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8.宇宙旅行は高速度化か、空間距離の圧縮化により可能
善川 それでこれも一つの疑問点なのですが、かつて私もある指導霊達にお尋ねしたのですが、これはまだあなたの理解の届くところでないので語っても無理だというお話でしたが、それは、かつて太古に人類は或る遠い星雲の中の一惑星から、宇宙空間を飛行物体に乗って大挙飛来したのだということですが、これは三次元の世界から測定すると、何百、何千、或いは、何万光年という遠隔地から来たことになるのですが、これは現在の科学知識ではその時間と距離との関係から理解し難いことなのですが、この時間と距離との概念は、われわれ三次元世界の現在の地上人間の概念とはまた異質なものなのでしょうか。
エジソン 時間というものはね、距離を速度で割ったものなのです。よろしいですか、時速1㎞で走れる機械があったとする。で、A点からB点までの距離が1㎞であったとする。1㎞の距離を時速1㎞の速度で走れるもので行ったらどれだけの時間がかかるか。この答えは一時間です。いいですか。この町から別の町まで10㎞あります。これを時速2㎞の乗り物で動いたとしたならば、かかる時間は何時間でしょうか。五時間です。時間は五時間です。よろしいか。すると同じように行きますと、この地球という星と、或る他の天体があります。この間が例えば距離として一億光年あったとします。これを一光年の速度で移勤したとするならば、何年かかりますか。一億年ですね。これが時間です。では一億光年の距離を十億光年の速度で移勤したならば、どれだけの時間がかかりますか。十分の一ですね。一か月余り、三十六日ですね、三十六日で一億光年の距離を行けるということです。
時間は、距離÷速度です。よろしいか。そうするとそれだけの速度の出るものが発明されたならば、時間はいくらでも縮められるということなのです。あなた方の世界においては、光速までしか判っていません。けれどもこれを越えたものが発明されると、時間は変わってくるということです。時間は、距離÷速度です。ですから距離が変わらないものであるならば、速度が増えれば時間は短くなります。
また別の考えもあります。速度を一定とした場合には距離が延びれば時間はかかります。距離が縮めば時間は短くなります。そうすると、例えば一光年の速度で動くものが発明されたとしましょう、それで距離が一億光年あるとすれば、一億年確実にかかります。もう一つの方法は、距離を縮めるという方法があるのです。三次元的に直線で行くならば一億光年の距離があるのです。これを別のルートで辿れば、例えば一光年で動けるとします。別のルートで行ける抜け道があるとします。そうするとどうでしょうか、一年で来れるということになります。そうですね、こちらの右の端と左端のが非常に離れているように見えるけれども、これは直線的に見れば離れているのであって、或る意味においてはちょっと何処かを合わせただけで、くっつくこともあり得るということです。そういうことなのです。例えばね、法則が変われば物事の距離は変わってくるのです。例えばここにテープのような細長い紙があったとしますね。これを丸めて円を作ります。よろしいですか、細長い紙を丸めて円を作るとします。今あなた方は、この円の上に住んでいる。よろしいですか。これからこの下側、真後ろに行かなければならない。あなた方三次元の法則でいくと、この円の半周を動かなければ、半周の距離を辿らなければここに着けない。今あなた方はね、この円の半周を動くことが、これが最短距離だと思っている。これはあなた方の次元における認識です。しかし別な道があるのです。別な法則によるならば、この円自体を、圧縮してしまうのです。こういうふうに、(注=円型の紙の輪の真ん中を潰してみせる。)こうすると円の端っこと端っこは、一瞬にしてくっ付いてしまうのです。この道というのは、あなたの三次元的発想では見つからないのです。他にこういった道があるのです、必ず。ですからどうしてもあなたの考えでは、この円の端から端までは一億光年あると思っている。ところがね、この空間を歪(ゆが)めることができたならば、一瞬に着くこともできるのです。いいですね、これは喩えですけれども、こういうこともあり得るわけです。ただ、いまあなた方の認識では、できないだけなのです。要するに私が言いたいことはこうなのです。そういう高度な知識は不要なのです。時間というものは、距離と速度との相関関係なのです。時間を縮めるには速度が早くなるか、距離を縮めるか、どちらかということなのです。
ですから何百万光年、何億光年の彼方から地球に来るためには、そういった速度の乗り物が出来るか、或いは空間を縮めるかということです。そういった距離を縮めるルートがあるということです。やがてそういったものも発見されていくでありましょう。ですから今ある公式、基本公式に基づいてそれは可能なことなのです。技術的にその距離を上廻るような速度のものが発明されたら、可能でもありますし、新たな時空間のルートを発見することによっても可能だということです。いまあなた方の世界では、マッハいくらというような速度で、ジェット機が飛んでおります。しかしこれは私達の時代、1900年代の前半においては、プロペラ機ですね。プロペラ機がですね、それはまあ船より速いけれども、遅い速度で飛んでいたわけです。比較にはならない速度です。同じようなことがやがて起こってくるわけです。ですからそういって、あなたはいま信じられないと言いましたけれども、速度と距離との関係で決まるということです。一年以内に、あっという間に着くこともできるのです。
善川 これは、やはりこの理論は、数学の世界で先行するのでしょうか。
エジソン 数学というか物理学というか、さまざまな領域でやがて進んで行くでしょう。要するにそういったことはね、この霊界においては日常茶飯事なのです。というのは、他の星、月に人間が住んでいるとしたなら、月の人間に会おうと思えば、一瞬で会えるわけなのです。それだけの移動が出来るわけです。霊界は当然のことなのですね。これを如何に三次元的に表現するかということだけなのです。ですから霊界の科学者達が研究したことをですね、どうやって三次元で実現するかということですね。だからこれは、もう時間の問題なのです。われわれの世界においては乗り物も何もいらないのです。思っただけで一瞬にしてあらゆる地域に行くことができます。一般の人達はこれを単に経験的に知っているだけなのです。ただわれわれ科学者達は、なぜこういうことができるかということを、常日頃研究しているわけです。何故だろうか、ということを研究しているわけです。まあ、あなた方の世界では゛光の速度゛゛電磁波の速度゛、これを超えるものは分からないようになっていますけれども、われわれの世界ではそれを遥かに超えるものがあるのです。これは「念波の速度」「霊波の速度」ですけれども、これは光の速度を超えているのです。
9.物質の根源は「霊子」から゛光子゛゛陽子゛゛原子゛となる
善川 今、あなた様は、科学者の方々とご一緒に生活されておられるわけですね……。そうしますと最近ご他界されたアインシュタイン博士などとも。
エジソン もちろん一緒に居ります。
善川 あなた方の、相対性理論というものはかなりむずかしい問題のように聴いておりますが、今もやはりそういう方面のことも研究されて居られるのでしょうか。
エジソン そうです、研究しております。まああなた方に必ずしも語られないかも知れないけれども、それはあなた方に語ることによってね、またいろんな誤解があるといけないというような、彼自身の考えもあるわけなのです。そういった専門的なことを、このような雲界通信で語ることが必ずしも妥当でない場合もあるのです。
先ほど私が申しあげたその゛念(おも)い゛といいますかね、゛念いのエネルギー波゛の物質化ということで言うならば、近代物理学の言う、粒子、素粒子論、こういったもののほとんど、もう本当は解決済みなのです。こういったものの根源はね、素粒子の一番小さなものは何かというと、゛光子゛であり、そのもっと根源は何かというと「霊子」であります。゛霊子゛というものは何かといいますとね、要するに思いの「念」が存在たらしめるための核なのです。
