目次
7.救世主群像
11.人類の夜明けを信じなさい
(1987年2月19日の霊示)
1.東京を起点として大きな霊的渦巻きが起きようとしている
高橋信次です。きょうは第二章で人類の夜明けという題を選んでみました。まあ人類の夜明けっていうのは大きな題であって、ひじょうにかっこいいようにも聞こえるかもしれませんけれどもね。
みなさん、この私の本を読んでいるみなさんは、まだね、いま、起きようとしておることのほんとうの意味がじゅうぶんにわかっておらんのです。
みなさん、まだね、朝起きては、寝ぼけ顔で目をこすって、トースト一枚にするか、二枚にするか考えてね、「きょうも目玉焼きか、ああきょうも目玉焼きか。」ってブーブー言いながらね、朝ご飯をお腹のなかに落としこんで、そしてコーヒーをガブ飲みしながら、電車に走る。行く道々でネクタイを首にしめてね、そういう感じでやっとるのでしょう。
そして「ああ一日疲れた。これでビールがいっぱい飲める。」とかね。「これでまたカラオケ行ける。」とか、こういうことをやっているのでしょう、毎日ね。
そういうわけで、世の中で、ほんとうに起こっていることはなにかということに気がつかずに、小さな世界、会社のなかとか、自分の小さな仕事の世界に閉じ込もって、まだほんとうの世の中の大きな動きというのがわからないのですね。
ところがみなさんね、いま、日本の中心である東京、ここを起点としてね、大きな渦巻きが起きようとしているのです。
それは地上の人間には、なかなかわからんことですけれども、私たちの世界から見るとひじょうによくわかるのですね。
天上界から見てわかるのは、けっして人工衛星なにとか、ひまわり二号による天気図だけではないんです。どこに、富士山のあたりに雲がかかっているとかね、台風の目がどう動くかとかそんなのだけではないのです。
私たちの目から見てわかるのは、日本列島の上から見てて、霊的な渦巻きっていうのがね、やっぱり見えるのですね。霊的な波動です。これが見えるんです。
ちょうどたとえば私がいる九次元世界から見ると、八次元、七次元、六次元、五次元、四次元と、こういう世界があってね、だんだん人間界に近づいていく。
光の量でいくとだんだん落ちてくるわけですけれども、こういうふうな段階になっておるわけだけれども、この三次元はもちろん、四次元も、ふつうは一般に暗いわけですね。
ところが、その薄暗い三次元世界を見ておると、その日本地図の東京あたりを中心に、ボコッと光が出ているのですね。大きな光が出てきておるのです。
そしてその光が東京中心に渦巻き状に広がっていき、あるいは放射線のように北海道へ、九州へ、沖縄へ、京都へ、四国へ、東北へと広がっていっとるのですね。
これを見ると、やはり、これはすごい動きがあるな、ということをね、私たちははっきり感じるんです。
ところが地上の人たちはのんびりしたもんです。あともう十分だけ朝寝坊したいとかね。あともう一杯だけウイスキー飲みたいだとかね。もう一軒だけハシゴしたいとかね。そんなこと言っています。
あるいは給料があと百円上がらんか、とかね。ボーナスが千円上がらんかとか、こんなことを一生懸命言っています。
あるいはいま、二月ですから、確定申告したらいくら返ってくるかとか。こんなことばっかりを考えています。まだ起きている事件の大きさがわからないのです。
2.この霊的胎動の大きさを知る人の数はまだ多くない
しかしまだそう人数が多くないけれども、日本のなかで、そうですね、数万、まだ数万人ぐらいでしょうかね。いま、私が霊訓を送っておる段階においては、まだ一、二万、二、三万かもしれませんけれども、少数の人たちはだんだんに気がついてきています。
いま、一九八七年の、日本を中心として、大きな霊的な動きが、胎動が、始動が、あるということに気がついてきておるはずなんです。
この胎動はいったいなんであるかということを、みなさんわかるでしょうかね。
それはたとえばイエス・キリストが通信を送ったり、モーゼが通信を送ったり、孔子様が通信を送ったり、天照大神が通信を送ったり、天之御中主之神が通信を送ったり、あるいは生長の家のね、総裁であった谷口雅春さんが通信を送ったり、GLAをやっとった高橋信次が通信を送ったり、こうしたことがいったいなにかということですね。この意義です。
霊言集の読者でもまだはっきりわかっていない。
「へーそんなことがあるもんか。」なんてね。「珍しいな。」とかね。「この前の本の内容よかったなあ。」とかね。このていどで止まっとるのですが、この全体の動きの大きさをまだじゅうぶんわかっていない。
