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  • 第2章 正見

神理文明の復興

第2章 正見

最終更新:2009年06月10日 10:23

divine_revelation

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目次

 1.見ることに伴う責任

 2.神の業を見る

 3.「正見」の出発点

 4.自他の姿は合わせ鏡

 5.正しく人を見るための判断基準

 6.愛に先立つ知恵

 7.多様なる認識の上に

 8.イエスが導いた悲劇

 9.環境に対する視点

 10.植物・動物へのまなざし




1.見ることに伴う責任


八正道の最初には「正しく見る」ということを掲げてあります。この「正しく見る」という場合は、きわめて難しいところがあります。それは、私たちが「見る」ということを、能動的所作、あるいは能動的行為として、ほとんど考えていないからであります。

私たちは見るということを、朝起きて眼(まなこ)を開けば、そこに姿が映じてくる、映ってくること、というふうにとらえているのです。そうして漫然と、網膜に映ってくる映像を追い続ける一日を過ごすのです。

そうして一日が終わったときには、いったい何がこの網膜に映っていたか、これすらも忘れ果てているのです。

そこでまず、そういう心の改革が必要となるわけであります。

目というものをもらっておりながら、この二個の目を神より、あるいは神から約束された両親より受けておりながら、この目の働きというものをしかと確かめたことがあるか。その二つの目は何のためについておるのか、ということが問われているのであります。

目というものは、単に道で転ばないためだけにあるのか、道を歩くためだけにあるのか、玄関のドアを開けるためだけにあるのか、そんなことのためだけにあるとほんとうに思っているのか、これが問われているのであります。

そうしてみると、私たちは今まで目の役割というものをあまりにも漫然と考えてきていたのではないかと思われるわけです。この目が目として機能しながら、しかし真実の機能はしてこなかったのではないか、ということです。

私たちの目に映されているものは、これは神の創られた世界なのです。この神の創られた世界を、どのように判断するのか。どのように判定するのか。どのように見るのか。これは自己の責任問題であります。

世界は創られています。ただ、その世界をどう見るか、その世界のなかに生きている人をどうみるか、これは一人ひとりに完全に委ねられているのです。そして、その目に映じた光景をどう判断しているか、これについて、現在ただ今、みなさんに責任を問う人はだれもいないのです。

あなたがあなたの目に映っている映像をどう判断しているかについて、だれも何も言いません。それぞれの自由であります。花を美しいと思おうが思うまいが、外の景色をどう感じようが、それに何の責任も問われていないかに見えます。しかしながら、この世の中とは、それほど無責任な世界ではないのです。

目というものがついて機能している以上、ここに何らかの目的があるのであります。それでは、その目的とは何であるか。それは「視覚的映像を通して神の意図を発見せよ」と言っているのであります。

そして、目がひじょうに大切である理由は、目というものが、さまざまな器官のなかにおいては、世界認識にいちばん最適であり、役に立つ器官だからです。

もちろん鼻で認識する嗅覚もあるでしょう。嗅覚によってもある程度、生きものであるとか植物であるとか、人であるとか、これを嗅ぎ分けることはできるでしょう。しかし嗅覚に頼った世界観は、ひじょうに狭くあいまいなものであります。視覚に比べればはるかに劣ります。また、味覚というものもありますが、味覚で理解できる範囲もひじょうに限られたものであります。

また、聴覚というものがあります。これは比較的重要であります。この聴くということ、これは八正道のなかでは明らかにはされていませんが、聴くということをあえて八正道のなかに入れるとするならば、これは後に語る「正思」のなかに入れればよいでしょう。聴き取った情報をどのように分析するか、情報をもとに思いというものをどう組み立てるかということですから、「正思」の一部の作用と考えてよいでしょう。


2.神の業を見る


こうしてみると、八正道のはじめに出したこの「正見」ということは、人間の器官のなかで、世界を認識するためにいちばん大きな働きをしている器官に結びついているわけです。いろいろな肌の感覚といった触覚によっても、世界認識は不十分です。目があるということが、どれだけ私たちのこの霊的な進化とめざめに貢献しているか、これに改めて気づくのではないでしょうか。

器官を一つだけ選べ、感覚を一つだけ選びなさいと言われたときに、目があるということが、どれほど人間として生きていることを認識するうえにおいて役に立つか、考えてみてください。

口が動かなくても、耳が聞こえなくても、たしかにそれは社会的にはハンデイはあるけれども、そうであっても世の中がどうなっているかはわかります。しかし、目が生まれつき見えなかった方は、この世界を理解するのに困難をきわめるということがわかるはずです。人間とは何かが見えない。動物とは何かがわからない。植物とは何かもわからない。目が見えないということは、そういう困難を伴うのです。

そこで真実の「正見」とは何であるかと言うと、実はこの「見る」という行為をもっと高めよ、ということであります。映像としてのみ見、映像としてのみ受け取るのではなくて、もっとその奥にあるものを見よ、神の動きを見よ、と言われているのです。「神の手がなした業を見よ。その業の結果を見よ。」ここまで言われているのであります。それを見抜くことができないものは、少なくとも神の子として地上に生きて「見た」とは言えない。それは目が開いていたというのみであって、見たとは言わないのであります。

これは英語で言うならば、see と look の違いに似ているかもしれません。正見の見は look のほうです。see のように漫然と目に映るというのではなく、これは意志を集めて見るということです。意図的に、積極的に見なければならないのであります。


3.「正見」の出発点


さて、この「見る」という行為を、さらに分析してみたいと思います。見るという行為を分析したときに、問題点としていったい何があるかということです。反省のなかにおけるこの見る行為で、出発点としてまず考えてよいことは、他人の姿です。これが入り口としてはいちばんわかりやすいのです。

