目次
1.魂の構造
2.魂の性質
3.守護霊の役割
4.運命と守護霊
5.指導霊の役割
6.守護霊への誤解
4.運命と守護霊
さて、守護霊というもののあり方、話しましたね。本来は自分の魂の一部か、一面が守護霊をするんだけれども、この世的に守護霊と言われているものには、違うものがある。それは、指導霊をも守護霊という場合もあるし、あるいは縁故霊といって、特別その人に関係のある人が毎日ついている場合もあるし、それ以外に不成仏霊が、守護霊のようなふりをして抱きついている場合もあると。まあこういうことがあるという話をしましたね。
だからこのへんの認識が、運命と守護霊の問題になるわけですね。ですから世に、「守護霊を持て」とか「守護霊を替えよ」とか、まあ言うけど、言う人がいるけど、こんなの間違っていますね。そういうことは普通はありえないんですね。
それで、守護霊の問題についてもうちょっと考えてみたいと思うんですが、守護霊っていうのはようするに、みなさんは、まあボディーガードのように思うかもしれないけれども、守護霊というのも年がら年中みなさんにくっついて、やってるというわけでもないんですね。守護霊というのも、やはりあの世での仕事はあるんですね。それなりの生活というのは、やっているんです。
したがって、常に目を放さないようにしているけれども、まあちょうどあれでしょうね、幼稚園の先生と、そして幼稚園児みたいなもんでね。みんなが砂場で遊んだり、すべり台で遊んだり、ブランコで揺すぶったりしているうちは、先生は安心していますね。ところが一人が、なんか外へ、往来の方へ駆け出していったりするとあわてて先生とんできて、「オイオイいっちゃいけないよ」なんて、言いますね。
こういうことで、平常時はそれほど、目は離さないようにしているけれども、どうこうしているわけじゃないんですよ。みなさんがお昼ご飯にね、玉子井にするかウナ井にするかね、親子丼にするか、それとも他人井にするか、こんなの守護霊関知してないんですよ、全然ね。こんなの好きなようにすりゃあいいんですよ。
ただ、大きな問題起きたようなときにはね、やはり関係してくることが多いですね。その人の人生の曲がり角には、なんか影響してくることが多くあります。
ですから、運命と守護霊というものを考えるときにね、その運命そのものの考え方をね、もう一度冷静に考えてみなければいけないね。人間にはもちろん運命というものが、全体的にあるわけですが、その運命というのも形づくっているものであることは事実ですね。
じゃあ、運命はどういうふうな形づくられ方をしているか。まあ、この問題があります。私が見ているかぎりね、そうだね、まあ先天的といいますか、生まれる前の運命としての計画、これはもちろんその人の霊層によってだいぶ違いがあるんですが、上段界の霊だとかっちりしているし、下の方だとざっとしてますけれども。まあ、平均的な見方とすればね、生まれる前にある程度予定してきている部分ていうのが、五割ぐらいだと思いますね。こういうことが言えるんじゃないでしょうかね。五割ぐらいは予定をしてきている。
そして残りの五割があるわけですね。この残り五割のうちの、まあそうだね、三割程度かな、三割程度は後天的な本人の努力の部分だと思います。私はね。三割ぐらいが。そして残りの二割ぐらいが、霊的な影響部分だと思うんです。残りの二割が。この残り二割の霊的影響部分に、必すしも守護霊だけじゃないんですね。黒い守護霊ね、頭がまっ黒の守護霊っていうのもありますから。この黒い守護霊と白い守護霊と両方ありますから、こうしたいろんな霊が入り乱れての霊的な影響があるんですね。これが二割ぐらいじゃないかと思うんです。
だから基本的には、五割程度はだいたい予定があると思っていいんです。その人の運命はね、総理大臣争うような人は、やっぱりそれなりの器(うつわ)をもっているんですね。もともとそれだけの霊格はあって、総理大臣になるような人は、八百屋(やおや)で大根ずっと一生売ったり、魚を三枚におろしてたりすることはないんですね。
