目次
3.六次元の一日
4.六次元の学習
5.六次元神界の風景
6.六次元から見た神
5.六次元神界の風景(1986年8月3日の霊訓)
今日は、「六次元神界の風景」と題して、できるかぎり、この六次元神界の様子を地上界人から見てわかるように描写したいと思います。
まず、地上のみなさんは、私たちに住むべき家があるかどうかということが気になられることと思います。
そこでまず住居のことからお話しします。
私は、前回の浅野和三郎氏編集にかかる「小桜姫物語」のなかで、地上に小桜姫神社ができたこと、そして、私たちの世界でも小桜姫神社ができて、私が主としてこの神社を拠点にして、いろいろの地上の方々の願いを聞き届けることを仕事にしていることを話しました。
もちろん、現在でも、小桜姫神社の女主人しての仕事がないわけではありませんが、いまでは、地上の人びとの信仰心が薄く、神社に参って心からご祈願される方は数少なくなりましたので、小桜姫神社の女神様としての仕事は少なくなりました。
そこで現在は仏教の勉強をしているので、それにふさわしいようにセカンド・ハウスといいますか、自分の勉強用の小さな家をつくって一人で住んでいます。こちらの方々は、やはり、それぞれ自分の気に入った家を造って住んでいますが、たいていは一人で住んでいます。というのも、六次元神界ではやはり、精神統一というのが大きな修行ですので、何人もで住んでいると、心が散ってしまって、精神統一がなかなかできないからです。しかし、時折は同心の人と、いっしょに住んで勉強しあうこともあります。
小桜が住んでいる家は、入口が東向きで、南側に大きく縁側をとった一階の畳の部屋が約十畳、階段があって、二階の畳の部屋が約六畳、ここには床の間が一畳分とってあって、「天照大神様」のかけ軸が掛けてあります。一階は主としてお客が来たときに会うための応接室として造ってありますので、黒ぬりの一畳分ぐらいの低い机がひとつと、お客様用の座布団がいくつか出してあります。えっ、台所があるかですって。ええ、簡単な台所を西側に造っています。といっても、食事をすることはないので、簡単にお茶の道具があるだけです。
こちらでもお茶は飲むことがあります。もちろん、水分をとるわけではありませんが、せっかく友人が来たのに、お茶ぐらいは出して差し上げたいという気持ちがあるからです。小桜が主として飲むのは「ほうじ茶」ですが、内容は地上と同じでしょうが、色の鮮やかさ、香りのすばらしさはこちらのほうがぐんと上です。えっ、どこでお茶の葉を手に入れるかですって。それは、小桜が「お茶の葉がなくなったな」とつぶやくと、必ずだれかが届けてくれるのです。私は最近こちらでは、紫式部さんとお知りあいになれたので、彼女もよく遊びにきます。一階の客間でよくお茶を飲んでは、彼女は文学の話をしてくださいます。庭に咲いている赤いつつじの花が自慢なのですが、彼女もこの花をとてもほめてくださいます。
二階の六畳の一間は、私の書斎兼道場ですので、だれも入れたことはありません。ここには、檜(ひのき)で作りつけの書棚が二つあり、そこに私の大切な書物が並べてあります。こちらで出版された、道元さんの新しいご本「坐禅は愛を必要とするか」とか、「日蓮聖人説法録全十巻」とか、神界の学者が書いた「天照大神様のお心」、「精神統一の真髄」、とか、地上で刊行されている霊言集のシリーズも、ちゃんと並べてあります。
こちらの世界でも読書と精神統一は貴重な勉強です。なぜかって、読書による知識は理解力を増しますし、精神統一の力が強くなりますと、小桜なりの自己実現が早くなります。つまり、精神統一とは、神の光のパワーを自分の内部に吸収することですから、それだけ自分の光の量が増えますし、特定の願いごとを心に描くのがうまくなると、それが実際に実現するのです。たとえば、キリスト教の勉強をしたいので、小桜の悟りにふさわしい先生をほしいと思うと、そういう人が現れてくるし、地上のあなた方を指導したいので、もう少し、予知能力がほしいと祈って精神統一すると、だんだんにそういう力が備わってくるのです。
ああ、そう、そう、どうして東とか西とかがわかるのですか、というご質問もおありでしょう。もっともな疑問だと思います。私たちが住んでいる村はちょうど地上でいうと伊豆付近の感じで、海も山も浜辺もありますが、村のはずれに大きな「祈りの塔」という建物があって、この建物のある方向が東だとされています。そして、浜辺の方向、海のある方角が南とされています。小桜が住んでいるところは、浜辺から約二百メートルくらい入ったところで、石段を百段くらい上がったところに見晴らしのよい丘があり、ここを住居にしているのです。