それは人間が過ちを起こしやすい理由、心に間違いを起こしやすい理由の一つが、他人の存在を理解できないという部分にあるからです。理解できないという言葉が不十分であるとするならば、理解しつくせないと言い換えてもよいでしょう。いくら見ても見ても、その人の真実の姿はそう簡単には見えてこないのであります。十年つきあっても二十年つきあっても、見えないものは見えないのであります。

しかしながら私たちは、映像として目を通して見ているその人の姿のなかに、その人の人格を見ていることは明らかであります。そのどこを見ているのか、それは定かではないけれども、目に映じてくるその人の姿、そこからその人となりを判断しているのです。すべての人が、世界五十億の人がこうしたかたちでそれぞれ判断をしているのです。

それは一見無責任の判断であります。自分が他人をどう見たかということに関して、責任を問われたことは、かつてほとんどないはずです。自分自身をふり返ってみて、そうではないでしょうか。ある人を自分はこう見たということに対して、責任を問われたということはほとんどないはずです。

問われたことがあるとするならば、それを語ることによってです。後に述べる「正語」においては、これが問題となります。語ること、表現することによって責任を問われることはありますが、見るということのみにおいて責任を問われることはないのです。

ところが、実は私たちが見ているこの人の姿、あるいは世界の姿というものは、ちょうどいろいろな角度から見ている人間によってとらえられるものにも似ています。

キュービズムという芸術があって、立体的に、いろいろなところに目があるようなかたちで物体を見ています。それが何を暗示しているのか、それは私にも十分にはわかりかねますが、おそらくピカソの訴えたかったことは、霊的な目で見た視覚世界は違うということを実は言いたかったのだと思います。

私たちが見ている、この二次元平面的な視覚像、この画像には満足ができない。神が創った世界はそういう二次元平面的にとらえてはならない。それはもっと霊的に、直覚的にすべてを包括する形で見なければならない。そう考えて努力した結果が、おそらくキュービズムの芸術となったのであろうと私は考えます。

これと同じように、私たちはいろいろな人を見ていますが、しかし必ずしも全方位から見つくすことができないでいるということです。もしすべての人が真底わかりえるとしたならば、そこに何の理解のギャップが生じましょうか。そこに何の混乱が起こりましょうか。そこに何の不幸が生まれましょうか。

不幸の根源は、理解のギャップではないでしょうか。自分自身の自己理解と、自分に対する他人の理解との懸隔(けんかく)、あるいは自分の他人に対する理解と、その人のその人自身についての解釈との違い、こうしたことから人間関係の不幸というものは生まれてきているように思えるのであります。

こう考えてみたときに、実はこれは大変なことだということがわかってくるのです。恐ろしくて目を開けていられない。そこまでの責任感が出てこなければならないのであります。自分の目に映じている人たちの姿は、これはほんとうに納得のいく姿なのか。自分はその人の印象というものを目を通して受けるが、それをそのままに受け取ってよいのか。その印象は確かか。

印象に基づく他人への評価、これはみな、その重大さを知ってか知らずか、必ずしているのであります。印象を通して人の評価をしているが、それははたして正しいのか、これが問われるのです。こう考えると、ひとを見るというひとつのことでさえ、大変なことになってきます。


4.自他の姿は合わせ鏡


また、一日中いろいろな人を正しく見るということと同様に難しいのが、自分自身を正しく見るということです。これも反省においては欠くことのできない作業であります。

これは、ひとを正しく見ることができない人は自分自身をも正しく見ることができない、というふうに言うこともできます。あるいは自分自身が見えない人はひとを見ることもできない、と言い換えることもできます。ともに真実であります。真に自分自身を知らぬ人は、ひとを知ることもできません。それは自分のなかに神の子を発見できなかった者は、他人のなかに神の子を発見することができない、ということと同じであります。

また、他人のなかに神の心に反する姿を見ることのできない人もまた、自分のなかに神の心に反する姿を見ることができません。自分が神の心に反した姿をしている、振る舞いをしている、行動をしている、生き方をしている、そういうことを発見することができません。逆も真です。自分自身の生き力、行ない方、これが神の目から見て真実のあり方に反しているということがわからない人は、なかなか他人のそれもわかりません。程度の違いはもちろんあるでしょうが、そうしたものであります。

したがって、他を見るということと自己を見るということは、これは合わせ鏡を見ているようなものであって、自と他を両方見てはじめてほんとうの姿が見えてくるのであります。自と他は、まさに合わせ鏡なのです。他人だけ見えて自分が見えない人もいなければ、自分だけが見えて他人が見えない人もいないのです。両方が見えなければほんとうの自己像、ほんとうの他人像、ほんとうの世界像はけっして浮かんでこないのであります。


5.正しく人を見るための判断基準


では、他人を見る、自分を見るということの、この正しさはいったいどこに力点をおいてとらえなければならないのでしょうか。どういうところに注意して見なければならないのでしょうか。

①映像を客観的にとらえる

まず他の人を見るさいの判断の基準として、第一には、目に映った他人の姿というものを、まず情報として客観的にとらえる工夫がだいじです。第一段階において、主観を交えてそれを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。人となりはどういう人となりであるか、どういう行為であるか、どういう表現のしかたであるか、どんな表情であるか、これをまず客観的にとらえる必要があります。

このときにできるだけ無私であることがだいじです。私心を入れないで、まず観察をする、この観察が第一段階であります。

②自分の感じ方を知る

その次にあるのが、自分の目に映じたその人の姿を、自分はどう感じるかということで、これが第二段階になります。まず客観的にその姿を見、その次にそれを自分はどう感じるかを知る、ということです。

