目次
1.心の秘密
2.心の創造
3.魂のふるさと
4.霊光線の真実
5.心の革命
(1988年7月18日の霊示)
1.心の秘密
高橋信次です。みなさん、こんにちは。矢継ぎ早に私の本が出ておりますが、なにしろまだまだ言い足りない。みなさんがお中元にウナギを送ってくれたので、そのお返しもかねて、バシバシ本を出していきたいと思っています。
私はやはり、やるなら徹底的にやる、それが男であると、このように思います。霊の世界になっては男も女もないのですけれども、しかし、やるだけのことはやる。高橋信次を全世界の人間が認めるまで霊言をし続けるという、そうした姿勢を貫きたいと思います。
それはね、やっぱり男だよ。男の生きがいはそこにある。敵が出りゃ出るほど気持ちがいい。認めない人がいると認めさせたくなる。女性が逃げれば追いかけたくなる。これはオスの本能であってね、やはりどうしてもやるとこまでやるんですよ。だからみなさんも最後までついてきてほしいと思います。
さて、「心の秘密」というタイトルをつけましたが、今まで私は心の話をいっぱいしてきましたけれども、心の話だけはいっくらしても足りないと思っています。これほど需要のある話ってないんです。なぜ需要があるかというと、それは教えてくれるところがないからです。
みなさんはどこで心のクリニックをしますか。だれが教えてくれるんですか。学校の先生ですか。裁判官ですか。弁護士さんですか。だれでしょうか。それとも役場の職員さんですか。だれがいったいみなさんの心について教えてくれますか。心について教えられる人はいないんですよね。今はそんな免許はないんです。自動車の教習所で免許は出るけれども、心について教える免許がないんです。出てないんです。免許がないだけでなくて、その教科書ですね、テキストさえない。それが現状です。
それゆえに、私はもうなんとしてもね、その人間の心をよくするための教科書、文部大臣に代わって高橋信次が教科書を作りたい、選定したいと、このように思います。やがては私の本を読んでなければ、もう人間とは言えないというところまで持っていきたいと、そのように思っています。
さて、「心の秘密」ということですが、まず、秘密と言っても何度もくり返して僕は言うけども、みなさん自分の胸に手を当てて、よく考えていただきたいのです。その胸に手を当てようと思っているのはいったいだれなのか。それは、あなたの脳味噌が判断しているのか、脳細胞が考えているのか。それとも、なにかそのようなことをしたいと思う主体が、他にあるのかないのか、どう思うのか。これは、あなた自身とはいったいだれなのかということなんですね。あなた自身はだれなのか。その答えが結局、この心というところに返ってくるのです。
魂だ霊だと言っても、わからないかもしれませんが、結局、心です。あなたは心の実在を認めるか認めないか。そして、心と言われているものが、じつはあなたの本質であるのです。あなたそのものであるのです。心なくしてのあなたは、ないのです。心なくして、紅茶ばっかり飲んでるあなたも、心なくしてハコ茶飲んでるあなたも、心なくしてコーヒー飲んでるあなたも、心なくしてハンバーグ食べるあなたも、心なくしてカレーライスを食べるあなたもないのです。心というものがあって、はじめてそうしたものを知覚できるのです。
もしみなさんの肉体が、単なるロボットであるならば、カレーライスを食べて、おいしい、おいしくないをいったいどうやって判定するんでしょうか。それは、カレーライスのカレー粉の刺激というのは、舌を伝わってくるでしょう。けれども、もしみなさんの肉体が、ロボットであるならば、伝わってきたとて、それがなんだというんですか。それがいったいなんなのですか。それがなぜ、あるときおいしいという喜びになり、あるときはまずいという不快感になるんですか。それを感じているものはいったいなになのですか――。それを「心」と言うのです。
そしてこの心は、ひじょうに奥の深いものなのです。実際、人間は、心とイコールというものではありません。人間というものは、肉体状にスッポリと魂というものがはいっているものです。そして、心というのは、この中枢部分のことを言っています。これが、じつは人間の意思をコントロールする部分であり、そのコンピュータ管理をしている部分なのです。この部分をどう発見し、どう操縦するか、これにすべてがかかっていると言っても過言ではないのです。
2.心の創造
さて、このような心なのですが、この心は、いったいどのようにして創造されたのでしょうか。みなさんは、心というのは最初からあったものだとお思いでしょうか。それとも創られたものだとお思いでしょうか。この心の創造の秘密をみなさんはごぞんじでしょうか。