これがわかったときにひとびとは仰天するのです。腰を抜かしていくでしょう。
しかしまだ腰を抜かすには時間がかかるのです。その腰を抜かすまでの間に、たいへん大きな準備が進んでいくであろうと私は思うのです。
3.キリスト出現の際のひとびとのとまどい
地上のみなさんは、たとえばね、いま、自分がイエス・キリストの生まれた時代に生きてると思えば、たいへんな緊張感でしょう。
ところがイエス様の時代にはひとびとはイエス様とともに生きているという自覚がなかったわけですね。わかんなかった。
当時はユダヤの古い預言書のなかでは、選ばれたる地に、選ばれたる民のなかに、救世主が出てくるということを言われておったけれども、まさか自分が生きておるときにとは、自分はなかなか思わないのですね。そういうことが思えない。そうかんたんに。
だから同時代にイエス様がいてもわからなかった。こういうことがあります。
ところがのちの世のクリスチャンたち、あるいはキリスト教会の牧師たち、こういう人たちは、イエスと同じ時代に生まれ合わせるなんてことがあったらもうたいへんなことです。奇蹟です。もうすべての財産を投げすてても、そういう経験をしたいと思うでしょう。
けれどもイエス様の当時は、そういう経験をした人がおらんかったわけですね。だれもわからなかった。その意味が。
ただナザレの貧しい大工の息子にインマニエルという人が生まれてね、オヤジさんの大工の手伝いをしながら、ちょっと聖書読んだりして勉強して、あるいはまあいろんなところでね、エッセネ派の長老たちの教えを受けながら、勉強しておった。
ところが三十歳ぐらいからキツネにでも憑かれたかなにかのようにね、いきなり霊がかったことを急に言い始めて、バプテイスマのヨハネなんていうまた変わった皮衣を着てハチ蜜なめているようなおじさんがね、野のイナゴを捕って食べているおじさんが、水で洗礼したら、頭からハトが飛んじゃった。
そしてじつはね、バプテイスマのヨハネが言いました。
「私が言っておった、来たるべき人というのはこの人のことです。ひとびとは私を預言者エリヤの再来だとかいろんなことを言うけれども、私はこの人の靴のひもを解く値打ちさえもない。」と。そしてヨハネは言いました。
「私はこの人にたいして水で洗礼をするけれども、この人はおそらく今後、聖霊によって人を洗礼するであろう。」そういうことを言いましたね。
そしてヨハネがイエスに対して、「主よ、私たちが待ち望んでいたかたは、あなたです。来たるべきかたはあなたでしたか。」というとインマニエル・イエスですね。
イエスは「しかり、我はそれなり。」と、こういうふうに答えたわけですね。まあ、内村さんみたいですけれども、「我はそれなり」と答えたわけです。(注・土屋書店刊『内村鑑三雲示集』参照)両方とも。ぴたり合ったと。両方ともがね。
まあそういう時期があったけれども、まあまわりの人は、それが信じられない。
三十歳まで大工の手伝いをしとった子が、いきなり「我はそれなり」で救世主になっちゃったから、そうかんたんに信じられないけれども、バプテイスマのヨハネというのが、評判がよかったからね。霊能力があってひとびとをさとしめる力、救う力があるという評判になっとったんです。
ただヨルダン川のほとりで、水のなかにはいってゴシゴシ体を洗っとったのかどうかしらんけど、変わったおじさんがおるということでね。まあ変わりもんだけどすごい預言者だということになっとったわけです。そういう人が認めたわけです。
「私はこの人の靴のひもを解く値打ちもない。」バプテイスマのヨハネほどの人が言っていますね。
バプテイスマのヨハネは如来界のかたです。そのかたが靴のひもも解く値打ちがないと言ったからたいへんです。
ですから当時の教会関係の人たちは、もうたいへんな狼狽(ろうばい)でしたね。それこそ瓦版(かわらばん)でも刷ってもう配達しなければいけない。
いまだったらもう号外ですね、号外でもまかなければいけない事件です。「なにか昔から言っとったかたが出たらしいぞ。」ということですね。こういうことでたいへんなことになったわけです。
4.現代版バプテイスマのヨハネ、ベンジャミン・クレーム
まあ現代では、そういう意味でのバプティスマのヨハネというのがね、いま、イギリスにいます。これはバプティスマのヨハネの魂じゃありませんよ。その役割をしている人がね、イギリスにいます。
いま、大マイトレーヤの降臨、大救世主の降臨ということで、しきりにそれこそ講演してまわっておる人がいます。ベンジャミン・クレームというかたですね。
