目次
1.悪霊とはなにか
4.地獄行き特急
5.人間の最期
1.悪霊とはなにか
高橋信次です。今日は連続でやっています。みなさん、わたしの好きなところになってきました。また、悪霊の話になりました。「また悪霊か、高橋さん、もういい加減にしてくれよう」なんて言う人もいらっしゃるでしょうが、どうしてもくリ返して言う必要があるのです。なぜならば、そう言っているあなた自身が、悪霊となる可能性が非常に強いからなのです。
何度も何度もくリ返して言っとかないと、人間というのは、「自分だけはまったく別だ」と思っている人が多いのです。人はともかく「オレだけはそんなことはねえや」と思っているんですね。まあ、大学受験の時でもあったでしょう。「人は落ちることがあっても、オレは落ちるわけはない」卒業の時もあったでしょう。「人は留年することはあっても、オレがするはずはない」入社試験もありましたね。「人が落ちることはあっても、オレが不合格になることはない」ねえ、その結果すべて落ちてきましたねえ、そうじゃないですか、みなさん。ご経験あるでしょう。ねえ、結婚のときもそうでしょう。「オレが断られるはずはない」って思ってたら断られた。ねえ。ですから、あの世も、「オレが地獄へ行くことだけは絶対ない」と思ったら、それが行くんですねえ。こわいですが、そういうことがあるんですよ。
そこでねえ、まあ僕もいっぱい本出しているけど、基本的にねえ、まあこういうふうに考えて頂いていいと思うんですよ。高橋信次のこの霊示集ですか、これさえ読んでおれば、必ず天国へ行けるんです。これは保証します。安いです。一冊千円です。天国行けるんです。
そして、この千円を惜しんだ人はどうなるかっていうと、地獄に何百年もいるんです。みなさん、この違いは大きいと思いませんか。どうでしょうか。私は保証できるんです。この『高橋信次の心の革命』、この一冊を、もしあなたが何度も読み、真読(しんとく)し、理解しえたならば、あなたは絶対に地獄へは行かないんです。行くということは何冊読んだって一緒です。ダメなんですね。だから、この一冊、本当に私が言いたいこと、言っていることを学んでほしいんです。これがねえ、あなたが悪霊にならないための方法なんです。地獄で苦しまないための方法なんです。
地獄なんていうのは、あなたはウソだと思っているでしょう。それがどっこいあるんです。それはねえ、「本来地獄なし」って言ってるところもあるけど、でも、本来はなくとも現実にはあるんです。「本来地獄なし、現実地獄あり」なんですね。これはしようがないんです。あるんですから。あるものはあるんですから、しようがないでしょう。
そらあねえ、たとえば本来刑務所なしですよ、本来ね。本来そんなものは必要ない。人間は神の子だからいらないけど、現実にはあるわねえ。だから、罪を犯したらブチこまれちゃいますね、こういうことはあります。まあ、刑務所とは言わないけれども、それはねえ、ゴルフだってそうですよ。ゴルフやっていてねえ、たとえばウッドで打って、バシューンとファーストショットを打って、OBするね。山の向こうに飛んじゃった。谷のなか落ちこんじゃったってね。本来OBなし。その通りです。だけど実際は球がなくなっちゃうことがあるわけですね。
こういうふうに、もともとはそうなるはすではないんだけども、ちょうどゴルフのコースのようなもんでね、人生、山あり谷ありなんですよ。あるいは、なかには川が流れていたりね、池があったり、バンカーがあったり、いろんな障害物が人生あるんですよ。だから、本来はポンポンポンとショット打ってね、もうワンオン、ツーオンでグリーンにあげて、そしてパターでバンと入れてね、ホールインしたいんだけど、なかなかそうはいかないのですよ。池ポチャとかねえ、山越えねえ、それからバンカー、OBね、こんなのいっぱいあるんですよ。