だから、魚屋が八百屋に商売替えするというようなことはありえるかもしれませんが、そんな大きなあれじゃないんですね。大きな違いはない。だから、大まかな意味での職業とか、人生計画、家族計画、こうしたものは、ある程度はそこそこ決めてくるんですね、五割程度。残りの、だから五割が、大事なわけです、運命を考えるときにね。で、三割が自力といいましたねえ。これはやはり精進(しょうじん)の部分なんですね。全部決まっておれば、この世に生きる修行はないんですね。意味がない。こういうことがある。だから、精進の部分が三割あるんですね。
先般の総理大臣の、総裁選がありまして、竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一と、まあこの三人が総理大臣の椅子を、ニュー・リーダーで争ったわけですね。じゃあ、だれが総理大臣になるかってことは、もう運命論的に決定しておって不動かどうか。こういう問題、たとえば考えてみたいと思うんですね。そうしてみるとね、まあ、こういうことが言えるんです。必ずしも運命論的な決定ではないんです。ただ、総理大臣クラスのね、そのぐらいの政治家になるかもしれないというあたりが、七、八割ぐらい決まっているんですね。で、残りの二、三割の部分が、決まってないんです。ここの部分の中にね、やはり本人の努力の余地と、それと周りの人の努力の余地、それから霊的な協力の余地、これがあるんですね。
だからこの三人が総理大臣競うと、そうすると、先天的には三人とも政治家というの計画して出てきているんだね。政治家計画して出てきているからっていえば、みんな総理大臣になりたいと思っています。それぐらいで出てきてる。これは間違ってないんです。
ところが、総理大臣の椅子を争って三人が出てきた。そうするとどうなるかというとね、本人の、今の理論でいえば、本人の精進と、努力と、霊的な影響がありましたね。だから本人の精進の部分が、もちろんあるんですね。どれだけ多くの支持者を集めるか、どれだけ多くの人気を博するか。こういう部分は、やはりあります。経歴ね、外交に強いとか、内政に強いとか、こういう問題がありますね。あるいはルックスがいいとか、背が高いとか低いとかね、そういうものもある。こういう本人の領域の部分がある。
それと、安倍さんにしても、宮澤さんにしても、竹下さんにしても、三人三様それぞれ守護指導霊がいるわけで、守護霊がみんな応援してるわけですねえ。みんな守護霊は、「わしの、あの、子分じゃない、肉体舟こそ、これ総理大臣にしよう」と思って、みんな守護霊がんばってるんだ。守護霊三人ともがんばってるんですね。がんばってるけれども、その守護霊の応援と本人の努力と、まあ、周りの支持、こうしたものが助け合って決まるんですね。だから、必ずしも決定論じゃない。今、竹下さんが先に総理大臣になりましたけれども、まあ、あと宮澤さんとか安倍さんとかが、まだもう一回できたら、なんて思ってるかもしれないけれども、まあ彼らもなるかもしれないけれども、たとえばなるに、順番がね、たとえば竹下、安倍とまあ、きたとしてもね、その順番が決まってたかというと、そうじゃないということですね。それで安倍さんが次の総理になるかどうか知らないけど、はずれることもあるし、なることもありうるんですね。
だから、その総裁選びのときに、本人の精進の具合い、それから本人の守護霊の努力、それからそれを押す人。たとえば今回の総理大臣は、中曽根首相が竹下登さんを総裁に、次期総裁に決めました。そうすると中曽根さんが、もう心静かに、日の出山荘かなんかで、あなた座禅組んでね、瞑想して、「天啓(てんけい)で上からインスピレーション降りてきた。竹下登という声が下ってきた」なんて、書くわけでしょう。決めるんでしょう。