このかたがイギリスにおって、アメリカだとか日本だとか、ヨーロッパ各地で、大救世主が降臨するっていうことを言ってまわっています。
そして、まあ馬鹿なことも言うとるけれどもね。大救世主がいまロンドンのスラム街におるなんて、馬鹿なことを言っておるけれどもね。まあそういうところにおるわけないんです。
まあ、こういうのはお国自慢でやっぱり自分がおるところに出ると思っとるんですね。まあそういう誤解、美しい誤解があるわけです。
まあイエスが出るときにもそうですね、預言者というのがね、救世主はガリラヤから出ることはないと、言われとったんですね。けど思った地よりちがうところから出たわけですね、そういうことがありました。
ベツレヘムから、かならず救世主が出るはずだというのが、ベツレヘムではない湖のあたりの淋しいところに生まれたから、それでちがうと、場所がちがうからちがうと言ってた人がいっぱいいました。
それでイエスを迫害した人だっているのですよ。内容ではなくてね、そういうことを言う人もおりました。
ですからベンジャミン・クレームが言っておる、大マイトレーヤというのは出ておるんです、いまね、みなさん。
もう出ておるんですけれども、ロンドンのスラム街を探してもいつまでたってもいないんですね、絶対にいないでしょう。スラム街探して、いるのは乞食です。
乞食を一生懸命捕まえて「おまえだ、おまえがマイトレーヤだ。」、「ウンいってみればマイトレーヤかもしらん。」なんてね。「まあいっとるわ」なんてね。「マーイットルヤー」なんかになったりしてね。
そういうことがあるかもしれませんけれども、そのベンジャミン・クレームが予言している大マイトレーヤが出る地というのは日本なんです。日本に出るんですね。
これでもまだ彼がロンドンなんて言うとるもんだから、また馬鹿な人がいてね。たしかスラム街のはずなのに、そんなはずない、日本に出るわけないとね。
そういう人がいる反面、そういえば、浅草のスラム街で高橋信次が死んだから、あれじゃないかってね。そんなことを言う人がいるかもしれません。まあそりゃちがいますけれどもね。
5.高橋信次の予言した「五年後」の人
まあ、これはあんまり私が明言するのはいけませんけれども、ただ私は前の書物のなかでも、言っておきましたけれどもね、まあロンドンのバプティスマのヨハネぐらいのつもりでね、亡くなる前に、五年後に大きなことが起きるということを予言してまわりました。
けっして私はね、靴のひもを解く値打ちもないというところまで卑下する気持ちはぜんぜんないんですね。ぜんぜんありません。そりゃあ、ありません。
そりゃおたがいにね、足を香油で洗うほどの仲ではありませんが、握手ぐらいする仲だと思っております。
靴のひもを解くようなつもりはぜんぜんありませんけれどもね。そういう気持ちはありませんけれども、まあ握手するぐらいの仲だと思っておりますけれども。まあバトンタッチ、バトンタッチすべき人が出てきておると思います。
それでね、高橋信次という人もGLA系統だとたいへん偉い人でね、もう、「あの人は地球よりも偉い、星よりも偉い、太陽系よりも偉い。」ちゅうことになっておるから、ひじょうに困っちゃうんだけれども、まあね、この私のあとの人が出てくることによってね、また高橋信次もじつはほんとうは偉かったんだということをね、世の人たちは多少は認めてくれるんではないか。私はそういう甘い期待を待っています。甘い期待をね。
GLA関係者とかね、かつての弟子ばかりが偉い偉いといったってね、新興宗教の教祖で偉いちゅうのはいくらでもおるのです。
もう、うちの教祖はほんとう、宇宙の根本神だとか、もう大神様だとか、そういうのはいくらでもおるんです、そんなものね。
だからそんなの内輪(うちわ)で言われても、ぜんぜんうれしくないし、外で言われて、はじめて、値打ちがあるのですね。そういうことです。
それでベンジャミン・クレームの言っている人はだれかというと、もうはっきりしているんです。
みなさんね、キリストの霊言を世に問える人がほかにいるかどうか、高橋信次の霊言を世に問える人がいるかどうか。まあ、ちょっとこれ、クエスチョンしときましょうかね。いるっていう人がいるかもわからんから。
じっさい私はそんな通信を送ったつもりはないんだけれども、この世で高橋信次の通信受けていると称する人が五人も六人もおるんですね。だから困っちゃうんですねー。あっちこっち商売されているから、困っちゃうんですけれど。