心というものは、じつは、これは創られたものなのです。創られたものであって、現にまた大きな組織の一部をなしているものでもあるのです。その大きな組織とはいったいなにかというと、じつは大宇宙に張りめぐらされた神経細胞のようなものなのです。じつは一人ひとりの人間の心というものは、神経細胞、あの神経の単位のニューロンというものがありますが、ああしたものとまったく同じなのです。そして、あなた方三次元の人間の目には見えないそうしたシナプスによって、つながっているのです。一人ひとりが独立した細胞体ですが、それがいろんな知覚能力を持っているのです。
みなさんは、「自分の外に大きな神というのがある。目に見えない神があって、天の上から、雲の上から、自分たちをのぞいている」と思っているかもしれませんが、じつはみなさん方一人ひとりが、神の体の細胞の一部なんです。あるいは、もっとわかりやすく言うとすると、神経細胞の単位なんです。みなさんは、自分を独立した人格であるとか、個性であるというように、思っているかもしれませんが、じつは目に見えぬ霊的世界では、みなさんは全部つながっているのです。網の目のごとくつながっているのです。
そして、みなさんをこの全宇宙に、そして地球にちりばめた理由は、神経細胞のごとくそのまわりに起きるものを知覚せよ、ということを命じているのです。すなわち、みなさん一人ひとりの個性を通じて知覚されたことは、すべて神にキャッチされるのです。このようにじつはなっているのです。それゆえに多くの生命があるのです。もちろん人間だけではありません。動物や植物もみんなそうです。それらはみんな神の生命体の一部であって、知覚細胞なんです。細胞のいちばん小さな単位をなしているのです。
特に人間のような敏感なものは、言ってみれば、体のなかの神経細胞にあたるのであって、神経のなかのニューロンと言う単位にあたるものが人間なのです。この魂なのです。このような役割を持っているのです。
そして、この三次元空間の現象のなかでいろんなことが起きますが、それを人間が心というものを通して知覚しています。その知覚した反応が、神のほうへとつながっていくのです。ちょうど人間の神経に、皮膚の神経に刺激を与えると大脳にまで伝わっていくように、人間の魂を通じて知覚された情報が、じつは神の心臓部のほうにとつながっていくのです。神の頭脳のほうへとつながっていくのです。そうすることによって、神は、宇宙の全体像を一瞬にしてつかんでいるのです。そのように心というものは本来できているのです。
それゆえに、神経細胞がはたらかないというのはどういうことかというと、つまりそれは機能に問題があるわけなのです。それゆえに、そうした神経細胞についてはなんとか修繕をしなければいけない、なんとかもとどおりの知覚機能を持つようにしなければいけないという、そうした機能がはたらいてくるようになるのです。
それは、人間一人ひとりがその心というものを通して神の知覚機能を果たしているわけですから、これでまちがった感覚を伝えるようになると大変なことになるわけです。じっさい、外が暑いのにもかかわらず、寒いと感じたり、ほんとうは正しいことをやっているのに、それをまちがったことをしていると感じたりして、そのように誤った情報を神のほうに伝えると、その指揮命令系統が混乱を起こすわけです。
それゆえに、そうしたまちがいをすることは許されていないのです。そこで、正しい価値基準というものが必要になってきます。どのように知覚してそれを本体なる神に伝えたらよいのかということが、訓練される必要があるのです。こうした理由から、さまぎまな正法神埋が説かれ、光の指導霊たちが人間を教育し、訓育するようになってきたのです。
このように考えていただきたいのです。自分自身が独立した個性というように考えるのもいいですが、ほんとうは神の一細胞にしかすぎなくて、いろんな情報を神に伝えているのです。みなさんが経験したこと自体は、みなさん自身の経験にもなるけれども、それは同時に神の経験にもなっているのです。そして、みなさんのその情報伝達能力がまちがった情報をおもに伝えるようであれば、その細胞は外科手術によって取り去られるか、あるいは、なんらかの訓練を経て機能回復をめざさなければいけないわけです。こういうことによって、いろいろな教えというものは説かれ、その機能の回復がめざされるというように考えねばならないのです。
3.魂のふるさと
さて、心の創造の話をいたしましたが、人間の「魂のふるさと」とは、ではどのようになっているのでしょうか。これがみなさんにわかるでしょうか。私の霊的な目で見た宇宙というのは、どういうふうに見えるか、みなさんはおわかりでしょうか。
それはちょうどテレビなどで深海、海の底でさまざまな生物たちがいろんなドラマをくり広げていますが、そうしたなかで、たとえばクラゲであるとか、イソギンチャクであるとか、あのような動物たちの動きを見ているのとひじょうに似たところがあるのです。彼らは、水上に上げてしまうと小さく固まってしまいますが、水中では、ひじょうに大きく広がって、水分を吸ってふくらんで手足をのびのびと伸ばしています。