だから、悪霊とはなにかと言っても、あなたがたは「悪霊なんてあるもんか。オレがなるはずない」と言っているけど、ゴルフしてOBがないと思いますか。「本来OBなし」か、ありか、これ答えてくれ。プロのゴルファーでもやっぱりやることはあるわね。プロになるとやっぱりそういうOBとか、山越え、谷のなか打ちこんだり、球なくしたりすることは、それは少ないでしょう。少ないと思います。でも、あるね。これは結局、たとえば、光の天使と言われるような方であっても、地上に出てたまには失敗していることもある、これと一緒だね。まあ、こういうことです。
したがって、こういうことなんだよ。本来の基本通りにやっておればそういうことはないけども、実地訓練、実戦にはいったら、やっぱり失敗はあります。失敗したときにどうフォローするかが大事なんですね。だから、バンカーショットの練習がいるんじゃないですか。だからねえ、あの木の枝の下で球打って、木に球ぶつけないようにする必要があるんじゃないでしょうか。そういうことなんですよ。だから、あなたも他人事(ひとごと)だと思わないで、自分の心が軌道をはずれたときに、あなたも悪霊になる可能性があるということを私は言っているんです。
2.あなたの心も狙われている
さて、恐ろしい標題をつけてみました。あなたの心も狙われている、なにに狙われているのか。もちろん、美女に狙われたりしているわけではありません。なにに狙われているかっていうと、悪霊に狙われていると言っているんですね。これはまことに不思議な現象です。
みなさんは、よく地獄霊が出てきてとりつくとか、崇(たた)るとか言って、まさかという気がしますねえ。「この文明の世の中に、こんなにネオンがキラキラと輝いている、こんな世の中に悪霊が出てきてとりつくなんて、そんな馬鹿なことがあるもんか。ウソもいいかげんにしろ。こんなインチキな本だしやがって。著者はペテン師だろう。だれだ、著者出せ。インチキだ。オレがぶん殴ってやる」なあんて思う人もいるかもしれませんね。そういう人は完全に狙われていますよ。間違いなく狙われています。
「高橋信次なんて、そんなの迷って出ているに違いない」なあんて言う人も危ないかもしれませんが、結局こういうことなんですよ。あなた方は、教わったことがないから無理もないところもあると思うんですよ。だれも教えてくれないからね、ほんとのことをね。
でも、私はあなたに言う。百パーセント保証する。絶対にあの世はあるんです。もう百ニ十パーセント、百五十パーセント、二百パーセント保証する。あるんです。あるからあると言っているんです。私は霊です。霊だから霊だと言っているんです。霊に対して礼儀を尽くしなさい。まあそういうことを言いたいわけです。ほんとにあるんですよ。そして天国も地獄も本当にあるんです。
また、天国の霊って言うのは、こちらの世界でまあそれぞれの生活をもって、一応楽しく暮らしています。それゆえに地上への執着は少ないんです。だから、迷い出て、地上に行って何かをするっていうことはほとんどありません。
ところが、あなたの懐かしいこの悪霊というものはどうかというと、こういう人は、生前あなたと同じく「霊なんかあるものか。あの世なんかあるものか」って言ってた人ばっかりです。こういう人が死んだらどうなりますか。
あなたも「あの世なんかない。霊なんかない。地獄なんかない」って言ってるけど、そのあなたがもし死んだとして、きれいに灰と二酸化炭素になると思ってたところが、死んでも、目があり、鼻があり、口があり、頭があって、手足があったら、もちろん足が地についてないこともありますよ、そういうことはありますが、手足もあったとしたらあなたはどうしますか。いったいどうされます。絶対に死んだら終わりだと思っていた、しかし見てみたらさあ自分がいるんです。そのときあなたはどう考えますか。
さて、どう考える。たいてい死ぬときは病院かなんかにいました。たいていの霊がそうです。自分は、奇跡的に生き返ったと思っているんです。そして、どうやら病院の特別室かなんかに入れられたに違いないと、このように思うんですね。そして、家族が嘆き悲しんでいたりすると、「おいっ、オレだ、オレだ。どうしたんだ。オレがわからないのか」と一生懸命言っているんですね。わからないんです。それで、家族たちは頭がおかしくなったんじゃないかと思うんですね。そして、自分の葬式なんかやリ始めたら、みんな少し気が狂ったんじゃないかと思うんですね。「おい、オレだよ、オレだよ、帰ってきたんだよ。帰ってきたんだよ。春雄だよ、春雄、春雄がわからんか。六月ニ十五日が命日だよ。この前、命日過ぎたとこじゃねえか。オレだよ」って言ってるんだけど、わかんない。わからないのですね。