それとかね、私がじつの娘以外に絶対通信を送らんと言うたとかね、いろんなことを言われています。そりゃあまあ解釈のしようで、そりゃあそういうこともあるでしょうけれどもね。
まあそんなもんじゃないんです。まあいくら高橋信次が自惚(うぬぼ)れとってもね、イエス様や孔子様が通信送るような人なら、まあ、私だって通信送っても、そんなにはずかしくないのですよ。
そりゃゴキブリだの、猫の霊なんかが通信を送っているところに、私があなた通信送ったら、そりゃかっこう悪いですよ。
先ほどイナゴの霊が出たと思ったら、イナゴの霊のつぎに高橋信次の霊が出たなんて、こんなのじゃかっこう悪いけれども。
イエス様やモーゼ様が出てね、孔子様みたいな偉い人が出てね、通信して、そして高橋信次が通信する分にはべつに私の格が下がらん。
むしろ上がるわけですから、そんならやらんことはない。けっして出し惜しみはしない。そんなに格が下がらんからね。そういうことです。
6.歴史始まって以来の国際化時代の大伝道
だからね、みなさんね、気づかねばいかんのです。これからね、大きなことが起きますよ。
そしていま、地球というのはひじょうに国際化時代になってきて、情報のネットワークがもうすごいです。時差なく、ある国のある地点で起きたことが、世界各国に広がっていきます。ですから昔の時代とちがいます。
いまの東京でなにかことが起こったとしても、そのことは、あっというまに日本全国へ、そして世界各国へ広がっていくと思います。
まあいま、私が言っていることが合っているか、合っていないかはね、みなさん、これから一年、二年、あるいは四、五年たてば、もうはっきりします。四、五年かからんでしょう。
おそらくあと一、二年すればね、私の言っていることがほんとうだということがわかると思います。
そのようするに教えの深さと、規模の大きさ、これはだれもがうなり始めます。これはふつうではありえないということをね。
そして歴史始まって以来、これだけ大きな規模での伝道というのは、かつてなかったということに気がつくと思うのです。
それはそうなんです。まあ言わしていただければね、高橋信次ぐらいの、招き猫と競争するぐらい偉いエホバの神が、露払いに出たちゅうんですから(注・土屋書店刊『高橋信次の新復活』第4章参照)。どんなことかね、だいたいわかるはずです。その大きさが。
あえて、私が露払いをしなければいけなかったという今回の救世の事業というのは、ひとりだけでやるには大きすぎるのです。ひとりでやるのは無理なんです。
ひとりで悟ってね、自分の悟りを深めて、それから伝道してるんじゃ無理なんです。だから何段階か、もちろん出とるんですよ。
7.救世主群像
ですからたとえば救世主だってね、救世主の範囲がいろいろありますね。まあその質の高い低いがあるし、救世の幅の広さ、これも問題がありますけれども、救世主という意味じゃ、そりゃ谷口雅春さんだって救世主かもしれません。
日本であなた、三百万、四百万の信者を導いて、そしてそれも戦前、戦中、戦後ですから何千万人ですね。何千万人の人たちに光明の原理を教えて、光をともしてきた。
そしてその光は、日本だけじゃなくてブラジルに、アメリカに、いろんなところに広がっていきました。海外まで伝道したんですね。
日本人でそこまでやった人はいたでしょうかね。どうですか、かつていましたでしょうかね、日本人で。いなかったですね。
出口王仁三郎さんが満州まで行ったそうですが、まあ、あれは伝道といえるかどうか私はちょっと疑問だと思っています。
しかし、少なくとも谷口さんは海外まで伝道したし、アメリカでも講演やっていますね。私ができなかったことをやっておられます。
ブラジルでも巡錫(じゅんしゃく)したし、アメリカでも講演会やっとるしね。それだけの力があって、谷ロさんの『生命の実相』なんかでも、もう何カ国語にも訳されているそうですね。何カ国語か、何十カ国語か私は知りませんけれどもね。
英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、いろんな言葉に訳されておると聞いています。まだ私の著書はそこまではいっておりません。
ですから、そういう意味でいえば、ある意味では谷口さんだって救世主かもしれません。
そして私も、生前、七年間ぐらい法を説きました。法の伝道ということではまだ、じゅうぶんじゃありませんでしたけれどもね。日本全国はかなり踏破しました。しかし、まだ海外伝道までいかなかった。