ちょうど、私の九次元世界からこの神の手足というものを見ていると、宇宙という大海のなかにクラゲが浮いているように見えるのです。そして、そのクラゲは透け透けで見えるわけですけれども、透け透けのクラゲのなかに神経系統がいっぱい通っているのです。
その神経系統をじーっと見てみると、大きな大動脈のような神経があっちに走り、こっちに走りしています。その大動脈の一本が、銀河系に流れてきております。そして、その大動脈のなかから一本また枝分かれして、しっかりとした神経のその回路がこの大陽系のなかに流れこんできています。そのように太陽系のなかで枝分かれをいっぱいしていって、それぞれの星の住人たちのなかにはいっていきます。小さく小さく分かれていって、最小単位として、それぞれの人間の心の段階までつながっています。このように、結局魂の世界というのはすべてつながっていると言ってよいでしょう。
それはどのようになっているかというと、まあ言ってみれば巨大なクラゲがあって、クラゲの一部が子供を産み、そしてまたそれが子供を産む、というかたちになっていて、銀河系クラゲがいるわけですが、銀河系クラゲからまたシュルシュルッと足が伸びていって、太陽系クラゲができていく。そして、親クラゲ、子クラゲがそれぞれあるわけですが、それぞれがつながっているのです。別なものではないのです。けれども、大きなものから小さなものがどんどんどんどんできてくるのです。
このようにして、いろいろと根を張りながら、銀河系あるいは太陽系、それを含む大宇宙そのものが神の生命体ですべて固められていると、私にはそのように見えます。
結局、人間というものも、こうしたかたちで発生してきたものなのです。銀河系クラゲのなかから太陽系クラゲができて、太陽系クラゲがまたタァーッと分裂していって、その神経細胞の一部として人間がいっぱいできているという、こうしたものなのです。
「しかし、そう言うけれども、おまえは今から三億六千万年前にある星から円盤に乗って飛んできたと言ったじゃないか」と、このようにおっしやる方もおられるでしょう。それは事実そのとおりです。
では今のクラゲの話はどうなのかというと、それは、クラゲの吸盤の一部があるところから、後ろか前に動いただけのことなのです。星から星に魂が移動するというのは、クラゲのヒゲかなんかの一本がピコンと動いたという、その程度のことなのです。そのようにして動いているわけですね。
このように、ほんとうの神の霊的姿というものは、大宇宙を包摂(ほうせつ)するようなそうした巨大クラゲのようなものであって、そして、その透きとおった体のなかに宇宙空間がはいりこんでいるのです。この宇宙空間という空間そのものを、まるで海水のごとく吸ったり吐いたりしているのです。そのすべての部分を通る大きな霊的体(からだ)があるのです。
すなわち、みなさんは、目で見ているこの宇宙の世界を真空の不思議な空間だと思っているかもしれませんが、これはちょうど海水みたいなものなんですね。海のようなものなんです。そうしたものだと思っていただいて結構です。
4.霊光線の真実
さて、この話をまた別の角度からしてみたいと思います。みなさんは、天使の系統に七色の光線があるということを聞いたことがあるでしょう。また、この七色がもっと複合された色を創って、十何色にも二十何色にも分かれてくるという話を聞いておられると思います。そして、高橋信次だけが色がないと、頭がハゲているからかどうか知りませんが、色がハゲていて色がない、赤でも黄色でも紫でも青でもない、無色透明のクラゲ色だと、このように言われているのですが、いずれにせよいくつか霊光線があって、そのなかにみんな所属しているというように一般に言われているわけです。
これはなにかと言うと、魂の自己増殖作用と言ってもよいでしょう。すなわち、銀河系クラゲが太陽系クラゲを産み、太陽系クラゲが地球クラゲを産み、地球クラゲのなかからちょっとまた大きめのクラゲがいっぱい発生してきたわけですが、この大きめの九次元クラゲたちは、また、自己増殖作用を起こしていったのも事実なのですね。こうして八次元クラゲを産み、七次元クラゲを産みということで、大きなエネルギー体を持ったものが小さなものを産んでいく。このことを「分光する」とも言いますが、分光していって他のものを創るわけです。そして分光して創ったものですが、それがやがて独自の個性を持って生きていくようになるという、そうした歴史であるわけです。
これはちょうど、ネコというものが子供をいっぺんに何匹も産むのにも似ています。ネコは子供を何匹も産みます。そして、子ネコのうちは親ネコが一生懸命世話をしていますが、やがて大きくなって育ってくると、もういつまでも世話はしなくなりますね。そして子供たちは独立した人格を持っていくようになります。そして、何年か経ってから道で会っても、親子であるということさえ忘れている、そのようになっていくと言われています。