そうすると、みんなどうしますか。どうする。何かやっぱりあなたがいるということを教えたくなりませんか。ところが地上の人間はあなたの姿は見えないのです。見えないとどうしますか。そうしたときにねえ、霊ができることというのは、たとえば、生きている人間に虫の知らせみたいなもので、もちろん教えることもあります。あとは夢枕に立つっていうのありますねえ。幽霊で出てきて、これは生々(なまなま)しいですね、出てきて、ゾッとするようなことやってみるということはある。ま、それ以外でありうることは何かって言うとね、やっぱり家族のなかに病気を起こしてみたり、あるいは事故を起こしてみたりすることがあるんですね。
なんでそういうことをするかって言うと、別に子孫が憎いわけではありません。そうではないんだけど、そうした病気や病人が出たり、事故が出たりすることによって、これは何かあるなと思いますね。人間は幸福には敏感ではありませんが、不幸にものすごく敏感です。だから病気や事故が続くと、これは何かあると思う。そしたら、自分は信じてないけど、「もしかしたら先代が崇(たた)っているんじゃないか。もしかしたらウチの兄さんじゃねえか。あの死に方がよくなかったんじゃねえか」ねえ、四十八歳と何か月で死んで、四十九になる前に死んじやった。「やっぱりあの死に方がまずかったんじゃねえか」まあ、こういうことを色々考えますねえ。そして、「こら大変だ。命日には、みんな集まって供養しなきゃいかん」とこうなりますね。
すなわち、どうにかしてほしいんですね。とにかく自分が辛くてしょうがない。悲しくてしょうがない。どうにかして生きている人に気づいてほしい。とりあえずまあそこまでくるんですね。
それで、「なんとかちゃん、成仏して下さい」なんて知りあいの人たちは思うこともあります。それで、死んだ人のほうは自分の願いはわかってもらえないけど、向こうになんとか気づかすところまではいくんですね。こういうことがあるということです。
したがって、必ずしも完全に悪意とはいえませんが、彼らにとっての、知りあいは、地上に生きてたときの知人しかいないんですね。家族とか身内、そうしたところにやっぱり障(さわ)りというものを起こすようになってくるんですね。したがって、あなたの心も狙われているというのは、そのことを言っているわけです。
3.憑依(ひょうい)現象
さて、難しい字ですが、憑依(ひょうい)ということはみなさん聞いたことがあるでしょう。そうした悪霊がとりついてくるっていうことですね。この現象のことを憑依と言います。
「まっさかそんなことあるもんか。そーんなとりつくなんて、そんな馬鹿な話があるか」と言っていますが、あなたは朝起きて体がだるくありませんか。だるいでしょう。それは昨日夜ふかしで飲んだからですか。本当にそう思いますか。
ネオンサインの下くぐってねえ、エレベーターで十階まで上がって、外の夜景を見ながら、酒を飲んで夜中の二時三時まで横にはピンクの服を着た女の子が座ってて、おしりなぜながらチビチビ飲んでたでしょう。そして、「君にはこの酒が似合うよ」なんてピンクレディーなんていうカクテル飲ましたりしてたでしょう。
ところが、あなたはそのべっぴんさんでおしりがまるまるしてると思って可愛いと思ってたギャルなでてるけど、そんなところは霊的な目で見ると、ねえ、動物霊たちがウッヨウッヨ、ウッヨウッヨいるんですね。ウヨウヨウヨウヨしています。