たとえば第一印象で、いい人かよくない人か、こういう判定もあるでしょう。あるいは好きな人だ、あまり好きじゃない人だ、という判定もあるでしょう。少し賢そうな人だと思う人もあれば、ちょっとその反対だと思う人もいるでしょう。あるいはいやなところがある人だな、と思うこともあれば、きつい感じだなと思う人もある。また、優しいなと思う感じもあれば、ちょっと甘い人じゃないかと見る場合もある。いろいろありますが、その人の有様(ありよう)を何らかの感想をもってながめるはずです。この感想、自分はどう感じたかということを知る必要があります。これが第二の段階です。

③相手を相手の立場から見る

そして第三段階は、その自分の感じた姿は相手の立場に立ってみたらどうなるか、ということです。こういう判定基準があるのです。

自分はその人を見て、たとえばきつい人だなと見た。厳しい人だなと見た。しかしこういう見方は、その人の立場になってその意見を聞かされたら、どのように感じるだろうか。これをその人は正当だと思うだろうか、半分ぐらいはあたっているというふうに感じるだろうか。まったくあたっていないというふうに感じるだろうか。こうしたことを推測し、忖度(そんたく)する必要があるのです。

この推論をしてみるだけで、自分と意見のズレがあるだろうと思える人がいることに気づきますず。自分はこういう人だと思うが、この意見はたふんその人も納得するだろうと言える見方もあれば、逆に、この人はたぶんそうは思っていないだろう、きっと自分はそうでないと思っているだろう、という見方もある、というようにいろいろなズレがあることがわかります。ピッタリと一致することもあれば、まったくはずれてしまうこと、ある程度重なっていること、いろいろあるはずです。

④神理の立場から見る

こうして三つの見方で見た映像を通過したうえで、四番目にしなければならないことはいったい何でありましょうか。これは神理の基準から見たときに、自分が見た相手の像の解析、印象と、あるいは相手の立場を想定したときの相手の像の印象と、どちらが正しさに近いか、ということです。この両者を神理の立場において考えてみる必要があるわけであります。

この神理の立場において考えるという作業に、みなさんが日ごろ勉強している神理の知識が役に立つのであります。神理学習の蓄積が役に立つのであります。たとえば、こうしたタイプの人に対して高級諸霊はどのように考えていただろうか。また自分がそういう人から受ける印象についてこう思ったということに対して、どうせよと言われただろうか、どのように理解せよと言っておられるだろうか。それを考えてみる必要があります。

たとえば『イエス・キリスト霊示集』という本の第1章の愛の部分を読んだことがあるならば、その観点から見て、自分が考えている相手のあり方、その相手を自分がどうとらえるかというその考え方はどうであろうか、何らかの反省点がありはしないだろうか、と考えてみることです。

また、『釈迦の本心』という本があるならば、この本で学んだことを基準に考えた場合に、この自分の自己印象と、それを相手がどう感じるかと考えたこと、これを神理の目で見たらどうなるか、点検すべき材料はいろいろあります。

こうしたことを一つひとつ追跡していくのです。そうしたとき、自分の印象がどこまであたっているか。相手がこう思うだろうというその思いは、相手のほうにズレがあるとしたらどの程度までズレがあるのか。あるいは相手のほうがどこまで合っているのか。これを点検してみるのです。

そして点検の結果、おたがいにまったく違うように見ているものをどこかで一致させる必要があります。この作業の部分が、ほんとうの反省であります。


6.愛に先立つ知恵


四段階目で「神理の基準において正しく見る」ということをあげましたが、これはまた違ったかたちで見ることも可能です。この四段階目の神理の基準に照らして、あるいは神理の知識に照らして見るということもなかなか困難な部分がありますから、このときにはもう一つ違った方法があります。

それは何であるかと言うと、心を空しゅうして神と心を通わせる気持ちで、静かに自分の思いと相手の思いというものを見てみるということです。空しく、まったく利害というものを放下(ほうげ)し、そして執着というものを去って、自分のあり方、他人のあり方などについて、見てみるのです。自分の見た像が間違っているのか、あるいは他人の見た像が違っているのか、また、こうした像のズレというものを知った時に、これをいったいどういうふうに埋めていけばよいのか、こうしたことを、心を空しくして見なければならないのです。

こうしたときに、たとえば自分が受ける相手の印象が悪かったとしても、これが実はとんでもない考え違いであったと気づくこともあるのです。相手の立場のほうがやはり正しかった、相手はそういうふうに見られたら不当と思うだろうという、その見方のほうが正しかったということもあります。

また、たとえばある人がひじょうにうぬぼれていくとしましょう。みなさんのなかにもそういう可能性のある方は多いでしょう。ある程度役割を与えられる。たとえば上級試験なら上級試験に合格する。また支部長なら支部長、あるいはそれ以外の委員なら委員、こういうものに選ばれたとします。その時点ではたしかに優秀な人として目がかけられたかもしれません。しかし、それがやがて変化していきます。一年後の姿は一年前の姿ではありません。その人が向上しているか、堕落しているか、あるいは現状維持か、この三つのうちのひとつであります。

そうした人の姿を見ているときに、たとえばその人が増上慢になっていって転落間際だと見えるとしましょう。そういうときに、見方はやはりいろいろあるのです。

ひとつの見方は、たしかにこのままでは悪になってしまう、問違いになってしまうので、これは厳しく糾弾(きゅうだん)せねばならない、という見方があります。

しかし別の見方もあります。これを単に間違ってきているから糾弾せねばならないという考え以外に、愛というもの、自分の与えた愛というものをもういちどふり返ってみなけれぱならないという点があるのです。

その人が、そういうふうになってきた理由は、甘やかしにあったのではないのか。愛のなかには優しさはあるが、この優しさが甘やかしになっていて、こういう危険なところまで本人を追い込んでしまったのではないか。今考えねばならないことは、そうなったからその人が悪いと考えるよりも、こちらの愛の実践において、愛に先立つ知恵が足りなかったのではないのか。こういう見方もありえます。