このような動物や人間の生殖作用と、その子孫繁栄方法をみれば、じつは霊的世界でも似たようなことがあったということは想像にかたくないのです。そうしてみると、親の言うことを聞かない子供というのが世の中にいっぱいいるでしょう。読者のうちの半分以上は経験があるでしょう。胸に手を当てて考えてみてください。「わしがつくったはずじゃのに言うことを聞かん」と言ってるでしょう。「私が産んだ子なのに母親を馬鹿にして」と言ってる人いるでしょう。まあそうしたものです。わずか二十年で忘れられる存在なんですね。親がお腹を痛めてつくったということは二十年たてば忘れられちゃう。ですから、魂においても、親が子供を産んだとしても、一億年、二億年、三億年とそうした歴史がたってくると、次第に忘れられていって、独立した個性になってくるということなんです。
したがって、もちろん肉体舟を持って他の惑星から地球に来た人たちもいますが、地球系統で創られた人たちもいます。これは『太陽の法』というような本のなかでは、「パイトロンというようなコピー霊創出機械によって創られた」というように書いてありますが、パイトロンと言っても人びとにはなかなかわからないでしょうから、もう少し別の説明をするならば、結局こういうことです。
九次元に大きな光のエネルギー体がある。この一部分、その何分の一かが降りてくる。つまり、九次元霊が臨月になって、お腹が大きくふくらむわけですね。十次元以降からエネルギーをいっぱい受けてパンパンになってきて、もうこれ以上お腹がふくらんだら、もう限度だから、出さなきゃいけないということで子供を産みます。そして八次元の魂ができます。
八次元の魂は、まだそのときには個性というものを持っていません。しかし、そのモヤモヤのなかから、なんとか個性を得たいと思います。子供として生まれたけれど、個性を持ちたいと思うわけです。では個性を待ちたいということでどうするかというと、地上の肉体に宿って、まず魂修行をするようになります。八次元の霊体すべてを使えないので、その一部を出して、地上の人間に宿ります。そして何十年か生きて、いろんな仕事をして、個性を持って還ります。そしてそれがうまくいけば、次なる一部を出してまた個性を持ちます。こうして還ってくる。こういうことをくり返して、次第にこの親から生まれてきたエネルギー体が、子供として独自の個性を持つようになっていったわけですね。
そして、この八次元のエネルギーが、また力がたまってきて、お腹がふくれてくるわけです。そして十月十日(とつきとおか)すると、また子供を産みにかかるわけですね。こうして次なる光の玉を産むのです。プツッと産むわけですね。こうして菩薩ができてくるわけです。菩薩界のエネルギーもどうするかっていうと、最初はそれほどハッキリしなかった個性でありますが、これがまた地上に肉体を持つことによって、個性を持ってくる。このように次第しだいにまあ言ってみれば、分裂ですね、魂が分裂するかたちで人口が増殖してきたと、このように考えてまちがいないと思います。
こうしてみると、地上での魂修行の意味というのが、じつによくわかるようになってきます。これは、結局、魂の独自性を創るために肉体に宿って修行をしているということですね。霊界においては親子というのはひじょうにはっきりしているけれども、また別の個性を創るために、こうした地上の経験というものを使うのだということなのです。そういう重宝(ちょうほう)な機会でもあるわけです。
個性を創るときに、ただ霊的エネルギー体をまるめたり、固めたり、けとばしたりして、そうした個性ある魂を創ることも可能ですが、赤なら赤、黄なら黄、紫なら紫という、霊光線を引いておりながら、それが地上に肉体を持つことによってだんだんに一定の個性を持つようになると、このようなことをやってきたのです。
なぜこうしたかというと、これはまさしく繁栄の姿そのものであるからなんですね。もともとなにもなかったものから、だんだんと増えてきて、そしてそれぞれが独立した個性を持ちはじめる、そしていろんな活動をする、これこそが繁栄の姿そのものではないでしょうか。
最初はひと握りたったプランクトンが、海永のなかにいっぱいいっぱいに繁殖しているという、こうした姿にも似ているでしょう。プランクトンの姿は、私たちにはたいして美しくもなんとも見えませんが、別な目でみれば、あの海水、海というものをひじょうに富ましている、栄養素で富ましている、それによっていろんな魚たちがそれを食べていける、その小魚をまた大きな魚が食べるという、このようなことをくリ返して生命の循環というのが行なわれています。このように、個性をもって光が散乱するということが、これがひとつの進化・進歩の条件でもあるし、また発展・繁栄の条件にもなっているわけです。