それで、酒飲むとどうなるかっていうとね、酒を飲むと人間ひとがコロッと変わりますね。人格が変わるといいますが、簡単にいわゆる霊媒体質になるんですね。勿論、人間はもともとみんな霊媒体質です。霊媒体質であるから、肉体のなかに魂が宿れるんですね。自分自身が宿っているということ自体、人間が霊媒体質であることの証明です。そういうことで、霊的な体質はみんなもっています。ところが、普段はなぜ霊媒体質にならないかというと、表面意識が起きているときには理性と知性というものがはたらいているんですが、この理性と知性というのが、実はこの霊体質の霊現象を起こすことを止めているんですね。これを止めているんです。
ところが酒を飲むとどうなるかっていうと、この理性と知性が両方麻痺してきます。そして、本当は家のかあちゃんの方がよっぽど美人なんですけど、ネオンかなんかが、あるいは室内灯か何か知りませんが、キラキラキラキラ映って音楽がかかってくると、もうみんな美人に見えちゃってねえ、そして、まあ髪の毛の長いのを一生懸命なでているつもりでいたら、じつはキツネの憑依霊のシッポを一生懸命なでたりしているんですね。ヒョコヒョコヒョコヒョコなでてる。
そして、もう一時になりました。二時になりました。終電なくなりました。「じゃあタクシー乗って帰るかあ」と言ってフーラフーラフーラフーラ出てきますねえ。そんなとき、実は背中にピョコチンッとお孤さんがついたりしてるんですねえ。
ところが不思議なことにこの酔っ払い、家に帰ってこれるんですね。迷いもしないで、不思議ですねえ。これはついているものが道を教えてるんですね。なぜかっていうと、次の晩また飲まなきゃいけないんでね。毎晩お酒飲みたいもんだから、毎晩赤提灯(ちょうちん)くぐるためには、家にちゃんと送りとどける必要がある。家にとどけないとまた酒飲みに行けませんからね。
つまり、まあこれは動物霊のこともあるし、人間霊のこともありますが、やっぱり憂さ晴らししたいんですねえ、地獄霊たちもね。そして酒場とか、そういう色町とか、そうしたところに出没します。
そして、生きてる人間についているとどうなるかっていうとね、人間のときとおんなじような感覚が味わえるんです。わかりますか。つまり、飲んべえさんの霊が死ぬとどうなるかというと、その人にとりつかれると急に酒が飲めるようになるんですね。そして、カッポカッポカッポカッポ飲んじゃいます。いくらでも底なしですね。で、「自分は急に酒が強くなった。酒量が多くなった。これで営業マンとして一流だ」なんて言ってるけど、現実は酒飲みの霊にとりつかれたりしてるんですね。酒場なんかへ行ってとりつかれていますね。
このように悪霊たちは何かと言うと、あの世の世界が理解できなくて行く場がないんですね。だから、生きてるときによく行ったところね、家族のところがむさければ、そういう歓楽街に出るんですね。そして赤提灯の下くぐります。霊になってまで仕事したいなんて、そんな殊勝な人あまりいませんから、たいてい五時に会社ひけてからしていたそんなことばっかり覚えてるんですね。赤提灯に行きたい。そうすると、同僚かなんかのところにピョッとつくんですね。この世に帰ってきて、同僚の肩なんかにピョコッとついちゃって、フッラフッラフッラフッラ酒場まで行きます。こうして毎晩酒を飲むわけなんですね。
私も生前、酒はほとんど飲めなかったんですが、酒の飲める霊を体に入れるとほんとに酒が飲めるようになるんですね。恐ろしいことですが、ほんとに飲めるんです。それだけ、体質まで変わっちゃうんですね。だから、唯物論者が不思議に思うかもしれないけど、この霊がはいることによって、コロッと変わってしまうんですね。
だから、みなさん、おそらく野球のへたな人なんかは野球のじょうすな霊なんかを入れたらボンボンヒット打てますよ。きっとそうなると思いますね。まあこれは酒だけじゃなく、もちろんいいこともあるでしょう。霊道開いて、ピアニスト入れたら、ピアノが弾けるようになったりね。私だって、霊道開いて音楽家を入れたら、三味線ひけたりしますね。こんなことは本当にあるんですね。そういうことがあります。このようないい意味での憑依現象もあります。ただ悪い方が普通多いようですね。
結局、憑依の理由は何かって言うと、生きている人間とおんなじ感覚を味わえるってことなんですね。だから、あと生きてる人間にとりついて、色町で女性をあさるっていうのもありますね。これでやっているとまったくおんなじ感覚を味わえるんですね。これは色情霊たちです。こうして人間と同じ感覚を味わえるんです。自分に肉体が無いのでこれが悔しいんですね。肉体がないから、したいことがあってもできないですね。わかるでしょ、肉体なきゃできませんね。ところが、生きてる人間についてると、生前とおんなじような感覚を味わえるんですね。それでこうした憑依ということが起きるんです。
だから、これをなんとか阻止(そし)したいと思うんだけど、なかなかできない面があるんだね。なぜなら、これが阻止できるのなら、人間は魂が肉体に宿ることができなくなるんですね。まったく霊を寄せつけないというような、そういう絶縁体みたいになってくると、宿れないんですね、困るんです。
つまりね、まあ、コンクリートの柱に宿りたいっていう人はいないでしょう。ねえ、コンクリートの柱に宿ったり、鉄の玉のなかへ宿ったりはしたくはないでしょう。やっぱり、肉体のようなもんだから霊も宿ることができて、それで魂として修行ができるんですね。そのような霊体質になっているから憑依もできるんですが、これをなくしてしまうと今度は生まれ変わりができなくなるんですね。人間の生まれ変わりということができなくなるんです。だから、憑依現象というのは、この生まれ変わりというシステムがあるというこの原理につけこんだ、この裏側の部分なんですね。プラスの面もあるけど、マイナスの面もあるわけなんです。
またこういう憑依現象があるから、逆にプラスの面もあるんですね。つまり守護霊たちが指導でき易いという、そうしたことがあります。いろんなことを思いつかせたりします。また、発明や発見などのインスピレーションといったものも霊たちが来てささやいていることが非常に多いです。また、いざというときに高級霊がはいって助けたりするようなこともあります。
このように、人間は霊的現象というものから自由ではありえないということなんですね。したがって、いわゆる悪霊体質ではなくて、高級霊体質にしていく以外に方法がないと言ってもよいと思います。
4.地獄行き特急
さて、また恐ろしい題をつけてみました。地獄行きの特急ということですね。特急便と言ってもいい。これもあなたかもしれない。
普通ね、天国・地獄というのはどのようにして分かれるかっていうことですが、私も過去出した霊言集のなかでも話はしましたが、地上を去ったあと、自分の一生というものをもう一度スクリーンに映して見せられます。そしてその一生を裁かれます。確実に裁かれますよ。
ほんとにね、あなたが恥ずかしい、これだけは知られたくないと思うことが出てきます。隠せば隠すほど出てくるんですね。もう洗いざらい出てきます。大会社の社長なんてやっていて、もう人を裏切り、ねえ、ウソをつき、編(だま)し、やってきたなんてこと全部出てきます。もうまったく隠せないです。もう一円でさえネコババできません。ほんとに全部出ちゃうんですね。
だから、あの世に還ったとき一番得する人は何かっていうと、結局ガラス張りの心で生きてた人ですね。自分の心に正直に、自分の良心に正直に生きてた人、そして、内と外の隔(へだ)てがなくウソのない人ね。こういう生き方をした人はなんの恥ずかしいこともないですねえ。「私の人生、みんな知ってますし、私が善人だと言われてますけど、別に心のなかで思っていることと外で言ってることは、全然違いませんし、思った通りの生き方してきました。どの部分とられても、別に隠すほどのこともないし、恥ずかしいこともありません」こんな人なんかはスクリーンに映写したっておもしろくないですね。だれも見てくれませんね。
ところが、隠しごとがいっぱいある人はおもしろいですね。だから、そういう人があの世に還って一生というものをスクリーンに映し出されるときには、観客がいっぱいくるんですね。おもしろいんですねえ。いっぱい寄ってきて、「おっ、どれどれ」ってね、何がおもしろいかっていうと、そのスクリーンに映される自分の人生映画を見ているその人の表情が変わっていくのがおもしろいんですね。これを見ているのが、またなんとも言えない爽快(そうかい)な感じがするんですね。
最初は「そんなはずはない。オレは清純に生きた。公明正大に生きた。なにひとつ曲がったことはした覚えはない」なんて言ってるんですが、映画を見ているうちにガクガクガクガクふるえてくるんですね。足がふるえてくる。わなないてくるんですね。で、顔がひきつっていきますね。テープ張ったようになっていきます。そして、最後になって「もう止めてくれ、もう見たくない、助けてくれ」って言いますね。「では、お前は天国か地獄か」って言ったら、「はあ、地獄行きのようですね。どうやら」なあんて自分で言って、「うん、わかったらよろしい。ハイッ、出口は左ですよー。左行ったら、下のほうに階段がトントントントントンてありますから、その階段を十段ぐらい降りて下さい。階段を十段降りると、そこから滑り台がありますから、その滑り台に秉って下さいね。滑り台だと思ったら、そこをダスト・シューター見たいにストーンと落ちて、アレーッで言っているうちに、あなたの行くべきところにストーンと落ちますから、あとはゆっくり反省して下さい」と、まあこういう世界が展開してくるわけですね。これがふつうの人の場合です。
ところが、特別な人がいるんですねえ。特別な人がいて、「もう自分の過去なんか見るほどのこともねえ。語るほどのあっしでもございません。私がいくとこはもう最初から決まっております」なんて言って一直線にストーーーンといくのがいるんですね。これはなぜかと言うと、魂の比重がものすごく重くなってるんですね。悪の波動にそまって、非常に荒い波動を出している人、そういう心、心がまっ黒けになってる人ですね。こういう人は、ストーンと落ちていきます。地獄行きの特急使ですね。まさしく特急です。
これは何かと言うと、たいていこのストーンと落ちる人というのは、完全憑依されているんですね。まず、悪霊の五、六体がついています。四人や五人、ついています。だいたい五体以上ついていたら、まあ一直線と思って間違いないです。五体以上というのは、これはもう一直線ですね。
では、五体ついている人っちゅうのはどのくらいいるのかということですが、まあ地上にいる人、百人に聞きましたというアンケートでもして、百人の人に会って、固定の憑依霊持っている人が何人くらいいるかっていうと、そうだねえ、百人のうちでやっぱり、今七、八割いるねえ。七十人か八十人は固定したお客さんがいるんですね、お得意さんがいます。
だけども、七、八十入いると言っても、常時ついてばっかりいる人ではないようですね。たまに心がいらいらしたりキーキーしているときには来て、いつものお馴染みさんがついているけど、あとはいないという人がいますね。
ところが、いっつも常時いるって人もいますね。常時くっついているタイプの人というのは、だいたい半分ぐらいはいるでしょう。一人以上いるのは半分ぐらいですね。
そして、百人のうちで五体以上くっついているような入、これはだいたいどのくらいかと言うと、まあ、だいたい十五人ぐらいいるんですね。十五人ぐらいだと思います。十五パーセントぐらいだと思いますね。このへんは、もうだいたいまっさかさまにストーンと行くんですね。五体ぐらいつかれていたら、死ぬやいなや死神に連れ去られるというのはこのことを言うのですね。守護霊や指導霊が来て説得しようと思う間もないんですね。死ぬやいなやストーンと地獄に落ちて行くんです。もうこれどうしようもないです。
さっきの霊界映画の場合だったら、まだ本人に反省の機会を与えて悟らしめることもできるけど、この憑依されてストーンと行く特急便の場合はもう阻止のしようがないんですね。つかれたままでストーンと落ちていくんです。もう守護霊も指尊霊もどうしようもありませんね。これが大体十五パーセントぐらいいるんですね。
なぜこうなるのかというと、もうつねづね考えていることが人を害することばっかりなんですね。エゴイストもこれに極まれりという感じです。人を害してばっかりいる人ですね。まあ、あなたもこうした人のなかに入っていないかどうか、よくよく考えてほしいと思います。