その時は、ようするに、三人の守護霊はみんな中曽根さんの守護霊、一生懸命つついてるわけですね。「おれにしてくれよ」って、みんな言ってるんだけれど、中曽根さんの守護霊も一生懸命、腕組んで座禅してるわけです。あの世で。「どれにするかなあ、どれにしたほうが国にとって一番いいかなあ、今の時期に」なんてね、いろいろ考える。「外交中心のときには、安倍君でいいかもしれないが、しかしやっぱり、自民党の基盤を固めるという意味ではやっぱり、そりゃあ竹下君かもしれない」ね。そういうふうに考える。「こんなの、安倍、竹下がもう熾烈(しれつ)な戦いをしてもう両方両成敗になったら、宮澤君にしてもいいかな」なーんて、こんなことを考えてるわけですね。それで、タイム・リミットの中でいちばんいい選択枝を選ぶ。
だから、この世でもやってますが、あの世でもやってるんですねえ。誰にするか。で、あの世の守護霊も、「おれの方こそ間違いない」なんてやってるんですね。「おれは海外に明るい」「おれは経済に明るい」なんて、いっぱいやってるんです。まあそういう、あの世とこの世で両方でね、話が進んでるんですね。そうして、現実が決まっていくんです。
だから、その部分、決定していく部分ていうのは、非常に微妙なんですね。紙一重(ひとえ)の部分で決まっていく。こういう部分がありますねえ。それが、たとえば政治家になること意図して出てきても、今世で総理大臣になるかならんかというようなことが、一つの今世の魂修行の結果になるんですね。なる場合もあるし、ならん場合もある。こういうことなんですね。そういうふうなことが言えるわけですねえ。
まあ、総理大臣になる人が霊格が高いかっていったら、必すしもそれは言えないんですよ。総理大臣になっている人は、それは、たまには菩薩界から出たような人がなる場合もあるけれども、神界の人もい、霊界の人もおりゃあ、幽界の人もおれば、地獄界の人もいるんですよ。有名な政治家で地獄界へ行ってる人、いっぱいいるんですよ。だから、誰が偉いか、霊格的に偉いか、これは非常にわかりにくいんですね。だから、それがわからなくてこの世的な手腕でね、いろいろやってますね。
たとえば、最近還った人でみると、佐藤栄作、ね。岸信介。こういう兄弟で総理大臣になった人いるけども、じゃあ彼らどういうふうになったかっていうとね、まあ、岸信介は今どこにいるかっていうと、これ死んだばっかりだよな。死んだばっかりだから、そらまだ上へあがってきてません。はっきり言ってね。まだ幽界ぐらいで、反省中です、ね、一生のこと。まあ、いろいろとみんな、光の天使たちが行って、彼といろいろ話してるけど、まあ、地獄に堕とすほどでもないなっていう話なんですね。だから、「もうちょっと本人の修行すすめば、上へあげるか」なんてね、今は幽界ぐらいでまだやってるんです。いるんです。
で、佐藤栄作さん、弟さんのほうが先にあの世へ行っちゃって、ね、これどうなってるか。「ノーベル平和賞なんかとっちゃったねえ」なんてねえ、「非核三原則で、ずいぶん格好いいじゃないか」なんてねえ。ノーベル賞とったら一番上あげないといけないかというと、そんなことないですね。ノーベル賞関係ないですね。それはそれなりにまた、話してるんですね。
まあ、ちょっと先早く還ってるからね。「佐藤栄作、どこもっていくか」って、みんなで話したんだけど、いろいろ相談してみて、でも、「『栄ちゃんと呼ばれたい』なんて言っちゃって、愛されたとこもあるから、地獄行くほどじゃあないんじゃないか」、ねえ。じゃあ、どこへ行くか。「そうだなあ、でも菩薩とは言えないなあ」なんてね、「光の天使とは言えんぞ、いくらなんでも」って、「結構やってるぞ、いろんなこと」って、「まあそらそうだ、でもノーベル平和賞とったじゃないか」なんて、いろいろ議論するね、どこ行くか。「そうだなあ、じゃあ、うーん」っていってね、「まあじゃあ、もうちょっとしたら神界に上がる予定の霊界上段界くらいにしとこう」と、まあこのへんで決まるんですね。で霊界上段界の政治家の村、こんなとこにいるんですね。
