(8月2日)
[[ワールドマスターズ・リヨン2015]]に重要なことを書きだしてみました。
私は8日の夜到着で、9日が初戦です。
開始が11時なので、朝一版番にTICへ行き登録をし、別の会場で予選を走らなければなりません。
なんとか間に合いそうですが。
#comment_num2(size=30,vsize=5,num=20,logpage=コメント150801)
***練習しました(8月1日)
グランドへ着いたのが12時でした。
午前の練習の中高生は既に帰ってしまっていて、一人でした。
暑い中でも練習は続けてきましたが、今年一番の暑さです。
少し動いては水分補給をし、なんとか最後まで練習が出来ました。
最後のエンディングは風も強く厳しかったです。
ホームストレートは1.5mくらいの向かい風でした。
タイムは49秒088。
メニュー:アップ、骨ストレッチ、ウォークドリル、100m芝x2、100m流しx1、スプリントサーキット3セット、古新聞ドリルx3、SD30mx2、ハードル3台x2、6台x2、300m、ダウン、骨ストレッチ。
ハードルは向い風の中で走ってみましたが、先週の感覚が再現できました。
とっても良い感じです。
帰りにスーパーでキリンのソルティーライム見つけました。
甘過ぎず生き返った心地でした。
&ref(stl.jpg)
&counter(yesterday)
&counter(today)
&counter()
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: