大和修學館女學校(やまとしゅうがくかんじょがっこう)
製作者 | ふーせん(白露 彩風) |
時系列 | 過去(〜2035年) |
地域 | 大和(奈良県) |
学年 | 高等部のみ・3年制 |
概要
- 大和・西大寺(現:奈良県奈良市佐紀町)にある平城宮跡を改修して創立された。敷地面積は約120ha。
- 運営は大和の行政機関「神祇会」が行っている為、一応公立校扱いとなっている。
- 全寮制のガーデンで、全校生徒は約300人。
- 学期は前期と後期の二期制。
- 全生徒が零式御蓋を愛用し、最初の選巫ノ試シ(後述)で「異名」をCHARMに刻む。この為、巫の殆どが斬撃を得意としている。
- デュエルスタイルに「神隊」などの集団戦法を落とし込む戦術を得意とする、当時では珍しい校風のガーデンである。
※ノインヴェルト戦術はこの当時存在しない。
- 2035年11月22日に発生した「大和国中襲撃戦」で、生徒の99%が死亡・安否不明となった。これにより運営側の「神祇会」の解体や、ヒュージ出現率の激減によりガーデン再建の意義が無くなったため、現在は廃校となっている。(建物は当時のまま保存されており、資料館も併設している)
制度一覧
- 巫制度
大和及び大和修學館女學校では、リリィを「巫(かんなぎ)」と呼ぶ。ヒュージ殲滅や治安維持などのリリィとしての役割だけでなく、巫女としての奉職も行う。卒業生の約半数は、そのまま「神祇会」職員または神職になっている。
- 階級制度
巫の士気向上と実力強化を目的とした制度。
上から「軍配」「近衛」「中衆」「遠士」の4階級となっている。ちなみに、斎子の「凰主」は階級に含まれない。
入学後半年は経験の有無を問わず「見習」と呼ばれる無階級からスタートする。
上から「軍配」「近衛」「中衆」「遠士」の4階級となっている。ちなみに、斎子の「凰主」は階級に含まれない。
入学後半年は経験の有無を問わず「見習」と呼ばれる無階級からスタートする。
- 選巫(せんぷ)ノ試シ
年に2回、8月と2月に行われる昇級試験。
一般高校などと同じ教養科目の定期試験とは別に、リリィやヒュージに関する筆記試験と、管轄内の野外訓練所での実技試験が、5日間に渡って行われる。
一般高校などと同じ教養科目の定期試験とは別に、リリィやヒュージに関する筆記試験と、管轄内の野外訓練所での実技試験が、5日間に渡って行われる。
- 交換留学制度
姉妹校連携をしている福岡県の太宰府梅宮女學苑(オリジナルガーデン・現:太宰府梅宮総合学園)や大阪の百舌鳥防衛総合学院(オリジナルガーデン)の中等部生で実力のあるリリィを修學館へ誘致したり、逆に中等部ガーデンを持たない大和で、中学進学時点でリリィ適性が見つかった者を二校に留学させる制度。また留学受け入れに関しては、対象のリリィの家族に対して、大和の安全地域への移住支援なども行っている。
毎年2名ほど特待生として修學館に入学する。
また特待生は最高級の軍配になるのが通例となっている。(後述の讃良はこれに該当しない)
<特待生一例>
太宰府梅宮女學苑(だざいふうめのみやじょがくえん)中等科出身
新原心寿(しんばる・みこと)
百舌鳥防衛総合学院(もずぼうえいそうごうがくいん)中等部出身
奉膳鳦(ぶんで・つばめ)
春日繭彌(かすが・まゆみ)
巨勢讃良(こせ・さらら)
毎年2名ほど特待生として修學館に入学する。
また特待生は最高級の軍配になるのが通例となっている。(後述の讃良はこれに該当しない)
<特待生一例>
太宰府梅宮女學苑(だざいふうめのみやじょがくえん)中等科出身
新原心寿(しんばる・みこと)
百舌鳥防衛総合学院(もずぼうえいそうごうがくいん)中等部出身
奉膳鳦(ぶんで・つばめ)
春日繭彌(かすが・まゆみ)
巨勢讃良(こせ・さらら)
- 同室の誓ひ制度
修學館で唯一、生徒の発案で誕生した制度。
修學館では3年に進級すると同時に、2人1組の寮から個室となる。
そのため、3年進級前に互いの大切な物を交換し、「残り1年を生き抜くことが出来たら返す」という誓(うけ)ひをするのが慣習となっている。この交換する物は「誓ひの品」と呼ばれ、最も大切な物を贈るのが推奨されている。「贈り物」よりも「身代わり」に近い。
修學館では3年に進級すると同時に、2人1組の寮から個室となる。
そのため、3年進級前に互いの大切な物を交換し、「残り1年を生き抜くことが出来たら返す」という誓(うけ)ひをするのが慣習となっている。この交換する物は「誓ひの品」と呼ばれ、最も大切な物を贈るのが推奨されている。「贈り物」よりも「身代わり」に近い。
組織構成
大和修學館女學校では、階級制度を元に組織構成されている。
- 凰主(おうしゅ)
歴代で唯一、初瀬斎子だけが就いた位。
即闕(そっけつ)の位(適任者がいなければ設置しなくてよい位を指す。例:太政大臣)であり、階級制度の対象外となる。ガーデンだけでなく、大和全土において最高権力者であり象徴となった存在。
即闕(そっけつ)の位(適任者がいなければ設置しなくてよい位を指す。例:太政大臣)であり、階級制度の対象外となる。ガーデンだけでなく、大和全土において最高権力者であり象徴となった存在。
- 軍配(ぐんばい)
定員2名(臨時職の賢将を置く場合は3名)。現場最高指揮官。
軍配頭将(ぐんばいとうしょう)と軍配副将(ぐんばいふくしょう)と分けているが、ほとんど差異はない。ただし、羽織の色は頭将が赤、副将が青と定められている(賢将は緑)。例年、中学時代からの経験者が就任することが多い。
軍配頭将(ぐんばいとうしょう)と軍配副将(ぐんばいふくしょう)と分けているが、ほとんど差異はない。ただし、羽織の色は頭将が赤、副将が青と定められている(賢将は緑)。例年、中学時代からの経験者が就任することが多い。
- 近衛(このえ)
定員25名。
5人1組の「神隊」(レギオンの前身)を結成している。
各神隊の隊長は「黒羽織」と呼ばれ、黒羽織の選出は軍配2名と教諭による会議で決定される。また「黒羽織」には副隊長の指名権が与えられる。神隊は戦況の基盤となる為、脱落者が出た場合、選巫ノ試シを待たずに後述する「権近衛」から適任者を補完することが許されている。
5人1組の「神隊」(レギオンの前身)を結成している。
各神隊の隊長は「黒羽織」と呼ばれ、黒羽織の選出は軍配2名と教諭による会議で決定される。また「黒羽織」には副隊長の指名権が与えられる。神隊は戦況の基盤となる為、脱落者が出た場合、選巫ノ試シを待たずに後述する「権近衛」から適任者を補完することが許されている。
- 権近衛(ごんのこのえ)
定員10〜20名。
階級としては中衆に該当するが、近衛に僅かに届かなかった実力者などが在籍することもある。普段は中衆隊に属するが、近衛に欠員が出た場合は、近衛に昇級する可能性もある。斎子が軍配賢将になるまでは、毎年約半数の権近衛が近衛に昇級していた。
階級としては中衆に該当するが、近衛に僅かに届かなかった実力者などが在籍することもある。普段は中衆隊に属するが、近衛に欠員が出た場合は、近衛に昇級する可能性もある。斎子が軍配賢将になるまでは、毎年約半数の権近衛が近衛に昇級していた。
- 中衆(ちゅうしゅう)
定員100名ほど。
この定員数は権近衛を含む人数。デュエル戦法を得意とする巫が多い。
この定員数は権近衛を含む人数。デュエル戦法を得意とする巫が多い。
- 遠士(えんし)
定員無し。遠士隊と呼ばれる10〜15人で1組の隊を結成し、集団戦法の基本を徹底的に叩き込まれる。歴代には、遠士から「黒羽織」になった巫もいる大器晩成型が多い階級でもある。
- 選抜狙撃隊
凰主直轄部隊。
定員は無く、近衛以下階級不問の特殊部隊でもあった。隊長は、近衛第一神隊副隊長も兼任していた巨勢讃良?が務めていた。
2034年10月に始動するも、大和国中襲撃戦による隊員全滅とガーデン崩壊によりわずか約1年間のみの活躍であった。しかし、凰主直轄であり、また後に第二世代CHARMの開発テスターとして大きな功績を挙げている。
定員は無く、近衛以下階級不問の特殊部隊でもあった。隊長は、近衛第一神隊副隊長も兼任していた巨勢讃良?が務めていた。
2034年10月に始動するも、大和国中襲撃戦による隊員全滅とガーデン崩壊によりわずか約1年間のみの活躍であった。しかし、凰主直轄であり、また後に第二世代CHARMの開発テスターとして大きな功績を挙げている。
委員会・部活動一覧
大和修學館女學校には、5つの委員会と16の部活動(文化部8、運動部8)があり、設立に至る経緯やその理念は、一般の学校と何ら変わりはない。ただし、学業や巫(リリィ)としての務めを最優先とする為、活動自体は不定期な事が多かった。
また凰主誕生以前は、学年委員総長や文化委員長などが、軍事の最高権力である軍配に物申せる権限があり、この権限によって文官統制が成立していた。
また凰主誕生以前は、学年委員総長や文化委員長などが、軍事の最高権力である軍配に物申せる権限があり、この権限によって文官統制が成立していた。
委員会
- 学年委員
各クラスから代表2名(級長・副級長)を選出し、計8名の中から、学年総長・副総長が任命される。
主にクラス運営や学年の代表として議題を申告する権限を持つ。
文化委員に次いで、この委員出身生徒の神祇会就職率が高い。
真面目で正義感が強く、また反骨精神の強い者が多い。
主にクラス運営や学年の代表として議題を申告する権限を持つ。
文化委員に次いで、この委員出身生徒の神祇会就職率が高い。
真面目で正義感が強く、また反骨精神の強い者が多い。
- 風紀委員
修學館の風紀を担う。ただし、2050年代のような「リリィとしての正義」に忠誠というわけではない。あくまでも「高校生としてまた修學館の巫として、地域の人に恥じない振る舞いをしよう」がモットー。
穏やかで気配り上手な者が多い。
穏やかで気配り上手な者が多い。
- 文化委員
修學館内外での文化的行事(神祇会主催の行事などの補佐)の執行と文化部の統括を担う。学生時代から神祇会と深い交流を持つ役割のため、文化委員を務めた生徒は卒業後神祇会に就職することが多い。
堅実かつ向上心のある者が多い。
堅実かつ向上心のある者が多い。
- 広報委員
修學館内外での行事などの広報活動を担う。文化委員と合同で動くことが多く、例大祭(学祭)では司会進行などを務める。
朗らかでフットワークの軽い者が多い。
朗らかでフットワークの軽い者が多い。
- 保健委員
その名の通り、生徒の体調管理補助や衛生面の監督を担う。また運動部の統括も担当している。
熱血or冷静沈着の両極端な者が多い。よく口論になるが一方で有事の団結力はダントツ。
熱血or冷静沈着の両極端な者が多い。よく口論になるが一方で有事の団結力はダントツ。
部活動
《文化部》
- 雅楽部
修學館で最も人気の部活で、唯一入部試験が行われるほど。経験者はもちろん、文化保護への理解が深い人が多く、合わせて文化委員に属する人も多い。三輪卯月?も一時期在籍していた。
- 茶道部
- 華道部
- 書道部
- 神道研究部
雅楽部に次いで人気のある部活動。神道研究の一環で、大和内にある神社で奉職経験を積んだり、例大祭(学祭)の祭祀に携わるのが主な活動内容。学年委員に属する人が多く、雅楽部とはやや険悪な関係。
- 万葉研究部
初瀬斎子が2年前期まで在籍していた。年に一度、10月に吉野山へ研修旅行に行くなど、人数は少ないもののとても仲が良い。
- 地学研究部
- 地域交流部
その名の通り、地域交流イベントや慈善活動などを行っている。三輪卯月?が最終的に在籍していた部でもある。
《運動部》
《運動部》
- 庭球(テニス)部
- 羽球(バドミントン)部
- 塁球(ソフトボール)部
守屋七奈子?が在籍していた。
- 籠球(バスケットボール)部
橘あすか?が在籍していた。
- 剣道部
春日繭彌?が在籍していた。
- 弓道部
巨勢讃良?が在籍していた。
- 合気道部
- 陸上競技部
施設・クラス一覧
- 学生寮
構内の北西に位置する。
各学年ごとに寮が分けられている。
どの寮も木造の3階建てで漆喰が目を引く和テイストの外観が特徴的。
各学年ごとに寮が分けられている。
どの寮も木造の3階建てで漆喰が目を引く和テイストの外観が特徴的。
- 神鏡寮(しんきょうりょう)…1年生の寮。学生寮の中で一番大きい。寮名の由来は、三種の神器の一つで「知」を表す「八咫鏡(やたのかがみ)」から。
- 宝玉寮(ほうぎょくりょう)…2年生の寮。寮名の由来は、三種の神器の一つで「仁」を表す「八尺瓊勾玉(やさかのまがたま)」から。
- 叢雲寮(むらくもりょう)…3年生の寮。学生寮の中で一番小さい。寮名の由来は、三種の神器の一つで「勇」を表す「叢雲剣(むらくものつるぎ)」から。
- 祈りの杜
修學館に在籍していた歴代巫たちの集団慰霊地。
構内の最北に位置し、大極殿を改修した大きな本校舎に日差しを遮られる為、常に地面が湿っている。また、慰霊地という事もあり、一般人はおろか、現役の巫も無闇に近づこうとはしない寂しい場所。
構内の最北に位置し、大極殿を改修した大きな本校舎に日差しを遮られる為、常に地面が湿っている。また、慰霊地という事もあり、一般人はおろか、現役の巫も無闇に近づこうとはしない寂しい場所。
- 本校舎4階
この階は、凰主とごく一部の巫・職員・神官・来賓しか立ち入りを許可されていない場所。東に執務室、中央に謁見の間、西に凰主の寝室がある。また謁見の間の北側には隠し廊下があり、表廊下を通らずに三部屋を行き来することが出来る。どの部屋も凰主は自由に行き来出来る。執務室にはガーデン関係者、謁見の間は軍配とごく一部の職員・来賓、寝室は守屋七奈子と凰主付きの侍女である氷高(ひだか)しか入室出来ない決まりになっている。凰主は基本的にこの4階で日々を過ごすが、毎朝の祈りの杜での慰霊や会議などで出掛けることがある。
- 天津・ユグドラシル・ヒヒイロカネ合同ラボ
当初修學館では、天津重工製の零式御蓋をメイン機として長年採用しており、天津重工のみのラボであった。その後、凰主直轄部隊である選抜狙撃隊の発足に合わせて、ユグドラシル・ヒヒイロカネの各支社が共同支援を行うようになり、3社合同ラボとなった。
場所は構内の西側に位置している(場所のモデルは奈良文化財研究所)。
場所は構内の西側に位置している(場所のモデルは奈良文化財研究所)。
- クラス編成
藤・梅・梨・桐の4クラス制。
1年生の場合、各クラス25、6人ほどで構成されている。
選巫ノ試シの結果によるクラス分けの変動などは無い。
ちなみに1年時のクラス分けの例だと、斎子と七奈子は藤組、繭彌と讃良は梅組だった。
1年生の場合、各クラス25、6人ほどで構成されている。
選巫ノ試シの結果によるクラス分けの変動などは無い。
ちなみに1年時のクラス分けの例だと、斎子と七奈子は藤組、繭彌と讃良は梅組だった。