じゃ、もっと前はどうだ。うーん、ねえ、いっぱいいるぞ。池田勇人(はやと)なんてもんね。これどうだ。所得倍増論、ねえ、打っちゃった。池田勇人、ねえ。その前は、吉田茂。戦後の大物大臣、総理大臣二人ですね。吉田、池田なんていえば、もう大御所で、政治家になる人はみんなもう、神様みたいにやってますね。吉田学校なんて、吉田門下からいろんな政治家が出たなんてやってますね。
しかし、この吉田、池田の二人のその後の消息は、これはみなさんねえ、明らかにできないんですよ。そういうことなんです。明らかにできないんです。ねえ、こんな大物政治家、この世の価値と逆転してるでしょう。日本でいちばん権力持ってるのが、いちばん上いってもよさそうなもんだが、いかない。その後はそういう状態なんですね。なかなか混迷中なんです、今。こういうことあるんです。
だから、政治家として名前売っても、この世的にはいろんなあくどいこともやってきたりね、いろいろ権力の中でやってくると、心の状態っていうのは、結構ブレがあるんですね。そういうことはあります。
じゃあ、もっと他の人はどうなんだ、ね。じゃあ神様のように言われている明治天皇なんかどうだ、ね。そらあ国粋主義者とか、天皇陛下万歳やってるようなところは、明治天皇なんて、そらもう如来に違いない、なんて思うかもしれないけれど、そうじゃないんだなあ。それほど偉い人かっていえば、そうじゃない。でも明洽天皇っていうのはやっぱり名君の誉(ほま)れが高かった人だねえ、神界に還って来ています。神界の方です、ね。ただ、菩薩ではないです。そんなものなんですよ。
だから、国粋主義者とかね、天皇陛下万歳やってる団体から言えば、「そんなはずはない。もう天皇家というのは、そんなのもう、如来菩薩の上だあ」なんて言ってるかもしれないけれども、それは思い込みが激しいんであって、そんなことないんです。やはりね、肉体に宿る霊という以上は、霊格はみなあるんです、それぞれにね。ただ、天皇家に代々出てきておった魂なんかが、転生輪廻してきてる可能性は非常に強いんですね。そういう高貴な魂が出ているのは確かです。天皇家になんかね。
今の現天皇陛下、八十何歳になって、最近病気して入院したりいろいろしたそうですが、まあ、お迎えもそう遠くはないでしょうがねえ、こういう人なんかどうでしょうかね。まあ、国粋主義者に本焼かれたりなんかしてはいけないけれど、霊的にはそう低い人じゃあありません、もちろんね。ただ如来、菩薩というような光の天使ではないことは事実なんですね。この方も、おそらく神界に還られる方だろうと思いますね。現天皇という方はね。だから、日本の右翼系の新興宗教の人たちは、怒るかもしれないけど、「そんなばかなはず、絶対にない」って言うけども、でも、六次元神界ぐらいなんです。実際はね。
だけどその中でね、ただ魂の傾向はいろいろあって、そういう高貴な魂っていうのは、王族に生まれるような、王家に生まれるような、こういう高貴な魂というのがあって、一定のね、魂の傾向があって、そういう人はそういうところに生まれるんですね。そういう魂が、そんな、魚三枚におろしたりね、土方をやったりはしないんです。そういう魂はね。だからそういうふうに、伝統的に魂のあれはあるんですね、上品な魂っていうのはあるんです。まあそういうことで、霊格とまた別のものなんですね。そういうふうに言えるかと思います。
だから、政治家は上行ったり下行ったり、もう、非常に激しいですね。だから明治維新の元勲(げんくん)なんかも、上はいいけど下もひどいっていう、上がり下がりがものすごく激しいですね。こういうことがあります。
まあ、いろんな話をしてますが、こういうふうに運命の部分は、決まりきっていない部分がある。ある程度の計画はあるけれども、その自力の部分、努力の部分と、あと霊的影響。霊的影響は、上からの影響と下からのと両方ある。まあ、こういう部分はあるね。それでこの時に、本人の精進が進むと心の状態が良くなってきて、守護霊の通信を受けやすくなって、運が向上することが多いと、まあ、こういうことが結論的に言えるんじゃないか。こういうように思いますね。