5.心の革命
さて、そうした魂の経路でもって、人間の生命ができてきたということを話しました。そして人間の生命は、もともとすべて神の生命であり、つながってもいるということを言いました。そして、そのそれぞれが神経細胞の一部であり、その神経細胞を通じてさまざまな情報を知覚し、伝達しており、そうした存在意味があるのだという話をしました。
では、なにゆえに人間として生まれて、まちがいを犯すというようなことがありうるのか。人間が、神の一部であるのなら、なぜそんなことがあるのかということですね。これを考えてみたいと思います。
それはちょうど、このようなことなのです。人間としては生まれて生きていくということは、この地上生活を送ることはどういうことかと言うと、それはちょうど水のなかや、海水のなかに手を入れてものをつかもうとしているのと同じなんてすね。外であれば、手は自由自在だけれども、海水のなかに手をつっこんで貝殻を拾おうとしたり、あるいは魚を捕(と)ろうとしたりしているうちに、視界がきかないものですから、サンゴに手を触れてケガをしてしまったり、あるいは魚につつかれてしまったり、こうしたことがいろいろとあるわけです。ちょうど、環境的に違ったところに手を入れているような感じになるのです。それで、思わぬアクシデントというものが起きることもあるわけですね。手がケガをしてしまうという、こうしたことがあるのです。
では、手がケガをしたらどうする。右手の親指をすりむいたらどうするか。こんなことあるでしょうね。台所仕事なんかしてて、指切っちゃったなんてことがあるでしょう。それをどうするかということですが、まずオロナイン軟膏を買ってきて塗りますね。そして、バンソウコウを貼ります。バンソウコウを貼っただけで痛ければ、それに綿をくるみますね。綿をくるんで、またなにか帽子のようなものをかぶせますね。こうしないと夜寝てても当たって痛くて痛くてしようがない。で、こうしたことをします。
同じように、地上に降リているということは、こうした異質な世界で活動しているわけですから、いろんなケガをすることがあるということですね。ケガをすると、その治療をしなくてはいけなくなってくる。その治療の方法が必要になってくるということですね。
ところが、そのように治療する相手が、今言ったように指をケガしたというような、バンソウコウを貼ればすむような相手ではないわけです。なぜならば、それはまさしく魂というものがケガをするからなのですね。魂そのものが傷ついてくる、それゆえに魂特有の治療方法が必要になってきます。魂が傷つくと言っても、霊体としての魂というよりは、魂の中枢部分である心に傷口ができるわけです。心が傷つくわけですね。それゆえに心の治療薬が必要になり、またその治療方法が必要になってくるのです。
ここに、私が本書を世に問いたい理由があります。その心を治療する方法は、「心の革命」しかないのです。その心の革命というものは、今までの心の方向性、傾向性というものをよくよく分析し、そしてそのまちがいの傾向性を改めてプラスの傾向性を入れるという、これしかないのです。
世の多くの人たちに知っていただきたいことは、心というのは、変えていけるという真実です。心を変革していけるという真実です。ケガをした理由は、不注意であったからです。その心が不注意であった、神の心に背(そむ)いた不注意な行為をした、そのような思いを持ったということです したがって、これをなんとかしてもと通りに戻す必要があるのです。このもと通りに戻す方向、方法こそが、この心の革命なのです。
そして、心の革命をするその方法論、心の革命方法に、私は二点あると思います。
第一点は、典型的な方法です。これは、徹底的な反省ということです。反省の方法、つまり八正道を中心としたこうした徹底的反省によって、心の悪しき傾向性を取り去り、心の傷口を治すという方法があるわけです。
そして、心の革命のもうひとつの方法としては、これは、祈リによる自己実現、あるいは、光明思想による自己実現という、未来に向けての心の改革です。反省というのは、主として過去に起きた事実、これに対する認識やあるいは心的態度を改革しようとすることであるならば、光明思想、あるいは祈りというものは、これからの未来における自分の心のあり方、行動のあり方を改革していこうとすることでしょう。
この過去と未来を同時に支配するということ、そして過去と未来を同時に支配する原点が、現在にあるということ、これを知っていただきたいのです。この過去・現在・未来というこの三つの時点、この時系列のすべてを支配すること、これこそが心の革命の成功ともいうべき現象なのです。そうした心の革命の成功をしていただくために、本書はこれから書かれてゆくのです。