その人に愛を与えるにさいして、こういう傾向性のある方で危険性があるならば、事前によくそのことを見抜いて、そのように接していくべきではなかったのか。あるいは順序を追ってその人の成長を図っていくべきではなかったのか。まるごとすべてを与えることをもって愛と勘違いしていたのではないか。惜しみなく愛は与えると言うが、その人にとってまだ時期が来ていないときに愛を与えた結果、その人の増上慢の芽をつくったのではないのか。そうであるならば、その人がゆくゆくはそのような立場に立って当然の素質を持つ人であると思えたとしても、その性格をよく見抜いて、本人の自覚が高まるにつれて少しずつ立場を上げていくなり、扱いを上げていくということもありえたのではないか。

こういうふうに、愛の与え方において、それに先立つ知恵があったかどうかという、自己反省のしかたもあります。


7.多様なる認識の上に


このように見方の可能性はいろいろとあって、これを探究していくときに私たちの魂は進化し、飛躍していくのです。こうしたいろいろな見方ができるということ自体、私たちの霊格が、人格が進んできているということなのです。一面的だけにしかみえないということは、まだ霊的成長としては不十分なのです。霊的成長が高まれば高まるほど、いろいろな角度から物事が見えるようになってくるのです。

おそらく神の目から見てもそうであろうと思えます。いろいろな角度からすべて見て、そしてそれなりの評価をたぶんされているのでありましょう。これに近づいていくということは、多面的な見方ができるようになる、違った見方ができるようになるということです。神理というものを探究する過程において多様な見方ができるようになるのです。

しかし、ただ単に多様であるだけではだめです。単に多様であることを認め、まあこういう見方もある、あういう見方もある、そういう見方もある、と、それがすべて店頭の商品でも並べているように、いろいろな見方があるからということのみを結論として、判断を示すことから逃れるのであっては、この多様性は実りを生みません。多様な認識は必要だが、多様な認識が多様な結果だけに終わってしまうなら、そこには何らの霊的努力がなかったということなのです。

多様な見方ができるようになるということは、明らかに霊的な進歩であります。しかし多様な見方ができるようになって、多様な結論が導き出されて、多様を多様としてそのまま放置しておくならば、それはアナーキーであります。無政府状態、無秩序の状態にすぎません。それは混沌にかえっていくということになるのであり、いったん進化しかけた霊的な芽生えが、また逆戻りしていくことになります。

いったん多様な見方をしたうえで、是が非とも神の心に近い判断をせねばならないのです。こういう見方もできる、ああいう見方もできると、さまざまに考えたうえで、では現在ただ今の自分の神性の許すかぎり、霊性の許すかぎり、全身全霊の判断としてみてどう結論づけるか、これを出さねばならないのです。これを回避してはならないのです。

多様な見方ができるようになるために努力した結果、相手もいいところがある、自分もいいところがある、だからお互いにいいところがあるから、いろいろな姿に見えるが、まあそれはしようがないと、これでは済まされないのです。これではまた無秩序の世界が始まるのみです。理解することはだいじだが、理解のあとに意味づけが必要であるということです。

そしてこの意味づけに関して、自己の責任がでてくるということなのです。この自己の責任のしょうずる、正しく見たかどうかの最後の結論を出すときには勇気がいります。どんな人であっても勇気がいると思います。


8.イエスが導いた悲劇


イエス・キリストと言われる方であってもそうです。あのゴルゴタの丘で最後に十字架につながれ、はりつけになったときに、彼はまわりの罪人たちにも祝福を贈りました。また、自分に対して害を与える人に対しても「彼らは何も知らない。だから神よ、彼らの罪を赦したまえ。」このようにイエスは言っていますが、そのイエスの見方について、さて百パーセントか九十九・九パーセントか、九十九八パーセントか、いったいどれだけの正しい見方を彼は最後にしたかと言われたときに、これはなかなか難しいところであります。

というのは、置かれた状況を状況として判定する場合に、彼の見方はおそらく最高限度に近いものであったでありましょう。彼の教えのなかには、「右の頬を打たれたなら左の頬も差し出せ。」また「上着を取られたら下着も与えよ。」「百里行こうと言われたら千里行け。」こういう教えがあります。その教えの実践の結果がどうなったか、これがあの最後の結末になっているわけです。

「暴力を与えんとする者には与えさせよ。」――その結果があの最後になった。あの十字架での最後は、他の罪人への祝福と、自分を迫害する者への愛において終わったけれども、彼自身、では最後におけるその見方はよいが、その途中においてそのような行為を許したという点で、はたして正しく見ていたかと問われたときに「イエス」とは言いかねるのであります。

そこに至るまでの間に、その見方、分析、考え方、思い、これを正当に評価しえるかと言えば、必ずしもそうとは言えないところがあります。そこまで来るには来るだけの理由があり、その過程があったはずです。その過程において、人をどう見るかということについて、もう少し上手な、あるいはレベルの高い見方ができたのではないかということです。

ここで私達は、ユダの問題を考えなければならないと思うのです。イエスはユダをどう見たのか、という問題です。これは『イエス・キリスト霊示集』のなかにも書かれている内容ですが、ユダをどう見たか、またユダの動きをどう見たか、またユダの結末をどう見たかということです。

ひとことで言えば、なぜあそこまでやらせたか、ということです。真に正しく見たのであるならば、なぜあそこまでやらせたか。あそこまでやらせる前に、なぜ一喝(いっかつ)を与えなかったか。なぜもっと知恵をもって見てやらなかったか。なぜもっと知恵をもった愛を与えてやらなかったか。これは考えなければならないところであります。