5.指導霊の役割
いま、主に運命と守護霊という話をしましたけれども、これ以外に、指導霊っていうのがあるんですね。守護霊っていうのは本人の、魂の一部であるという話をしましたが、その魂の一部である守護霊の指導だけではね、十分じゃないこともあるんですね。
たとえば、今世で、たとえばピアニストとして売り出し中だけども、守護霊がピアノとかいうの全然さわったこともないし、経験もないし、あんな音楽やったことないような人が守護霊やっている。こういうときに、ピアニストとしてその人が大成していこうとすると、どうしても指導する側として能力不足なんですね。それで、こうした人で、大きな影響力を持つような人には、それなりの音楽家の霊なんかが指導霊としてついていることがあるんですね。
それは、あの世の霊の中にも、そうした奉仕業をやる段階がありましてね、そういうクラスがあるんですよ。奉仕業、地上の人たちを指導するという奉仕が魂の修行になっている段階。ま、神界の人が多いですね。こういう段階の魂があって、適当な人を探してるんですね。で、地上で一生懸命努力しておって、その人が出している波長というのが、その天上界のその人の霊の波長に合うとね、引き寄せられてくるんですね。そして。「じゃあ、こいつのピアノ、一つ指導してやるか」、そういうふうにする。そしてその人が指導すると、同じピアノの音は音なんだけど、聴いている人はみんな魅了されて、陶酔しちゃう、ピアノの機械ですよ、機械押して音が出てるんですよ、弾いて。それなのに、その出てる音によってね、その音の組み合わせとか響き方で、感動する場合としない場合があるという、不思議な事実なんですね。非常に、これも霊的なるものなんですね。
だから、天才ピアニストなんかなってくると、ほとんど高級霊が入って弾いてます。今、有名なソ連のブーニンなんかもそうですけどね、こんなのショパンなんか指導してますよ、本当にね。入ったりして、弾いてるんですよ。だから、彼ら霊能者でもないけれど、芸術という一点において非常に霊的になってるんですね。それを影響受けるんですね。あるいは、カラヤンなんて天才指揮者がおりますが、彼なんかでもやっぱり、偉大な音楽家の霊がね、ずいぶん指導してるんですね。こういうことがあります。有名な音楽家の霊が指導しています、カラヤンなんかをね。
こういうことがあるし、だから芸術家の中には、気付かざる霊能者いっぱいいるんですね。こういう、芸術面で非常に鋭敏な感覚もっている人というのは、ある意味で霊能者なんですね。特定された霊能者、こういうことが言える。
だから指導霊っていうのは、そういうね、特定の目的を特った人の指導をすることがあるんですね。こういうことが言えます。それは先程の政治家もいっしょでね、明治維新の元勲たちで、天上界行っているような霊がね、地上の政治家を指導するような場合もあるんですね。そんなこともあります。そういう偉大な場合もあります。あるいは軍人なんかやっていると、そら昔やった、侍やったような人が指導したりすることもある。そういうことも、なきにしもあらずですね。こういうことが言えると思います。
あの、こんな古い話をしても、みなさんもうわかるかどうか知りませんが、日本海海戦なんていってね、東郷平八郎なんていうのがロシアのバルチック艦隊破ったなんていう、こんな古い話覚えてる人、いるかいないか知らんが、こういうことありましたね。日露戦争で勝った、なんてね。東郷平八郎なんて、名提督(めいていとく)ということで有名ですが、ああいうときに、東郷平八郎を指導していた霊は、昔の中国の諸葛孔明(しょかつこうめい)なんていうね、策士、軍師がおりましたが、こういう人が指導したりしてたことがあるんですよ。そんなことがあります。