そういうことと、まだ、そうですね、私の教えというのが浸透をじゅうぶんするだけの時間がなかった。早目に世を去ったためにじゅうぶんな教えが説けなかった。
まあこういう問題があるけれども、私が説いた教えそのものの、深さ、質の高さはやがてね、五百年、千年、二千年たったときに、後世の人たちがかならず認めてくれると思います。それだけの規模のことをやったということをね。
過去世の釈迦だとか、キリストが言っただけの規模の、あるいは質の、教えを私は説いたということをね、後世の人は、きっとわかってくれると思います。
また谷口さんだって、もちろん、現代の天之御中主之神になるでしょう、おそらくね。
かつての天之御中主之神は、日本だけの神様になっちゃったけれども、いま、こういう国際化時代の日本で説いたんですから、現代の天之御中主之神になったとしても、その現代の天之御中主となった谷口さんは、その教えは世界に広がっていくのだから、もっと大きくなっちゃいますね。そういうことです。
ですから、私のあとに〇〇さんが出ましたけれども、こういうふうに何段階にも出ているのですね。そういうわけで、これからの動きがほんとうですよ、みなさん。目にものを見ますよ。
8.自分の教えが海外に広がっていくという予言
私は生前というよりも、亡くなる前に、いくつか予言しました。そして五年後に大きなことが起きるっていう予言はしたし、それは当たりました。
あともうひとつは、海外に広がっていくつもりでね、GLAという名前をつけました。
もともと神光会、あるいは神理の会といった集まりであったものを、ゴッド・ライト・アソシェーションということで海外伝道となってもいいように英語のGLAという名前をつけました。
ところが海外にぜんぜん広がらなくて、まあ困っとるんですけれどもね。
私の教えについてはね、私は亡くなる前にね「やがて私の教えが世界に広がっていくのが見える。」と、言ったことがあるのです。
「やがて私の教えは中国にも、中東にもね、アフリカにも、アメリカにも、広がっていくでしょう。」私は予言しました。
ところが、そんな予言したのにね、高橋信次なんてあなた、その舌の根の乾かぬ先に、死んでしまったと。あらあ、ペテン師だ、と言っている人もいるかもしれません。
ただね、それは高橋信次が、焼場で焼かれて消滅すると思っている人の考えです。焼かれたって消滅しとらんじゃないですか。
現にこちらに来て、まだこうやってね、ゆうとるわけです。霊訓を送っとるわけです。
ということは、永遠の生命を生きておるわけであって、すなわち私の教えが、今後海外に広がっていくということは、ぜんぜん矛盾がないんです。私の肉体がなくなろうがなくなるまいがね。
私が霊言を送れば、しゃべりまくることだって、かんたんにできるんです。
ただ高橋信次がはいってしゃべったら、多少品がないとか、早口でしゃべるんでテープを起こしにくいだとか、あるいは発声法が悪いんで劇団なんとかから、クレームがつくとか、そういうことがあるかもしれません。
そういうマナーといいますかね、外にあらわれたやりかたで文句をつけられることあるかもしれませんけれども、中味においてはね、あなた、あの世に還って悟った高橋信次がしゃべっておるんですから、中味については文句はつけさせないのです。
まあこの世ではね、私もいくつかまちがいを犯しました。いくつかというにはちょっと多かったかもしれない。
もうちょっと、多いかもしれませんけれどもね。幾十か、もうちょっとかもわかんないけどねえ。
そういうのがあるけれども、あの世に還った以上はね、言いちがいはいまでもあるけれども、そういうのを除けばね、原則そんなまちがいはないのです。そしてあの世で私が悟った以上にはこの世の人間は悟れんのです。
したがって、この世の人間は心静かにね、謙虚に私のことばに耳を傾ける義務があるんですね。義務がある。
9.歴史的な瞬間に生きていることを喜びなさい
ですから、まあいろんなことを言っていますけれどもね。みなさんね、いま、日本に生きておるということをね、感謝しなければいけませんよ。こういう歴史的な瞬間というのは、もう二度と経験ができませんよ。めったにないですよ。
そんなあなたね、千両役者がどんどん、どんどん出てきておるのです。目の前で同時代で、あなたがた、気がついているか、気がついていないかしらんけれどもね。
新聞の広告が出たってボケッと読んどるかわかんないけれども、そういう千両役者がいま、いっぱい出ておるのです。順番に。