イエスは、ユダのそのような傾向性は見ていたでありましょう。そのユダの傾向性から、結果としてこうなるであろうということは見えていたでありましょう。しかしながら、自分のかつて愛した弟子であるがゆえに、自分の伝道の初期のころに愛した弟子であるがゆえに、伝道の初期のころに協力してくれた弟子であるがゆえに、その厳しさを出すことができなかったのでありましょう。

現在魂的には善くなくなってきているけれど、また霊道も開きかかって悪霊もよく入り始めている。そういうことはイエスは十分に知っていました。そして、他の者からも不満は出ていました。「あのユダを、先生どうにかしてください。」と、他の弟子たちは言っていたのです。現実に言っていたのですが、しかし「ユダは自分の最初のころの弟子であって、最初のころにいろいろとずいぶん骨をおってくれた。その愛を思うときに厳しくはできない。」こういう遠慮があったのです。

そして、その結果はあのようになりました。運命と言えばそれまでです。しかし運命でないと言えばそれもそのとおりです。まだ選択の余地はあったのです。

これは、あのような大指導霊であっても、この「正しく見る」というところにおいて、究極まではいかない部分がまだあるということなのです。イエスの魂は過去幾転生する過程において、何ゆえにいくたびも悲劇の死を遂げたか、これはそうした運命を担っていた役割だと言えばそれまで。自己犠牲の愛を、彼はあくまでも愛の本質と見ていたと思えばそれまでです。

彼の魂は、過去幾転生のなかで、何度もあのような最後を遂げています。アガシャーのときもそうでした。それ以外のときにも同じようなことがずいぶんありました。アガシャーのときは最後は処刑され生き埋めにされるところまでいっているのです。そこまでさせているのです。させているのであって、されたのではないのです、その愛の見方ゆえに、させたのです。愛ゆえに、多くの人びとへの愛のためには自分の命を捨てるということが最大の愛だと思うがゆえにです。

それはひとつの方法論でありましょう。しかし、その甘さゆえに、優しさゆえに、あるいは増長させたがゆえに、あのような悲劇は起きているのです。

これと対照的なのが釈迦です。過去幾転生を見ても殺されたことは一度もありません。全部成功して終わっているのです。

それはなぜか。この「見る」というところにおいて、イエスと釈迦には違いがあるのです。究極的に人を生かすというところにおいて、どれだけ優しさと厳しさとを合わせうるか。いちばん難しいところは、ここにあるのです。人を見るさいに、優しさと厳しさのこの配合、これがいちばん難しいのです。


9.環境に対する視点


そのほかに、「正しく見る」ということにおいては、他人と自分の見方だけでなく、まわりの世界をどう見るかということもひじょうにだいじであります。

生かされている世界が見えるか見えないかということです。これは環境を見るという言葉に言い換えてもよいかもしれません。幸・不幸の原因のほとんどは、自分をとりまく環境をいかに見たかにかかっていることが多いのです。これは私たちの理論を学んでいる方であれば、十分おわかりのはずです。幸・不幸の原囚が、環境をいかに見るかにかかっている、その見方にそうとう大きな比重があることを学んでおられるはずです。

というのも、百パーセント完全な理想環境というものはないからです。他人の置かれている環境はうらやましく思えるかもしれないが、その環境に自分が置かれたときに、それが百パーセントのものであるかと言えばそうではないのです。

たとえば贅沢がしたいという人であれば、王宮に住むということはひとつの夢かもしれません。しかし神理を学ぶ人にとっては、王宮に住むということは、別な意味での苦しさになってくるということもあります。環境という客観的なものがあって、それさえ満たされればすべて幸福に転ずるかと言えば、そうではないのであります。

ここに、環境に関する二通りの見方というものがあります。第一の見方は「心が変われば環境も変わって見える」という考え方です。これは「三界は唯心の所現」という見方に近い考え方で、ある範囲まではこのとおりに見ることができます。

そしていまひとつの見方は、「心に応じた環境が現われてくる」という考え方です。これも第一の見方と似てはいますが、少し違います。与えられた環境をどう見るかに工夫するということと、与えられる環境そのものが変わってくるという、そういう違いです。この二通りが環境に関してはあります。

そうして見方を変えていくときに、どちらかの現象が起きるのです。環境を見る目を変えたときに、まず現に与えられた環境自体が違ったふうに見える場合と、環境に対する見方を変えたゆえに新たな環境が与えられてくる場合と、この両者があります。どちらも真理です。時間的ズレはありますが、第一の場合から第二の場合へと移行していくことがほとんどであります。

そこで、なぜ環境の見方によって幸・不幸ができるのか、これを考えてゆかねばなりません。この結論はつぎの「正語」のところで述べることにします。


10.植物・動物へのまなざし


いまひとつ「見る」ということに関してだいじなことは、動物、植物など、人間以外の生物の見方です。これへの目をけっして忘れてはなりません。動物にしても、魚もあれば、牛や豚、その他蜜蜂であるとか、いろいろなものがありますが、こうしたものたちの恩恵を考えたことがあるかということです。大部分の人はそれを真剣に考えたことがありません。そうしたものは目に映ってはいるのです。いろいろなところで目には映っているけれども、それについて考えたことがないのです。目に映したままで過ぎ去っているのです。

これは逆の立場から見ればかわいそうなことです。みなさんは職場で働いていて、自分が一生懸命に働いているのに上司から認められなかったら不満でありしょう。動物や植物たちは一生懸命働いているのです。奉仕しているのです。花もまた、みなさんに美しい環境を創るために一生懸命成長しているのです。そのようなことを思ったことがあるでしょうか。私たちの目を楽しませてくれるために、こんなに生命力いっぱいにがんばっているという見方をしたことがあるでしょうか。