だからそういうように、指導霊っていうのは、職業の中で特別な才覚を現わしてくるような場合っていうのは、そういう指導霊がつくんですね。
私の生前もそうですね、もちろん指導霊がついてました。モーゼなんていう偉い偉いね、間違いの多い立派な指導霊がついてまして、私をいっぱい指導してくれましてね。もう力こそすべてのような人ですから、ま、力瘤(ちからこぶ)上げてやるのはいいが、まあ緻密じゃないからよく間違う、ね。こういうことで以後、混乱がいっぱい起きましたけど、まあそういう力強い指導霊の指導を受けて、講演するっていうようなこともあります。
だから〇〇さんなんか非常に気をつけてね、講演の時の指導霊を選んでいるようですね。選んでいる。そら賢明ですね。神さんいっしょだと思って、高級霊みないっしょだと思ってあなた、一人の人に寄りかかると大変なことになるんですよ。まあ、変な方へ引っぱられていかれちゃうんですよ。だから、よくよく注意しなきゃいけないね。いちばん間違いのない人中心に据(す)えるのが根本ですね。
だからね今、気の毒にね、〇〇さんなんか、高橋信次の霊訓集の数が多いもんだからね、一般から言うと「どうやら高橋信次が中心指導霊らしい」なんて思われるもんだから、やっかまれたりね、一部ではやっかみがあったり、一部では批判があったりねえ、かわいそうですね。ほんとかわいそうなことして。彼としてはね、私に同情してね、あの世で迷っとるからいっぱい霊言集だしてすっきりさせてやろうなんて、同情してくれてるのに、それやるとね、一部の人たちからはね、「あの野郎、高橋信次先生の名を騙(かた)って」なんてね、こんなふうに攻撃を受ける。こんなつらいことがありますね。
だからやるのはいいんだけどね、弟子たちがやってくれないことやってくれている、それだけ愛の行為やっていって、誤解を受けるというような、こんなこともありうるんですね。
だから、指導霊は選ばねばいけないのですよ、ね。だから高橋信次が駄目だと思ったらポイと捨ててね、谷口雅春にのりかえて、谷口雅春だめだと思ってね、生長の家怒ったりしたらポイと捨てるね。出口王仁三郎にのりかえる。出口王仁三郎にのりかえても、大本教徒が「許さん」なんて言ったらポイとのりかえて、「私は内村鑑三です」なんてのりかえる。キリスト教徒が「あんなの駄目だ」なんていったら、ポイとのりかえて古い人の神さんにするとかね、こんなのいろいろあるんですよ。だから適当に指導霊を替えないと損ですよ。あんまり一人の人にぶら下がるとねえ、傾向がいろいろありますからね、気をつけないといけないですよ。本当気をつけないといけません。
ねえ、私の本出して、先程天皇陛下がどうこう言ったから「侮辱罪だ」なんかいってね、神道系からおこられるかもしれない。そんなときに天之御中主を持ってきて、「いや天皇制こそ、わが国体の象徴」って言わしとけば、そしたらいいんだ。「私は本心はこちらの方です」と言っとけばそれでいいんだけど、「高橋信次は、呪われる」なんて言われても困るしね。
まあ、そういうことで、指導霊にもいろいろ個性はあります。長所も短所もありますから、それをよく使ってやらないと、大変なんですね、大事なんですね。だからそれは、地上の人の自力の部分なんですね。情に流されると、思わぬところで、しっぺ返しくっちゃってね、地上に生きている他の人にしっぺ返しをくうこともあります。そういうかわいそうなことがありますね。
まあ、これ言うときりないんだけども、まあいいや、GLAの諸君、まあ悟り給え、私が言いたいことを。悟り給えね。いいかい。ね。そういうことですよ。
まあそういうふうに、指導霊の役割というのもいろいろあるけれども、指導霊というのも完全ではないから、その辺よく考えねばいかん。だから音楽家としても、いろんな指導霊ついとるけど、本人の努カプラス指導霊の努力の総和が、その音楽家や芸術家の力量になることがあるということですね。
