目次
1.驚異の科学文明
2.現代文明との比較
3.救世主トス
4.トスの教え
1.驚異の科学文明
さて、本章では、ムー文明に続いて、アトランティス文明について、話をしてみたいと思います。
アトランティスについては、私もすでに刊行しました霊訓集のなかで何回か言及しているところもありますので、くり返しはできるだけ避けたいと思っていますが、これもね、やはり、人類史上では非常に誇るべき文明であったのではないか。まあそのように思います。
驚異の科学文明を誇っていた文明です。まあアトランティスにも飛行船があったという話、いわゆる飛行機のようなものがあったという話、潜水艦のようなものがあったという話、こういうことも、もうすでに読んでおられる方もいると思いますが、相当なものです。相当な科学文明があったし、その部分的なもの、一部分は現代文明をも凌駕(りょうが)するような、そうした面があったのです。
それは、アトランティスの文明の時代には、科学技術系統の方も相当出てこられた。銀色光線ですね、銀色の光線もだいぶ照射して、地上にそうした科学者としての偉大な魂も数多く出た。まあこうしたことが言えると思いますが、やはり、文明の実験室として、その後の現代文明のもとになるもの、モデルがこの時代に創られた、というように言うこともできると思います。
まあアトランティスというのは、もうみなさんご存じかと思いますが、現在の北米大陸とヨーロッパとの間に、大西洋というのがありますけれども、この大西洋上の島であったわけです。島というか、大陸であったわけです。そして、ここに一大文明圈を築いていたわけです。
この文明圈は、もちろん海洋文明でもあったんでしょうが、やはり位置的に現在のヨーロッパ、アメリカに匹敵するところですから、気候、風土的に見ても、かなり文化的な生活ができるような、そうした気候風土でもあったと、まあこのように言えるのではないかと思います。
その科学文明のなかで、潜水艦や飛行船の話はもうすでに出ているから、私は今回はちょっと違った話もしておきたいと思うんだけれども、面白い機械がいくつかあったのです。
ひとつ言ってみましょうか。それはね、たとえば、今、植物とかが今四季折おりに育っていたり、あるいは夏の果物が、もう冬場にね、温室で取れたりとか、いろんなことをやっていますが、こうした方法なんかは、現代よりもアトランティスの時代の方がもっと進んでいましたね。すなわち、植物なんかでも、早期に栽培できる。そういう方法があったんです。
たとえば、トマトなんかも何ヵ月もかかって作るものだと思いますが、トマトなんかもね、一日ぐらいで作ってしまうようなね、そうした方法があったんです。それは、特殊な光線を当てるのですね。そういう発育を良くするための、発育促進光線みたいなのが当時開発されてまして、そうしたものを照射していると、トマトが一日ぐらいでみるみる大きくなっていくんですね。そして食べられるようになる。
こういう発育促進法というのがあって、それを当てるといろんなものが急速に成長するんですね。ですから、トマトのような植物、きゅうり、かぼちゃ、まあこんなものがあったかどうか知らないけれど、そうしたものの成長がどんどん早くなるし、稲のような、ああしたものであってもね、極めて短い速度で生成、生育するという方法があったんです。
それゆえに、たとえば今、稲だと、たいていのところは田植えをしてから刈り入れするまで半年かかりますね。五、六月頃か知りませんが田植えをして、秋頃刈り入れということで、一年に一回お米を採るのが普通であって、温暖な地域では二期作とかいって、一年に二回お米を作る。あるいは、なかには三期作と言って、三回作るところもあります。ただそうすると、土地がだんだんやせてくるために、採れが悪くなってくる。あまりお米が採れなくなってくる。それで、まあ、土地を休ませたりする必要がありますね。
こういうことがありますが、こうした一年にせいぜい二期作ぐらいしかできないようなお米ですが、アトランティスの時代では、こうした発育促進光線というものが開発されていたために、全然事情が違ってくるんです。そうした温室のなかに、たとえば稲なら稲を植えて、そして発育促進光線をかけながら育てるとどうなるかというと、もう一週間ぐらいでお米ができちゃうんです。一週間ぐらいでできちゃう。驚異の速度です。
そうするとどうなるかというと、まず土地の節約になるんですね。今だと水田というのはものすごく広い土地がいりますね。山形地方だ、秋田地方だ、いろんなところで水田が随分あって、そしてお米を作ってますけど、何ヵ月も寝かして作ってますが、これが一週間でできるとなるとどうなるかというと、土地がいらなくなってくるのです。すなわち、ハウス栽培みたいに小さいとこで稲を作っても、一週間でできちゃいますから、一週間ごとに作っていけばいいんであって、一年中作れるんです。だから「ジャスト・イン・タイム」、トヨタのカンバン方式じゃないけど、ジャスト・イン・タイムで、お米が毎週、毎週できるんです。そして採れ立てのお米が毎週、毎週市場に流れていく。こういうことなんですね。一年中、お米ができたわけです。だから、それほど広い空間がいらないんですね。