それから太陽はあるのかというご質問ですね。太陽は確かにあります。地上の太陽のような白いまぶしい太陽ではなくて、もっと黄金色をした、上品な、優しい光を投げかける太陽です。それを見つめ続けても目がつぶれるということはありません。スウェーデンボルグさんとかいう偉い方が、太陽はどちらを向いても正面にあるとか言っておられるそうですね。それはちょっと混乱もあるようですが。だいたいいつも同じあたりの高さにあるのは確かです。どこを向いても正面に太陽があるというのは誤りですが、どこを向いても、太陽が視界に入るというのは正確です。というのも、霊天上界の太陽は私たちへの光のエネルギーを供給するものですから、すべての人が平等に光を受けられるようになっているのです。
さて、海のことも触れておきましょう、海は地上の海とよく似ています。しかし違っているのは、どこまで入っていっても溺(おぼ)れて死ぬということがないということです。それと少し、色合いが違っているようですね。波が押し寄せたり引いたりするときの金波、銀波というのは、文字どおり金色の波であったり、銀色の波であったりします。銀色の波が光に当たった瞬間、くだけた波が金色の泡となって、空高く昇ってゆく姿は圧巻です。
浜辺には、大きな演舞台のようなところが造ってあって、月に一回は、村の人びとが集まって、催し物をやります。村の人といっても約三百人ぐらいですから多くはありません。
ここでは、最近新たに悟りを開いた方の体験発表とか、新しくこの村に入ってきた人の紹介だとか、どこかを旅行してきた人の旅行談発表などがあります。つい昨日も、初めて竜宮界に旅行してきた方の経験発表があって、さかんに質問されたり、拍手を送られたりしていました。
竜宮界はどう行けばよいかお知りになりたいですか。切符を買って亀の背中に乗ってゆくのです。これはほんの冗談、信じちゃいけません。村のはずれに岬がありまして、そこから、海の底に入っていく海底トンネルがあるのです。一応、竜宮界というのは、意識の世界ではやはり海の底ということになっています。
仙人界とか天狗界に入ってゆくのは、やはり、村はずれの山道をどんどん登っていって山の尾根に出て、その尾根伝いに、一週間ぐらい歩き続けねばなりません。
まあ、こちらの世界にきて間もない人は、たいてい指導役の霊人がついて、いろんな世界に案内してくれるのです。そうでないと、迷子になって帰ってこられなくなるからです。
六次元神界から七次元菩薩界に旅行できるかですって。ええ、これは原則としてはできません。ただし七次元以降の方が六次元に降りてきてくださって、その光のオーラで包んでくだされば、上の世界にも旅行できます。しかしその場合でも、小桜姫からみると、上の世界は光が強すぎてまぶしいものですから、ある程度のところまでしかいけません。天照大神様のいらっしゃるようなところへは、とても光が強すぎて、まふしすぎて行かれません。
地上のあなた方は、高級霊の方々と何のためらいもなく話しておられますが、実際は魂の段階が違うとそう簡単に話はできないのです。あまり偉い方の前へ出ると、光の強さでくらくらして、卒倒しそうです。小桜は二度ほど、勉強のため、菩薩界に連れて行ってもらったことがありますが、そこは光り輝く、黄金色のすばらしい世界で、みな心の広い方ばかりでした。若草色のすばらしい芝生の広場には、色とりどりの衣装の各国の人びとがすわって、話しこんでいました。
ええ、もちろん、下の世界へは何度も足を運んでおります。下へ行くほど人間社会に近づくみたいで、幽界などでは家族で夕食している姿など、とても懐かしく感じられました。
地獄界は、やはり恐くて一人では行けません。私より、もっと力の強い光の天使につき添われてなら、何度も行ったことがあります。その世界のかび臭いこと、うす暗いこと、じめじめしたこと、いつも六次元に帰ってくるたびに、もう二度と行きたくないと思います。ほんとうにはき気がするんですから、地上で心清く生きている人びとは、自分は損みたいな性分だと思っておられるかもしれませんが、やはり死後の世界は、明るい世界に還ってくることにこしたことはないようですよ。
最後にひと言、六次元の衣服についてお話しして、今日は終わりたいと思います。
こちらの世界は念の世界ですから、ミシンを踏んで服を縫うわけではありません。やはり着たいと思う衣装を心に描くと、そういう衣服が出てきます。ですから、洋服箪子(だんす)などありません。小桜は主に和服を着ていますが、小桜神社で用があるときは神様みたいな格好、そう、神社の巫子さんを上品にしたような姿をとります。キリスト教系の方から招かれたときは、慣れないドレスを着ることもあります。色は白が基調で、和服なら花がら、それ以外なら紫色でアクセントをつけます。もちろん、女性のたしなみですから、下着もつけていますが、男性の読者に恋されては困るので、詳細は申しません。
