目次
1.夫婦の縁
2.恋愛の季節
3.結婚問題
5.夫婦の努力
4.新婚ホヤホヤの時代
さて、新婚にはいったとしましょう。めでたく新婚にはいったといたしましょう。さあ、なにをもって新婚だと判定するか、という問題はいろいろあるんですね。現代ではこれがむずかしくなっていますね。新婚というのを入籍時とするか、それとも新婚というものを結婚式を挙げた日とするか。あるいは、新婚というのを実質上の夫婦となった日とするか、現代にはこの三つスタート時があります。どれを取るかというたいへんむずかしい問題があって、この三つがパラパラであることがふつうは多いんですね。そういう時代です。
では、これがたとえばほんとうにいけないことなのかどうかと、たとえば結婚式当日に入籍し、式を挙げ、そして同居するのがほんとうであるかというと、まあ昔から伝統的にはそうであったことはあるでしょう。ただ現在では、届けをするときには入居時か、結婚式のどちらか早いほうなんて、よく書いてありますね。そういうふうになっていると思います。そのように、まあ、時代が変わってきつつあるということでしょうね。それはあるでしょう。
ただ私はねえ、これについても寛容な姿勢を取りたいと思います。私は裁きの神ではないからです。寛容な姿勢を取りたいと思います。そういうことを言うのは、自分にもなにか傷があるんじゃないかと、こう疑われる恐れもありますが、ないわけではありません。あると言っているわけでもありません。まあいいじゃないですか、みなさんよければ、幸福になれば、ねえ。後であなた、おたがいあなたと結婚してよかったなんて両方が言うのなら、まあなんでもいいじゃないか。まあね、そのへんの優しさもいるよ。あんまり世の常識だけでいっちゃいけない。
だから、これもさっきのつりあいの話じゃないけども、そうだねえ、プラスマイナス六か月以内ぐらいならよしとしよう、ね。これは高橋信次の判断だ。新婚のスタートをどこに求めるか、三種類の求め方があるけども、プラスマイナス六か月はOK、ねえ。ただ、二年も前から同棲しててやっと式を挙げたとかね、やっと籍を入れたとか、あんまりこういうの僕は好みじゃない。好きじゃない。諸般の事情がいろいろあるだろうから、その順序は言わないけど、だいたい六か月前後、その以内に納まっておれば、現代ではよしとしよう。これは高橋信次の許可です。
だから、六か月前ぐらいからいっしょに住みはじめて、その後入籍、挙式でもいいし、挙式してから六か月してから住む人、あるいは入籍してから挙式して、それから住む人、挙式して、それから入籍してそれから住む人、挙式していっしょに住んで、それから入籍する人、まあこの組み合わせはいくらでもあるでしょうが、だいたい六か月前後ならまあいいでしょう。結果がよければ、それは個人の自由にしたいと思います。だから、杓子定規にやらねばいかんものではありませんし、それは決して神理の面から言ってまちがっているものでもありません。おたがい幸せならそれはそれで結構です。ただ、あまりそれ以上はズレない程度の間に納めなさい。
この新婚のときの問題はいったいなんであるかというと、それはまあみなさん後でも問題出るけれども、とりあえす興味津々(しんしん)だよね。異性といっしょに住むなんて、まあ珍しい経験で、まあ珍しくもない人もいるでしょうが、ふつうは珍しい経験ですね。それで、若い二人ですから、まだまだ未熟であって、何が未熟であるかと言っても、まあいろいろ愛し方が未熟なわけですね。このへんについては、学校教育が遅れているので未熟であるということで、結婚して生活し始めて、まあ落ち着くのに半年ぐらいはかかるでしょうね。この半年間はね、私は言っとくけども、どんなことがあってもまあがんばり抜きなさい。これは一般論です。
なぜかと言うと、関門が二つあるからですね。それは、男女の性的結合の問題がひとつありますね。これはねえ、自分にピッタリ合う人がいると思っている人もいるかもしれないけど、そんなもんでもないんですね。慣れというのがやっぱりあるんです。慣れというのがあってね、おたがいに努力しているうちに、だんだん相手が合ってくることがあってね、自分とピッタリの鍵と鍵穴じやないけどね、鍵と鍵穴みたいに一つしか合うのがないなんて思ったら、とんでもないまちがいですね。慣れてきて、だんだんよくなってくるもんなんですね。だから、それまで半年ぐらいは、どんなことがあってもまずがまんしなさい。これがあります。
もうひとつはね、仕事の内容が変わるということがありますね。女性は、今までやったことがない主婦業というのがはいってきます。これも慣れないうちはものすごく疲れますね。疲れますから、どうしても愚痴や不満、不平がたまってきやすいんですね。たいへん疲れちゃいます。料理がどんなにじょうずだと思っている女性でも、主婦になってみたらなかなかそうはうまくいかないんですね。段取りがあってね、それがなかなかそうはうまくいかないんです。だから、半年ぐらいやっぱり疲れが残ります。
まあ旦那さんもいっしょなんですね。今まで、仕事だけでだいたい精力使ってますね。結婚するのは、だいたい入社五年目ぐらいがふつうですね。そのころはようやく仕事になれてきて、会社でもそこそこ任されるようになった時代ですね。こういう時に、新婚というのがはいるとどうなるかというと、負担感がものすごく多いんですね。ちょうど五年目ぐらいだと、仕事任されて、夜の仕事、残業なども増えてくるころなんですね。