この世だけじゃなくて、あの世でも競争があるんですよ、ね。この世だけの競争じゃありませんよ。あの世の競争もやっぱりある。だけど、どういう指導霊を引きつけるかは、その人の心の状態だから、やはり結論は本人の努力だということを言うことはできるんじゃないでしょうかね。そういうふうに思いますよ。
だから、守護霊を持つとか守護霊を替えるとかいうことはできないが、指導霊をね、替えることはできるし、本人の職業的な面での進歩進化にそってね、指導霊は次々と優秀なのが出てくることはあります。
趣味で絵描いてるうちには誰も相手にしないけれども、絵が好きな霊ぐらいは来てるけれども、だんだん画家としてなってくると、そこそこの指導霊がついてきて、日本一の画家ぐらいになってくると、もう天才みたいなのがだんだん指導するんですね。そういうことがあります。
だからまあ、特にね、芸術の道でもそうだし、文学やいろんな道でもそうですがね、特に専門で一家をなしていこうという人はね、やはり指導霊の役割というのが非常に大事ですよ。非常に大事だから、これをね、やはり受けるような境地、心持ちにならねばいかん。で、自分をどんどんやっぱり磨いていくことですね。これ以外にないですね。磨いていけば、それなりの指導霊がついてくる、ね。
試験の点数でもそうですよ。いい指導霊がつくと、いい点がとれるしね、指導霊が悪いと悪い点がついたり、そんなこともありますよ。だから、それは気をつけないといけない。だから、だいたい頭のいい人にはね、頭のいい指導霊がついていくし、頭の悪い人には頭の悪い指導霊がついてくるしね。だから、まあどうしようもないんですがね。どうしようもないが、向こうの方が肉体を去っているという分だけ有利だから、多少のインスピレーションは与えてくれる。まあこういうことは言えますね。
6.守護霊への誤解
「運命と守護霊」の話でもしましたが、ですから守護霊っていう言葉に対しては、いろいろと誤解を招いていることが多いし、宗教界に関しては、守護霊を正確に定義できていないと、そういうふうに私は言えると思いますね。特に守護霊をつけるだの、拝むだの言ってるうちに、不成仏霊のことと混同していることが非常に多いですね。これは大変な誤解であります。だから、「守護霊を持て」とかね、こういうことを考えるのは大変な間違いですね。
それと守護霊が、人間ではないものを守護霊なんていうことは、こんなの絶対ありませんからね。守護霊が龍神だとかね、守護霊が八大龍王だとか、こんなの全部あなたね、地獄の蛇の霊、あるいは龍、龍っていうのがありましてね、地獄の龍っていうのがありますが、そういうものの霊ですよ。ほとんどね。そんなことありませんよ。あなたが人間なら、守護霊も人間のはずですよ。人間じゃないのが守護霊することありませんからね。この辺は間違わんようにしなきゃいけない。
だから霊的なことが好きな人でも、その守護霊への誤解、ていうのが非常に多いですね。だから、何と言いますかね、どこそこ行けば守護霊を授(さず)かるとか、こんなの勘違いですよ。そんなこと絶対ありませんからね。御札(おふだ)もらったら守護霊がつくとかね、守護霊を降ろしてもらうとかね、「私の守護霊は大日如来様になりました」とかね、こんなこと言う人いるけれども、こんなのとんでもない間違いですよ。こういうことは絶対ありませんからね。
守護霊というのは自分自身の一部であって、自分自身の内なる神を発見する過程が守護霊と対話する過程なんですよ。そういうことですよ。だから、守護霊を見い出そうとすれば、どんどんどんどん心を研(と)ぎ澄(す)ましていってね、心の内の内なる、底の底なる守護霊を発見する。そういうことが大事なんですね。だから、守護霊産業っていうほど守護霊が大流行(おおはや)りですが、あのーほんと、そのへんの誤解は避けねばいかん。