あるものが、存在してほしいと思うと、その゛念い゛が一点に凝縮するわけです。そこに核が出来るのです。物質界におけばですよ、四次元以上の世界における念波が、或るものがあらしめたいという゛念波゛、たとえば、人間をこの地上に生みたいという念波が集中しますと、その念いが一点の核を作るのです。これが゛霊子゛というものです。この゛霊子゛の上にエネルギーが加わると、゛光子゛になるのです。まず゛霊子゛という点があります。その囲りにエネルギーが加わると゛光子゛となります。この光子が段々と集まってくると゛陽子゛になります。陽子が更にこんどは゛原子゛となってくるのです。原子がまた゛分子゛となります。そして分子が眼に見える形で人体というものを作って行きます。こういったものなのです。そして、では゛陽子゛と゛光子゛との間はどのようなものがあるかというと、要するに゛光子゛光の球ですね、かくあるべしという゛念い゛が一点に集中して゛霊子゛が出来、霊子にエネルギーが加わったものが゛光子゛となる。光子が幾つか集まりますとね、この幾つかの集まりの囲りに磁場が出来るのです。一つの磁場ですね。一つの゛磁場゛、この磁場によって出来上がったものが「陽子」なのです。この陽子が幾つか集まって磁場を作ると「原子」となります。原子になると一つの一定の作用を持ったものとなっています。それはこの集まり方によって作用も凹凸がいろいろあるわけです。そしていろいろの作用が出てくるわけです。その原子の組み合わせによって「分子」ができます。分子となると物質として作用はもう固まってきます。こういったものなのです。霊的な念が一点に擬固(かたま)り、それにエネルギー波が加わる。これが元です。これが幾つか集まってさまざまなものが出来ているのです。ですからこのような物質というものも、元をいえばですね、まあ仏教の言葉ではいろいろ言うでしょうが、「色即是空」とか、いろいろあるんでしょうけれども、元は「空」です。空というのは、゛念(おも)い゛しかないからです。念いの物質化によって一つの「霊子」が出来ました。霊子の囲りに「エネルギー」がたまりました。そして「光子」が出来ました。光子はさまざまに集まってやがて「原子」となり「分子」となりました。
要するに、このようにありとあらゆるものをね、すべて分解していくなら、結局は「念い」しかないのです。「念い」の波動が一点に凝縮してさまざまなものができているのです。とするならばですよ、ではどうでしょうか、その理論があるならば、この世にあるものすべては、すべての物体を分解して行けば、「光子」となり「霊子」となってしまうのです。霊の子です。霊の塊りですね、それが核になるのです。すべては霊子なのです。霊子の集まりがこの世界を作っているのです。そうすると、この霊子の集まり方を変えると、やがてさまざまな物質となり、物体となるのは当然ではないでしょうか。後は霊子の集まり方の具合だけではないでしょうか。そうするならば、あなたは先程「パン」ということを言いましたけれども、゛パン゛という容体(すがた)を描くことによってその中に霊子を詰めるならば、そこにパンが出現するのは当然なのです。パンと言ってもね、この機械と、例えばこの蛍光灯という機械と、パンというものは、「物質」としては別のもので出来ています。「分子」のレペルでは別のもので出来ています。然しながら「光子」のレベル、「霊子」のレペルでは、同じもので出来ているのです。「分子」「原子」のレペルでの別のものというのは、ただ、「光子」「霊子」の配分の仕方、磁場のつくり方の違いだけで現われているのです。ですから、この蜜柑も、パンも、本も、機械も、みんな同じものでできているのです。同じ「霊子」で出来ているのです。
であるならば、霊子の集合体によってやがて「物質」が「物体」が出来るものであるならば、゛念い゛だけでパンが出来るということは、当然のことなのです。どのような配合になり、どのような組み合わせによって物質、物体を造るかということが、それが想いであり、念であります。ですから神が造物主といわれるのは、そういった創造の力を最大限に持っておられるからなのです。だから神は、素晴らしい゛芸術家゛であり、゛大工゛さんなのであります。ところが人間霊というものは、それだけの想像力はないものだから、格段にレベルは下がって来るわけです。そういったことなのです。
10.三十世紀まで科学の進歩は続けられる
善川 さてそこで、あなた様のお考えとしては、現在の人類の霊的、あるいは科学知識の進化の状況は、一応もう間もなく卒業という段階まで来ているのでありましょうか。
エジソン いろんな霊は、いろんなことを仰っていると思いますが、私としては、未だまだいろんなことが残されていると思うのです。科学にしても発達したのは僅かここ三百年ぐらいの間のことですし、このようなもので科学の最先端まで来たかといえば、とてもそのようなものではありません。先ほど言いましたように、空間を捩(ね)じ曲げて旅行をする。或いは光速を超えた超光速度の機械を発明する。こういった課題はまだまだ残されているわけです。