そのころ、新婚がはいってきて、夕方サーッと引けて行くっていうのは、これはむずかしいこともあってね、でもカァちゃん待っているから帰らないといかんし、会社で上司にちょっといびられたりするんですね。たとえば「伝書鳩か、お前は」なーんてね、言われるんですね。そしてわざと酒に誘われるんですね。新婚早々で帰らねばいかんと思ったらね、「オイ、飲みにいこうか」ってやられるんですね。「いや、僕ちょっと」と言うと「ちょっとって何だ」「カァちゃんが待っているんです」「なーに言ってるんだ。ぶったるんでるよ。お前そんなの新妻教育ちゃんとやらんか。結婚して新婚旅行から帰ったら、一週間絶対家に帰っちゃいかん」なんて言ってね、こういうふうに上司につるし上げくったりして意地悪されるんですね。
それで、職場から電話なんかしてね、「今日はちょっと遅くなるよ、ちょっと先輩に誘われてね」と言ったら、電話の向こうで奥さんが泣いたり、わめいたりするんですね。「ホニャー」ちゅうって泣くんですね。そうするとカクッときて、「先輩ちょっと、今日ちょっと」と言うと、「何言ってんだ、お前ぶったるんどるぞー」なんて言われます。まあ、こういうことで軟弱なところを見せてしまうわけですね。
だから、旦那さんも大変だということを、知る必要があるということですね。今までの仕事を続けながら、人間関係続けながら、結婚するのは大変なことなんですね。特に新婚前後、新婚旅行前後っていうのは、仕事に負担が相当かかります。女性のほうはわからないかもしれませんが、男性が一週間職場を離れるというのは、大変なことなんですね。特に、その人がよくできる人であればできる人ほど、そうです。それで、一週間離れるのに結婚休暇というのがあるけども、それはどういうことかと言うと、結局、だれかが他の人がやらないといけなくなるんですね。それが仕事というものなんですよ。そういうことでね、男性は大変だということをわかってください。
だからとりあえず、新婚ホヤホヤのときは、なんというかなあ、半年ぐらいがんばり技いてみることです。そしたら、あんなに困難に見えたことが、いつの間にか消え去っているということがあるわけなんです。
5.夫婦の努力
まあ、いろいろ話をしてきました。夫婦問題についても、もっとくわしい話を今後やってゆくつもりですが、僕はねえ、この夫婦調和の法について、結論めいて言うけども、言っておくけどもね、たしかに実在界の世界で出てくる前に夫婦の縁というのはありましたし、たいていの場合約束をしてきておりますが、ただ、約束をしてきた相手だから自分は幸せになれるかっていったら、そうは言えないよ、ということを言っておきたいんですね。たまたま例外的に、約束しなかった相手と結婚する場合もあります。だから不幸になるかと言えば、そうでもないんですね。そうとも言えませんよ。
なぜかと言うとね、結局、努力という問題があるんですよ、ということなんですね。自分が出てくる前には、霊的に出会っていて、過去世も夫婦であったから絶対うまくいくと思って、理想のカップルだと思った相手であっても、地上に生まれて二十年、三十年、まったく違った環境でね、違った条件下に生活してくると、その間にその人の思想、身上、教育、性格、いろんなものが変わってきているんですね。実際に肉体を持って出る前の魂の部分と、だいぶ違ったものになっていることがあるんです。
それゆえに、たいていの場合、二十年後、三十年後にふたたび会ったとしても、ズレがあるんですね。魂的にズレがあるんです。あるいは、人間的にズレの部分があります。これを鍵と鍵穴みたいに、ピッタリした相手でなければうまくいかないと思ったら、とんでもないことになりますよ、ということを言ってるんですね。そうじゃないんです。魂的には最初合意してても、何十年か経つとズレが出てくるんです。環境相応のズレが出ています。そういうときには、そうしたズレの部分を克服するための努力はいるんですよ、ということですね。まあこれを忘れんようにしなさい。
理想的な相手がいたら、それとくっつけば幸福になれるなんて思っちゃいけないよ。そんなもんじゃない。やっぱり、地上に生まれて生きるということは、ズレが起きるんです。環境に染まっていろいろ人間は変わります。だから、その変わった部分を引きずり戻して、調和させるだけの努力はいるんですね、こういうことなんですよ。
だから、相手選びによって幸福になると思ってはいけないよ。たまたま結婚することになったら、その人が神縁があったと思ってね、そして努力して、その部分、合わない部分を変えていく努力ね、これがだいじですよ。こうしなきゃいけませんよ。これなくして夫婦調和の法はないですよ。相手選びじゃない、まちがいだらけの車選びじゃないんだ。車さえ選べば自分に合うなんていうもんじゃない。ゴルフのクラブでもないんだ。野球のバットでもない。そういうふうに、自分に合えばいけるなんていうもんではないんです。おたがいに努力して合わしていくもんなんだよ、ということなんですね。
だから、夫婦でトラブルがあっても、前世で約束してたらこんなトラブルあるはずないと思うかもしれないけれども、それはそうじゃないということだね。地上に生きている間にズレが起きているんだから、その部分の穴埋めをし、歩み寄りをしなければいかんということです。だから夫婦の努力っていうことは、とってもだいじだということを、私は言っておきます。まあ以上で、第1章は終わりです。