ほんとうに「真説・八正道」が板についてくると、植物の気持ちまでわかってきます。心に伝わってくるのです。悲しんでいるのも喜んでいるのも、みんなわかってきます。そういうふうに、やがてみなさんもなられるでしょう。動物の気持ちまでわかってきます。そういうものなのです。

これは真に彼らを見るということができていない人にはけっしてわからないことです。そうした生命たちがかいがいしく生きているということを思ったことのない人間、いや正しく言えば見たことのない人間、生命たちが一生懸命に生きている姿を見たことのない人間には、かれらの気持ちはわからないのです。そうした感情が湧いてこないのです。

感情の変化には必ず原因というものがあります。「見る」ということも最大原因のひとつです。正しき感情を、あるいは崇高な感情を起こすためには、正しく見るという行為が不可欠であります。





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  • 谷口雅春
+ ...
  • 谷口雅春霊言集
    • 第1章 天上界に帰る
    • 第2章 生命の実相を語る
    • 第3章 光明思想の本義
    • 第4章 神の子人間の本質
    • 第5章 光一元の神秘力
    • 第6章 本来病なし
    • 第7章 言葉の創化力
    • 第8章 真理は汝を自由にする

  • 谷口雅春霊示集
    • 第1章 人類幸福化の原理
    • 第2章 唯神実相哲学
    • 第3章 人類無罪宣言
    • 第4章 真説・神想観
    • 第5章 本来肉体なし
    • 第6章 光の行軍
    • 第7章 日本神道の秘密

  • 谷口雅春の大復活
    • 第1章 生死を超越せよ
    • 第2章 霊格の向上とは何か
    • 第3章 女性の本質
    • 第4章 発展の構図
    • 第5章 霊界見聞録
    • 第6章 久遠の今を生きる
    • 第7章 愛と性を超えて
    • 第8章 内在する叡知の発見

  • 谷口雅治 光はここに
    • 第1章 実相としての光
    • 第2章 輝ける日々
    • 第3章 祈りとは何か
    • 第4章 経済問題解決の法
    • 第5章 神の子の健康法
    • 第6章 信仰と奇跡

  • 幸福瞑想法
    • 第10章 希望の瞑想

  • 悪霊撃退法
    • 第7章 谷口雅春の章

  • 天照大神
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  • 天照大神の霊訓

  • 天照大神の降臨
    • 第一章 美しき国
    • 第二章 わが教えの根本
    • 第三章 秩序の原理
    • 第四章 神の愛する人間像
    • 第五章 日本を憂う
    • 第六章 信仰の優位

  • 幸福瞑想法
    • 第8章 光の瞑想

  • 出口王仁三郎
+ ...
  • 出口王仁三郎霊示集
    • 第1章 神のまたの名
    • 第2章 月の時代と星の時代
    • 第3章 天女の舞い
    • 第4章 神通力 Part1
    • 第4章 神通力 Part2
    • 第5章 七曲がりの丘
    • 第6章 天狗と仙人 Part1
    • 第6章 天狗と仙人 Part2
    • 第7章 大仏への道
    • 第8章 お立て直し Part1
    • 第8章 お立て直し Part2

  • 出口王仁三郎 悪霊撃退法

  • 卑弥呼(日向)
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  • 卑弥呼の霊言
    • 卑弥呼の霊訓
    • 卑弥呼の霊訓2

  • 弟橘媛
+ ...
  • 卑弥呼の霊言
    • 弟橘媛の霊訓

  • 紫式部
+ ...
  • 卑弥呼の霊言
    • 紫式部の霊訓

  • 小桜姫
+ ...
  • 新・神霊界入門
    • 第1章 神霊界入門 Part1
    • 第1章 神霊界入門 Part2
    • 第2章 地獄界と竜宮界
    • 第3章 天上界の秘密 Part1
    • 第3章 天上界の秘密 Part2
    • 第4章 天使の役割
    • 第5章 女性論・人生論 Part1
    • 第5章 女性論・人生論 Part2
    • 第6章 六次元神界の実相 Part1
    • 第6章 六次元神界の実相 Part2
    • 第7章 小桜姫の新霊言


  • 高橋信次
+ ...
  • 高橋信次の霊言集
    • 第1章 人生の目的と使命 Part1
    • 第1章 人生の目的と使命 Part2
    • 第2章 反省、瞑想、祈りについて
    • 第2章 質疑応答
    • 第3章 悟りについて Part1
    • 第3章 悟りについて Part2
    • 第4章 真の幸せ、真の安らぎ
    • 第5章 足ることを知る Part1
    • 第5章 足ることを知る Part2
    • 第6章 心と肉体の関係
    • 第7章 自力と他力
    • 第8章 心の仕組み

  • 高橋信次の新復活
    • 第一章 新復活
    • 第二章 人類救済の原理
    • 第三章 愛と慈悲の世界
    • 第四章 正義の時代
    • 第五章 大宇宙と神理
    • 第六章 心と科学
    • 第七章 地獄界から高級霊界への旅
    • 第八章 神理問答集

  • 高橋信次復活の原点 永遠編
    • 第1章 新創世記
    • 第2章 甦る仏教
    • 第3章 永遠の生命
    • 第4章 心の法則
    • 第5章 運命を超えて

  • 高橋信次復活の原点 天使編
    • 第1章 天使の再来
    • 第2章 ポスト・ノストラダムスの時代
    • 第3章 神は光なり
    • 第4章 幸福への道標

  • 高橋信次復活の原点 希望編
    • 第1章 悟りへの段階
    • 第2章 人類の夜明け
    • 第3章 神々は招く
    • 第4章 希望の光
    • 第5章 不退転の心