ですから、そういったことが可能であるならば、宇宙旅行も可能であるし、宇宙間旅行が可能であるならば、あなた方もご承知のタイム・トラベルということ、タイムマシンということも可能だということです。過去へも、未来へも人類は行けるはずです。そういった世界がくるまでには、まだまだ時間がかかると思います。ですから今の段階において人類が最大、最高に進化したかといえば、私は否と思います。科学の方面からみるならば、否であると思います。まだまだ発展、発明の余地があると思います。人類はこのようなもので進化が止まってしまってはなりません。
善川 まあわれわれの方の立場からみましても、人文科学の面からみましても、いま現時点の人類の魂の進化状態から見渡した場合でも、まだ平均的に低く、これは容易なことではないと思われるのですが、しかし、先般エリヤ様が見えられての予言によりますと、今後、千二、三百年か、千五百年くらいで一応地球上の人類の進化は終わるということでしたが。
エジソン それから先のことは私もね、千年、二千年以降のことは、私も分かり兼ねます。けれども私の言っていることは、ここ数百年のことです。ここ数百年のうちまだ三十世紀まで、なおここ千年くらいまでは、科学の進歩する余地は、まだ十分あると私は思っております。やっと科学時代がここ百年、二百年に訪れたのでしょう。これで滅びてしまうのであれば、余りにも勿体ないことではないですか。余りにも惜くはないですか。もっともっと進歩したいと思います。
善川 そうです。全く同感です。現在の科学の進歩が、やっと人々の幸福に役立とうかという時点で、またこれが悪の方向に使用されて、人類の幸せがまた元の木阿弥に帰ってしまうということは、非常に悲しいことのように思いますが。
エジソン ただね、その科学も、心が今の科学には無いですから、そういった悪い使われ方ということを経験することによって、一つの反省を生み、どのような科学が新たに生み出されていくべきか、ということを人々は反省しなければいけないということも事実なのです。先程、私は便利さということを言いました。便利さということには、必ずしも方向がないのです。善い方向にも、悪い方向にも便利さはあるのです。ダイナマイトというものが発明されました。これは山を崩し、岩を砕いて道を拓いたりしてですね、新たなものを造ったり、建物を建てたりすることには非常に意味があります。けれども、ダイナマイトというものを人殺しのために使ってしまったならば、それは大変な害悪になってしまいます。このように便利さというものは、一概に善となり、悪となるという性質を持っていない。価値中立的なものなのです。ですから便利さというものが、今後発達するにしても、それの正しい方向づけというものが出されねばなりません。それの前には、さまざまな悪用もあり、反省もあるであろうと思われます。
11.私は努力する才能において天才であった
善川 話は変わりますが、あなた様はご在世中には、まあ天才であられたことは万人が認めているところでありますが、その上に加えて非常な努力家であられたということでございますが、この天才と努力ということは同義語なのでしょうか。
エジソン あなたに言っておきます。あなたは天才と言われました。天才というのはね、努力する天才だということなのです。天才というのは努力する天才ということなのです。天才というのは生まれっきそういったもので、優秀な機械として生まれついたわけではないのです。私がもし天才であったとするならば、私は、努力する才能において天才であったと思います。人よりも知能が秀れていたわけではありません。人よりも手足が器用であったというわけでもありません。人よりも閃きが優れていたわけでもありません。私が何かを生みだすために、私はそのために、千二百の、千三百、千五百、そういった失敗を積み重ねているのです。
電球を発明するときでもそうです。私はあのフィラメント、電球の芯ですね、芯になるものに何を使うかということ、これに行き当たるまでに千何百回かの失敗をくり返しているのです。もし私が天才であるならば、このようなこと、最初から直感として閃いていいはずです。そうではありません。私は地球上のあらゆるものを試してみたのです。そうしてはじめて、電球のフィラメント、芯になるべきものは何であるかということを見出だしたのです。それだけの努力をしたのです。これは決して天才的発明と言えるものではありません。努力の結果であります。