5.人間の最期
このようにして、地獄に行く可能性のある人も半分以上いるわけですが、まあ地獄もよいとこ一度は行かれてもいいと思いますが、たいていの人は、そうだねえ、地獄の平均滞在期間がいくらぐらいか私もよくわからんが、まあ二、三百年かねえ、二百年ぐらいでしょうかね。二百年ぐらいしたら出てくるのが普通だと思いますね。ある程度反省期間を経て、そのあと出てくるんですね。そして天国に百年ぐらいいて、また生まれ変わってくる。まあこれが大抵のパターンですね。
ところが、一部の人はもう二度と出てこれない人がいるんですね。落ちたままで出てこれない。先程の特急便もそうですが、まっさかさまに落ちてどうなるかというと、たとえばプロレスの技かなんかで脳天逆落(のうてんさかお)としみたいなのがありますが、ああいうふうに脳天逆落としで、まっさかさまであなた一万メートルまでも落ちて頭打ったらもう最期ですね。もうちょっと出てこれないです。そんな底のほうまで行くんです。
地獄と言っても、もちろん空間のなかにあるわけですが、たとえばこれを視覚的に言うとすると、地獄の深さというのはいったいどのくらいあるかっていうことですね。みなさんどのくらいあると思われますでしょうか。まあ私が見ていて地獄の深さっていうのは、だいたいマリアナ海溝ぐらいの深さはありますよ。一万メートルぐらいあります。この程度の深さまではあると思っていいよ。
この一万メートルの深海魚の世界まで行ったら、もう上がってこれないですね。ここはたいへんな水圧がかかってます。水圧と言いますかね、霊的世界の圧力ですね。深海魚の世界です。だから、一万メートルの深さがあるとして、これが七千メートル、八千メートルあたりから下になってくると、もうこれはものすごい水圧で出てこれないです。
だから、光の天使たちも救いに行こうとしても、これは潜水艦と一緒でね、あまり深くなるともう潜水艦のほうが破裂しちゃいますから、行けなくなりますね。この潜水艦が破裂するっていうのは何かと言うと、いわゆる波動ですね、この荒々しい波動にもう耐えていけなくなるんですね。いられない、とてもいられない、そうしたすっごい波動です。ものすごい圧力ですね。ここに行ったら、もうだいたい出てこれなくなってくるんです。
そして、この世界で長い間住んでいるとどうなるかっていうと、ちょうど海底の力二とか、深海魚と一緒で、浅いところに出てこれないんですね。出てきたら内臓破裂しちゃいます。もうそういう水圧に慣れてきているんですね。何トンっていうような水圧に慣れてきているんで、もう出てこれないんですね。浅いところに住めないんです。こういうあわれな人たちもいます。これを「人間の最期」と言ってもよいでしょう。こうした者たちのなかに、サタンと言われている者たちも数多くいます。まああわれと言ってもいいです。
なんとかね、ここまでいかないように僕はしたいなあと思いますね。この深海まで落ちてしまったら、もうダメですね。海の底の底まで行ったらもう上がってこれなくなってくるんで、できればね、私は先程のスクリーン見て、自分の過去を見たときにね、すぐ反省が始められるようなみなさんをつくりたいね。どこが違っていたのかすぐわかる、そして、悔い改めができるみなさんをつくりたいね。ま、そういうこともあって、一冊でも多くの本を出したいと思っているんですよ。
だからみなさんね、冗談じゃないよ、僕は自己顕示欲でこんな本を出しているんではないですよ。なんの意味があって出してるのかをよーくわかってほしい。何十冊出してもいいんだ。そのうちの一冊でも、もしみなさんの目に触れ、手に触れることができたら、僕はそれでいいんだよ。それで役割果たせるんだ。もう一冊でも多く出したいんだよ。
だからね、この本読んでよかったと思ったら、友達にでも、親戚にでもあげてくれ。頼むよ。ひとりでも多くの人に真実知ってほしいんだよ。そうしないと深海魚のようになっちゃうからね。なんとか反省の機会を与えてあげたいと、そのように思っています。