  • 高橋信次復活の原点 太陽編
    • 第1章 生死を超えて
    • 第2章 未来への遺産
    • 第3章 目覚めへの道
    • 第4章 啓示と宗教
    • 第5章 太陽の心

  • 高橋信次復活の原点 新生編
    • 第1章 生命と進化
    • 第2章 中道とはなにか
    • 第3章 心と行い
    • 第4章 新経済学
    • 第5章 神理文明論

  • 高橋信次の天国と地獄
    • 第1章 愛とは何か Part1
    • 第1章 愛とは何か Part2
    • 第2章 悪霊と憑依 Part1
    • 第2章 悪霊と憑依 Part2
    • 第3章 守護・指導霊の役割 Part1
    • 第3章 守護・指導霊の役割 Part2

  • 高橋信次のUFOと宇宙
    • 第1章 UFOは実在する
    • 第2章 宇宙空間の神秘
    • 第3章 宇宙人と人類の歴史
    • 第4章 人類の起源
    • 第5章 科学の本質
    • 第6章 地球の使命
    • 第7章 大宇宙の構造
    • 第8章 宇宙人の考察

  • 高橋信次の新幸福論
    • 第1章 幸福の本質 Part1
    • 第1章 幸福の本質 Part2
    • 第2章 快楽の分析 Part1
    • 第2章 快楽の分析 Part2
    • 第3章 心と安らぎ Part1
    • 第3章 心と安らぎ Part2
    • 第4章 結婚と家庭 Part1
    • 第4章 結婚と家庭 Part2
    • 第5章 幸福への自己実現

  • 高橋信次の新ユートピア論
    • 第1章 ユートピア原論
    • 第2章 ユートピアの基礎
    • 第3章 愛とユートピア
    • 第4章 ユートピア思想の源流
    • 第5章 ユートピアの建設
    • 第6章 ムー文明の解明
    • 第7章 アトランティス文明の解明

  • 高橋信次の大預言
    • 第1章 救世の予言
    • 第2章 新世紀創造
    • 第3章 運命と自由
    • 第4章 人格向上の原理
    • 第5章 人類の未来図 Part1
    • 第5章 人類の未来図 Part2
    • 第6章 真説大予言

  • 高橋信次の心の革命
    • 第1章 心の革命
    • 第2章 悪霊となるな
    • 第3章 反省しかないのだ
    • 第4章 光の物理学
    • 第5章 八正道の新展開
    • 第6章 闇との戦い
    • 第7章 天使よ、強くあれ
    • 第8章 革命の時代

  • 高橋信次の愛の賛歌
    • 第1章 夫婦調和の法 Part1
    • 第1章 夫婦調和の法 Part2
    • 第2章 三角関係解消の法
    • 第3章 セックス・トラブルの巻 Part1
    • 第3章 セックス・トラブルの巻 Part2
    • 第4章 親子の葛藤
    • 第5章 離婚・再婚を乗り切る法
    • 第6章 愛の賛歌

  • 高橋信次のやる気の革命
    • 第1章 やる気こそすべてだ
    • 第2章 意識改革の方法
    • 第3章 自己変革の原理
    • 第4章 徹底的自己管理
    • 第5章 積極型人生論 Part1
    • 第5章 積極型人生論 Part2
    • 第6章 理想の人間像

  • 幸福瞑想法
    • 第4章 満月瞑想
    • 第6章 足ることを知る瞑想

  • 悪霊撃退法
    • 第6章 高橋信次の章

  • モーゼ
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  • キリストの霊言
    • 第3章 モーゼの霊訓 Part1
    • 第3章 モーゼの霊訓 Part2

  • 新・モーゼ霊訓集
    • 第1章 暁の章
    • 第2章 科学の章 Part1
    • 第2章 科学の章 Part2
    • 第3章 太陽の章 Part1
    • 第3章 太陽の章 Part2
    • 第4章 星の章
    • 第5章 大自然の章 Part1
    • 第5章 大自然の章 Part2
    • 第6章 希望の章
    • 第7章 ダイヤモンドの章

  • 悪霊撃退法
    • 第5章 モーゼの章

  • 大天使ミカエル
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  • 大天使ミカエルの降臨1
    • 第1章 ミカエル見参
    • 第2章 正法とは何か
    • 第3章 ミカエルの使命
    • 第4章 魔軍との戦い
    • 第5章 人類に明日はあるか
    • 第6章 光の奔流
    • 第7章 危機の時代
    • 第8章 勝利はわが手に

  • 大天使ミカエルの降臨2
    • 第1章 イエス・キリストの願い
    • 第2章 ミカエルの知恵
    • 第3章 ミカエルの誓い
    • 第4章 真実の愛
    • 第5章 神の目から見た宗教像
    • 第6章 霊界の建設
    • 第7章 聖母マリアの願い
    • 第8章 愛と知を超えて

  • 大天使ミカエルの降臨3
    • 第1章 暗黒の時代
    • 第2章 知恵と勇気
    • 第3章 正しき職業観
    • 第4章 地獄の将来
    • 第5章 太陽界の秘密
    • 第6章 キリスト教の大改革
    • 第7章 光の大軍
    • 第8章 永遠の神理

  • 悪霊撃退法
    • 第1章 ミカエルの章

  • イエス・キリスト
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  • キリストの霊言
    • 第1章 イエス・キリストの霊訓(Ⅰ)
    • 第2章 イエス・キリストの霊訓(Ⅱ)
    • 第2章 イエス・キリストの霊訓 質疑応答&余聞

  • イエス・キリスト霊示集
    • 第1章 愛の復活
    • 第2章 神の愛 Part1
    • 第2章 神の愛 Part2
    • 第3章 祈りと生活 Part1
    • 第3章 祈りと生活 Part2
    • 第4章 キリストの使命 Part1
    • 第4章 キリストの使命 Part2
    • 第5章 新時代の精神