あなた方もまたそうなんですよ。あなた方は、また別の意味において霊的な天才であると思います。宗数的な天才であると思います。こういったことが出来るということは、千年、二千年に一回のことだと言われていると思います。霊的な天才であります。あなた方は霊的な天才であります。けれども、あなた方は、ひょっこりと、こういったことができるようになったわけではないのです。あなた自身をとったらどうですか。あなた自身、六十数年間の精進の歴史があったはずです。さまざまな宗教も経験しました。さまざまな勉強もしました。さまざまな人生苦も経て来ました。そうしてはじめて、こういった私達の霊言、霊訓を受けるだけの素地があなたに出来たのではないでしょうか。そのはずです。また、ここで語っている〇川〇〇についても、同じであろうと思います。彼がもしですよ、安易に二十数年の人生を生きて来て、突如として、このような能力を持ったのであるならば、彼は恐らく大きな玩具を与えられた子供のようで、遊び方も知らないようになっていたでしょう。そうでなくて、彼は彼なりに真剣に人生を歩んで来たということ、努力して来たということは、このような道を開くための素地となってきているのです。彼が、いい加減な生き方をして来たならば、彼は私達のこのような真剣な言葉を聴く機会は、おそらくなかったでありましょう。
神は、さまざまな霊達をこの地上に送っておりますが、その中でも失敗する人達は多いのです。それは自分勝手な我が儘な生き方をしていたからです。神のみこころに適わない人達を、神は助けることはいたしません。゛天は自ら助くるものを助く゛という言葉をあなた方はご存知のはずです。同じであります。ですからもし、あなた方が後世の人達に、宗数的天才と称ばれるのであるならば、その九十九パーセントは、あなた方の努力のたまものであり、あなた方が汗を流した賜物であると私は思います。
善川 あなた様は、いろいろな発明をなさいましたが、その間にインスピレーションというものはなかったのでしょうか。
エジソン ありました。インスピレーションはありました。それは努力の中において閃きはありました。何も努力しないのにインスピレーションは来ないのです。努力しているうちに、或る時ふいにインスピレーションが閃くのです。それは、私が例えば或る物を発明しようと努力しているからこそインスピレーションが来るのであって、私が例えばですよ、電球を発明しようとしている時に、小説の構想が湧いて出るようなものではないのです。そういったものではないのです。電球を発明しようとしているからこそ、電球についてのアイデアが浮かんでくるのです。あなた方にしてもそうです。神の世界を、神の声を伝えようとするからこそ、それに関するインスピレーションが湧いてくるのではないでしょうか。そうなんです。
12.科学者への精神的アドバイス
善川 ただいま、私どもに対する有難いご助言を頂いたのですが、ここで現代に生きている、いわゆる科学者といわれている方々に対する忠告と申しますか、アドバイスというものがございましたら、この機会に何かお願いしたいと思いますが。
エジソン まず、科学者達に言いたいことは、目的を過(あやま)ってはならないということです。便利さを求めて彼らは、そんな研究をしていますが、その便利さは何のための便利さであろうかということです。何のための研究であるかということであります。私は、自分の発明の歴史の中で、この人類社会を少しでも良くしようと、明るくしようという思いで努力して来ました。今の科学者の大部分はどうでしょうか。或る意味では自分の功名のために努力している人も居ると思います。名誉のための努力、研究のための研究、そういったことも多いはずです。しかし人間として生きるのであるならば、科学者も高い理想を持ちなさい。世の人々のために生きなさい。そのための科学であり、研究であるということを忘れないで欲しい。そういった方向に努力する中において、われわれもまた協力をしていくのです。霊感を与え、インスピレーションを与えるのです。ですからまず正しい人生観を持って欲しい。科学者達は持にこのことに注意して欲しい。正しい人生観の中には信仰心と申しますか、或いは哲学的な人生観と申しますか、そういったもの、深い人生に対する洞察がなければなりません。真の科学者は、またよく神の心を知ったものでなければなりません。どうかそういった正しい人生観、唯物的にならずに、物質的なものだけが総てというような気持ちにならずに、正しい人生観、世界観を抱いて努力して欲しいと思います。そして将来的には私が言ったような、霊即科学、科学即霊というような、そういった霊の世界と、科学の世界とが融合した世界を目指してほしいと思います。