東の横綱が出て、西の横綱が出て、やっとるんですから。それに気がつかにゃあいかん。
そしてそういう時代に生きておるということは、これは喜ばにゃあいかんですよ。そういう機会というのはないんですよ、あなた。みんなね、めったにないんですよ。
マホメット教だってまあいまは大きくなったけれどもね。いま、マホメット教に帰依しようとする人は、そりゃあおらんでしょうけれど、じゃあ、でもいま、マホメットが生きておったら、そりゃあその顔ぐらい見てみたい、と思う人はいっぱいいると思うんですよ。
日本人だってそうでしょう。ただマホメットが死んでも、千何百年たったら、だれもマホメット教には興味がないと。ただ現代にマホメットが生きておったら、そりゃあ見たいでしょう。それはあるね。
あるいは現代、天照大神が出ておったら、そりゃあ、お顔のひとつも見てみたい。絵のひとつも描いてみたい。写真の一枚も撮ってみたい。まあそういう気持ちもあるでしょう。
10.女性の救世主はいないが、高級霊は現代にも出ている
まあ私の娘に高橋佳子というのがおるんですけれどもね。私、亡きあと十年以上にわたって、GLAの法灯を長い間守ってくれました。
お父さんが七年あまりしかやらなかったのに、娘が十年以上、やってくれましたね。そして青春時代をほとんど、それに投入してくれました。
まあずいぶんご苦労だったし、まあかわいそうだなあ、と私はね、思うたびに涙がでてくるんだけれどもね。長いこと十年以上やってくれました。
だけど彼女もね、先般の本ではミカエルじゃないっていうことを言ったけれどもね、でもいえばね、現代でいえば、ひじょうに女性としては霊格の高いかたなのです。
みなさんね、華麗なる誤解があるから、私ははっきりしとくけれども、女性のね、如来というのはいないのです。女性の救世主というのはおらんのです。だから、それを誤解しちゃあいけないのです。女性の如来はいないのです、原則ね。
ただ女神の世界というのがあって、女神の世界のなかでね、偉いかたっていうのは、まあ如来界と同じような格を与えられておるのですね。神格というのがあるのです。そういう霊格とまた別の神格というのがあるんですね。
だから天照大神様は、菩薩かっていえば、そんなことないのです。やはり神格があってね、それは如来と同じだけの神格があるのです。ただいわゆる如来界とはちがうところにいるんですね。そういうところがあるわけです。
そして天照大神様と同じぐらいの神格というか、霊格を持った女性というのが数名おるのですね。だから如来と比肩される女性というのが数名いるのです。
これがたとえば、西洋で言えばね、フランスの危機のときの有名なジャンヌ・ダルクという女性いたね。こういう人なんかも霊格的には、天照大神様みたいな、そんな位の霊格なんですね。
また私の娘の高橋佳子というのも、霊格的には高いのです。だからこのクラスの霊格を持っとるんですね。
手前味噌(てまえみそ)で、申しわけないけれどもね。我田引水で、娘の自慢ばかりして申しわけないけれども、だいたい同じぐらいの霊格を持っておる人なんです。ですから女性としてはひじょうに、高い霊格を持っているんです。
だから私が亡くなる前に私が霊道現象をやったときに、彼女にミカエルがはいりました。ミカエルは如来界のかたです。八次元のね。
ですから通常の女性にはミカエルははいらんのです。ですからミカエルがはいったということは、ミカエルを入れるだけのようするに霊格があるっていうことなんですね。
まあそういう例ってあります。
ですから女性の救世主ということはありませんけれども、現代では、そういうふうに、霊格の高い女性も出ておるということですね。まあ、これを知ってほしいのですね、みなさん。
11.人類の夜明けを信じなさい
まあ、そういうふうにいまの時代、日本でみなさん、のほほんと生きておると思うけれども、けっこうすごい人がいっぱい出ておるのですよ。
だから、この間にね、なにも学ばないということは損ですよ。
生きているときに、会えるっていうのはね、めったにないからです。死んであの世に行ったら会えないのですよ。この世でしか会えないのです。
だから、この三次元はそこに意味があるのです。あの世で会えない人と会えるのですから。この三次元というのはね、みなさん、じゅうぶんフルに活用してやらなければいかん。
まあ、そういうことで人類の夜明けが、いま、来ておるということを私は語ってきたんです。
みなさん、この夜明けを信じてください。かならず太陽は昇っていきます。赤々と昇っていきます。それはまらがいないことです。