目次
最後に、総論として、反省法全体を通しての締め括りをしておきたいと思います。
何のための「真説・八正道」であるか、ということであります。いったい何のために、この「真説・八正道」はあるのか。これを三点ほどあげておきたいと思います。
1.八正道の現代社会への適応
「真説・八正道」の意義の第一点は、釈迦が説いた「八正道」は、二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在、その正しい精神が伝わっていないということです。
仏教学者によってさまざまに解釈されたに止まって、いったいどのように八正道を使えばいいのか、その真意がどこにあったのかということがわからないままになっていました。それゆえに今、この人類の秘宝とも言える八正道を、現代の社会に適応させる形で、また、実用性を加える形で説いたということです。八正道は、みなさんが使えない内容ではけっしてないはずです。それを明らかに説いたところに「真説・八正道」の第一の意義があります。
2.修行目標としての八正道
「真説・八正道」の意義の第二点、それはみなさまに明確な修行の目標を与えたということであります。
「悟り」という言葉のニュアンス、および解釈は各人違っているかもしれません。この「悟り」というものに関しては、限界がありません。これで悟ったということはないのです。悟りの入りロに立つということはあり、悟りをある程度維持するということはあっても、悟ったかどうかは、これはあの世に還ってみないことにはわからないのです。生きている間じゅう修行は続くのであります。
したがって、自分はもう十分だと思ったときに、それが転落の始まりです。ある程度のレベルまで心境がきても、その後はさまざまであります。さらに向上していく人、現状維持で止まる人、心境が下がってくる人、さまざまであります。その人の一年というものを、取り出して輪切りにしていくと、やはり進んだところ、後退したところがあるのです。
ですから、今、現時点において、ある程度の心境に達している人も、一か月後にその心境にいるということを意味しないし、一年後はなおさらはかりがたいことです。
その人にいろいろな事件が起きてくるでしょう。いろいろな人生模様が展開してくるでしょう。そのときに、まったく同じ状態でいられるかどうかは、これはまだまだこれからの修行の問題なのです。その都度その都度、その事件や、出来事を乗り越えていくために、この真説・八正道が与えられているのです。一度悟って、それで終わりなのではないということです。やはり、いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、その都度自分の心のくもり、垢を落としていく、そして、「正念」で語ったように、正しい未来に向けての自己実現をしていくということがひじょうにだいじです。やはりその人の立場に応じた、役割に応じた、環境に応じた現象がさまざまに起きてきますから、そのなかで、自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかねばならないのであります。
したがってこの真説・八正道の修行は、今世修行を終えるまで、死ぬまで終わりということはありません。来世でもたぶん続くでしょう。形は多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くことと思います。
ゆえにどんなに自分が役割を与えられても、人から評価されても、常にこの八つの項目に関して、自己反省を怠らないようにしていただきたいと思います。反省のための八項目は安全弁なのです。人生においてけっして道に迷わないための、生きていくための指標でもあるのです。
3.ユートピアの原理としての八正道
「真説・八正道」の第三番目の意味は、実はユートピアの原理そのものであるということです。
私はユートピアの原理を、「小さなユートピアから大きなユートピアヘ」、「私的ユートピアから、公的ユートピアヘ」という言葉で、さまざまなところで語っております。この意味は何かというと、まずユートピアというのは、心の世界と外界、この人間世界、この地上世界、この二つの世界から成り立っているわけです。そして、この小さなユートピア、個人のユートピアはどこから始まるかというと、じつは自らの心を支配し、心の王国を守り抜くことから始まってゆくのです。そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくこと、これこそが実は外の世界にも光を点灯していくことにほかならないのです。
霊的な目で、遥かなる上空から見たならば、この八正道によって目のうろこを落とし、神の光を得ている人たちは、ちょうどローソクの炎のようにも、灯台の光のようにも見えるのであります。こういう神の火が、一点、一点、いろいろなところから灯ってくる姿なのです。それは上空から見た夜景にも似ているともいえましょうか。闇に沈んだように見えた町に、一つ一つ、光が灯っていく姿でもあります。
そして、これがすべての始まりであるということです。この各人の心をユートピア化していくことから世界のユートピア化は始まるのです。これ無くして理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も、経済改革も、宗教改革もありえないのです。制度的なものや、環境的なものに騙されてはならないし、そういう人が来ればそうなるとか、そういう環境が出れば幸福になるとか、そのようなものではないということであります。
それぞれの環境において、それぞれの課題を背負い、それぞれの問題を背負いながら光を灯すということ、そしてこの光を灯す方法こそが、この「真説・八正道」であるということ、これを知っていただきたいのです。これによって人びとに自らのローソクの芯に、ランプの芯に光を灯していただきたいのです。この光を灯すのは一人ひとりの仕事です。このランプに火を点けるのは各人の仕事です。私は火の点け方はお教えしていますが、火を点けるのはあなた自身です。火が点かなければ、それは点けようとしていないからではないでしょうか。
この火を点けるということが、自己変革ということです。自分を変えていこう、より神様の心に近い方向に向けていこうという心のない人は、〇〇〇〇〇に来ていただきたくないのです。そういう人のために、私はやっているのではないからです。〇〇〇〇〇は正しい道を示し、そしてその方向についてきなさいといっておりますが、その内容においては、やはりランプの芯に火を点けること、光を灯すことは、こころざす方一人ひとりが自分でやっていただきたいということです。
それがその人の「悟り」という名のほんとうの幸福でもあるからです。