  • 幸福瞑想法
    • 第11章 自己実現瞑想

  • スウェーデンボルグ
+ ...
  • スウェーデンボルグ霊示集
    • 第一章 我が人生観
    • 第2章 霊界と結婚
    • 第3章 キリスト教と私
    • 第4章 私の見た地獄界
    • 第5章 転生輪廻のしくみ

  • 内村鑑三
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  • 内村鑑三霊示集
    • 第1章 キリスト教と日本
    • 第2章 無教会派について
    • 第3章 日本を憂う
    • 第4章 イエスの働き
    • 第5章 新しき時代への警鐘
    • 第6章 七大天使の働き
    • 第7章 新エルサレム
    • 第8章 未来への福音

  • エドガー・ケイシー
+ ...
  • エドガー・ケイシー霊示集
    • 第1章 リーディングとは何か
    • 第2章 治病の原理 Part1
    • 第2章 治病の原理 Part2
    • 第3章 現代人の健康法

    • 第4章 宗教の諸問題
    • 第5章 ケイシー霊による個人相談 Part1
    • 第5章 ケイシー霊による個人相談 Part2
    • 第5章 ケイシー霊による個人相談 Part3
    • 第5章 ケイシー霊による個人相談 Part4

  • 悪霊撃退法
    • 第2章 エドガー・ケイシーの章

  • ナイチンゲール
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  • 卑弥呼の霊言
    • 第6章 ナイチンゲールの霊訓 Part1
    • 第6章 ナイチンゲールの霊訓 Part2

  • ヘレン・ケラー
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    • 第7章 ヘレン・ケラーの霊訓 Part1
    • 第7章 ヘレン・ケラーの霊訓 Part2

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  • キリストの霊言
    • 第4章 アモンの霊訓

  • リエント・アール・クラウド
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  • キリストの霊言
    • 第5章 リエント・アール・クラウドの霊訓

  • ゼウス
+ ...
  • ゼウス霊示集
    • 第1章 ゼウス登場
    • 第2章 神々の饗宴
    • 第3章 新しき神となるために
    • 第4章 ゼウスの悟り
    • 第5章 ギリシャ的精神の起源
    • 第6章 大いなる光の最期
    • 第7章 ゼウスの復活とアポロンの使命

  • ソクラテス
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  • ソクラテスの霊言
    • 第1章 ソクラテスの霊訓(一)
    • 第2章 ソクラテスの霊訓(二)

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  • ソクラテスの霊言
    • 第3章 カントの霊訓(一)
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  • 幸福瞑想法
    • 第12章 頭の良くなる瞑想

  • ニュートン
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  • ニュートン霊示集
    • 第1章 科学の本質
    • 第2章 光とは何か
    • 第3章 エネルギーの源泉
    • 第4章 私の見た世界
    • 第5章 人間を科学する
    • 第6章 宇宙の秘密
    • 第7章 未来科学の姿

  • エジソン
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    • 第5章 エジソンの霊訓 Part1
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    • 第1章 ピカソの霊示1 Part1
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  • 幸福瞑想法
    • 第1章 幸福瞑想法とは
    • 第13章 宇宙即我の瞑想

  • 空海
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    • 第1章 空海・弘法大師の霊訓 Part1
    • 第1章 空海・弘法大師の霊訓 Part2

  • 天台智顗
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  • 空海の霊言
    • 第2章 フワン・シン・フワイ・シンフォーの霊訓 Part1
    • 第2章 フワン・シン・フワイ・シンフォーの霊訓 Part2
    • 第2章 フワン・シン・フワイ・シンフォーの霊訓 Part3
    • 第3章 天台智顗大師の霊訓 Part1
    • 第3章 天台智顗大師の霊訓 Part2

  • 幸福瞑想法
    • 第5章 止観瞑想

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    • 第4章 恵果阿闍梨の霊訓(一)
    • 第5章 恵果阿闍梨の霊訓(二) Part1
    • 第5章 恵果阿闍梨の霊訓(二) Part2

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  • 道元禅師霊示集
    • 第2章 無門禅師の霊訓

  • 日蓮
+ ...
  • 日蓮聖人霊示集
    • 第1章 職業の悩み Part1
    • 第1章 職業の悩み Part2
    • 第2章 病気の悩み Part1
    • 第2章 病気の悩み Part2
    • 第3章 恋愛・結婚の悩み Part1
    • 第3章 恋愛・結婚の悩み Part2
    • 第4章 夫婦問題の悩み
    • 第5章 人生の諸問題の悩み Part1
    • 第5章 人生の諸問題の悩み Part2
    • 第6章 神理伝道の悩み

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    • 第7章 対人関係調和の瞑想

  • 道元
+ ...
  • 幸福瞑想法
    • 第2章 禅の瞑想

  • 道元禅師霊示集
    • 第1章 道元禅師の霊訓 Part1
    • 第1章 道元禅師の霊訓 Part2
    • 第1章 道元禅師の霊訓 Part3
    • 第1章 道元禅師の霊訓 Part4

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  • 道元禅師霊示集
    • 第4章 白隠禅師の霊訓 Part1
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  • 坂本竜馬の霊言
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  • 坂本竜馬の霊言
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    • 第5章 正命
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    • 第7章 正進
    • 第8章 正念
    • 第9章 正定
    • 第10章 総論

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    • 第1章 新時代の展望
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    • 第2章 ユートピアとは何か Part2
    • 第3章 ユートピア価値について
    • 第4章 未来型人間とは
    • 第5章 ユートピア価値革命
    • 第6章 ユートピアと経済
    • 第7章 理想的ユートピア論

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