小桜の村では、男性は羽織袴が多いですが、これも、儀式のときなどは正装にかえます。衣服のデザインをアドバイスする専門家もこちらにいることをひと言申し添えて、今日は終わりにします。
6.六次元から見た神(1986年8月5日の霊訓)
さて、今日は、一年あまり続いたこの小桜姫の霊界通信の最終回です。最後をしめくくる話として、「六次元から見た神」という題でお話しましょう。
さまざまな高級霊が、私たちの世界について、いろいろな角度から説明をされていると思います。しかし、どんな高級霊であっても、「神」については、決して明確な形で描写はできていないはずです。小桜にしても、「神とは何か」と問われると、はっきりと答える自信はありません。しかし、少なくとも私たちの世界では「神」をどう考えているかというお話はできると思うのです。
「神」については、古来地上界においても、たくさんの宗教家が、一神教、多神教いりまじって、いろいろの説を述べています。結局どなたも、はっきりしたことは言えなかったのでしょう。
小桜のいる六次元では、現在「神」については、普通次のような説明がされています。つまり神とは、宇宙に遍満する叡智である。神とは、宇宙の進化を司(つかさど)っている巨大な意識であり、エネルギーであり、知恵である。なぜ宇宙が存在するのか。それは、宇宙を現象化しようとする神のご意志の働きなのだと。神を物体的に、人間の大きさだとか、宇宙大だとかいうのは間違っている。神は物体的に見て巨大な存在なのではない。神は次元的に見て、人類よりはるかに高次元の存在なのである。しかも、最高次元の存在なのである。最高次元の存在であるから、自分より低い次元を自由自在に創造し、破壊することができるのである。
神は、このように高次の存在なのであるが、同時にいくつかのご性質、ご性格をもっておられる。そして人類が、あるいは宇宙に存在するものすべてが、多次元世界に住むすべての生命体が、この神のご性質・ご本質に近づいてこられることを願っておられる。
その神のご本質・ご性質とは、現在までに研究されたかぎりでは次のようなものである。
一、愛
二、知恵
三、創造
四、法則
五、永遠
六、美
七、調和
八、発展
九、秩序
十、光
まだまだ、そのご本質のなかには無限のものを持っておられるのでしょうが、少なくとも以上の十の項目は、神とは何かを物語るものでしょう。
たとえば、神とはまず愛です。この「愛」のなかには、お互いに仲良くしあうということ、お互いに許しあうということ、お互いに慈しみあうということ、こういった希望が込められております。
また、神とは知恵です。すべてのものを、のびのびと生かしめる知恵、宇宙のあらゆるものを理解する大智識です。
さらに、神とは創造です。この三次元宇宙を創られたのも、神の創造、もちろん、四次元、五次元、六次元以降の世界もです。神は創造に創造を重ねております。そして一見破壊と見えるものも、じつは新たな創造にしかすぎないのです。
しかも、神とは法則です。この三次元宇宙、多次元世界をも含めて、ひとつとして神の法則に例外はありません。神は掟(おきて)であり、ルールであります。
そのうえ、神とは永遠です。神は最初にして最後、無始にして無終の存在です。この無始・無終の存在が、さまざまな生命体に修行の機会を与えるために時間というものをお創りになったのです。また神とは美です。神はすばらしい芸術家です。神は、美しさとは何かを私たちに教え、美しさの定義をする人であり、美しさそのものであります。
さらに神とは調和です。神は、神の創造されたすべてのものが、すべての生命が、大いなる調和のなかで、ひとつの巨大なハーモニーとなって育まれることを望んでいます。
しかも神とは発展です。神は停滞を好みません。神は後退を好みません。神は永遠の進歩であり、発展そのものです。神は伸びていこうとする力そのものです。その伸びていこうとする力が、宇宙を創造されたのです。
けれども神とはまた、秩序であります。神とは発展をそのなかに秘めた秩序そのものであります。神の秩序は厳格にして、厳粛(げんしゅく)です。神とは、尺度そのものであり、何が価値があり、価値なきものであるかを決める、偉大なる尺度であり、物差しなのです。
最後に神は偉大なる光です。すべてをあまねく照らす光であり、すべてを生かす力であり、すべてを育む、偉大なる光のエネルギーそのものです。無限のエネルギー、無限の光の源(みなもと)なのです。私たち六次元神界の住人も、偉大なる神をめざして進化していこうと努力している者たちです。そしてその努力の方向とは、いかにして神のご性質に近づいていくかということです。
大いなる神に栄光あれ。
神の光があまねく地上を照らし、
地上のみなさまが大いなる叡智に
目覚められんことを
心よりお祈りします。
神の光があまねく地上を照らし、
地上のみなさまが大いなる叡智に
目覚められんことを
心よりお祈りします。
小桜姫