ただ、さっき言ったように、指導霊というのはあってね、職業なんかに応じた専門家の指導霊っていうのはあるから、これはありますよ。だけどこれもね、神社仏閣まわってつくわけじゃあ絶対ありません。だから、神社仏閣まわって守護霊や指導霊つけようとするのは、大変な間違いですから、そういうことはやめて下さいね。特に水神さん行って、あなた、龍神がついたなんて、これはとんでもないですよ。こんなのたいてい冷え性になったり、リューマチになったりしますよ。もう地獄の蛇が体巻いてるだけですね。コンコンさんの、コンコンさん行って、守護霊が何とかコン吉大権現(ごんげん)だなんていって、こんなのは駄目ですよもう、ね。孤のしっぽユサユサふってあなた、後ろについてるだけですね。こういうのとんでもないですよ。
だから、体が不調な人でね、病気の人なんかで、守護霊もらいになんて、あっちこっち行ったりするけど、こんなことしたら余計いろんなとこで疫病神(やくびょうがみ)もらってきますよ。こんなことしちゃいけない。
だから守護霊を獲得するなんて考えないで、それは自分の一部なんだから、その自分で自分の内なる部分がその守護霊とつながっているんだから、その内なる部分、パイプの部分を詰まらしているのは自分の想念の曇りです、ね。だからこの詰まったススの部分ね、ゴミの部分、これを取り除くことです。そしてパイプが自由自在に通るようにすることです。そうすればね、彼らとの交流ができ、人生が好転し、この光のパイプを通ってエネルギーがどんどん投入されてくるんですよ。そういうことなんですね。
だから、どうかね、外に神を発見しようとしたり、外に守護霊を発見しようとしたりしちゃいけない。自分の内に発見しなさい、ね。内なる守護霊です。これは自分自身の中にある神の発見そのものズバリですね。そのものなんですね。そういうふうに考えて下さい。
だから、「三代前のご先祖が迷っています。これに水をあげてね、お供(そな)え物(もの)してやって、それを五十日間続けてやったら、この迷っておる先祖霊があなたの守護霊様になりますよ」なんてこと、絶対ありませんからね。みなさん、こんな信仰しちゃいけませんよ。こんな間違った信仰、絶対しちゃいけないよ、ね。あの、「地獄霊がね、あのなんとかしてやったり、儀式してやったりね、念仏あげてやったりね、お経読んでやったら、これが守護霊に変わってあなたをね、導きます」なんて、こんなの絶対ないからね、こんなことしちゃいけないよ、ね。世の人びとに言っておくよ。そういうことは絶対ないよ。地獄霊が守護霊に変わってあなたを導くなんてことないからね。そんなの、それはたいていね、そういう悪霊に憑(つ)かれている人が、それを商売にしているんだよ。
本当は、そういう教団に来てるというのは、悪霊がいっぱいおって、彼らも救われたくてしょうがないんだよ。だから地上の人たちに、いろいろ祀(まつ)ってもらったり、拝んでもらったり、尊敬してもらったりして、それで気分がいいから、それで救われたような気になってるんだ。
だから地獄霊が、そういう儀式をやってくれたら守護霊に変わるなんていうのは、そういう地獄霊のそそのかしを受けている教祖の言葉ですよ。それは間違っちゃいけない。そういう誤解は絶対しちゃいけないよ。だから、地獄霊が守護霊に変わるなんてこと、絶対ないからね。地獄霊が成仏した場合には、あの世での修行を積むわけですから、とてもその状態でね、地上の人をすぐ守護できるような状態じゃないよ、ね。地獄にいるけれど、良心的な守護霊だなんてこと、絶対ないからね。これをね、みなさん間違っちゃいけない。こういう産業ね、宗教産業に惑わされちゃいけないよ。私はこれを厳しく言っておくよ、ね。それだけをね、間違いなく把(つか)んでくれたら、大きなところは違いがないと思います。
まあ、第3章で「守護・指導霊の役割」という話をしましたが、だいたい以上ですね。今後もこういったことについては、話をしていくつもりですけどね、どうか「守護霊への誤解」の部分、それと「守護霊と運命」の部分のところをね、よくよく理解して下さい。まあ、以上です。