だから現代、これからの社会、農業の改革にあたって、このアトランティス方式がやがて出てくる必要があると思います。こうすれば、日本なんかの土地問題、解決されちゃいますね。そんな水田いらないんですね。畑もいらないのです。こういう企業として大会社をつくって、農場をつくってね、体育館みたいな農場持っていたらね、たとえばそれを農場にして、そのなかでこの発育促進光線でどんどん、どんどん大きくしていけば、一年中作れるわけですから土地がいらないんです。だから大きめの建物のなかで、農作物ができるんです。こういう方法がありました。
こうするとね、現代の日本の土地不足は解消しますよ。あなた方は非常に地価の高いところで、堂々と野菜作ったりしているでしょう。東京近郊で、あんなの高いですよ。何億もする上地で野菜作ってるんでしょう。もったいないね。まあこうしたことがあります。
ただこれはね、動物には使えなかったみたいだね。動物にやっちゃうと、やっぱりいろいろ奇形児が生まれたり、いろいろするもんだから、植物だけにしかできなかった。
こうした、驚異の発育促進光線なんていうのもありましたし、これ以外にも、いろんなエネルギー源としては、現代と違うようなエネルギー源もあったことは事実です。まあこうしたことが、文明の特色として、言えるのではないかと思います。
2.現代文明との比較
さて、このアトランティスの文明を、現代文明と多少比較してみたいと思うのですが、これはね、やはり文明として見ると、見てみる角度が多少違うっていう感じはするね。
現代の文明はどっちかと言うと、どうだろうね、まあペーパーワーク文明だね。書類文明があって、そして株式会社なんかつくってね、こういう株式会社なんていうのが流行(はや)ってますが、このアトランティスの文明ではどうだったかというと、株式会社みたいなのがなかったんです。そうではないけども、ひとつの面白い社会システムがありました。
それは何かっていうと、まあ貨幣にあたるようなものは、もちろんあったわけです。お金にあたるようなものはもちろんあったんですが、これが、まあ政府から与えられるわけなんです。それぞれの企業でも個人商売でもなんでもいいのですが、与えられるわけだけど、毎年一回、今日本では、あるいは世界でも税金の申告やって納めていますが、この逆がやられていたんです。一年間の働きを提出するんです。今年いっぱいこういう仕事をしましたという、申告をするんですね。そうすると、それに対して役所の審査があって、確かにこの者は申告通りの仕事をしたと、こういう認定がされるのです。
あなたは申告以上の仕事をした、あるいは申告以下の仕事をした、という認定をするところがあって、そして個人の申請に、たとえばよく働いた人は一・五倍をかけたり、働きが少ない人は〇・五になったりしますが、そうした乗数かけた分だけのお金が、毎年一回支給されるんです。面白いでしょう。税金の逆なんですね。税金の逆で、毎年一回そういうお金の支給がされるんです。そして、それで翌年一年、それをもとにして生活できるんですね。
こうすると、政府というのは非常に有り難いね。今の政府は、税金を国民から取るだけだろう。非常に悔しいね。一生懸命儲(もう)けたのに、政府にピンハネされちゃうんですね。そしてお役人に使われちゃう。ああ悔しい。何に使っているのかさっぱりわかんない。こういうことが非常に我慢がならない人は、数多いと思います。
ところが、アトランティスだと逆だね、政府はお金をくれるんです。面白いですね、一年に一回、その年の働きに応じたお金をくれる。そして、そのお金をくれるわけだから、その働きを確かにしたという証人がいるんだな。証人、その証人をしているのは誰かっていうとね、これが面白いんだけども、牧師さんみたいな人なんだねえ。聖職者、僧侶と言ってもよい、お坊さんだな。こうした、お金に全然関係がなく道を求めている人、法を求めている人、悟りを求めている人、こういうふうにお金に無頓着(むとんちゃく)であるというところが、非常に評価されるわけだな。こういう人の判断は公明正大であろう、利害が何もないであろうということでね。
まあこういうことで、その一年に一回の申告書を書いたら、このお坊さんがね、毎年、いつでもいいけど、十二月なら十二月に、そういう仕事があるんだよ。年に一ヵ月だけ、そうした仕事があって、そうした自己申告、町民の各人、あるいは村人の自己申告に目を通して、そして心を調和して見て、これが偽りがないと思ったら、判子(はんこ)をポコポコッと押すんだね。ポインポインポインと、判子を押すんです。そして証人ができる。だから、お坊さんに判子押してもらったら、これを役所に届けにいくんだな。そして、まあお坊さんの方は、その書類に偽りがないか、その人の心に間違いがないかというようなことを見ながら、判子を押すわけで、あとの役所の方はそれをテクニカルに判断していく。その仕事がどれだけの価値を生むかっていうことを判断していって、そして支給額を決めていく。こういうことなんだよ。
だから、日本の政府もこんなことをすると、人気が上がるんだな。政府が、要するにお金をくれるんだったら、みんな一生懸命働くよね。そして、国民の信頼が厚くなる。政府がとにかく、お金をくれるんだから。大蔵省なんていうのは、お金くれるんだったらいいけど、お金取っていくだろう。だから人気が悪いね。威張っているけど人気が悪い。
お金くれるところだったらね、あなた、大蔵省がお金くれるんだったら、みんな大蔵省さまさまですよね。そうじゃないでしょうか。そうでしょう、ね。こうしたこともあったんだよ。だから、政府というのは、取ることばかり考えないで、与えることもあるってことを知らなきゃいけないですよ。そういうことなんです。まあそういう給料の支給を、国家がやっていたんです。
こういうところが現代文明と違うと思うし、その意味では資本主義社会でもないし、共産主義社会でもない。なんかへんてこりんだけども、そういう社会だったと思いますね。職業や資本源は全部国にあったわけだけれども、ただ各人が自由にやって、自由競争の結果を国が判定してくれる。こういうことなんだね。押しつけの、画一的な共産主義じゃない。収入は一定、みんな一緒だというんではない。収入に格差はあります。あるけれども、そうしたような査定をするんだね、査定をする。そういうことがあるんですね。
では役人たち、じゃあ役人がいるだろうけど、役人の給料は一体どうなってるのかと、まあ、それが気になる人もいるでしょう。
役人の給料っていうのは、またこれがね、面白いんだけれども、国民投票で決まるんだよ。面白いだろう。たとえば、役所の名前はもちろん違うけど、大蔵省や通産省や外務省みたいな、そういう役割を果たしている役所かあるわけだ。あるいは、県庁のような役割を果たしているところがあるんだね。
それで、たとえば、前年度の予算が決まっているでしょ。たとえば県庁なら県庁で、ある県庁で人件費として、前年度たとえば二十億円の予算があったとするね。これに対して、その住民のなかに識者がいて、たとえばなんとか県でもいいけど、なんとか県の識者が、たとえば五百人に調査アンケートを配るわけですね。そして点数を入れるのです。その一年間において、その県庁が県の行政としてやったこと、評価を前年度と比べてみんなが査定するんです。査定をして点数を入れていく。
そして、前年度の平均点が八十点だった時に、今年度やった時にその行政の効率が、たとえば八十二点と出たとする。平均がね、五百人の識者の平均が八十二点と出ると、これが上乗せされて、たとえば前年度、二十億だったその人件費予算が、二十億かける八十分の八十二になる。だから、約ニパーセントだけ増えるわけです。そうすると、役人の収入が増えるわけですね。
ところがその一年の総決算で査定受けて下がった場合には、全体の予算が減る。そして分け前が滅る。こういうふうになっていて、役人の給料がやはり国民の審査受けて決まっていたのです。それで上がり下がりしたのです。だから悪い行政すると収入が滅るんですね。いい行政をすると収入が上がる。こういうふうになっていて、現在の自由競争の原理が逆に働いていたのです。公務員社会、役人の社会にも働いている。
だから、裁判所みたいなものももちろんあったけれど、裁判についても、やはりそういう国民審査があった。現在でも最高裁判所の裁判官の国民審査があるけども、あんなの給料に響いてないね、全然。過半数かなんか知らないけど、×が多くなけりゃいいんだろう。ところが、裁判についても国民審査がちゃんとあって、それで毎年、裁判官の給料が変わるんだね。いい裁判するとよくなるけど、悪い裁判すると下がる。こういうことが安全弁になっていたんだね。こういう制度もあるんだよ。
だから、現代の社会制度が当然と思ってはいけないよ。こういう面白い逆転の発想もあるということを、知って下さい。
3.救世主トス
さて、このアトランティス文明に、救世主として、「トス」と言われる方が生まれました。これは今から一万二千年、あるいは一万三千年前という時代ですね。アトランティスが滅亡する、千年から二千年ぐらい前と言われています。
このトスと言う方は、先ほど述べたラ・ムーの生命体の一部なんです。そして、トスは、科学的な素質もあったし、政治家でもあったし、そして宗教家でもあるというような、いわゆる万能の天才でありました。
この方はね、まあその風貌を現在語ってみるとするならば、まあ随分、温厚な顔立ちをしているところはその通りですが、面白い特徴がありました。それはいったい何かというとね、まあ現在でも霊視なんかきく人は、人に後光が射しているなんていうのがよく分かるんでしょうが、このトスという人は、その後光というのが現象化して出る方だったんです。すなわち、トスの話を聞いていると、トスの周りが本当パッと明るくなってくるんですね。百燭光(ひゃくしょくこう)、百ワット、二百ワットの電球つけたようにパッと明るくなって、顔色が虹(にじ)色に変わってくるんです。この方はこういうのを現象として現す能力があったんです。
だから、トスと会って話しているうちに、もうだんだん眩(まぶ)しくなってくる。周りが明るくなってくる。こういう人間発電機みたいな、東京電力みたいな人だったんですね。こういう人です。そういう特徴がありました。その人が来ると、周りが本当に物理的にも明るくなるんです。光輝いている。まあこういう能力を持った方でありました。
この人の面白かったところはね、すなわち、なんでもやる人だったんです。なんでもこいっていうか、いわゆるそういう超天才です。なんでもこいの人であって、レオナルド・ダ・ヴィンチが万能の天才っていうけど、あんなのはトスに比べるともう数段小さいです。このトスっていうのは、もうなんでもできる人なんです。この人にとっては、学問の領域、こんなものはなんにもないです。理科系も文科系もないんです。技術もなければ、英語もなければ、哲学もない。何もないんです。なんでもこいなんです。
これはパーニャパラミタと言って、心の奥底が開いて、そして、大宇宙の英知、光の大指導霊たちと交信することができていたからです。したがって、大多数のそうした専門家集団を自分の背後にひかえていたために、どんなことでも答えられるという能力を持っていたのです。驚異の霊能力です。こういう超天才で、それゆえに人びとから畏(おそ)れもされ、また畏敬(いけい)もされていました。非常な天才です。まあこういうことで、なんでもこいという人で、天才のはしり、万能型天才のはしりでもありました。
もちろん、病気治しなんかもしたり、あるいは、あらゆるものからね、あらゆるものと言ってもあれだけども、まったく予期もされないような物から薬を作っちゃったりするんですね。まあ不思議な、誠に不思議な能力ですが、山のなかに入って、いろんな薬草をつんできたかと思うと、それを調合して、あっと言う間にいろんな薬を作ってしまう。まあこんな人であったんです。まあそういう医者のような役割もできた。また、発明特許じゃないけども、いろんな発明もした。政治についても、どんどん新手法を編み出していった。まあこういう方です。
だから、救世主と言っても、単に法を説くだけではなくて、なんでもこいの人であって、そういう形でもって世の中の人びとの尊敬を集め、また自らの力を増していった。発言力を増していった方であった。そう思います。
4.トスの教え
さて、このトスの教えは、いったいどんなものであったかということが、みなさんの興味のあるところだと思います。
これはね、お釈迦様の生命体の一部というだけあって、やはり基本的な線ではズレてないんですね。ズレてない。すなわち、法の骨格そのものは、ほとんど変わっていません。ただ現象面としてね、そうした万能の天才型でいろんなことができる、そういう人であったという、そのような現象があったということです。
トスの教えでね、私が見ていて、その根本となるのはいったい何かと言うと、まあそうだね、やっぱりこれも三つぐらいに分けて、言えるのではないかと思います。
第一は、人間は心の開拓に応じて、いくらでも能力が引き出せるというような教えであったんです。心を開拓していけば、いくらでも能力をアップしていける。そして、いわゆる観自在能力だけれどもいろんなことがわかるようになり、そして、いろんな知恵がどんどん出て来る。このパーニャパラミタの思想、こうぃう考え方が、第一にありました。
これは、釈迦の「心の窓を開けばパーニャパラミタが出て来る」という思想と、それとヘルメスの発展の思想、この両方を合わしたような思想だと思います。心の開拓によって、無限の力を出して来れる。そして、無限の可能性が拓けていく。まあこういうことだ。心の開拓の方法論を随分説したし、その能力の駆使の実際論、これをも教えたということだね。まあ自己実現の先駆者かも知れません。そうぃう自己実現の法も教えていました。これが第一であったと思います。
第二は、やはりこの人の本来の魂の方向としまして、「神の偉大性」ということを教えました。神がいかに偉大であるか。その宇宙の英知としての神の偉大性を教えました。それは、自分の霊能力の多面的展開、さまざまな万能の天才として現れたことを通して、「神の僕(しもべ)である私でさえ、これだけの力を持っているのだ。全能の神は、いかほどの力を持っているかわかるか」と、このように教えていたのです。これが、トスの神の偉大性を教えた面です。
三番目の特色はいったい何かと言うと、これは「統治の原理」だね。政治の原理について、だいぶ言ったわけだな。これはユートピアの原点でもあるけれども、どのようにして人びとを治めていくか、この徳治政治だね。徳治政治の原理と、この人は合理主義と効率主義、これを交ぜ合わしたような原理を登用しておりました。
徳治主義、徳ある者が人の上に立つということと同時に、その人を立てることによって、どれほど効率的に運営できるか、こういう西洋合理主義の原点みたいなこともやっていたのです。両方をやっていました。交ぜ合わせていたのですね。単に徳あるだけでは駄目で、徳がある人に適材適所を与えていって、そしてやる気を引き出して、どんどん効率をあげていく。こういう方法を取っていたのです。
まあその意味で、釈迦が後代、非常に優れた教育者として現れるけれども、教育者の側面というのが、随分あると思います。徳治主義をやる人は、ふつう教育者という側面が弱くて、人間はもともとそういう光輝いたもんという考えを持っている人が多いのだけれども、教育者としての側面をこの人は非常に多く持っていたと思います。そして多くの人たちの能力をアップするということを、最大限の力をはらって実現した。まあそういうふうに思います。非常に優れた方です。
だから、その魂の原形のなかに、やはり、将来の釈迦やヘルメスとして出た方の姿が見えますね。チラチラと見えます。まあこうした万能の天才も、またやがて、地上に現れてくると思いますが、同時代にいた人にとっては、やはり神聖な人、神そのもののように言われていたように思います。
やがて、アトランティスは没していくわけだけれども、アガシャー大王が出るまでの間、トスというのは万能の天才のように言われていましたし、「主・トス」ということで、言われていました。やがて、アガシャーが生まれてきた時に、このトスが天地創造の神の如く敬われていたわけであります。
5.アトランティス大陸の沈没
まあこうしたアトランティスも、今から一万年あまり前、一万一千年近い昔でしょうか、やがて、ムーと同じで海没していく運命にあったわけであります。
この点については、もうすでに私も何度も触れておきましたけれども、やはり、唯物信仰がだいぶ流行(はや)ってきて、想念の曇りが相当、文明あるいは大陸を覆ってきた。それと末法の世に出した光の大指導霊たち大多数を、なんと言いますかね、イエス様の時のように殺害するっていうような、こういう暴挙をしたために、大陸自体が不調和の想念に包まれて、反作用によって沈んでいくという、まあ前代未聞の事件が起きたわけです。
この最後の光の大指導霊として出たのが、アガシャー大王と言われた方です。トスから時代が下がること千何百年ぐらいでしょうか。アガシャー大王というのが出まして、これがイエス様の前身の部分です。こういう偉大な方が出ましたが、やがてそのアガシャー系一族も滅びていくという、悲運のまた指導霊だったと言えるかと思います。
まあアトランティスの末期のありかたは、やはり、今後現代文明を待ちかまえているさまざまな危機を思わせるものがあります。アトランティスの末期は、現代と非常によく似ている点があるのです。
文明は非常に発達し、そして、神理は説かれていたけれども、その神理がいろいろにまげられてきていた。そしてまた、新興宗教のようなものがいっぱい起きてきて、そして、本当の法を説く人を迫害するような現象も出ていた。この意味において、アトランティスは、非常に現代に酷似しているところがあります。
だから、このアトランティスの愚をくリ返さないためには、どうしたらいいかというと、やはり、真実の法というものを一日も早く広げて、多くの人たちに納得してもらうことですね。これがいちばん大事である。私はそのように思います。この真実の法が一日も早く広がることが、アトランティスのような不幸を妨げる効果があるのではないか。そして、現代の文明をさらに押し進めていく「黄金の時代」を創っていくのではないか。まあこう思います。
ただ、アトランティスという悲劇の大陸、悲運の大陸、文明であったとしても、やはりそこになんらかのユートピアの原形があったことは事実です。このユートピアの原形としてのアトランティス文明、これから何かを私たちは学ばねばならん。彼らの文明が私たちの文明より優れている面もある。それは事実です。こういうところをやはりしっかり学んで、今後の文明に活かしていきたい。まあそういうふうに感じます。