善川 とかく現在の科学者は、特に自然科学者は、唯物論の立場からものを考えておりますけれども、これはやはり大きな間違いとして指摘されるべきものでありましょうか。
エジソン 間違いとまでは言いませんけれども、少なくとも真剣にですよ、神の国を説こうとしている人達の邪魔をするようなことだけはしてはなりません。断じてなりません。それだけは言っておきます。
13.白銀に輝くのが科学者グループ
善川 いま一つお伺いしたいことは、あなた様は科学者としてその方面で研究されておられますが、科学という知識に関する方面の、神のご意志をうけてこれが発展にご努力されておられると思いますが、この分野で活躍されておられる、天上界のグループの方々の働きの色彩的な分類といえば何でしょうか、例えば宗教の方面で言えば、神の「愛」を説くグループの色彩を、太陽光線を七色の分光で表徴すれば<白色>とし、「慈悲」を説くものを<黄色>とし、「敬」を説くものを<紫色>とし、「知」を説くものを<青色>をもって表現するといわれていますが、あなた様方科学者の特色は、こういう分類で彩(いろ)づけすれば何色になるのでしょうか。
エジソン これは虹の色とは違うのですが、言ってみると<白銀>ですね。銀色の光だと思います。そういった光です。私が感じるには、白銀(しろがね)、白銀(シルバー)の光です。こういった光が射し込んでいます。これは科学の世界に射し込んでいる光です。これはいわゆる虹の七色ではないでしょう。けれども、こういった光線というものが神から分かれて来ています。たとえて言えば<銀色>です。白銀の光が射しています。ここに科学者達が集まって居ります。
善川 これもやはり神のみ心の一つの表徴(あらわれ)なのですね。
エジソン そうだと私は信じております。私達の光というものは、時代が或る程度進歩して来ないと地上には射しようがないのです。時代が或る程度進歩して来た時に、私達ははじめて活動する。そういった意味で私達の白銀の光が、地上に射すのはある時期を待たねばならないのです。いろんな光が回転しているのです。例えて言うならば大きなライトのようなものが、七色、十色のライトみたいなものがあるのです。そしてスポットライトみたいに当たるわけですね。これは地上です。この地上に黄色い光が当たっている時、白い光が当たっている時、銀色の光が当たっている時、いろんな時がある。で私達はその順番を待っている。ですから時代を少し遡っていくと、私達の中でも、仲間が出ている時代はあったのです。例えばグーテンベルクというような人を出して活版印刷を発明させたりしました。こういうことによって、ここにあるような、このような書物がいま出るようになったのですね。けれども科学としては遅々とした歩みであったと思います。或いは理学の祖といわれるような人をギリシャに生んだこともあります。
善川 そうしますと、今あなたのお出でる周辺(あたり)にはどういう方々が居られますか。
エジソン アインシュタインといわれる方ももちろん私の近くに居られます。そして私達白銀の光の頂点に居られる方は、アルキメデスといわれている方です。この方がこの銀色の光の頂点に立っておられます。その他にはユークリッド、ピタゴラス、ニュートン、アイソシュタイン、それに私、その他の方々もいらっしゃいます。いずれこういった方々も一堂に会せねばならぬと思っております。
善川 そうですね。今少し私達の勉学も深まって来た時点で、そちらの世界のさらにくわしい模様とか、今後の地上の科学の進展方向などについて、皆様方からお聴かせ願いたいと存じます。その節はまたよろしくお願いいたします。
本日は突然お招きし、長時間に亘って大変有益なご教示を賜わってありがとうございました。なお、このお訓えを書物にさせて頂いてよろしいか。
エジソン 出版されるわけですね、結構です。私のようなものの意見が、果たして世の中の人々にとって役立つかどうかは知りませんが、まあ他の宗教家達の方々の人生観とは、多少毛並みの異なったというか、そういった意味で何らかの意義があるかと思います。
善川 非常に有意義なお教えで感銘深く拝聴いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。
エジソン わかりました ― 。